後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ヴァチカンのサンピエ トロ大寺院で日本のミサ曲を歌った日本の合唱団

2015年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日なのでミサに行きたいのですが昨日までの旅行で疲れてしまいましたので欠席しました。
そこでヴァチカンのサンピエ トロ大寺院でのミサの風景をネットにある写真でいろい眺めていました。そして日本のカトリック教会で歌われているミサ曲を心の中で唄いました。
ネットに日本のミサ曲を調べていましたら、偶然にもサンピエ トロ大寺院で日本のミサ曲を歌った日本の合唱団があることが分かりました。
その詳細は、ブログ、「六甲男声合唱団」の増川真澄さんが以下のように書いています。
知らない方も多いと思いますので、以下にその抜粋をお送り致します。
報告全文は「ヴァチカンで日本のミサを歌う」(rokkomcinfo.web.fc2.com/masukawa2.html)に出ています。
・・・去る4月28日から5月5日までローマに行ってきました。
・・・ヴァチカンのサンピエトロ大寺院は、ご承知の通りカトリック教の総本山、ローマ法王がおられる所です。
・・・ 私達がここで歌うことになったのは、大寺院が主宰するミサに聖歌隊として式次第に参加をするため です。私達が参加したミサは、大寺院の中央祭壇で催される日曜礼拝の“荘厳ミサ”(ハイミサともいいます)で、全枢機卿が出席される、カトリック信徒十億 人にとって最も神聖視される儀式で、法王が臨席されるミサに次ぐ格式の高いものです。
 このような栄誉を担うことになったのは、約2年前、「日本のミサ曲を日本人の手で日本語で歌えないか」という東海メールクワイアーからの打診に、高田三 郎と親交があったローマ在住のガブリエル・ブドロー神父が奔走し、いろいろな検討と周到な準備の上で実現したものです。
 さて、先ほど「日本のミサ曲」ということを書きました。「日本のミサ曲とはなに?」 「日本にもミサ曲はあるの?」とお思いになる方がおられると思いま すので、そのことについて少し触れてみたいと思います。1962年~1965年にかけておこなわれた「第Ⅱヴァチカン公会議」において、ラテン語のみに限られていた典礼を、各国の言葉で捧げる 道が開かれました。「神のことばを母国語によってより深く味わい、神のことばに立ち返る」、これが典礼の国語化の目的でした。
 この公会議の決定をうけて、日本でも日本語による新しい聖歌を作ることになりました。
その日本のミサ曲は「典礼聖歌」と呼ばれ、この「TENREI-SEIKA」は日本を代表する宗教音楽として世界中に知られつつあります。
以上のような経緯もあって、今回の典礼聖歌によるミサ挙行が行われた次第です。カトリックの総本山の“荘厳ミサ”が日本の合唱団に開放され、日本語のミ サ曲が歌われたのはサンピエトロ大寺院にとっても、また日本の合唱界にとっても、歴史にきざまれる画期的なことでした。
・・・この度ローマに行くについては、こういった高田音楽で結ばれた多くの合唱団に参加を呼びかけられ、これに応えて全国から19の合唱団(個人の資格で参加 された方の所属合唱団を加えれば20以上の合唱団)から男声73名、女声53名が集まり、高田典礼聖歌男声合唱団、「平和の祈り」合唱団(混声)が編成さ れました。
 (参加された合唱団)
東海メールクワイアー(名古屋)、アンサンブル エヴォリュエ(大阪)
女声アンサンブル アトリエ(大阪)、やまびこ男声合唱団(岡谷)
市川男声合唱団(千葉)、新居浜混声合唱団(新居浜)
豊中混声合唱団(大阪)、女声合唱団ヴェルフィーヌ(大阪)
泉ヶ丘混声合唱団(岐阜)、所沢メンネルコール(所沢)
南蛮コール(長崎、いそべとし記念男声合唱団(東京)
米子第九合唱団(米子)、日本男声合唱協会(東京)
京都エコー(京都)、 東海フィメール(名古屋)
四ツ橋筋中年合唱隊(大阪)、元寺小路教会(仙台)
フルトン男声合唱団(長崎)
ミサは午前10時、主祭壇で開式されました。開式に先立ち、私達「高田典礼聖歌男声合唱団」(以下TTDGといいます)は聖歌隊席につきました。大寺院 が主宰するミサでは慣例に従い、ミサの式次第に参加できるのは男性に限られています。従って聖歌隊として参加できるのは男声(TTDG)だけです。同行の 混声合唱団の女声は、一般会衆とともに会衆席でミサの進行を見守るだけです。
まずTTDGが歌う入祭の歌「天は神の栄光を語り」によって、枢機卿はじめ燭台を捧げた司祭など入祭の行列が主祭壇に上がり、着席して式が始まります。  その後は司祭と会衆がラテン語で節をつけた言葉を交わしながら、大寺院専属のジュリア聖歌隊とTTDGの交唱によるグレゴリア聖歌と、TTDGによる典 礼聖歌を交互に歌う、というかたちでミサは進められました。
 ・・・ ミサはGLORIA、CREDO、AGNUS DEI・・・と進み、聖体拝領―キリストの血と肉を現すワインとパンを頂くミサのクライマックスになりました。信者にとって最も緊張し最も感動を覚える一 瞬です。実際、この時には頬を紅潮させ、涙を流す信者さんもおられます。
 TTDGの歌う「谷川の水をもとめて」「ちいさなひとびとの」の中を、信者の方々が一人ずつ祭壇の前に進み出て、司祭からパンを拝領します。聖体拝領が 終わると、「閉祭の挨拶」とともに、TTDGの歌う「行け地の果てまで」にのって順次会衆は退席される、はずだったのですが、誰一人立とうとはされませ ん。私達は会衆の皆さんがほぼ退席されてしまうまで歌い続ける手はずになっていたのですが・・・。やむを得ず楽長のポール神父の合図でキリのいいところで 歌うのをやめたのですが、今度は会衆席の会衆はいうにおよばず、大聖堂のつめかけた観光客を含む多くの人達の間から大きな拍手が沸き起こり、その拍手がい つまでも鳴り止まないのです。いわばアンコールのようになり、急遽ポール神父の指示でもう一度「行け地の果てまで」を歌いました。 ・・・・
以上の増川真澄さんの臨場感の溢れる報告書を読むと、自分も大寺院が主宰するミサにあずかったような気分になります。
私は暇の折りにいろいろな他の教会のミサ風景をネットで調べて見ていますが、今日ははからずもサンピエ トロ大寺院でのミサの様子を見ることが出来ました。
ちなみに増川真澄さんはカトリックの信者ではありませんが、ここまで深くミサの内容をご紹介していることを不思議に思い、同時に感謝しています。有難うございました。
写真にヴァチカンでのミサの風景写真2枚とサンピエト ロ大寺院で歌う日本の合唱隊の写真をお送り致します。





