後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

偉大な母性愛で韓国人を感動させた田内千鶴子さんの生涯

2015年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム
日韓関係を意図的に悪くしようとする日本人が多くいることに心が痛みます。
私は韓国人が好きです。尊敬しています。そこで日韓関係を良い方向へとしようとした人々のことをご紹介したいと思っています。
その一人は田内千鶴子さんです。韓国の木浦(モッポ)で孤児院を運営していた田内千鶴子さんのことです。木浦市は釜山の西にある小さな港町です。
3000人の孤児を育てあげたのです。1950年代に育てられた孤児の皇さんが田内さんをオモニと呼びます。「オモニは病気の子供がいれば、夜通し抱いていたよ」と彼女の献身ぶりを涙をにじませて話したそうです。
田内さんは1912年に高知市で生まれ1968年に56歳で亡くなりました。
千鶴子さんは7歳で日本領だった朝鮮に渡り、1938年に共生園という名前の孤児院を作っていた牧師の尹致浩(ユン・チホ)さんと結婚し、夫の仕事へ献身的に打ち込みました。
その夫は朝鮮動乱(1950年から1953年)の食料難の時代に孤児たちの食料を求めて荒廃した韓国をさまよい、遂に行方不明になってしまうのです。私の想像では北朝鮮の兵士に射殺されたか拉致されたのかもしれません。
その時、木浦の共生園には500人の孤児がいたのです。田内千鶴子さんはその500人の孤児の食料を探し、調達し、育て上げたのです。その500人に続いて2500人、合計3000人の孤児を育て上げ1968年に56歳の若さで旅たち天国に上ったのです。
木浦市は市民葬で千鶴子さんへ感謝しました。
現在は夫だった尹致浩さんとともにイエスさまの膝もとから、長男の基(もとい)さんが立派に共生園をつぎ日韓両国で弱者救済事業をしている様子を見下ろしています。完全に韓国人になりきっていた千鶴子さんでしたがガンで死ぬ直前に息子の基(もとい)さんへ「日本の梅干しが食べたい」と言ったそうです。
この千鶴子さんへ対して韓国政府は1963年に日本人としては初めて「国民勲章」を贈ったのです。1963年とは日韓国交正常化の2年前で、韓国内には反日感情が渦巻いていた時代です。朴大統領は、「私たちが北朝鮮と狂った戦争をしているとき、彼女は同じ民族でもない子供を守った人類愛の人だ」と讃えたそうです。
私はネットで田内千鶴子さんのことを検索していろいろ調べて見ました。「韓国、木浦市共生園」をキーワードにして検索すると実に多くの情報があります。その中から以下に一つだけご紹介します。
=====共生福祉財団80年の歩み============
http://www.kokorono.or.jp/tiduko/kyousei80.html
  ----------------- 尹致浩・千鶴子、そして尹基へ
1928年、韓国が民族受難の時代にあった日本植民地時代。キリスト教伝道師尹致浩(ユン・チホ)が木浦で、7人の孤児と共に生活を始めたのです。貧しい生活の中、共生する孤児が増えていく中、朝鮮総督府の官吏の娘として木浦にいた日本人、田内千鶴子が尹致浩の活動に共鳴し、共生園での奉仕をスタートします。やがて2人は夫婦になり、大勢の孤児らの父と母になった。だがその後、子どもたちの食料を調達に行った尹致浩が行方不明に。遺された千鶴子は夫の遺志を継ぎ、韓国に留まり56歳で生涯を閉じるまで3千人もの孤児らを育てあげたのです。
 千鶴子の思いは長男の尹基(ユン・キ、現こころの家族理事長)に引き継がれ、韓国では共生福祉財団として発展しています。
 日本では、尹基が理事長となって在日韓国老人ホームを作る会、そして社会福祉法人「こころの家族」が活動、祖国を離れたお年寄りにふるさとのぬくもりをを感じせる老人ホームを建設するという、画期的な試みを続けています。
 田内千鶴子の生涯は映画「愛の黙示録」(1995年)で広く知られることになった。下にこのHPから写真を転載いたします。

