後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ヨーロッパ文化の香りのする北海道への旅

2015年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム
北海道は本州や九州とは違った地質でシベリア的な植物が育っています。そして農村地帯へ行くと、なだらかに起伏する丘に牧草地が広がり、風景がヨーロッパに似ているのです。牧草地や麦畑の仕切りに美しい白樺が並んでいます。
この自然の景観だけでなく、北海道には明治維新後、ヨーロッパ文化がやって来て根付いている場所もあちこちにあります。北海道にはアイヌ文化だけでなくいろいろな異文化が混在し、独特のローカル文化があるのです。
北海道の旅の魅力は美しい風景を楽しみながら異文化の探訪も出来ることにあります。
そこで今日は異文化の色濃い函館の郊外にあるフランスのトラピスト修道院をご紹介したいと存じます。
2012年の6月に函館の湯の川温泉に3連泊して、4日間、レンタカーで道南の一部を丁寧に見て回りました。
函館の西の松前は日本海に面しています。南は津軽海峡です。東の恵山道立公園は太平洋に面しています。
2日目には津軽海峡沿いに西へ丁寧にたどり松前の城下町を訪ねました。
次の日は東海岸太平洋沿いの海岸を根気よく森町まで北上しまさした。
特に東海岸は、函館、恵山道立公園、白尻町縄文土器展示館、森、大沼公園、とかなり丁寧に見て回りました。
このレンターカーによる旅の中で、特に強烈な印象を受けたのがフランスのシトー派のトラピスト修道院でした。函館の西、30km程のJR渡島当別駅から奥に入った寒冷な原野にあります。
この修道院はローマ法王傘下のカトリック組織の一部で、戒律が厳しい事で有名です。修道士は一生の間、修道院敷地から出ません。早朝から夜まで、祈りと牧畜の労働だけで過ごします。
1896年、明治29年に津軽海峡を越えてやって来ましたフランスの厳律シトー派の流れを汲むトラピスト派の数人の修道士が作った修道院です。
石ころの多い熊笹の原野や深い森を切り開いて、何年もかけて畑や乳牛の放牧場を作り、レンガ造りの建物を建設したのです。
レンタカーを駆って訪問してみると、観光客の少ない深閑とした林の中に修道院本館と大きな牛舎が高い塀の中に見えます。その外は一面に牧草が生えた放牧場です。
何故か深い印象を受けたので、4日間に4回も訪問しました。周囲の景観が素晴らしいだけでなくこの修道院の苦難の歴史に感動したからです。
このトラピスト修道院の中での生活は、HPの、http://www3.ocn.ne.jp/~trappist/index.html に書いてあります。
まず一番大切なのは「祈り」です。
聖務日祷の時刻には、合図が聞こえるや否や、どのような仕事に携わっていても即座にこれを差し置き、急いで集合しなければならないそうです。修道者の最大の務めは、一日に7回の祈りをささげることです。
聖体の安置されている聖堂で全員集まって熱心な祈りをささげます。
修道者の祈りは自分たちのためだけではなく、神の助けを必要とするすべての世間の人のためにささげられているのです。
そして労働をします。
怠慢は霊魂の敵です。みずからの手で労作し生活してこそ、まことの修道者といえるのです。
絶え間ない祈りの生活を続けていくためには、自分たちの働きで生計を維持し、同時に精神的、肉体的健康を保っていく必要があります。
修道者たちは自然界の中での労働(酪農・菜園・果樹園・庭園)を行います。
このようなことを考えながらトラピスト修道院の外を散歩しました。
この当別修道院は、函館から西方に約30・、JR江差線「渡島当別駅(おしまとうべつ)」で下車して徒歩25分のところにあります。
この地にヨーロッパから数名の修道者が来て、生活をはじめたのです。広大な敷地は今でこそ肥沃な美しい土地ですが、当時は「石倉野」と言われていた程、石ころが多く、熊笹の生い茂る荒涼たる原野だったそうです。
 渡来した修道士たちは徐々に日本人の入会者を得て、苦労しながらこの原野を開拓し、道を作り、丘を平らにし谷をうずめて畑に変え、今日の姿にしていったのです。
生活の糧として、牛乳から作ったバターやチーズを売り出しました。
当初、乳製品は日本人に売れません。なじみが少なかったのです。製酪工場の経営は困難をきわめたようです。しかし、よく耐え抜いたのです。
現在、修道院の下にある売店ではトラピスト・バターやそれを使ったクッキー等が人気で、多くの観光客が買っていました。
現在の修道士は外国人も居ますが、殆ど日本人男性です。
修道院の見学は女性禁止で、男子のみ往復ハガキで申請すれば可能です。
下に私の撮った写真をご紹介いたします。
一番目の写真は修道院の牧草地から見降ろした津軽海峡です。
二番目の写真は修道院の入り口です。
正面入り口までは坂を登って一般の人も行けます。小さなレンガ造りの建物が開放されていて修道院の歴史や厳しい牧畜の様子の写真が展示してあります。
三番目の写真は古い牛舎の写真です
修道院の高い塀に沿って裏の方へ回ると古い木造の牛舎が数個あります。大きな扉を開くと乳牛が外に広がる牧草地へそのまま出て行けるような配置になっています。
四番目の写真は修道院の下に広がっている牧草地です。
そして五番目の写真は修道院の内部の聖堂でのミサの光景です。
この写真の出典は、http://www3.ocn.ne.jp/~trappist/ です。

