後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

東京都民の水道水、小河内ダム湖(奥多摩湖)と多摩川第一発電所

2013年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

多摩川の上流の旧小河内村を水没して巨大なダムを昭和13年から作りはじめました。戦争で工事が中断しますが、戦後の昭和32年に完成しました。

東京都民の水道の水を供給する水源です。現在は利根川水系が主な水道水ですが、渇水期には重要な水源になっています。

そしてこの小河内ダムには東京都の交通局が所有管理している多摩川第一発電所が併設されて代表的なダム式水力発電所として19000Kwの出力を誇っています。

4月10日に訪問し、写真を撮ってきたので下に示します。

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・渇水期だったようで水位はかなり下がっていました。

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・下が水道水の送水経路の説明文です。

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・下は多摩川第一発電所の構造見取り図です。

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・下の白い建物の中に2台の発電機が入っていて19000Kwの発電をしています。白い建物の上に見える黒っぽいプールが発電後の水の放水場所です。

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・なお奥多摩湖の詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%A4%9A%E6%91%A9%E6%B9%96をご覧ください。

そして多摩川第一発電所については、http://www.suiryoku.com/gallery/tokyo/tama1/tama1.htmlをご覧ください。


若くして肺ガンで亡くなったhikarunoさんの思い出(追記)

2013年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

hikrunoさんのことは先日の、桜の散る頃になると思い出す、若くして亡くなったhikarunoさんを という記事に書きました。

彼の最後の頃には、カトマンズとバンコックの両方に家があり、26年も住んでいました。アジアの手紡ぎ、手織り布に魅せられて棲みついてしまったのです。

蒐集したアジアの手紡ぎ、手織り布の展示会を毎年、東京で開催していました。

下にある写真は2009年の晩秋に東京で開催した最後の展示会の案内状です。

そして以下は全て彼のブログの文章から知り得た彼の最後の日々の様子です。実に淡々と書いてありました。

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2009年の末頃、肺ガンのため胸水が溜まり、呼吸が苦しくなります。

急遽、日本に帰り、治療を受ける決心をします。苦しい呼吸です。足を引きずるようにして成田へ帰ってきました。

2010年の1月から3月まで東京の大きな病院で腺ガンと診断され抗癌剤の治療を受けました。抗癌剤の治療は副作用がひどく、過酷な治療です。

しかし抗癌剤は効き目があります。ガンがほとんど無くなり小康状態になります。

そこで彼は、飛行機でカトマンズとバンコックへ再び旅立つことを決心しました。

あちらでの生活のあれこれをキチンと整理して、生に幕を引くために成田を出たのです。それは3月8日でした。バンコックに一週間居て自宅の整理をします。そして15日にカトマンズへ飛びます。

カトマンズでは15年間住んでいた部屋の大家さん一家が温かく迎えてくれます。一週間の滞在中、食事の世話をすべてしてくれました。

抗癌剤で体力の衰えた彼には自炊をする気力がありません。カトマンズの町々を、もう二度と見ることも無いと思い、懐かしみながら散策して日を過ごしたそうです。惜別の散歩です。

15年間、印象深かった瞬間の風景が脳裏に浮かんでは消えて行ったに違いありません。数々の写真を撮ったときのことも思い出したに違いありません。

大家さん一家も主人がガンで亡くなり息子が肝炎になり薬代で火の車だったそうです。しかし何時も笑顔の絶えない一家です。

カトマンズの生活に幕を引き、バンコックへに帰ってきました。

hikaruno さんは独身ですが養子の息子が一人います。ストリートチルドレンだったタイの少年を引き取り、育て上げたのです。現在は大人になって働いています。

バンコックでは病身のhikarunoさんの世話をあれこれしてくれました。彼にとっては唯一人の家族です。その息子とも別れ、東京へ帰って来ました。残した抗癌剤治療のためもう一度入院するためです。そして又、4月24日に東京厚生年金病院へ入院しました。

カトマンズとバンコックへの惜別の旅については ひかるのさんが詳しく書いて、公表しています。http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season に御座います。彼が心身ともに元気だったころのブログは、http://asiancloth.blog69.fc2.com/ に御座います。合わせてご覧下さい。何故かしみじみとした静かな感動を感じられると思います。

彼が苦しい病床からブログを書き続けていました。http://blogs.yahoo.co.jp/hikaruno_season です。

ご覧下さい。

hikarunoさんのブログに初めて会い、ご紹介した記事は、美くしく楽しいブログを発見しました と、「草木染めの世界、その一」です。2008年9月7日と8日の記事です。

下記はHikarunoさんのことを書いたその他の記事の一覧です。

バックナンバーからご覧頂ければ嬉しく思います。(終わり)

