趣味にはいろいろあります。海を帆走する危なげなヨットの趣味や、登山などの趣味は厳しさがあり克己心を必要とします。猟犬とともに銃を担ぎ人跡まれな山に入り彷徨する趣味もあります。老境が近づいても大型バイクに乗って山郷の山岳ロードを走る趣味もあります。
一方、分野を絞って文学作品を読み、研究して楽しむ趣味もあります。詩や和歌、俳句などを作って楽しむ趣味、音楽の演奏や美術の創作、鑑賞もあります。どれも知的な作業が必要です。
私は狭量にも趣味とは特別な非日常の世界に遊ぶという性質があり、努力と集中力が必要だと信じていました。
しかし80歳になり体力も知力も無くなると日常的な平凡なものでも味わいの深い趣味になることに気がついたのです。自分の愚かさに気が付いたのです。
その平凡な趣味の一つに「公園の散歩」というものがあります。
この誰にでも出来る散歩の趣味が意外に奥が深く味わいがあることに昨日やっと気が付いたのです。
一言でいうと、人生の平凡な時間のうつろいを大切にして、自然を愛し周囲の人の幸せを想うことが非常に重要だと悟ったのです。
昨日、埼玉県の秋ヶ瀬公園を家内と散歩しながらそんな想いにとらわれたのです。昨日の午後に撮った写真を示します。
この公園は広大なのです。端には田島が原という日本サクラソウの原生地があります。巨大なプラタナスやユリノキやメタセコイヤの樹木が亭々と聳えています。空気が新鮮で空が高く広いのです。
こんなに広い公園は首都圏では都立水元公園と国立昭和記念公園しか知りません。
話はそれますがその広さを示すために公園内の施設をご紹介します。
軟式野球場11面、ソフトボール場6面、サッカー場2面、ラグビー場1面、テニスコート22面、バーベーキュー場50区画、駐車場(977台)などがあるのです。
しかし公園があまりにも広いので散歩していてもこれらの施設がほとんど見えないのです。
見えるのは芝生の広場と大きな樹木だけなのです。
そんな樹木の中を歩いていると自然に人生のあれこれを想います。邯鄲の夢と思います。そして人生で一番大切なことは何かと考えます。
昨日は自然を愛し周囲の人の幸せを想うことが非常に重要なことだと思いました。
老境に至って初めてしみじみとそう思ったのです。
以前は仕事に打ち込むこと、素晴らしい成果を上げることが重要だと思っていたのです。自然の美しさを今ほど深く理解していませんでした。家族や友人を大切にするのを怠って自分の専門分野に埋没していたのです。それは恥ずかしい生き方でした。公園を歩きながら樹木の姿を見ているとしみじみそう思います。
「公園の散歩」も趣味として味わい深いと感じたのです。これも体力も知力も衰えたおかげで理解出来たことです。
ですから日常的で平凡な趣味の中にも人生の大切なものが隠されていると言ってもそんなに間違いでないと思います。
賢い方々はそんなことを始めからご存知です。愚かな私の独り言を書いたに過ぎません。失礼しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
一方、分野を絞って文学作品を読み、研究して楽しむ趣味もあります。詩や和歌、俳句などを作って楽しむ趣味、音楽の演奏や美術の創作、鑑賞もあります。どれも知的な作業が必要です。
私は狭量にも趣味とは特別な非日常の世界に遊ぶという性質があり、努力と集中力が必要だと信じていました。
しかし80歳になり体力も知力も無くなると日常的な平凡なものでも味わいの深い趣味になることに気がついたのです。自分の愚かさに気が付いたのです。
その平凡な趣味の一つに「公園の散歩」というものがあります。
この誰にでも出来る散歩の趣味が意外に奥が深く味わいがあることに昨日やっと気が付いたのです。
一言でいうと、人生の平凡な時間のうつろいを大切にして、自然を愛し周囲の人の幸せを想うことが非常に重要だと悟ったのです。
昨日、埼玉県の秋ヶ瀬公園を家内と散歩しながらそんな想いにとらわれたのです。昨日の午後に撮った写真を示します。
この公園は広大なのです。端には田島が原という日本サクラソウの原生地があります。巨大なプラタナスやユリノキやメタセコイヤの樹木が亭々と聳えています。空気が新鮮で空が高く広いのです。
こんなに広い公園は首都圏では都立水元公園と国立昭和記念公園しか知りません。
話はそれますがその広さを示すために公園内の施設をご紹介します。
軟式野球場11面、ソフトボール場6面、サッカー場2面、ラグビー場1面、テニスコート22面、バーベーキュー場50区画、駐車場(977台)などがあるのです。
しかし公園があまりにも広いので散歩していてもこれらの施設がほとんど見えないのです。
見えるのは芝生の広場と大きな樹木だけなのです。
そんな樹木の中を歩いていると自然に人生のあれこれを想います。邯鄲の夢と思います。そして人生で一番大切なことは何かと考えます。
昨日は自然を愛し周囲の人の幸せを想うことが非常に重要なことだと思いました。
老境に至って初めてしみじみとそう思ったのです。
以前は仕事に打ち込むこと、素晴らしい成果を上げることが重要だと思っていたのです。自然の美しさを今ほど深く理解していませんでした。家族や友人を大切にするのを怠って自分の専門分野に埋没していたのです。それは恥ずかしい生き方でした。公園を歩きながら樹木の姿を見ているとしみじみそう思います。
「公園の散歩」も趣味として味わい深いと感じたのです。これも体力も知力も衰えたおかげで理解出来たことです。
ですから日常的で平凡な趣味の中にも人生の大切なものが隠されていると言ってもそんなに間違いでないと思います。
賢い方々はそんなことを始めからご存知です。愚かな私の独り言を書いたに過ぎません。失礼しました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)