老境にいたり我が人生を振り返ると、恥多き人生だったとしみじみ思います。
才能の無いことを自覚したり、単に根気が続かなかったりして投げ出した趣味は幾つもあります。全く自分の不甲斐なさに呆れています。恥ずかしいです。
高校時代にクラシックギターを上手に弾く友人がいました。フルートを吹く友人もいました。ああ、なまの楽器の音は良いものだと感激し、自分もバイオリンを買い、音楽の先生の家に通いレッスンを受けました。
それは大学一年生の頃でした。もう鬼籍に入ってしまった叔父が昔バイオリンをしていたので家にホーマンの教則本がありました。
レッスンでは音楽の先生のピアノに合わせて、鈴木の教則本を一曲一曲と仕上げて行ったのです。そして第三巻まで進みました。
バイオリンでは片手の指先で弦を押さえ、一方の手で弓を引いて音を出します。
弦を押さえる手がサードポジションの位置に変える段階で立往生してしまったのです。
音楽の先生はピアノで伴奏をしながら声をかけて指導してくれます。
サードポジションの段階で自分が音感の無いことに気が付いたのです。それはビバルディのバイオリン協奏曲のほんの一小節でした。
音楽の先生はいろいろ励ましてくれましたが私はスッパリと止めてしまったのです。
登山のほうは大学院の1年生の時、北アルプスの中房温泉から登り、燕岳、大天井岳、槍ケ岳、南岳、大キレット、穂高岳と縦走し上高地に降りて来ました。
そしてその翌年に南アルプスの地蔵岳から薬師岳と縦走し、夜叉神峠におりてきました。芦安温泉に一泊し甲府に出ました。
その数年後に甲斐駒岳や八ヶ岳に登りました。しかし南アルプスを縦走した帰りの列車のなかで私は登山を趣味にすることを止めることにしたのです。2度の短い縦走があまりにも苦しかったのです。体力が登山には無さ過ぎたことを自覚したのです。
登山を趣味にすることはキッパリと止めて、山にハイキングに行くことに変えたのです。それは敗北でした。
盆栽の趣味は中年になってから始めました。
盆栽に植える木の種類はいろいろありますが、私は平らな鉢にクヌギの林を作った盆栽に挑戦しました。小さくて細いクヌギの木が10本くらい植えてあり、それは武蔵野の雑木林のように見えるのです。
ところが水のやりすぎで葉が茂り大きくなり過ぎて、とても武蔵野の雑木林どころではありません。伸びた枝を剪定しますが幹が太くなり過ぎてダメです。盆栽の本を買って勉強もしました。盆栽を何度も買って来ては水の量や剪定の仕方を変えてみましたが、何度やっても失敗です。美しい雑木林がすぐに汚い藪になってしまうのです。止めました。盆栽は根気と繊細な剪定技術が必要なのだと熟知して止めました。どちらも自分には欠落している才能なのです。
このように私は挫折して、ヴァイオリや登山や盆栽の趣味を止めてしまったのです。
恥ずかしい話ですが、これらの趣味を少しだけしたので、その後の人生が少しだけ豊かになったと思います。
例えばテレビにオーケストラの演奏があると第一バイオリンや第二バイオリンの弾き方をしげしげと見ます。地味なビオラの音色に魅了されます。そして弾いている人を尊敬します。そうすると交響楽が一段と深く楽しめるのです。
時々はテレビで冬山の登山の場面が出て来ます。登っている人の苦しさが分かるのです。登りきった人の感動がよく分かるのです。
盆栽展があちこちにあることに気がつきます。いろいろな盆栽を見て、古木のような根張りや幹の皺に感動します。その樹木に花が咲くのです。感銘を受けます。
ここで3枚の写真を示します。菊の花の盆栽と梅の花の盆栽です。
盆栽の魅力は花と幹の両方にあるのです。幹や枝の曲がり具合が長い年月の経過を感じさせるのです。悠久の時の流を暗示しているのです。しかもそんな老木にも花が咲いているのです。感激です。
こんなことを書くのは自分の根気の無さの負け惜しみのようです。しかし人生でいろいろな趣味に挑戦することはあながち無駄とは言えないと思います。
皆さまはどのような趣味を途中でやめられたでしょうか?それも又人生の一齣ですね。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)