丁度、5年前の東日本大地震の被害者に対して心のこもった大きな支援をしてくれたのが中華民国の台湾でした。送られた支援金の200億円は世界一の多さでした。
この篤い支援の詳細を思い出すために以下の文章をウイキペディアのフリー百科事典の「東日本大震災に対するアジア諸国の対応」から転載します。
是非、ご一読下さい。
中華民国、台湾の馬英九総統は「日本側の要請を受けたら、すぐに救援隊を出動したい」と語り、要請があればいつでも援助隊を出動可能な状態に待機させた。
同総統は演説で、日本が1999年9月の台湾中部大地震や2009年8月の南部台風災害で台湾を支援したことに触れ、「我々も同様に積極支援する」と語った。
台湾の救助隊28人は3月14日午前に台北市内の松山空港を出発。同救助隊は日本に到着の後、自力で被災地に入り、救助活動に当たる計画を立てた。台湾は11日に派遣の用意を表明していたが、日本側の待機要請により、各国の救助隊が日本入りする中、丸2日間の待機を余儀なくされた。台湾側外交関係者は日本政府の中国の立場への配慮を示唆している。
また、親日家として知られる李登輝元総統は3月12日に、日本語で「日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じている」、「自然の猛威を前に決して運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」と励ましのメッセージを寄せている。
物資支援として、発電機688台、毛布1,599箱、寝袋2,587箱、スリーピングマット236箱、衣類(防寒着等を含む)4,488箱、食品16.5トン及び9,444箱、ストーブ900台、マスク404箱、カイロ150箱、飲料870箱、手袋42箱、暖房器具53台、マットレス33箱、粉ミルク895箱、マフラー21箱、ナプキン10箱、枕16箱、キルト408箱、ティッシュ20箱、トイレットペーパー30箱、懐中電灯3箱、タオル48箱、納体袋24箱を宮城県、福島県、岩手県、新潟県、山梨県に提供。
3月17日・18日には、チャリティー番組「相信希望 fight&smile」と「送愛到日本311震災募款晩會」(日本の311震災に愛を送る夕べ)が放送され、8億9000万台湾ドル(約24億3000万円)が集まった。3月21日時点の義捐金の合計は15億台湾ドル(約41億円)以上に達し、4月1日には100億円を突破した。これは同時期に米赤十字が発表した同国の金額を上回る。4月15日には140億円を超え、世界各国中、最多となった。その後、200億円以上となった。
4月11日、日本政府は台湾への特別メッセージを込めた菅直人首相名義の感謝状を、実質的な在台湾の日本大使館として機能している財団法人交流協会を通じて馬英九総統、呉敦義行政院長、楊進添・外交部長に送った。4月29日、日本政府は東日本大震災の義捐金活動などで貢献した台湾人4名(エバーグリーン・グループ総裁・張栄発氏ら)に対して叙勲を行った。また政府が米国や中国などのメディアに感謝広告を寄稿した一方で台湾の新聞には実施しなかったことについて日本人デザイナーが広告掲載を呼びかけ、5月3日に台湾主要新聞2紙に掲載された。(以下省略)
1番目の写真に台湾の新聞に掲載された日本側の感謝の広告を示します。
このように絶大な支援を「してくれた中華民国の台南で2月6日大地震が起きたのです。
犠牲者の数はまだ正確には分かりませんが100名以上と言われています。
以下は昨日の読売新聞のネット版からの転載です。
【台南(台湾南部)=鈴木隆弘】台湾南部で6日に起きた地震で、台湾当局の発表によると、台南市で倒壊した16階建てビルでは8日午後8時(日本時間午後9時)現在、36人の死亡が確認され、この地震の死者は計38人となった。捜索・救助活動を指揮する頼清徳・台南市長は8日、死者が100人を超える可能性があるとの見方を示した。
このビルでは約110人が安否不明のままで、うち約100人は横倒しになった建物内の地表に近い部分にいるとみられている。市当局は「救助が困難」との見解を繰り返し示している。
