これは個人的な考えですが、楽しい日常的な趣味は永続きしないように思います。
自分が何十年と続けた趣味は非日常の世界のものでした。そしてつらい趣味でした。つらいが故に楽しさが深まる趣味でした。
先日は、常に横転、沈没する恐れを感じながら帆走するヨットの趣味について書きました。
今日は深い、深い森の中に電気・水道・ガスの無い小屋を作り、そこへ通う趣味に関することを書きます。私はその趣味を42年間続けています。
人家の無い漆黒の闇の夜の小屋に泊まることは恐ろしいものです。厳寒の冬の一晩を過ごすことはつらい体験です。
まず下の写真をご覧ください。
甲斐駒岳の東側の写真です。ススキの原の向こう側に茫々と深い森が広がっています。
高冷地なので牧場も農地もありません。自然の雑木林が限りなく広がっているだけです。
そこに1974年に2部屋だけの小屋を作ったのです。
何故作ったのか思い返してみると理由が曖昧なのです。
徳の高い僧は方丈といって10尺四方の小屋に住むということに憧れたのかも知れません。などと恰好の良いことだけが理由ではありません。深い雑木林のなかで焚火をしながらビールを飲むという目的もありました。小屋の前には清い水が絶えず流れています。
そして電気・水道・ガスの無い小屋にローソクの光で静かな夜を過ごすのです。小川の水音が響き天上には満天の星が輝いています。
ロマンチックです。小屋を作って一年間くらいはローソクと石油ランプでした。しかし不便です。油煙が臭くていけません。そこでホンダの小型発電機を持ち込みました。
明るい電灯に感激します。それも3年ほど続けていると発電機のエンジンの音がうるさくなるのです。東京電力が延々と山の中まで電線を張ってくれました。また静かな夜が帰ってきました。
現在は水道とガスが無いだけです。この小屋で雪のある夜を過ごす様子を写真で示します。
上の写真は雪で覆われた雑木林の様子です。2014年の2月に撮った写真です。
上の写真は雪がつもった小屋の光景です。
上の写真は夜の闇が雑木林に広がっている様子を窓から撮った写真です。
この写真は厳寒の夜に一番頼りになる有難い薪ストーブの写真です。
この写真は薪ストーブで暖まった部屋の中の写真です。
上の写真はやっと夜が明けて輝く近くの雑木林の光景です。
毎月、2回はこの小屋へ行きます。多くは日帰りですが、年に4回ほどは泊まります。
しかしこの1月に80歳になったので、つらい泊りは止めることにしました。この決心でホッとしました。いつも同行してくれていた家内も安心したと思います。
さて話は変わりますが、この小屋を作った頃、森敦の「月山」いう小説が第70回芥川賞を受賞しました。
話は「わたし」が月山のふもとにある注連寺という寺に居候して冬を越すという話です。
東北の月山の冬は雪深く寒いのです。主人公はお寺に残っていた和紙を張り合わせて蚊帳のような形のものを作り、その中で寝るのです。しかし寒さは忍び寄りまんじりともせず夜を過ごすのです。
この寺では昔深い雪で行き倒れになった行商人をミイラに作り「即身仏」としてお寺に祀ります。
そんなことを読むと寒さが一層身に沁みます。
「月山」は深い内容の美しい作品として忘れられない小説でした、
冬の夜に小屋に泊まる度にこの「月山」のことを考えていました。
そこで数日前から現在、「月山」はどのように評価されているかネットであれこれ検索してきました。
その結果、ある一つの評価文が優れていると思います。それは石橋正雄さんの読後感想文です。http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_4.html に掲載されています。
以下はその抜粋です。
・・・・さて、この作品を私なりに解釈すると、これは森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品である。
この作品では、月山を「死者の行くあの世の山」として描いている。即ち、現世とは隔離された異世界として、月山を、そして「山ふところ」にある七五三掛(しめかけ)というを捉えているのである。実際冬を迎えることで、この山中の地は雪や吹雪や霧により、下界と遮断されてしまうのだ。
そして、「わたし」はその異世界の中で数々の奇妙な体験をする。その中でも最たるものが、冬になってこの地にやって来た押売りたちが、吹雪の中で行き倒れになってしまうと、その死体をミイラにして観光の呼び物にする、という風習である(実際、注連寺では即身仏で有名な寺である)。・・・・以下省略。
さて話を表題の「非日常のつらい趣味・・・・」に戻します。
趣味は人それぞれ自由に何を選んでも良いのです。
しかし非日常の世界を求める人はかなり多いようです。
小さなヨットで南極まで航海した人。深い山に入って銃猟をする人。人の近づけない渓流に入って釣りをする人。つらい樹氷の雪山でスキーをする人。こんな極端なものでなくても趣味には努力が必要な要素が必ずあると思います。努力するから永続するのでしょう。そして努力するから楽しさが深まるのでしょう。
そんなことを想う今日、この頃です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
参考:森敦 「月山」 ――― 第70回(昭和48年)芥川賞受賞作品
