1971年に洗礼を受けました。自分の悪い人間性はさっぱり良くなりませんが、洗礼を受けたお蔭で考え方が少し変わったと思っています。いろいろな事柄を考える時の視点が少しだけイエス様の影響を受け、変わってきたのかも知れません。
今日は外国人に対する私の排他的な考えが無くなったことを書いてみます。全ての外国人に親しみを感じるようになったのです。
洗礼を受けたのはカトリックという宗派でした。この宗派はローマのバチカンに本山があり世界中に無数の教会があります。そしてその教会の扉の鍵は四六時中開いていて、毎日、ミサがあるのです。ミサの式次第は万国共通で同じです。
ですから仕事の出張でも観光旅行でも気軽に外国の教会に入って行けます。
そこで祈っている人の様子を見ると何故か、「青菜に塩」という風情です。自分の弱さで、教えにそむいて悪いことをしてしまったようです。私と同じです。
旅先で私はいろいろな外国のカトリック教会に行きました。中国で、韓国で、南米のベネズエラで、ドイツで、フランスで、そしてスイスで。
そんな思い出の中で、一番衝撃的な場面を見たのが中国の瀋陽市のカトリックの教会でした。
それは1981年のことでした。東北工学院の金応培教授が連れて行ってくれました。
その教会はかなり大きな西洋風の建物でしたが、見る影もなく荒れ果てていたのです。
1966年から1976年の10年間の文化革命という凄惨な内戦で全ての宗教施設が紅衛兵の襲撃を受けて破壊されたのです。
当時の中国は丁度、日本の終戦後のように疲弊し、町々には闇市場が広がっていたのです。
現在の繁栄した中国からは想像も出来ない貧困と荒廃があったのです。
そんな状況は瀋陽も同様でした。
外観が荒れた教会の屋根には急ごしらえの十字架が立っています。中に入って見ると満員です。その満員の信者がささくれだった木の床にじかに座って礼拝をしていたのです。教会中の椅子は紅衛兵が薪にしてしまったそうです。
ミサの終わりころに神父さんがイエスの体と言ってパン切れを信者一人一人の口に入れて食べさせてくれます。粗末な身なりで栄養失調のような人々が行列をして祭壇の前で膝まづいて口を開け神父さんがパン切れを食べさせているのです。パンを受けた人々の顔が輝いていたのです。
そんな光景を見た私は中国人の強い親しみを覚えました。その気持ちは終生変わりません。
同じ様な体験を韓国でもしました。日本の援助で出来た浦江製鉄所の技師だった韓さんが大丘市にあるカトリック教会へ連れていってくれたのです。
教会の内部やミサの様子は日本と全く同じでした。私は韓国人が好きになってしまいました。
最後に忘れ得ぬ外国での体験を書きます。
それは1986年の頃でした。南米のベネズエラの首都のカラカスのことでした。
広大な闘牛場での野外ミサに出席したのです。広場の中心に赤い絨毯を敷き祭壇が置いてあります。観客席は信者で埋まっていました。皆は郊外の丘の上に住んでいる貧民だそうです。しかし清潔な服装をしています。
その人たちと一緒に聖歌を歌いお祈りをしたことが忘れられません。イエス様は取税人や貧しい人々を愛したということを思い出しながら祈ったのです。
このような体験をすると他の宗教もみな同じではないかと感じるようになるのです。
そこには仏教もイスラム教も人間の弱さと許しの祈りをしていることには相違が無いと思います。
その体験から私は全ての外国人に差別なく親しみ感じいるのです。
今日の挿絵は4月に訪問した五島列島の教会の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
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今日は外国人に対する私の排他的な考えが無くなったことを書いてみます。全ての外国人に親しみを感じるようになったのです。
洗礼を受けたのはカトリックという宗派でした。この宗派はローマのバチカンに本山があり世界中に無数の教会があります。そしてその教会の扉の鍵は四六時中開いていて、毎日、ミサがあるのです。ミサの式次第は万国共通で同じです。
ですから仕事の出張でも観光旅行でも気軽に外国の教会に入って行けます。
そこで祈っている人の様子を見ると何故か、「青菜に塩」という風情です。自分の弱さで、教えにそむいて悪いことをしてしまったようです。私と同じです。
旅先で私はいろいろな外国のカトリック教会に行きました。中国で、韓国で、南米のベネズエラで、ドイツで、フランスで、そしてスイスで。
そんな思い出の中で、一番衝撃的な場面を見たのが中国の瀋陽市のカトリックの教会でした。
それは1981年のことでした。東北工学院の金応培教授が連れて行ってくれました。
その教会はかなり大きな西洋風の建物でしたが、見る影もなく荒れ果てていたのです。
1966年から1976年の10年間の文化革命という凄惨な内戦で全ての宗教施設が紅衛兵の襲撃を受けて破壊されたのです。
当時の中国は丁度、日本の終戦後のように疲弊し、町々には闇市場が広がっていたのです。
現在の繁栄した中国からは想像も出来ない貧困と荒廃があったのです。
そんな状況は瀋陽も同様でした。
外観が荒れた教会の屋根には急ごしらえの十字架が立っています。中に入って見ると満員です。その満員の信者がささくれだった木の床にじかに座って礼拝をしていたのです。教会中の椅子は紅衛兵が薪にしてしまったそうです。
ミサの終わりころに神父さんがイエスの体と言ってパン切れを信者一人一人の口に入れて食べさせてくれます。粗末な身なりで栄養失調のような人々が行列をして祭壇の前で膝まづいて口を開け神父さんがパン切れを食べさせているのです。パンを受けた人々の顔が輝いていたのです。
そんな光景を見た私は中国人の強い親しみを覚えました。その気持ちは終生変わりません。
同じ様な体験を韓国でもしました。日本の援助で出来た浦江製鉄所の技師だった韓さんが大丘市にあるカトリック教会へ連れていってくれたのです。
教会の内部やミサの様子は日本と全く同じでした。私は韓国人が好きになってしまいました。
最後に忘れ得ぬ外国での体験を書きます。
それは1986年の頃でした。南米のベネズエラの首都のカラカスのことでした。
広大な闘牛場での野外ミサに出席したのです。広場の中心に赤い絨毯を敷き祭壇が置いてあります。観客席は信者で埋まっていました。皆は郊外の丘の上に住んでいる貧民だそうです。しかし清潔な服装をしています。
その人たちと一緒に聖歌を歌いお祈りをしたことが忘れられません。イエス様は取税人や貧しい人々を愛したということを思い出しながら祈ったのです。
このような体験をすると他の宗教もみな同じではないかと感じるようになるのです。
そこには仏教もイスラム教も人間の弱さと許しの祈りをしていることには相違が無いと思います。
その体験から私は全ての外国人に差別なく親しみ感じいるのです。
今日の挿絵は4月に訪問した五島列島の教会の風景です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
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