後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「憲法9条が日本の平和を守ると信じる人が何故多いか?」への補足

2015年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
「憲法9条が日本の平和を守ると信じる人が何故多いか?」という記事に多くの方々から真面目なご意見を頂きまして誠にありがとうございます。
問題は戦後70年間の日本社会の矛盾や混乱を背景にしているだけに単純なものではありません。私はこの記事を掲載したのはそのいろいろな立場にたった真摯なご意見を知りたかったからです。深く考えるべきご意見を沢山頂き有難うございます。
いくつも感動的なご意見を頂きましたが以下に一つだけ再掲載せせて頂きます。
===ドーベルマンさんからのコメント===========
2015/07/13 16:53

例えに出された「新潟平野に上陸してくる敵軍」の場合は現在の9条でも自衛権は認められるというのが歴代の政府の考え方ですね。どうして現在問題になっている集団的自衛権が今必要なのでしょうか。
先制攻撃は駄目だと云っても今の日米関係では日本の自主的な判断など全く不可能です。
NATOの各国は自国の国益をベースにイラク戦争での米国を批判し反省していますが、今の日本は自国の国益なんか問題にもならず米国にただ従うだけです。イラク戦争への反省もしていません。
軍事・外交を全面的に米国に依存し、米国の指示に従うことが絶対である日本の官僚体制では米国の世界的な先制攻撃に無理やり参戦させられるだけです。
そういう米国の支持を断る唯一の手段が9条だったのです。
9条を変えるのは日本が独立国になってからではないでしょうか。
===ドーベルマンさんからのコメントの続き==========
2015/07/13 19:24
もう一つ書き忘れていたことがあります、申し訳ありません。

<<純粋な人ほどその架空な主張を信じます。それが如何に空想的平和論であるかを考えないでひたすら信じているのです。その疑いを知らない純粋さに感銘を受けているのです。>>

という言葉はこのコラムの主にも言えることでしょうね\(^O^)/

在日米軍が日本を守るためだと信じ、そのおかげで日本が平和であるという米国の言い分を素直に信じる純粋さ。

在日米軍は日本を守るための軍隊ではないでしょうね、特に沖縄の海兵隊は他国を攻めるための軍隊です。日本は平和どころか米軍のおかげで常に危険にさらされているのじゃないでしょうか。

日本に駐在することは米国にとっては経済的に笑いが止まらないほどのメリットがあるのです。米国にとっては軍事的にはほとんど意味がありません。日本にとっては逆に危険にさらされるだけです。

日本の官僚体制は米国の指示を忠実に実行することで自分たちの天下が安全に保持されることを身に沁みて知っているのです。日本国民のことなど全く無関心です。米国は戦後70年をかけて米国が日本を支配する体制を巧妙につくってきたのです。

それを覆すような動きがあれば必死になって潰すでしょう。歴史が証明しています。

日本人の気質、歴史、文化、あらゆることを研究して、もちろんマスコミによるプロパガンダ、米国で教育した人材の総動員、すべて今のところはしてやったりと言う気分でしょうね。

ご指摘のように貴兄を含めて日本人は本当にナイーブなんですから。

蛇足かもしれませんが、ひろしま・ながさき、戦争を終わらせるためだったという米国の言い分もすでに研究者の手で化けの皮がはがされていますが、まさか純粋にその言い分を信じているわけはないでしょうね。
===============================
こういう見方は案外客観的な感じもしますので、あらためてご紹介しました。実は私も「米国で教育を受けた人材」の一人なのです。

憲法9条が日本の平和を守ると信じる人が何故多いか?

