最近、非常に親日的な台湾に関して、「台湾のことを想うと心が痛む」と題する連載記事を3回掲載しました。台湾は日本の南です。そして西の隣国は韓国と中国です。東側は茫々たる太平洋です。自分の隣人を大切にし尊敬することは人間の倫理の基本です。
そこで今回から韓国を取り上げ「80歳になって日韓友好を祈る」と題する連載記事を書いてみたいと思います。
表題に「80歳になって・・・」と題したのは自分が生きた80年間の日韓交流の体験をまじえながら2000年間にわたる日韓交流を考えてみようと思ったからです。
連載の第一回は現在でも日本人に高く評価され愛好されている李朝の磁器のことです。それはまさしく朝鮮が日本に与えた良い影響の一つです。
皆様は柿右衛門が磁器に赤絵の焼き付けに成功したことを教科書で習ったことを憶えていると思います。それは1646年のことでした。
日本では秀吉の朝鮮出兵まで磁器の焼成ができず土器を簡単に焼いた須恵器という陶器しか出来なかったのです。
それが連行されて来た朝鮮の陶工たちによって初めて磁器が焼成されたのです。それは革命的な技術革新でした。
この新しい技術には2つの絶対条件が要求されます。
(1)磁器になる岩石成分を多く含有する磁石(じせきと言い、じしゃくとは違う)を発見する技術。
(2)焼成する炉の熱効率を上げて1000度以上の温度が出る構造の焼成炉を作る技術。
この二つの技術が日本には無かったのです。
さて朝鮮から連行されて来た陶工達はどのようにして上の新しい技術を伝えたのでしょうか?
この問題を詳細に研究して発表している専門家がいます。彼は東京都の清瀬市郷土博物館の学芸員の内田祐治さんです。以下は彼の2008年6月発表の研究論文(http://members3.jcom.home.ne.jp/nabari.u.y/imari.pdf)からの抜粋です。
佐賀県の一帯には、古来より須恵器からつづく窯が点在していました。その景観が一変する契機となったのが、秀吉による次のような朝鮮半島への出兵でした。
・文禄の役(1592 ~ 94)
・慶長の役(1597 ~ 98)
この文禄・慶長の二度にわたる出兵により、数多くの朝鮮人の優秀な職人たちと共にわが国へ連れてこられたのです。そのなかに陶工達もいました。
秀吉は朝鮮半島での戦で戦果を挙げた日本の武将たちへ恩賞としての領地を与えられません。
そこで朝鮮陶工を帰化させることにり、諸藩へ新たな窯業を興させ、それをもって恩賞に代えることにしたのです。それが秀吉の政策の一つでした。
彼らは連れていかれた諸藩へ帰化し、各々の領主の庇護を受けて陶器の製造をはじめたのです。それらは後に、唐津焼、上野焼、高取焼、薩摩焼、萩焼と呼ばれる焼き物を生産する窯業地帯を形成しのです。
なかでも多数の朝鮮陶工をともない、後の唐津焼きの礎を築いたのが北九州の鍋島藩、平戸藩、唐津藩でした。
その陶工らは、松浦・佐賀・多久・武雄、平戸・諫早に陶土をみいだし、それぞれの窯を築いたのです。やがて有田西部の乱橋に移住した李参平は、有田川上流の泉山の地で磁器原料となる磁石を発見します。
上白川の天狗谷に窯を築き、磁器の試作を完成させたのです。これこそが我が国で初めて磁器が焼成された技術革新でした。
そしてそれから40年余が経過した正保三年(1646)に、酒井田柿右衛門が赤絵に成功したのです。
国産赤絵の成功を契機に、藩は一方で磁器製法の秘術を守り抜くために有田皿山へ番所を設け商人の直取引を禁じ、他方で海上輸送の焼物の集積港である伊万里津へ買い付けの場を定め、販売の制度を確立していったのです。
美しい絵模様のついた磁器はやがていろいろな藩で焼成されるようになり藩財政を潤したのです。そして江戸時代の外国貿易の主要な輸出品になっていったのです。その詳細は是非、清瀬市郷土博物館の学芸員の内田祐治さんの研究論文をご覧ください。
それはさておき視点を変えて、日本で現在でも尊重されている朝鮮本土の李朝白磁の写真を見てみましょう。
李朝の陶磁器は、初期には粉青沙器が主流でしたが、17世紀以後は白磁に変わりました。
中国の元、明の白磁の影響を受けたものですが、17世紀には色が青味がかり、李朝末期には濁った白色に変わったのです。
李朝では、磁器の製造は官窯でである工匠が行っていました。
一方、中国では1752年に広州に分院の官窯が作られ生産の中心になっていましたが、1883年に分院が民営化され官窯の歴史は終わったのです。
さて李朝の磁器には下絵付はありましたが、上絵付はありませんでした。
コバルト顔料で下絵付した青花も作られましたが、コバルト顔料が不足したため、鉄絵具で下絵付する鉄砂や銅絵具で下絵付する辰砂(赤茶色)も作られたのです。
しかし、李朝白磁の95%以上は他の色による装飾がない純白磁であり、江戸時代に日本で作られていたような華やかな色絵磁器は李氏朝鮮には存在していません。
以上の解説文は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%9C%9D%E7%99%BD%E7%A3%81#mediaviewer/File:Baekja-White_Ceramic.jpg から抜粋いたしました。
さて李朝の白磁は素朴で暖かみがあります。その上、上品な感じがします。見る人の心をなごやかにするのです。私も好きです。現在の日本人も尊重していますので、その写真を示します。
李朝の焼き物の一番目の写真以外の写真の出典は、http://www.nakamaga.com/newpage11.html です。一番目の写真の出典は上の解説文の出典と同じです。
二番目は李朝初期の白磁皿です。三番目は初期の白磁徳利です。四番目は李朝中期の貝文大徳利です。五番目は李朝後期の大白磁徳利です。
今日の話はこれでお終いです。このように日本へ良い影響を与えた朝鮮の文化を尊敬せざるを得ません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)