後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

トランプ氏はキリスト教徒ではないと非難するフランシスコ法王

2016年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム
アメリカ大統領の共和党の候補者としてトップの座にあるトランプ氏をローマ法王が批判したのです。それに対してトランプ氏は反論して、「宗教指導者が個人の信仰に疑問をなげかけるのは恥ずべきことだ」と反論したのです。
トランプ氏がメキシコからの不法移民を防ぐために国境に壁を作り、その費用はメキシコ政府が支払うべきだと何度も主張していたのです。
フランシスコさんはそれを批判します。「橋を作らず壁を作ることばかり考える人はキリスト教徒ではない!」と批判したのです。
そして続けて言ったのです。「神よ、トランプ氏は私を政治家と呼んだ。アリストテレスは人間を「政治的動物」だと定義した。少なくとも私は人間だ」と明言したのです。
この論争は非常に興味深い論争です。キリスト教の影響の深い欧米社会の政治と宗教の関係を浮き彫りにした実に面白い事件なのです。
誤解を避けるためにはじめに断って置きますが、私はトランプ氏を支持しません。はっきり言えば嫌いです。
そして私は毎週教会のミサに出席するカトリックてす。
ですからフランシスコさまが正しいと擁護したい心情です。
しかし、いろいろ公平に、そして客観的に考えました。
その結論は、この事件に関してはローマ法王が間違っていると思います。
理由は明快です。ローマ法王はアメリカの大統領選挙に介入すべきでないのです。
西洋社会が数々の苦しい試練を乗り越えて築き上げた「政治と宗教の分離の原則」をローマ法王が自ら崩すのはやっぱり間違いです。
このようにローマ法王をあからさまに間違いと言えるのは私が日本に住んでいるからです。日本人の多くは仏教と神道が好きです。そして日本のカトリック信者は狂信的でないのです。
そんな社会では自由に間違いは間違いと言う自由があるのです。
それにしてもトランプ氏の反論が凄いのです。
「イスラム国の最重要目標はバチカンだ。もしバチカンが攻撃されたら、法王はトランプが大統領に選ばれることだけを祈るだろう。私はキリスト教徒であることを誇りに思う。」
このような発言の後、トランプ氏は選挙戦が不利になることを避けるためにフランシスコ法王の素晴らしさを述べ、これ以上の論戦を止めたのです。
新聞は州ごとのカトリック信者の割合を書き出して、ローマ法王のトランプ批判の影響を推定しています。
しかしそれも大きな間違いなのかも知れません。
アメリカ人の多くのカトリックはメキシコからの多量の不法越境者が運転免許証を得て仕事についていることに反対していると考えられます。
アメリカではショッピングセンターの片隅で簡単に運転免許証を出しているのです。私も貰ったことがありますが、住所がはっきりしていて交通ルールを理解して、パラレルパーキングが出来れば、それだけで良いのです。国籍は関係ないのです。
運転免許証は身分証明書です。それがあればパートの仕事なら簡単に出来るのです。
アメリカの貧困層はメキシコからの多量の不法越境者を憎んでいると報道されています。その貧困層のカトリックの多くの人はトランプ氏へ投票するでしょう。
それはそれとして私はフランススコ法王が人間的なので好きです。今回の間違いにもかかわらずフランシスコ法王に忠誠を誓います。
そこで2年前に、フランシスコさまが韓国を訪問した時の写真を一番目の写真に示します。
2番目と3番目の写真は韓国訪問の前に南米を訪問した時の写真です。
そして4枚目の写真はやはり2年前に、積極的平和主義を主張している安倍総理がフランシスコ法王を訪問した時の写真です。「積極的平和主義」を法王に縷々説明し、安倍総理に協力してくれるようにお願いしました。でもこの時は「政教分離の原則」に従って法王は何も言いませんでした。







それにしても宗教と政治の分離は難しいものですね。アリストテレスも言ったように人間は政治的動物なのです。その同じ人間が宗教を信じているのです。政教分離は理想としては可能ですが実際にはなかなか難しいのですね。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)