2015年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、日本の軍備強化と集団的自衛権確立のための法改正で世の中が騒然となっています。そしてその先には戦争放棄を明記した憲法も改正しようとしています。
安保関連法の改正や憲法改正に賛成する人々と、反対する人々が感情的な論争をしています。
そして、反対する人々は、よく日本は憲法9条があって戦争を放棄していたから平和だったと主張します。したがって今後もこの9条さえあれば日本の平和は守れると主張します。
すると憲法の改正に賛成な人々は非常に感情的になって反対派を馬鹿だと口汚く愚弄します。
このような感情的な応酬が目に余るのが昨今です。
最初に言っておきますが、私は憲法9条が日本の平和を守ったとは思いません。簡単に言えば日本に駐留していたアメリカ軍の核兵器や強大な空軍が日本の平和を守ってきたのです。この事情は今後も同様です。その上、日本自身も戦うことも考えなければいけない国際情勢になって来たのです。
それはそうですが、「憲法9条さえあれば日本は平和だ!」いう人がいても私は軽蔑なぞ出来ません。それどころかそのように叫ぶ人の純粋さに敬意さえ感じるのです。
その理由は戦後70年にわたって「日本の平和憲法が日本の平和を守る」と教育され、新聞や雑誌でもこの主張が繰り返されて来た歴史を知っているからです。純粋な人ほどその架空な主張を信じます。それが如何に空想的平和論であるかを考えないでひたすら信じているのです。
その疑いを知らない純粋さに感銘を受けているのです。
第二次大戦中に叫ばれた「神州不滅」という言葉を唯ひたすら信じ、自分が所持していた貴金属類を国家に寄付した人々がいました。そのような人を私は現在でも尊敬しています。
議論する前に、反対論を言う人をまず尊敬すべきなのです。そして愚弄するのではなく静かに憲法9条が平和維持のために役にたたない事を諄々と説明する態度が重要だと私は信じています。
それには反対か賛成か急いで結論を出すのではなく、まず「国家と国民の関係」のいろいろな考え方を話し合うのが良いと思います。
憲法改正反対の人は、「国家が国民を戦争に駆り出すのは絶対にいけない」と主張します。
賛成派の人は「国家は国民の安全を守るあらゆる現実的な準備をすべきだ」と言います。それには軍備を強化して集団的自衛権を持たなければいけないと説明します。
戦争は人間を悪魔にします。ですから戦争を始めてはいけません。すなわち先制攻撃は絶対にしてはいけません。しかし例えば、新潟平野に上陸してくる敵軍をそのままにして良いものでしょうか?そのまま敵の自由にさせていれば、すぐに東京が占領され、日本の国家としての存在が消滅します。憲法9条を守り、武力行使に反対な人々は日本が他国の領土になっても良いとお考えなのでしょうか?
このように静かに説明すれば日本の憲法改正が必要だと考え直す人が増えると思います。
しかし戦後70年にわたって信じて来た人々の考え方を変えるのは容易ではありません。
それには現在のように安倍総理が率先して改革をするのではなく、まず国民投票をして、改革の方向を決めてから、政府が具体的な内容を審議すべきではないでしょうか?
一方で全ての宗教は戦争に絶対反対です。どの宗教でも他人を殺すことは禁じています。
この宗教の教えも勘案しながら、どのような場合は正当防衛にあたるかを議論することも重要ではにでしょうか?アメリカの艦艇が敵からミサイル攻撃を受けたら自衛隊が反撃するとしたら、それは正当防衛でしょうか?議論の別れる問題です。
ここで言いたいことは最近、日本人は少し感情的になり過ぎているこということです。
感情的になればなるほど建設的な結論にならないという原理原則を思い出すのが良いと信じています。
挿絵は心が静かになるようにと西洋の名画を3点お送りいたします。
一番目がマネの「笛を吹く少年です。
二番目がモネのサン・ラザール駅の風景画です。
三番目がカイユボットの「鉋をかける人々」です。





