後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「夏祭りいろいろ(3)郡上八幡の盆踊り祭り」

2023年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム
10年ほど前に岐阜県の郡上市の「郡上八幡の盆踊り」を見に行きました。
人がいっぱい楽し気に踊っている光景に圧倒されました。郡上の市役所の女性が駒下駄をカラカラと響かせて踊っています。観光客も加わって踊っています。賑やかで楽しい盆踊りです。木曽の谷間に盆踊りの唄が木霊しています。
その上、踊りの振り付けが洒脱で軽妙です。曲も楽しいのです。例えば「春駒」という踊りはいかにも可憐で躍動感に満ちて居ます。
ほかにも「ヤッチク」「げんげんばらばら」など歌詞も曲も面白いものです。郡上八幡に住んでいる人々の創意工夫が溢れています。
昔、連歌師の宗祇が滞在していた影響もあって風流な雰囲気の町です。
その宗祇を記念して「宗祇水」という水場が町にあります。
盆踊りは騒がしい踊りですが、下品ではありません。踊りに参加している人々の楽しそうな顔を見て居るとこちらも楽しくなります。そんな郡上八幡の盆踊りの写真をお送り致します。

さて郡上市で大切にしている「宗祇水」とは 日本名水百選の第一号に指定された湧水です。天然ミネラルが豊富に含まれる清らかな味わいの名水です。古来より生活用水として郡上の生活を支えてきた泉の水です。 
1471年に連歌師の宗祇(そうぎ)とこの地の領主であった東常縁(とうつねより)が泉のほとりで歌を詠み交わしました。歌の中で「白雲」と詠われたことから、白雲水という別名もあり示します。「宗祇水」の写真を示します。
この宗祇水の写真の出典は、 https://thegate12.com/jp/spot/1665 です。
郡上の城下町としての歴史は永禄2年(1559)に遠藤盛数によって八幡山の頂上に城が築かれたことにはじまります。 時は室町時代の後期、戦火のくすぶる時代でした。 4代城主遠藤慶隆は城下町の整備に力をいれ、神社の建立や寺院の開基につとめました。城は町から遥かに見上げる山の上にありました。こんなに城と町が離れている城下町は珍しいと思います。
写真で郡上八幡の城と遥か下に広がる郡上市の町並みを示します。
最後にこの郡上市の位置などを説明します。
岐阜県のほぼ中央にあり、隣接する町は高山市です。北に行くほど標高が高くなっています。長良川に沿っています。人口の多くは旧郡上郡の政治・経済の中心である八幡町に集中しています。
気候は雪地帯であり、天気予報では岐阜県飛騨地方といいます。要約すると飛騨地方のこじんまりした静かな城下町です。いつもは静かですが盆踊りの季節だけは大賑わいになります。

今日は「夏祭りいろいろ」の(3)として郡上八幡の盆踊りをご紹介致しました。あわせて郡上市のいろいろを少し説明致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「夏祭りいろいろ(2)風に揺れる仙台の七夕飾りの美しさ」

2023年07月04日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナ問題で2年間休んでいた仙台の七夕は今年は例年どうり8月6日(日)~8月8日(火)の3日間開催されます。 期間中は24時間七夕飾りを見られます。 笹飾りは、仙台駅前~中央通り、一番町通りのアーケード街にかけて飾られます。 仙台駅から徒歩圏内が会場です。その他の商店街でも住宅でも思い思いの飾りを笹にかざり楽しんでいます。
私は仙台生まれ、仙台育ちなので幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出すのです。
結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕を見に帰りました。父母が健在だったあいだは毎年仙台に帰省していました。
ですから七夕飾りは私の故郷の光景として心の中に焼き付いています。
それではその七夕飾りが夏風に揺れている以前の七夕の風景写真をお送りいたします。

1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/35196915.html です。
2番目の写真の出典は、、http://colocal.jp/news/35321.html です。
3番目の写真の出典は、http://www.hoso0907.com/blog/archives/2007/08/09-021827.php です。
4番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/kokomo21jp/33777367.html です。
5番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/kuwayamatadashi です。

これらの写真が示すように七夕飾りが風に揺れ、その下を家族連れが楽しそうに歩いています。帰省した私も妻や子供たちを連れて歩いた思い出がよみがえって来ます。
夏ですから東一番丁や大町通りは暑いのです。通りの両側にはかき氷やアイスクリームを売る店があります。家族連れが座って、団扇であおぎながらかき氷を食べています。
そして何処からともなく、さとう宗幸の「青葉城恋唄」が流れて来ます。
その声は、 https://www.youtube.com/watch?v=u-GYBCktieU  から聞けます。

広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬(はやせ)躍(おど)る光に 揺れていた君の瞳
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 流れの岸
瀬音(せおと)ゆかしき 杜(もり)の都
あの人は もういない

七夕の飾りは揺れて 想い出は帰らず
夜空輝く星に 願いをこめた君の囁(ささや)き
時はめぐり また夏が来て
あの日と同じ 七夕祭り
葉ずれさやけき 杜の都
あの人は もういない

この唄は星間船一が作詞し、さとう宗幸が作曲したのです。仙台在住のさとう宗幸が仙台の広瀬川と七夕飾りを唄ったのです。
さて、七夕飾りにちなんだもう一つの詩と唄をご紹介します。七夕の夜、亡くなってしまった父と妹に再開したという詩です。

「ブラザー軒」  菅原克己作詞、作曲と歌、高田渡

東一番丁、ブラザー軒
硝子簾がキラキラ波うち、
あたりいちめん
氷を噛む音。
死んだおやじが入って来る。
死んだ妹をつれて
氷水喰べに、

ぼくのわきへ。
色あせたメリンスの着物。
おできいっぱいつけた妹。
ミルクセーキの音に、
びっくりしながら。
細い脛だして
細い脛だして
椅子にずり上がる
椅子にずり上がる

東一番丁、ブラザー軒。
たなばたの夜。
キラキラ波うつ
硝子簾の、向うの闇に。

これは昭和二十年七月十日の、仙台空襲の犠牲者を悼む詩とも言われています。
仙台出身の詩人、菅原克己も、唄った高田渡も既に旅立ってしまいました。
ブラザー軒は仙台市の一番丁に明治35年(1902年)からあった洋食店でした。当時2階建ての洋風建築と西洋料理というハイカラさが評判で大変繁盛したのです。
長い間営業していたのですが、2011年3月11日の東日本大震災でレストラン部分が壊れ2015年5月に廃業しました。ハイカラな「ブラザー軒」は仙台の人々の憧れでした。
この店は、太宰治の小説「惜別」の中でも名前が出てくるそうです。
「惜別」は、明治37年9月から一年半、東北大学医学部で学んでいた若き日の魯迅(当時23才)の青春を描いた作品です。

今日は仙台の七夕飾りの写真をお送りいたしました。
そして「青葉城恋唄」と「ブラザー軒」をあわせてご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)