以上のように北海道の旅は美しい風景とともに何か異文化の探訪もまじえると楽しみが深くなると思います。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)











「本当に小さなヨットで南極まで単独航海した片岡さん」

2015年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム
お会いしたこともない方を片岡さんと気安く呼ぶのは私の若い友人のY君が彼のことを紹介してくれたからです。片岡さんは盛岡の高校と東北大学でY君の後輩だったそうです。その片岡佳哉さんが書いた「ブルーウオーター・ストーリー」という本を(株)舵社から出版したのです。それをY君が買って昨夜、宅急便で送ってくれたのです。
ヨットをしている人なら誰でも知っているブルーウオーター21というヨットがあります。長さがたった21フィート(6.3m)ですが腰が低く見るからに頑丈そうな作りです。
設計は武市・村本ヨットデザイナーズ で1970年頃から鎌倉で造られていました。キャビンが狭くエンジンがコックピットの中についていて、重心が低く荒れた外洋でも生還できるように設計してあります。
私が25年間、霞ヶ浦にヨットを係留していた、その隣にブルーウオーター21が並んで係留してありました。乗っていたのは山本船長で、私も少しだけこのヨットに乗せて貰いました。本当に頑丈に出来ていますが、キャビンが狭すぎて飲み会など出来ません。とてもストイックなヨットの構造です。
そのブルーウオーター24(長さ24フィート)で南極まで、荒れるドレーク海を越えて単独航海したのですから凄い話です。
南米の南で転覆してマストを失います。恐怖のあまり南極行きを断念します。しかし暫くして船を修理して遂に南極大陸に上陸したのです。
この本には荒れる海の鮮明な写真が多数あります。氷山の浮かぶ静かな海に停泊しているヨットの写真があります。とにかく美しい写真が満載です。
そして文章が読みやすい美しい日本語なのです。帰港した土地のローカル文化をいきいきと描いています。
ヨットに関心の無い方々にも夏の清涼剤のように楽しめます。読んでいるとこの猛暑を忘れるのです。
片岡佳哉著「ブルーウオーター・ストーリー」を検索するとネット購入が出来ます。税抜きで1800円です。
この本を昨夜送ってくれたY君は古い友人で、彼の盛岡での結婚式の仲人をしたこともあります。美しい奥様と盛岡一の神社で挙げた結婚式には古い神道の音楽と巫女さん達の優雅な舞がありました。こずかたの城跡の草に上に寝転んで啄木の歌など思い出しました。それから茫々数十年、Y君は現在、本郷の大学で働いています。私の趣味がヨットと知っていてこの片岡さんの「ブルーウオーター・ストーリー」を送ってくれたのです。持つべきは良き友です。
初めの写真がこの本の写真です。二枚目と三枚目は現在中古艇として売買されているブルーウオーター21というヨットです。発売以来40年以上たっていますが根強い人気があり今でも購入希望者が絶えません。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)