抗癌剤治療とその副作用の実体験者の記述ブログをご覧下さい

10/04/23

ガンになる、そしてカトマンズ、バンコックへ惜別の旅物語

10/03/26
インターネットは人々の孤独を解消してくれる 10/03/10
ひかるのさんの抗癌剤治療の体験報告ブログ 10/03/02
ガンの治療費を支援する人々に感動しました 10/02/16
アジアの野蚕、手つむぎ、手織り、草木染めの布製品がございます 10/02/10
ブログ上の友人がアジアの野蚕シルクの布を展示してくれる民族文化博物館を探しています! 09/12/03
ネット社会の自由と平等性に乾杯! 09/11/02
ネット友人と末長くお付き合いをする方法 09/09/26
貴方はブログやHPを何時止めますか?そして別離は悲しくありませんか? 09/08/23
不思議なハンドル名に血が流れ人間になった 09/08/16
このブログを読んで下さった方々への感謝と惜別の言葉ーその一 09/07/30
あなたは外国が好きですか?嫌いですか?日本は狭い島国だと思いますか? 09/07/23
美しいブログ紙面を作る方法 09/06/15
人生(人間)いたるところに青山あり 09/05/27
楽しくて、考えさせる数々のブログのご紹介 08/09/22
草木染めの世界、その二、新しい日本人

08/09/16

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老人になってみて人生の楽しさを発見しました

2013年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

過ぎ去った日々を思い返ると、その当時とは違う感慨におそわれることが多いものです。

私は引退後に自分の人生を振りかえって、当時とは違った感じかたを持ちました。そして老境こそ人生で一番楽しい期間だという発見をしたのです。

現役の間に、引退後は自分は不幸になると想像していました。

仕事も一切無くなり淋しいだろう。仕事仲間と一緒に飲んだり談笑する機会も無い。仕事しか興味が無くて大した趣味もない。暇が出来ても遊び方を知らないので毎日なすこともなく、無為の日々が流れて行くだけだ。だから老後は不幸だと私は考えていたのです。

ところが、70歳で仕事を一切止めたら、毎日がパっと明るくなって楽しくなってしまったのです。大げさに言えは「歓喜の日々」が流れだしたのです。

兎に角、仕事の為にと、したいことを我慢して来ましたが、その必要が一切なくなります。

頭の上の暗雲が突然消えてしまったようです。

職場が無くなるので上司に気を使う必要が一切無くなります。傲慢な自分にとってそれだけでも万歳と叫びたくなります。

引退までは、他人に自慢出来るような趣味を持っていないと信じていました。

仕事一筋が美しい人生という世の中の風潮に合わせて働いてきたような気持ちでした。それで趣味を趣味と認めたくなかったのです。

山林の中の貧しげな小屋へ細々と通うことなど趣味として他人へは言えない。中古のヨットを、よたよたと帆走させることは自慢出来ない孤独な楽しみだ。と強いて無視しようとしていたのです。

その上、現役の間は、親しい友人もあまり居ないと信じていました。

それが、現役を引退し、数か月過ぎてみると考え方がすっかり変わってしまったのです。

山林の中の小屋もヨットも立派な趣味だと考えるようになったのです。他人へ自慢できる立派な趣味だと信じるようになったのです。

その上ブログを始めたら、ネットの上にでも友人が多数出来たのです。これには自分でも驚いています。

友人たちの掲載記事を読んで、毎日コメントを交換しています。

従来は仕事仲間としか付き合っていなかったのです。

ネットの上での友人は年齢、性別、職業がいろいろあって考え方が非常に違うのです。自分の視野が広がり、とたんに世間が広がったような幸福感に包まれます。

毎日が楽しくなるのです。

自分だけが老年を楽しんでいるのではありません。

中高年の人々が書く随筆記事や日記を読むと、皆が明るく楽しそうにしています。どなたも自分の昔の職場の厭な思い出は書きません。人間は嫌なことや悪いことは忘れてしまうものです。そのせいで、老年の毎日が歓喜の日々になっていると思います。

しかし老年になれば肉体は衰え、病気にもなります。

親しい人や恩人が次々と先に死んで行きます。世の中が淋しくなります。

しかし、「ものは考えよう」です。

先にあの世へ旅立つ親しい人々や恩人は我々が淋しい気持ちで日々を過ごしていたら決して喜ばない筈です。それ以上に子供や孫のような若い世代も淋しい老人は見たくないのです。

それだからこそ、明るく楽しく日々を過ごす方が良い。と、私は信じています。

このように書ききっている自分があまりにも楽天的なのかも知れません。しかし家人に聞くと彼女ももまったく同じ考えなのです。

下の写真のような、陽春の陽に輝く水面を見つめながら考えた文章です。

皆様のご意見は如何でしょうか?   (終り)

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