後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

商店が一つ一つと消えてしまったが納涼祭だけは残った

2015年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム
昔、「京王通り」と呼ばれていたささやかな商店街で毎年、納涼祭が行われます。小金井市の自宅のすぐ裏の通りです。
車を通行止めにして、少しばかりの夜店が出ます。毎年、毎年、子共たちが何処からともなく沢山集まって嬉々として楽しんでいます。近所は静かな住宅街ですが子供が地から湧き出たように集まって来るのです。
その通りには昔、京王ストアというスーパーがあって、その前の40m位の通りが商店街になっていました。それで「京王通り」と呼んでいたのです。
昔は酒屋があり、肉屋、お茶屋、本屋、電気屋、蕎麦屋、2軒の寿司屋、中華そばや、錠前屋、クリーニング屋、そして道端では魚の浜焼き屋や軽トラでやって来る焼き鳥屋までありました。ですからその40mたらずの通りは近所の住宅街の人々の生活を支えていました。
それが経済の高度成長と崩壊とともに、一つ一つと店を閉めて行き、気がついた時には京王ストアさえ閉店してしまったのです。残ったのは新しく開業した八百屋一軒だけになってしまいました。
小さな商店のあった跡地には、洒落たアパートや若夫婦むけの小奇麗な一戸建ての住宅になってしまいました。
しかし毎年、夏が巡ってくると、その淋しい通りが賑やかな「納涼祭」の会場になります。商店は消えてしまいましたがこの納涼祭りは最近は「ナンジャモンジャ・京王通り商店会納涼祭り」という長い名前で賑やかに行われています。
今年は明日の7月19日の日曜日の16:30時から20:30時まで開催されます。
少しばかりの夜店が出て、若いタレントたちがちょっとした芸を見せます。そして通りの真ん中を、以前は南米のサンバチームが、そして最近は阿波踊りの一群が踊りながらゆっくり通りすぎて行きます。
昔は両側の商店の旦那さんたちが主催していましたが、皆一人、一人、と消えてしまったのです。そして現在は近くの商店がグループを作り毎年必ず実行します。子供が喜ぶので母親たちも協力しているようです。
私は毎年のように出掛けて行きます。はしゃいで楽しそうにしている子供たちを見るのが楽しいのです。
子供たちを見ていると戦前、戦後の仙台の街中の夜店や愛宕神社の参道に並んだ夜店を思い出します。その頃と子供の喜ぶ光景はまったく同じです。
違うところは照明の仕方です。昔はカーバイトに水をかけ、アセチレンガスを発生させて、アセチレン灯を夜店で使っていました。照明はそれだけですから暗いのです。夜店だけがアセチレン灯で明るいのです。それで一層子供心が湧き立つのです。
それは幻想的な夢のような世界でした。
もう一つの大きな違いは、昔はサンバの踊りや阿波踊りなど一切ありませんでした。ですから子供たちは夜店だけに心を集中していたのです。
そんな違いを思い出しながら、私は銀行の駐車場に作ったテーブル席に座って生ビールを飲むことにしています。
家内は浴衣を着て、楽しそうに歩き回って写真を撮ってくれます。昔は子供や孫を連れて納涼祭りを楽しんだものです。しかしそれももう卒業です。
それにしても日本全国、商店街は淋しくなりました。子供のいない過疎地では納涼祭りも消えていきます。しかし子供の沢山いる住宅街では今でも昔のように賑やかに納涼祭が行われているのです。
時代の流れをしみじみ感じさせられます。
皆様の住んでいるところでは納涼祭はあるでしょうか?
今日の写真は2013年の7月21日に撮ったものです。日本のどこにでもある夏の夜の子供たちの風景ですが、お楽しみ下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)