後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

戦後の日本人の自虐趣味の誤り(3)オランダの対日感情の悪さを無視する日本人

2013年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

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オランダといえば上の写真のような牧歌的な風景だけを思い浮かべる人が多いと思います。

しかし1941年から45年の第二次世界大戦で日本軍はオランダの植民地だったインドネシアを占領し、そこに居たオランダ人にたいして残酷な取扱いをしたのです。

しかし戦後の日本の自虐趣味の評論家はそのことを完全に無視しました。彼らの書く主題は中国と朝鮮における日本軍の残虐行為だけです。

仏領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)、フィリッピン、インドネシア、マレーシア(マレー半島とジャワ)などの欧米植民地における残虐行為は書きたてません。この事実は戦後の自虐趣味の評論家や共産主義の好きな評論家の視野の狭さを証明しています。全く片手落ちなのです。国際的なバランス感覚の欠如を示しています。

インドネシアで酷い目に遭ったオランダは戦後、日本へ厳しい復讐の鉄槌を下すのです。日本のBC級戦犯の236名へ死刑判決を下したのです。日本から多額の賠償を取ったのです。昭和天皇がオランダを訪問した時には、天皇を戦犯と非難し、卵や魔法瓶を投げつけたのです。その対日感情の悪さは現在でも続いているのです。

最近、韓国で従軍慰安婦問題が起きるとオランダはつねに韓国に賛同して、2007年11月にオランダ下院議院は日本は謝罪すべきだという決議をしたのです。

そして東京に居るオランダ大使は、「従軍慰安婦問題は事実であろうとなかろうとそれは問題でない。日本は謝罪すべきだ」と公式に発表したのです。

これは第二次大戦中、インドネシアを占領した日本軍がオランダ人女性を利用した所謂、「白馬事件」の復讐なのです。

さらに話は変わりますが、植民地にされたインドネシアは、独立後にオランダへ対して謝罪を要求しました。植民地時代のオランダの悪辣な搾取に対して謝罪を要求したのです。インドネシアは執拗に謝罪を要求しました。

しかし現在まで、オランダ政府は植民地時代のことは頑として一切謝罪していません。オランダという国はそういう国なのです。

欧米の国際関係の厳しさはそういうものなのです。それを知って知らずして、戦後の左翼的な評論家が欧米の国々を無視して、中国と朝鮮だけに肩入れするのは何故でしょうか?

この問題は別の記事として取り上げてみたいと思います。

そのような国のテーマパークが下の写真のようなハウステンボスなのです。私は複雑な思いをしています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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===参考資料:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80======

オランダは、江戸時代の鎖国下で欧州諸国で唯一外交関係を維持した国である。当時オランダを通じてもたらされた学問・技術は蘭学と呼ばれ、後の開国・明治維新に向けての下地を準備、形成することになった。

第二次世界大戦時、日本はオランダの植民地であった蘭印(現在のインドネシア)を攻略し占領した。このことが、第二次世界大戦後、インドネシア独立の大きな要因となって、オランダは重要な植民地を失い、また戦中の白馬事件などの影響もあって、戦後は反日感情が強かった。戦後オランダ法廷は日本軍BC級戦犯に対し、アメリカ法廷・中国法廷を上回る236人に死刑判決を下した。これは連合国による対日裁判で最多の数となった。オランダはサンフランシスコ平和条約を締結し、その際に賠償請求権も放棄したが、のち賠償請求を続け、1956年には「オランダとの私的請求権解決に関する議定書(日蘭議定書)」において、ジャワで拘留された元捕虜や同国民間人に与えた損害(民間人の私的請求権)について日本から補償(見舞金36億円)を受けた。

その後も反日感情は残存し、1971年の昭和天皇オランダ歴訪の際には、在位中の昭和天皇はオランダ人にとって戦争犯罪人と見なされていたため市民から卵や魔法瓶を投げつけられるなどした。またベアトリクス女王が1986年に日本訪問の計画をした際には、議会と世論の反発で中止した。昭和天皇崩御後の1991年10月、女王は歴代オランダ元首として初めて日本を公式訪問。天皇が主催した晩餐会のスピーチでは第二次世界大戦時のインドネシアにおける自国民の犠牲について言及する一方、翌年3月に開業を控えていたハウステンボスにも言及し、蘭日関係の親善を強調した(女王は自らの居所であるハウステンボス宮殿の忠実な再現及び同名の使用を許可)。1990年代より従軍慰安婦問題が世界レベルで議論された際には、オランダも再度請求を開始、日本国政府は、アジア女性基金により総額2億5500万円の医療福祉支援を個人に対して実施した(2001年・償い事業1)。その後2006にはオランダは皇太子徳仁親王と同妃雅子ら一家の長期静養を受け入れるなど日蘭関係の友好面を見せたが、2007年7月にアメリカ合衆国下院121号決議が採択されると、オーストラリアに続いて、11月20日にオランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議が採択。2008年8月、オランダ駐日大使のフィリップ・ヘルは、参議院内集会において「強制があったかどうかということなど問題ではない」と述べ、日本政府が謝罪をするべきだと述べた。