ユダヤ教徒だったイエスが新しい考え方を唱えました。その斬新さに反対する保守的な一派をパリサイ派と言います。彼等はイエスが邪魔になり、逮捕して、当時その地方を統治していたローマ帝国のピラト総督の前に連れて行き、死刑の判決をしてもらおうとしました。
ピラトの妻が夫へ、その裁判にかかわるなと忠告します。しかしパリサイ派の群衆が騒ぐのでピラトはいやいやながら死刑の判決を下します。
そしてイエスはゴルゴダの丘で十字架にかけられ処刑されます。しかし3日後に生き返って弟子たちと話をします。その後で天国に上り神の右の座に着きます。
このイエスのよみがえりを祝う祭りが「復活祭」なのです。今年は4月5日の日曜日が復活祭です。
復活祭の前の40日ほどの間は四旬節といい、享楽的な生活をしないで禁欲に徹します。断食もいします。その禁欲的な生活の準備としてカーニバル(謝肉祭)があり、「灰の水曜日」から四旬節に入るのです。
現在は断食は徹底していませんが、四旬節の間の金曜日の夜に「十字架の道行き」は行われています。
それは聖堂の内部の壁にあるイエスの裁判から処刑までの情景を描いた14枚の絵の前を巡りながらで祈ることです。
夜7時からその14枚の絵の前に神父さまが立ってお祈りの先唱をしました。それに続けて信者一同がイエス様の苦しみを思い、イエス様への信仰の祈りを唱えるのです。
この祈りを終えると、いよいよ復活祭を迎える準備が進んだという気分になります。
この14枚の絵はカトリックの教会なら必ずかざってあります。
その14枚の全てを説明すると長すぎますので6枚についてだけ以下に説明いたします。6枚の写真はカトリック小金井教会で撮って来ました。
当時の死刑執行権は占領軍のローマ軍にしかありませんでした。そのローマ軍の命令で重い十字架を背負うのですが、あまりにも重いのでイエス様がころんでしまうのです。下がその光景の絵です。
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早く執行したいローマ兵がたまたま見物していたクレネの人のシモンという男に無理に十字架を持たせる場面です。下の絵の左の男がシモンですが、彼は後にキリスト教の信者になります。
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シモンが背負ってくれたのでイエス様はまた元気になり十字架を再び背負って歩きます。汗が流れます。すると勇気のあるベロニカという女が汗を拭うようにと布を差し出します。イエス様は汗を拭います。そしてその布をまたベロニカへ返します。「ベロニカの布」は後に有名な聖物になります。したの写真はイエス様とベロニカです。
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下は右のローマ兵がイエス様の服を剥ぎ取っている場面です。
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イエス様を十字架に釘で打ちつける前に、右のローマ兵が衣服を剥ぎ取っている場面です。そして上着は縫い目をほどいて4枚に分け、4人のローマ兵がぶんどりました。下半身の衣服は縫い目が無い1枚の布だったので、くじ引きをして1人のローマ兵が取りました。当時は衣服が貴重だったので死刑にする前に衣服を死刑執行人のローマ兵が取ったのです。
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上の写真は十字架の上でイエス様が絶命した場面です。右下で女性が泣き悲しんでいます。
下の写真は絶命したイエス様を信者達が十字架から下ろし、横たえて、亜麻布をまいて墓へ葬る準備をしている場面です。この後、3日目に復活したイエス様が亜麻布を、丸めて捨てるのです。復活の重要な証拠になる亜麻布です。
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重い十字架は全人類の罪の重さの象徴です。人々に代わって自分が背負い、苦しい道行きの果てに十字架の上で絶命するのです。神様の御意志に静かに従うのです。こうして自分を神へ捧げるのです。しかしイエス様は必ず復活し、人々を救うのです。
このような道行きの間の14の出来ごとを描いた絵や彫刻の前でイエス様の苦しみを思う出し、イエス様へお祈りするのが十字架の道行きの祈りです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)