揖保の糸、三輪ソーメン、小豆島ソーメン、そしてドロソーメン

2015年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム
夏になりましたね。夏と言えばソーメンの季節なのでしょうか。私はソーメンが好きなので夏になると毎日のように一生懸命たべます。
しかし世の中には冷たいソバは好きだがソーメンは嫌いだという人もいます。
そこでそういう方々のために先日撮って来た上高地の美しい風景の写真をお送りいたします。
この先はソーメンに関するつまらない話です。お読み頂くほどの内容ではありません。
私はよく間違った思い込みをしています。例えば箱根山の西はウドンとソーメンの文化圏で、東側はソバの文化圏と思い込んでいます。
ところが東京のスーパーでは讃岐ウドンも揖保の糸、三輪ソーメン、小豆島ソーメンも沢山売っています。その上、ある大手食品メーカーは「熟成の極みソーメン」などというものを売っているのです。副題のように「唸るコシ、際立つなめらかさ」などと唄いあげています。
これを見て私はひどく悲しくなりました。
もともとこの日本には地方、地方に豊かなローカル文化があった筈です。それが日本人の心を豊かにしているのです。実に嘆かわしい事態です。
箱根山の東で生まれ育った私がソーメンが好きになった原因は幼児体験だったのです。
祖父が兵庫県の山郷のお寺の住職をしていて、そこで揖保の糸ソーメンを食べたのです。
仙台の大学で働いていた父が毎年、夏に帰省していたのです。そのお寺で何度もご馳走になったのが揖保の糸などの播州ソーメンだったのです。このお寺で最高のご馳走はそうめんでした。揖保の糸でした。祖母が大量のそうめんを茹でて大きな器に冷たい水をはり、ソーメンを漬けて出すのです。祖父、祖母、そして私たちの一家5人がその器を囲んで座り、めいめいが箸でそうめんを掬いガラスのコップの中のカツブシ味のツユに漬けて食べるのです。食べられるだけ食べてよいのです。その美味しさが私のそうめん好きの原因になったのです。
ですから私はソーメンといえば揖保の糸が最高と信じています。
しかし本当にそうでしょうか?
そこで三輪ソーメン、小豆島ソーメン、氷見ソーメン、などなどいろいろ買ってきて食べ較べて見ました。
そうしたら、どれも甲乙つけがたく美味しいのです。歯ごたえや味わいはそれぞれ微妙に違いますが、どれも美味しいのです。
そこで数日前に「唸るコシ、、、、」という大手メーカーのソーメンと埼玉県の名も無い会社が作ったソーメンを買ってきました。食べてみると揖保の糸などの箱根の西で作られるソーメンと比べても遜色がないのです。「唸るコシ、、、」というソーメンは別に唸っていませんでしたが美味です。
ああ、これでソーメンに関する日本のローカル文化は消滅したのです。
しかし負け惜しみになりますが、最後に長崎地方でしか作られていない「ド・ロさまソーメン」をご紹介いたします。
この四月に、五島列島に旅をしました。そうしたら明治時代に作られたド・ロさまそうめんを現在でも製造している会社があることを知りました。
その会社のことは、http://www.sunflead.co.jp/doro.htmlにございます。
最後の写真にド・ロさまそうめんの写真を示します。
このそうめんは明治時代にド・ロさまによって作り始められたのです。
ド・ロさまは、明治12年(1879年)に現在の長崎市の旧黒崎村出津の里に赴任した、フランス人宣教師のマルク・マリー・ド・ロ神父(1840~1914)のことです。
彼は、村人たちの暮らしが、あまりにも貧しいのに驚き、村人の生活の向上のために布教活動のかたわら授産所や救助院を設けます。その上、故国、フランスから小麦粉を取り寄せ、私財を投じてパン、マカロニ、ソーメンづくりなどの技術を教えました。
ド・ロさまは72歳で亡くなるまでの42年間、故郷のフランスに一度も帰りませんでした。終生、長崎の貧しい人々に優しく接したのです。信者でない人々へも等しく支援したのです。
ですから長崎の人は今でもド・ロさまを懐かしく思い出しているのです。決っしてド・ロ神父さまとは呼ばずに親しみを込めてド・ロ・さまと呼びます。
ド・ロ神父さまの活躍の詳細や彼の記念館のことはネット上に非常に沢山出ています。
それらによると、彼は信者であるなしに関係なく苦しむ人々の味方になって助けたのです。徹底的に助けたのです。精魂を込めて助けたのです。
九州の人々とフランス人のド・ロさまの絆の強さを想うと不思議でなりません。そしてソーメンのお蔭で私がド・ロさまと感じる絆も不思議です。このような不思議な絆がこの世にあるのですね。
ソーメンの話がド・ロ神父の話へと脱線してしまいごめんなさい。
こんな変わったソーメンが長崎にあるという話でした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)