後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

戦場ジャーナリストの犠牲をいろいろな視点から考える(1)自己責任を公言すれば許されるのか?

2015年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
善人の湯川遥菜さんと魂の清らかな後藤健二さんが殺害されてからしばらく経過しました。世の中が静かになったところで少し基本的なことをいろいろな視点から考えてみたいと思います。
中東で過激派に殺された外国人ジャーナリストの総数は諸説ありますが2001年9月11日のアメリカでの同時多発テロ以来少なくても数百人と言います。
国連に付属する非政府機関「Press Emblem Campaign(PEC)」が発表した報告書によれば、2012年に世界中で取材中亡くなったジャーナリストの数は、この機関が統計をとり始めてから最高の139人となったそうです。この139人のうち中東で犠牲になった数は2012年だけでは44人でした。日本人の犠牲者は総数でも数人だけの少数です。
この犠牲者のほとんどはフリージャーナリストでした。テレビ局や新聞社の社員ではありませんでした。ですから自己責任で危険な戦場へ入って行ったのです。
後藤さんもシリアへ入る前に「自己責任で入るのだから誰にも責任が無い。自分が殺されてもシリア人に責任が無い。」と公言して行ってしまったのです。外務省が3度、後藤さんを説得してシリア入りを止めたそうです。
しかし自己責任を公言しても彼の死は日本政府関係者に多大の迷惑をかけたうえで、国民の税金を使わせたのです。
欧米では自己責任は自明なことですから政府は必要最小限度のことしかしません。日本政府は感情的な世論を恐れ充分に対応したのです。
ここで考え方が分かれます。
(1)自己責任ですから救出に関しては政府は一切関知すべきではない。放っておくべきである。家族だけが対応すべきである。
(2)人質になった人が日本人であるなら、政府はあらゆる手段を用いて救出に努力すべきである。国民の税金も必要な限り使うべし。
(3)人質の人命は大切だが日本の重要な同盟国、特にアメリカとの関係を悪くしないように、その他の国際関係を重視しながら、教出はほどほどに努力する。
国民感情は上記の(1)と(2)の間で揺れ動いていました。どちらも正しく、どちらか一方を選択することは困難な問題です。
さて感情論を抜きにして日本をとりまく国際関係を考えると、上記の(3)が問題になってきます。
安倍総理大臣のアメリカ重視の姿勢がヨルダンに救出本部を置いたと書けば言い過ぎでしょうか。今回の悲劇が自衛隊の海外活動を容易にしたと書けば間違いでしょうか?
それにしても大きな事件はいろいろな視点から考えるのが重要だと信じています。
皆様のご意見を頂けたら嬉しく思います。
戦場で犠牲になったジャーナリストの冥福を祈ってユリの花を手向けます。(続く)







早春の花々の写真を見ながら春到来を待つ

2015年02月17日 | 日記・エッセイ・コラム
「季節の花」という楽しいHPを見つけました。
そのアドレスは、http://www.hana300.com/aasyasin03.html です。
このHPから早春の花々の写真を5枚お送りいたします。
一番目の写真から順々に、クロッカス、梅、ウチワノキ、ジンチョウゲ、カタクリの花々です。
花々の写真を見ているとこれらの花は縄文時代から山野に咲いていたのか調べてみようと思いました。縄文時代は無理ですが文字の使われ始めた奈良、平安時代からの日本に咲いていた花の一覧表がありました。
http://nihon-rekishi.com/hana/index.html から転載致します。
1、桜
農業開始の指標とされた。
2、躑躅・皐月
「万葉集」でも詠まれるなど、とても長い栽培の歴史を持つ。江戸時代に栽培が大流行し、多くの園芸品種が生まれました。
3、藤
日本最古の歴史書「古事記(712年)」にもその名が登場しているため、かなり古くから親しまれてたようです。
室町将軍・足利義詮や太閤・豊臣秀吉も観藤会を催したことが知られています。江戸時代までは藤から取った繊維を使った「藤衣」と呼ばれる仕事着が作られていました。日本で植物分類学が確立する前は、野田藤(ノダフジ)と呼ばれていました。
4、薔薇
その容姿から外来種と思われがちですが、ノイバラ、テリハノイバラ、ハマナシなどの立派な日本固有種もあります。
「万葉集」のも名前が出てきています。
現代のように「花の女王」として親しまれるのは明治時代になってからでした。
5、睡蓮
ヒツジグサ(未草)の1種類のみ自生。
6、花菖蒲
平安時代から栽培されており、特に江戸時代に江戸系、肥後系、伊勢系、長井古種など多くの園芸品種が生まれました。
7、紫陽花
「万葉集(759年)」などにも名前が出てくる事から、長らく親しまれてきたようです。
8、百合
国内には15種類の固有種が自生しており、「古事記」にも『神武天皇が百合の花を摘んでいる娘に惚れて嫁にした』という記述があります。
江戸時代に観賞用としても多くが栽培されるようになりました。
8、萩
「秋の七草」の一つで古くから親しまれてきました。「万葉集」で最もよく読まれる花です。
9、山茶花
「冬の華」として各地に伝播し、幾度か盛衰を繰り返しながら今日に受けつがれています。
http://www.flower-photo.info/products/detail.php…
10、椿
「古事記」にも名前が出てきます。赤く山茶花によく似た花を冬から春に咲かせます。
花弁が散らず、花が丸ごとボトッと落ち、その姿が人の生首を連想させる事から、見舞いの贈り物にはタブーとされます。
11、薄
かつては「尾花」と呼ばれ「万葉集」でもその名が詠まれています。茅葺屋根の材料や家畜の餌として古くから利用されてきました。
「秋の七草」の一つ。
さて、人々と花の関係についても以下のような説明がありました。
日本では古来よりお墓に花を供えたり、花を愛でる習慣がありました。
し・・・中略・・・・・
「源氏物語」によると男女が愛の告白を行う際に花を贈るなどの習慣があるようですので、平安時代ごろに一般の人々も花と接するようになったと思われます。
生け花を追求した「華道」は室町時代に広まりました。・・・
そして人々は山や野に咲く花々を見て楽しんだに違いありません。
ところで写真にあるジンチョウゲ(沈丁花)は、常緑低木で、漢名は瑞香、別名輪丁花です。 原産地は中国南部で、日本では室町時代頃にはすでに栽培されていたと言われています。
そして団扇の木(ウチワノキ)は、朝鮮半島の中北部が原産です。わが国へは昭和時代のはじめに渡来しました。葉は卵形で、先端が尖り対生します。3月から4月ごろ、葉の展開する前に白色または淡い紅色の「れんぎょう」に似た花を咲かせます。名前は、果のかたちが扁平な円形で、これを団扇に喩えたもの。別名で「しろれんぎょう(白連翹)」とも呼ばれます。
このように花々が日本へ移り住んだ歴史を調べると興味がつきません。花々は静かに日本へやって来ます。そして奥ゆかしく咲いています。想像しただけで楽しいですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)