http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_4.html
自分が何十年と続けた趣味は非日常の世界のものでした。そしてつらい趣味でした。つらいが故に楽しさが深まる趣味でした。
先日は、常に横転、沈没する恐れを感じながら帆走するヨットの趣味について書きました。
今日は深い、深い森の中に電気・水道・ガスの無い小屋を作り、そこへ通う趣味に関することを書きます。私はその趣味を42年間続けています。
人家の無い漆黒の闇の夜の小屋に泊まることは恐ろしいものです。厳寒の冬の一晩を過ごすことはつらい体験です。
まず下の写真をご覧ください。
甲斐駒岳の東側の写真です。ススキの原の向こう側に茫々と深い森が広がっています。
高冷地なので牧場も農地もありません。自然の雑木林が限りなく広がっているだけです。
そこに1974年に2部屋だけの小屋を作ったのです。
何故作ったのか思い返してみると理由が曖昧なのです。
徳の高い僧は方丈といって10尺四方の小屋に住むということに憧れたのかも知れません。などと恰好の良いことだけが理由ではありません。深い雑木林のなかで焚火をしながらビールを飲むという目的もありました。小屋の前には清い水が絶えず流れています。
そして電気・水道・ガスの無い小屋にローソクの光で静かな夜を過ごすのです。小川の水音が響き天上には満天の星が輝いています。
ロマンチックです。小屋を作って一年間くらいはローソクと石油ランプでした。しかし不便です。油煙が臭くていけません。そこでホンダの小型発電機を持ち込みました。
明るい電灯に感激します。それも3年ほど続けていると発電機のエンジンの音がうるさくなるのです。東京電力が延々と山の中まで電線を張ってくれました。また静かな夜が帰ってきました。
現在は水道とガスが無いだけです。この小屋で雪のある夜を過ごす様子を写真で示します。
上の写真は雪で覆われた雑木林の様子です。2014年の2月に撮った写真です。
上の写真は雪がつもった小屋の光景です。
上の写真は夜の闇が雑木林に広がっている様子を窓から撮った写真です。
この写真は厳寒の夜に一番頼りになる有難い薪ストーブの写真です。
この写真は薪ストーブで暖まった部屋の中の写真です。
上の写真はやっと夜が明けて輝く近くの雑木林の光景です。
毎月、2回はこの小屋へ行きます。多くは日帰りですが、年に4回ほどは泊まります。
しかしこの1月に80歳になったので、つらい泊りは止めることにしました。この決心でホッとしました。いつも同行してくれていた家内も安心したと思います。
さて話は変わりますが、この小屋を作った頃、森敦の「月山」いう小説が第70回芥川賞を受賞しました。
話は「わたし」が月山のふもとにある注連寺という寺に居候して冬を越すという話です。
東北の月山の冬は雪深く寒いのです。主人公はお寺に残っていた和紙を張り合わせて蚊帳のような形のものを作り、その中で寝るのです。しかし寒さは忍び寄りまんじりともせず夜を過ごすのです。
この寺では昔深い雪で行き倒れになった行商人をミイラに作り「即身仏」としてお寺に祀ります。
そんなことを読むと寒さが一層身に沁みます。
「月山」は深い内容の美しい作品として忘れられない小説でした、
冬の夜に小屋に泊まる度にこの「月山」のことを考えていました。
そこで数日前から現在、「月山」はどのように評価されているかネットであれこれ検索してきました。
その結果、ある一つの評価文が優れていると思います。それは石橋正雄さんの読後感想文です。http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_4.html に掲載されています。
以下はその抜粋です。
・・・・さて、この作品を私なりに解釈すると、これは森敦が自ら生まれ変わろうとするその姿を描いた作品である。
この作品では、月山を「死者の行くあの世の山」として描いている。即ち、現世とは隔離された異世界として、月山を、そして「山ふところ」にある七五三掛(しめかけ)というを捉えているのである。実際冬を迎えることで、この山中の地は雪や吹雪や霧により、下界と遮断されてしまうのだ。
そして、「わたし」はその異世界の中で数々の奇妙な体験をする。その中でも最たるものが、冬になってこの地にやって来た押売りたちが、吹雪の中で行き倒れになってしまうと、その死体をミイラにして観光の呼び物にする、という風習である(実際、注連寺では即身仏で有名な寺である)。・・・・以下省略。
さて話を表題の「非日常のつらい趣味・・・・」に戻します。
趣味は人それぞれ自由に何を選んでも良いのです。
しかし非日常の世界を求める人はかなり多いようです。
小さなヨットで南極まで航海した人。深い山に入って銃猟をする人。人の近づけない渓流に入って釣りをする人。つらい樹氷の雪山でスキーをする人。こんな極端なものでなくても趣味には努力が必要な要素が必ずあると思います。努力するから永続するのでしょう。そして努力するから楽しさが深まるのでしょう。
そんなことを想う今日、この頃です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
参考:森敦 「月山」 ――― 第70回(昭和48年)芥川賞受賞作品
http://ishibashimasao.at.webry.info/200503/article_4.html