客船の旅、続けて高山、上高地、安曇野への旅

2015年07月05日 | 旅行記
高齢になると人間は我が儘になると思います。私もそうですが、周囲の人々に絶対に迷惑をかげないように心がけて、我が儘を楽しんでいます。
海を楽しむ旅と山国への旅を一緒にして、しかも体が楽な旅行をしたいと時々思います。
今回の3泊4日の旅はまさしくそのような旅程でした。
最初はパシフィック・ヴィーナスという客船に横浜大桟橋から乗り込みます。夕方乗船して、夕暮れのミナト・ヨコハマの風景を見ながら、ディナーを悠々と楽しみます。
ミナトが暮れて、ヨコハマの街のネオンが輝くころに出港です。
ライトアップしたベイブリッヂを出て観音崎の沖に向います。
翌朝、10時に名古屋港に着岸です。
船の前に待っていた小型の観光バスに乗ります。総勢12名の老夫婦の旅です。
名古屋港から関市にある包丁や高級なナイフを製造している工場を見学しました。
昼は同市の鮎料理を食べ、再びバスで郡上八幡を通って山々を越えて高山に向います。
高山のホテルに着いたのは午後3時頃でした。チェック・インを済ませてから、江戸時代そのままの町並を散策します。上三之町、上二之町、上一之町の店々が江戸時代の作りで、建物の材木が黒光りしています。古い小規模な酒蔵が現在でも昔のままに醸造して地酒を売っています。古物商が江戸時代らしい陶器や道具を商いしています。子供の喜びそうな駄菓子屋があります。店先に飛騨牛の串焼きと生ビールを飲むテーブルとイスがあります。
その夜はホテルに泊まり、翌朝は乗鞍岳の畳平までバスで登ります。笠ケ岳や槍、南岳、穂岳の連峰に残雪が輝いていました。
乗鞍岳を下りてきて平湯の旅館で飛騨料理の昼食です。午後は平湯大滝を見物してから上高地の老舗ホテルに3時頃着きました。
早速、梓川の田代橋に出て清流と穂高連峰の写真を撮りました。今年の岳沢の残雪は大きいようです。そのまま梓川に沿って中の瀬の遊歩道を河童橋まで登ります。河童橋の向う側で再び穂高連峰と明神岳の勇姿を楽しみ写真を撮ります。
帰りはもう夕暮れでした。帝国ホテルまでの最短の遊歩道を歩きました。往復3Kmを歩き少々つかれます。
次の朝は安曇野に下り、大王ワサビ農園を散歩します。昔、黒沢監督が作った「夢」という映画に出て来る水車のある風景で有名になった場所です。笠智衆が村の老人役で水車小屋の回りを歩いている場面が昔の農村風景そのもののようで旧懐の情で胸が熱くなったのを思い出します。豊かな清流と勢いよく回っている水車の写真を何枚も、何枚も撮りました。ワサビ畑は何十年まえに来た時と同じ風景です。しかし駐車場が広がり、お土産の生ワサビの売店があまりにも大規模になっているのに時代の流れを感じます。駐車場に大きな観光バスが並び、中国語や韓国語が飛び交っています。これも現在の日本の観光地の様子です。
その後は国宝の松本城に行きます。足の弱い私は堀の周囲をめぐり黒い松本城の写真をとります。家内は天守閣まで駆け上がって内部の写真と天守閣からの風景写真を撮ってくれました。
信州ソバの昼食後、JR中央線の特急で帰ってきました。
梅雨の季節の3泊4日の旅でしたが持参のコーモリを一度も開くことはありませんでした。天気に恵まれ幸運でした。
明日から今回の旅で乗った客船のことや訪れた地方の歴史た地方文化をご紹介したいと存じます。今日は最初の船上での夕食の時に窓から撮った「ミナト・ヨコハマ」の夕暮れの風景写真をお送り致します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)