キリスト教の強い信仰心と人間愛を貫き通す尹に、同じクリスチャンとして共鳴した田内千鶴子は、周囲の反対を押し切って結婚。田内千鶴子が一人娘だったので、尹致浩は田内家に入籍。

音楽教師だった千鶴子。共生園ではいつも、子どもたちの元気な歌声が響いていた。

新婚間もない尹基と文枝。子どもたちと共に。

今日も、共生園には子どもたちの元気な笑顔があふれている。
木浦共生園:
  園長:鄭 愛羅(チョン・エラ)
  所在地:(530-845)韓国全羅南道木浦市竹橋洞473番地
  Tel:061-242-7501 Fax:061-243-7503
  E-mail:ksw7501@daum.net
お問い合わせ  
社会福祉法人こころの家族Tel 072-271-0881 〒590-0142 大阪府堺市南区檜尾3360-12

尹 基(ユン・キ)
 韓国・木浦で孤児達の施設「共生園」を創始した伝道師・尹致浩を父に、その妻であり尹致浩のあとを継いで共生園を守り続けた田内千鶴子を母として生まれた。社会福祉法人こころの家族理事長。母の生涯を著した「愛の黙示録/母よ、そして我が子らよ」は映画化され、多くの人の感動を得た。「梅干しとキムチ」に象徴されるはじめての日韓共生の老人施設「故郷の家」は現在4施設となり、日本の福祉に新しい風を送り続けている。

人々の心を豊かにする水力発電所のロマン

2015年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム











そしてそれ以外にも美しい自然の風景写真をみます。特に私の好きな風景は緑豊かな山にある水力発電所の写真を見ることです。水力発電は清らかな山の水を永久に使い続けます。その水を山の上に運び上げるのは太陽なのです。海から水蒸気を作り、雲になり、風によって山へ運ばれ、雨を降らせるのが太陽です。
原子力発電のように有害な放射性廃棄物を出しません。人間の美しい智慧を感じさせます。
画家も同じように水力発電所にロマンを感じるらしく、その風景を描いています。

上の絵は岡鹿之助の「雪の発電所」で、出典は:http://www.us-vocal-school.com/weblog/music_life/archives/images/2012/01/120108_snow.jpg です。

水力発電所は全国の山々に2000ケ所近くあります。その一覧表や発電の方式は末尾の参考資料に掲載してありますので、ご興味のある方はご覧下さい。
そこで以下に美しい発電所の風景写真をお送りいたします。
まずはじめは東京から近い山梨県の七ツ沢水力発電所を訪ねて私が撮った写真を示します。

上の写真が八つ沢水力発電所の水の導管です。この圧力管の下に発電機が4基入った立派な建物がありました。凄い水音がしていてさかんに電気を作っている様子が実感できます。
そして下に美しい磐梯熱海の水路式水力発電所の写真を示します。

この写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/i_haruo/e/70b0386d0dabe9e4217685ec7a8660b7です。
熱海町(福島県郡山市)には水力発電所が3ヶ所あり、猪苗代湖の水を通し発電しています。磐梯熱海温泉街から見える丸守発電所は大正10年に建設され、当時は大峰発電所と呼ばれていました。ちなみに、猪苗代湖(福島県)に最も近い沼上発電所は、福島県内で2番目に作られた発電所です。発電機3台で合計出力5900kW、最大使用水量は毎秒8.18トン、有効落差は87.36m、です。
次はイビデン東横山水力発電所:http://www.ibiden.co.jp/company/facility/higashiyokoyama.html です。

最大出力、13600Kwです。
下は山梨県企業局所有の柚ノ木水力発電所です。:ttp://www.suiryoku.com/gallery/yamanasi/yunoki/yunoki.htmlとhttp://www.pref.yamanashi.jp/news/200607/images/img_1152002499763.JPG です。