災害で生存率が急激に下がるとされる「発生から72時間」が9日早朝に迫り、現場では捜索・救出活動が夜になっても続けられた。地震から約60時間が経過した8日夕、この日3人目の救出となる女児(8)が助け出された。女児はがれきの中の隙間で生存していたといい、救助隊員に「水が飲みたい」などと話し、意識はしっかりしているという。さらに約40分後、28歳のベトナム人女性も救出された。
2番目から4番目の写真に台南市の倒壊したビルの光景をしめします。
以下はほんの一例です。朝日新聞のネット版の「東日本大震災の被災地「恩返し」 台湾地震の支援広がる」という記事から転載しました。
この災害で明らかになったことは倒壊したマンションのビルの建設がひどい手抜き工事だったことです。柱にする鉄筋やコンクリートを節約するために塗料の缶を積み上げていたというのです。このことでも台湾の人々の心が深く傷付いたのです。
このような台湾の大地震被害に対して日本中で恩返しの支援運動が広がっています。
仙台市の奥山恵美子市長は6日、「大切な友人である皆様と、おもいをひとつにして参ります」と記した親書を台南市長に送った。台南市からは震災直後の2011年4月、約1億円の義援金が届けられた。仙台市は物資などの支援を検討する。
宮城県南三陸町も、義援金や救援物資を届ける検討を始めた。昨年開院した町立病院の建設費約56億円のうち、約22億円は台湾の赤十字組織からの寄付で賄った。新しい病院のそばには、町と台湾の旗が刻まれた碑が立つ。佐藤仁町長は「感謝の気持ちを一刻も早く届けたい」としている。
村井嘉浩知事も6日、「県として、できる限りの支援をしたい」とのコメントを発表した。
一方、国際医療NGO「AMDA(アムダ)」(本部・岡山市)は、現地に医師1人と看護師1人を派遣すると発表した。現地の状況次第で支援を拡大することもあるという。(以下省略)
現在、日本赤十字社やNHKで義援金の受付をしているそうです。
台南の大地震で大きな被害が起きるのは本当に悲しいことです。亡くなられた方々、そして遺族の方々のことを想うと心が深く痛みます。
我々は先の東日本大地震の際に受けた台湾の方々の大きなご恩を絶対に忘れません。
台湾の方々が勇気を奮い起し、一日も早く復興することを祈っています。
この篤い支援の詳細を思い出すために以下の文章をウイキペディアのフリー百科事典の「東日本大震災に対するアジア諸国の対応」から転載します。
是非、ご一読下さい。
中華民国、台湾の馬英九総統は「日本側の要請を受けたら、すぐに救援隊を出動したい」と語り、要請があればいつでも援助隊を出動可能な状態に待機させた。
同総統は演説で、日本が1999年9月の台湾中部大地震や2009年8月の南部台風災害で台湾を支援したことに触れ、「我々も同様に積極支援する」と語った。
台湾の救助隊28人は3月14日午前に台北市内の松山空港を出発。同救助隊は日本に到着の後、自力で被災地に入り、救助活動に当たる計画を立てた。台湾は11日に派遣の用意を表明していたが、日本側の待機要請により、各国の救助隊が日本入りする中、丸2日間の待機を余儀なくされた。台湾側外交関係者は日本政府の中国の立場への配慮を示唆している。
また、親日家として知られる李登輝元総統は3月12日に、日本語で「日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じている」、「自然の猛威を前に決して運命だとあきらめず、元気と自信、勇気を奮い起こしてほしい」と励ましのメッセージを寄せている。
物資支援として、発電機688台、毛布1,599箱、寝袋2,587箱、スリーピングマット236箱、衣類(防寒着等を含む)4,488箱、食品16.5トン及び9,444箱、ストーブ900台、マスク404箱、カイロ150箱、飲料870箱、手袋42箱、暖房器具53台、マットレス33箱、粉ミルク895箱、マフラー21箱、ナプキン10箱、枕16箱、キルト408箱、ティッシュ20箱、トイレットペーパー30箱、懐中電灯3箱、タオル48箱、納体袋24箱を宮城県、福島県、岩手県、新潟県、山梨県に提供。
