後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

梅の現在の品種、300種、そして弥生時代から梅が栽培された

2016年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム
今年は何故か梅の花が一段と華やかに咲き続けています。
そこで梅の木の歴史を少し調べてみました。
そうしたら邪馬台国のことが書かれている魏志倭人伝にも梅らしい木の記述があり、数多くの弥生時代からも梅の遺物が沢山出土しているのです。
それではまず現在ある約300種の梅のご紹介をいたします。
以下は、http://minabe.net/gaku/hana/hinsyu.html からの抜粋です。
「梅」は品種が多く、中国からの渡来種のほか、 日本では江戸時代に、たくさんの品種の育成・改良が行われ、 現在では300種以上あると言われています。
そして 園芸学的に分類すると、 花の観賞を目的とする「花梅(はなうめ)」と、 実の採取を目的とする「実梅(みうめ)」に、分けられます。そしてさらに花梅は「3系9性」に分類されます。
野梅系(やばいけい)とは、野梅から変化した原種に近い梅です。 中国から渡来した梅の子孫と言われています。 枝は細く、花も葉も比較的小さい梅です。 花や葉も小ぶりですが、とてもよい香りがするそうです。
一方、実梅の品種は以下のようなものがあります。
豊後、月世界、鶯宿、白加賀、玉梅、南高、古城などで南高梅の梅干しや甲州最小の小梅の梅干しは美味です。
そして花梅には以下のようなものがあります。
野梅系では野梅性一重、白加賀・一重冬至・満月・竜眠 、野梅性八重、寒衣・二重冬至・花香実・月宮殿・見鷹玉垣・思いのままなどです。
紅梅性では八重海堂・紅筆・八重紅筆 ・難波性・玉拳があり、青軸性では月の桂・月影・緑 などがあります。そして豊後系では豊後性一重、真鶴・揚羽の蝶・海棠梅 などなどがあります。あまりにも多いので以下省略します。
兎に角あまりにも多いので覚えらられません。
庭園でよく見かけるのは白加賀、青軸性の月の桂、月影、紅梅の鴛鴦、緋の司、紅千鳥などです。
このように現在多品種が観賞されていますが、それでは縄文時代や弥生時代の日本人は梅の花を楽しんでいたのでしょうか?
調べてみると縄文時代には梅が無かったのです。
弥生時代前期~古墳時代の梅の遺物出土遺跡を県別に見ると、山口県・大阪府・奈良県・京都府・石川県・東京都です。(http://minabe.net/gaku/rekishi/yayoiiseki.html より)
梅が中国大陸から渡来し、日本での栽培が普及していく様子は、稲作が広まってゆく様相とほぼ同じとみられているのです。原産地は中国長江流域と考えられ、夏湿気候帯に属していることから、梅は、日本の風土によく適応し、栽培が普及していったと言われています。
それ以前の縄文時代の遺跡から、梅の遺物は発掘されていないことから、梅は、弥生時代に渡来したと考えられているのです。
日本各地の弥生時代と古墳時代の遺跡から、梅の自然木の断片・梅実の核(種)が発掘されています。その遺跡の一覧表は以下の通りです。
弥生時代前期、山口県平生町 岩田遺跡(モモと共に)
弥生時代前期、大阪府八尾市 亀井遺跡(梅の自然木の断片)
弥生時代前期、山口県綾木郷 台地遺跡
弥生時代中期、山口県熊毛町 岡山遺跡
弥生時代中期、京都府綾部市 青野遺跡
弥生時代後期、奈良県榛原市 高塚遺跡(モモ・クリと共に)
弥生時代後期、東京都板橋区 前川泥炭層(梅の破片2個)
古墳時代前期、山口県平生町 吹越遺跡
古墳時代前期、奈良県桜井市 大西遺跡
古墳時代前期、愛知県豊田市 伊布遺跡
古墳時代前期、石川県加賀市 猫橋遺跡
このように梅は弥生時代から長い間、日本人に親しまれて来たのです。
万葉集では梅の和歌が非常に多く、桜に関する歌よりも多いのです。その後の戦国時代には多くの武士の家紋に梅の花が用いられています。
そして梅干しは日本人の心のようなものです。
そんなことを考えながら昨日も小金井公園の梅の花の写真を撮って来ました。
その写真をお楽しみ下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)