ケイラ・ミューラーさんはアメリカからシリアに行き、悲惨な戦闘被害者の人道支援をしていました。そして2013年にイスラム国の人質となったのです。長い拘留の後で死んだのです。享年26歳です。あまりにも短い一生でした。
そして彼女の家族は10日、ミューラーさんの死亡を確認したとの声明を出しました。
イスラム国は6日、本拠地のシリア北部ラッカでミューラーさんが死亡したと発表していていました。イスラム国は彼女が空爆された建物の中にいたと主張しましたが、死亡を裏付ける証拠は示さず、がれきの写真だけを公開していたそうです。
彼女は戦争ジャーナリストでもありません。アメリカのために情報収集をしていたわけでもありません。清い魂にうながされるままに戦争の被害者の生活支援をしていたのです。彼女の写真を下に示します。
(写真の出典は、http://www.cnn.co.jp/world/35060248.htmlです。)
ケイラ・ミューラーさんが家族にあてた手紙に自分は健康だから心配しないで下さいと書いています。家族を安心させようとしています。けなげです。
彼女の家族は「ケイラは自由と正義、平和を求める人々を助けるために短い生涯をささげた」と述べたそうです。
オバマさんによるとケイラの救助の為に特殊部隊による作戦を実行したが失敗したと言っています。そしてオバマさんは重い腰を上げて小規模な地上部隊の派遣を議会へ提案しました。
「自由と正義、平和の為に戦地へ出掛けて行き、自分を犠牲にして盡す」という言葉で私はスペンイン内戦における国際旅団のことを思い出しました。
スペイン内戦(1936年7月 - 1939年3月)は、第二共和政期のスペインで勃発した内戦です。自由と平等の共和国派と、フランコ将軍を中心とした軍国主義の一派(ナショナリスト派)とが争った戦争でした。反ファシズム陣営である共和国派をソビエト連邦などが支援し、フランコ将軍の軍国主義派をファシズム陣営のドイツ・イタリアが支持し大規模な攻撃をしたのです。結局、自由と平等を主張した共和国派が敗けてしまうのです。フランコ将軍を中心とした軍国主義の一派が完勝し、それ以後スペンは長い間フランコ大統領の独裁が続いたのです。
敗北した側を支援した国際旅団は、スペイン内戦の際、スペイン共和国政府により編成された、外国人義勇兵による部隊の呼び方です。
一方、フランコ率いる軍にも同ように義勇軍としてドイツ軍・イタリア軍が参戦したのです。この共和国派の国際部隊には延べ6万人の男女が参加し、うち1万人以上が戦死したそうです。
国際部隊には55以上の国から参加者がいました。
総参加者の内60-85%が各国の共産党員であり、また参加者の社会階層としては知識人や学生が20%、労働者が80%でした。マルローやヘミングウェイなどの文化人が指導的立場にあったことも有名です。その結果、ヘミングウエイの「誰がために鐘が鳴る」が出来、すぐに映画化され戦後の日本でも絶賛を浴びたのです。ピカソの「ゲルニカ」という絵画はドイツ軍の残酷なゲルニカ市民の爆撃の様子を描いた大作です。
自由と平等を愛する世界中の人は国際旅団に憧れたのです。日本人ではただ一人ジャック白井という青年が参加して戦死します。昨日、堀田善衛の随筆集を読んでいたら彼も若い頃共産主義にあこがれ国際旅団へ憧れていたと書いてありました。
さて、それはさておき、昨日にニュースで報じられたケイラ・ミューラーさんは武器も持たず、それこそ寸鉄も身につけず戦乱のシリアに飛び込んだのです。その篤い人道愛は人々の心を打ちます。イスラム国の残忍な男達もさすがに処刑をしなかったようです。彼等にもし人間らしい心がほんの少しでもあったならケイラ・ミューラーさんの清い魂が分かった筈です。
彼女の短い人生を悼み、心から冥福をお祈りいたします。
====参考資料====================
(1)スペイン内戦:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%86%85%E6%88%A6
(2)スペイン内戦で犠牲になったジャック・白井:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E7%99%BD%E4%BA%95