3月17日・18日には、チャリティー番組「相信希望 fight&smile」と「送愛到日本311震災募款晩會」(日本の311震災に愛を送る夕べ)が放送され、8億9000万台湾ドル(約24億3000万円)が集まった。3月21日時点の義捐金の合計は15億台湾ドル(約41億円)以上に達し、4月1日には100億円を突破した。これは同時期に米赤十字が発表した同国の金額を上回る。4月15日には140億円を超え、世界各国中、最多となった。その後、200億円以上となった。
4月11日、日本政府は台湾への特別メッセージを込めた菅直人首相名義の感謝状を、実質的な在台湾の日本大使館として機能している財団法人交流協会を通じて馬英九総統、呉敦義行政院長、楊進添・外交部長に送った。4月29日、日本政府は東日本大震災の義捐金活動などで貢献した台湾人4名(エバーグリーン・グループ総裁・張栄発氏ら)に対して叙勲を行った。また政府が米国や中国などのメディアに感謝広告を寄稿した一方で台湾の新聞には実施しなかったことについて日本人デザイナーが広告掲載を呼びかけ、5月3日に台湾主要新聞2紙に掲載された。(以下省略)
1番目の写真に台湾の新聞に掲載された日本側の感謝の広告を示します。
このように絶大な支援を「してくれた中華民国の台南で2月6日大地震が起きたのです。
犠牲者の数はまだ正確には分かりませんが100名以上と言われています。
以下は昨日の読売新聞のネット版からの転載です。
【台南(台湾南部)=鈴木隆弘】台湾南部で6日に起きた地震で、台湾当局の発表によると、台南市で倒壊した16階建てビルでは8日午後8時(日本時間午後9時)現在、36人の死亡が確認され、この地震の死者は計38人となった。捜索・救助活動を指揮する頼清徳・台南市長は8日、死者が100人を超える可能性があるとの見方を示した。
このビルでは約110人が安否不明のままで、うち約100人は横倒しになった建物内の地表に近い部分にいるとみられている。市当局は「救助が困難」との見解を繰り返し示している。
災害で生存率が急激に下がるとされる「発生から72時間」が9日早朝に迫り、現場では捜索・救出活動が夜になっても続けられた。地震から約60時間が経過した8日夕、この日3人目の救出となる女児(8)が助け出された。女児はがれきの中の隙間で生存していたといい、救助隊員に「水が飲みたい」などと話し、意識はしっかりしているという。さらに約40分後、28歳のベトナム人女性も救出された。
2番目から4番目の写真に台南市の倒壊したビルの光景をしめします。
以下はほんの一例です。朝日新聞のネット版の「東日本大震災の被災地「恩返し」 台湾地震の支援広がる」という記事から転載しました。
この災害で明らかになったことは倒壊したマンションのビルの建設がひどい手抜き工事だったことです。柱にする鉄筋やコンクリートを節約するために塗料の缶を積み上げていたというのです。このことでも台湾の人々の心が深く傷付いたのです。
このような台湾の大地震被害に対して日本中で恩返しの支援運動が広がっています。
仙台市の奥山恵美子市長は6日、「大切な友人である皆様と、おもいをひとつにして参ります」と記した親書を台南市長に送った。台南市からは震災直後の2011年4月、約1億円の義援金が届けられた。仙台市は物資などの支援を検討する。
宮城県南三陸町も、義援金や救援物資を届ける検討を始めた。昨年開院した町立病院の建設費約56億円のうち、約22億円は台湾の赤十字組織からの寄付で賄った。新しい病院のそばには、町と台湾の旗が刻まれた碑が立つ。佐藤仁町長は「感謝の気持ちを一刻も早く届けたい」としている。
村井嘉浩知事も6日、「県として、できる限りの支援をしたい」とのコメントを発表した。
一方、国際医療NGO「AMDA(アムダ)」(本部・岡山市)は、現地に医師1人と看護師1人を派遣すると発表した。現地の状況次第で支援を拡大することもあるという。(以下省略)
現在、日本赤十字社やNHKで義援金の受付をしているそうです。
台南の大地震で大きな被害が起きるのは本当に悲しいことです。亡くなられた方々、そして遺族の方々のことを想うと心が深く痛みます。
我々は先の東日本大地震の際に受けた台湾の方々の大きなご恩を絶対に忘れません。
台湾の方々が勇気を奮い起し、一日も早く復興することを祈っています。