最大出力、17800Kw、有効落差:264.40mです。
下は四国電力、伊尾木川水力発電所:http://www.suiryoku.com/gallery/kouchi/iokigawa/iokigawa.html、です。

最大出力:7700Kw、落差129.90m です。
日本は山紫水明にして美しい風景に恵まれています。雨も多く生活に困ることはありません。
その上、山々に多量の雨が降るのでこのように2000ケ所近くの水力発電所があるのです。
何故かしみじみとこの瑞穂の邦に生まれ育ったことに心が和みます。静かな幸福感につつまれます。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
==========参考資料=================
水力発電所の総数といろいろなランキング
さて総数はエレクトリカル・ジャパンのHP(http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/energy/electrical-japan/type/4.html.ja)に1973カ所まで明記してあります。
しかしこの1973ケ所の発電所には昭和電工や揖斐川電工のような民間会社の所有する水力発電所は含まれていません。ですからそれらを含めると2000近くなると思えます。
戦前からカーバイト製造や溶融アルミ電解製錬や高温合成化学などの製造をしていた民間会社は自分で水力発電所を持っていたのです。現在でも多くの民間会社が水力発電所を所有していると思われますので1973カ所より数百ケ所多いと考えるのが適切と思います。
さてそれはそれとして、水力発電所には水路式発電所とダム発電があります。
発電所の最大出力のランキングは以下のようになります。
最大出力の左は完成当時のもので、右のは現在の最大出力です。右の数字の出典は、http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/energy/electrical-japan/type/4.html.jaです。
1位、田子倉           38万Kw   40万Kw
2位、奥只見           36万Kw   56万Kw
3位、佐久間           35万Kw   40万Kw
4位、黒4             33万Kw   33万Kw
5位、有峰第一(成願寺川)  26万Kw   26万Kw
上の5つはダム式です。
上の最大出力の40万Kwや50万Kwという値は普通一個の火力発電所の出力が120万Kwという値に比べるとかなり小さな値です。
水力発電が日本の全電力の10%以下しか発電していないのはこの小さな最大出力能力のせいなのです。
さて最大出力が大きい発電所でも水がすぐに枯渇するようなところは頼りになりません。
そこで各発電所の年間総発電量のランキングを見る必要があります。
1位、佐久間    年間発電量:143万MWh
2位、信濃川    年間発電量:119万MWh
3位、黒4      年間発電量:93万MWh
4位、新小千谷   年間発電量:85万MWh
5位、千手      年間発電量:72万MWh
・・・・・・
9位、奥只見     年間発電量:61万MWh
10位、田子倉    年間発電量:59万MKh
上のランキングを見るとJR東日本の所有する新小千谷発電所や千手発電所が良い発電効率を上げていることに驚きます。
ダム式水力発電所には上でご紹介した水力発電所の他に揚水式水力発電所が沢山あるのです。
電力の要らない夜間に火力発電が余るのでその電力でダムの下から上へ水を上げて置くのです。そして夏場の昼間の電力不足が起きそうな時にドッと上の水を流し、大電力を得るのです。
ダムの上流からの水の補給が無い場合には、夜間に使う電力より昼間の発電量が少なくなります。上流からの水の供給が無ければ揚水式水力発電所は正味の発電量がマイナスになります。ですから揚水式発電所は厳密な意味で発電所ではありません。
しかし巨大な蓄電池の役割をするので電力危機を救う重要な役目があるのです。その最大出力ランキングは以下のようになります。
1位、奥多々良木        193万Kw
2位、奥清津第二        160万Kw
3位、奥美濃           150万Kw
4位、新高瀬川          128万Kw
5位、大河内            120万Kw
以下省略、詳しくは、http://www.enecho.meti.go.jp/hydraulic/kid/learning/top.htmlにあります。