後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

竹内義信著、「樟子松」…ホロンバイル草原への植林事業

2015年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
大学時代の友人の竹内義信さんが「樟子松」と題する貴重な日中友好事業の報告文を寄稿して下さいました。
お読み頂く前に樟子松をご理解頂きたいと思い、その美しい樟子松の写真を3枚お送り致します。写真はいずれもホロンバイル平原での風景です。





====竹内義信著、「樟子松」============
 私は国民学校一年生から、四年生の昭和20年8月9日のソ連侵攻まで、満州のハイラルという町で平和に暮らしていました。その海拉爾(ハイラル)の西側の砂山は西山と呼ばれてました。そこに生えていた赤松を「樟子松」と言います。
西山には樟子松が沢山生えており、20メートルを超えるものも少なくありませんでした。神社や忠霊塔の後背地になっており神々しさを与えるのに役立っていました。
海拉爾は北緯49度に位置し、冬の寒さは厳しく、零下40度以下になることも稀ではありません。しかし、樟子松は零下40度の真冬でも緑の葉を付けたままで、春にはまた新芽を吹いて成長します。
 海拉爾在満国民学校の同窓会は戦後間もなく40年になろうという昭和57年に設立されました。そして芋づるのようにな同窓生探しが実を結び500名以上の名簿が作られtらのです。
始めての同窓会総会には全国から200名近くの、懐かし顔ぶれが集まりました。そして平成12年には同窓会活動から一歩踏み出した海拉爾市の植林に協力することになりました。
そのためにNPOの「呼倫貝爾地域緑化協力会」を有志で立ち上げ、私も参加しました。
丁度、時を同じくして設立された「日中民間緑化協力基金」(通称、小渕基金)の助成金を受けて10年間に54万本の植林を行いました。
主な樹種は懐かしい樟子松でした。海拉爾市も2,000ヘクタールの「中日友誼林基地」を準備して協力してくれました。その植林地は私が戦争中に遊んでいた西山の数キロ西方にあります。私達が戦時中に見た樟子松の林は現在では国家森林公園として保護されており、樹齢400年から500年の樟子松が何本もあります。その上、樟子松は海拉爾の郷土木なのです。
 樟子松は海拉爾付近に多いので別名海拉爾松とも呼ばれます。学名はPinus sylvestris var. mongolicaでヨーロッパアカマツ(Pinus syrvestris)の仲間で日本の赤松(Pinus densiflora)とは違います。ヨーロッパアカマツはヨーロッパの、イギリス、スペインから東はシベリア、南はコーカサス山脈、北はラップランドにかけて分布する正にユーラシア大陸を代表する松で、樟子松はその蒙古亞種ということでしょうか。
 NPOでの植林ボランテアは退職してからのことでした。現役時代に親しくしていたイタリアのピサにあった製薬会社の研究所長のロジーニさんが訪日して会社に来られ時、後輩が気を利かして一席設けてくれました。その席で、中国内蒙古自治区の海拉爾での植林の話が出ました。彼が植林している木は何かと尋ねました。松の木だと返事すると松の木と言ってもいろいろあるだろうと食い下がって来ました。説明するのも面倒なので「Pinus sylvestri」まで言い、variant mongolicaまで言わない内に「Ho capito! Sylvestris」と立ちどころに了解してくれました。
さすが、薬の研究所長はヨーロッパアカマツの学名を知っていました。
 海拉爾での植林も樟子松が中心で一緒にマメ科の黄槐を混植しました。黄槐は根塊で窒素を固定しますので、栄養分の乏しい砂地では大切で樟子松の成長を助けます。
ホロンバイル草原に関する著書の多い細川呉港氏によると海拉爾から満洲里までの海拉爾河沿いの砂丘には昔はずっと松林が続いていたと蒙古人から聞いたとのことです。
中国人の増加もあり、鉄道沿線に住む多くの人たちが伐採して炊事や暖房に使ってしまい樟子松も少なくなってしまいました。
蒙古人はパオの燃料には牛糞を使うことを書いて蒙古人を援護しておきます。
更に、細川氏は1998年の夏に嵯崗というところから砂山に入って何十本か群生している樟子松の林を見付けられたそうです。昔、大平原の砂丘を樟子松の林が100キロ以上も連続したいた頃はさぞ壮観だったことと想像できます。
 海拉爾の友誼林基地での樟子松の植林方法には春と秋の二通りの全く違った植林の仕方がありました。樟子松の松傘から集めた種を苗畑に蒔くと発芽率は良く、丁度稲の苗畑の様に密生して芽を出します。春季植林は手植えと機械植えがあり、手植えでは、2年目の15センチ位に伸びた樟子松の苗を30センチの穴に苗の頭が出て風に当らない様に手で植えて行きます。雨が降れば水が溜ることも期待します。3メートル間隔で1ha当たり二千株ほどになります。同じ春季植林でもトラクターで二人の乗った車を引っ張り、3メートル間隔位に交代で苗を置いて行くと、後ろに土寄せのタイヤで土を掛けます。トラクターに乗った二人は前屈みで目に土が入らないように風防眼鏡をしてかなりの重労働になります。
 一方、海拉爾独特の冬期植林があります。土の凍らない9月頃に立横高さがそれぞれ50センチの穴を掘っておきます。11月頃には地面も凍結し樟子松も冬眠状態となります。7~8年生の樹高約1.2メートルの樟子松を掘り起こします。慣れた職人でも一日15株掘り起こすのがやっとの重労働です。この凍土の付いた木を9月に掘っておいた穴に入れ土を掛け踏み固めたら、根元に50lの注水をするとたちまち凍結し、苗木はそのまま越冬して、翌年の春に水を要求する時期になると凍結した水がゆっくりと溶けだし根は十分に水分を吸い上げると言う大変合理的な植林方法です。
 植林基地の一部に畑だった場所に植えた1メートル一寸の樟子松は9年後には6メートルにまで成長しましたが、大部分の砂地では精々2~3メートルでした。
 プロジェクトの終了から5年目の2014年の夏に前出の樟子松に詳しい細川氏が海拉爾を訪問されると聞き、私達の「中日友誼林基地」を見て来て欲しいと依頼しましたが、昨今の日中関係のせいか基地は封鎖されており誰も入れないと断られてしまったそうです。しかし、私はこの封鎖は私達が植えた樟子松にとって決して悪いことではないと思っています。
戦争中に北海道の函館山は要塞だったために、そのの原生林は立派な森になりました。私達の植えた樟子松も郷土木として海拉爾の地で立派に成長して見事な松林になることを願っております。中国の環境保護の一助になればと考えるこの頃です。(終わり)
下にハイラルの小学生の協力の光景の写真と呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化推進協力会の会合の光景の写真を示します。竹内義信さんは最後の写真の左手前の方です。事務局長として活躍しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料========
特定非営利活動法人 呼倫貝爾(ホロンバイル)地域緑化推進協力会
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~s-juku/hurunboil.htm
平成12年2月17日、呼倫貝爾地域(中国内蒙古自治区)の砂地緑化を支援するボランティアグループが生まれました。
ホロンバイル地域の中心都市は海拉爾(ハイラル)市です。
現在この地は、黄砂の害に悩まされ、砂地が広がっており、防風林造成や砂地緑化が緊急の課題になっています。
今回、この地で50年以上前に学童時代を過ごした有志が中心となって緑化推進協力会の設立を行いましたが、今後多くの方々の参加と支援を求めていくこととしています。
したがいまして、このページも今後逐次充実させて参りますのでご期待ください。
注、呼緑協は平成12年10月から、特定非営利活動法人(NPO)に移行しました。