私共は1963年に留学さきのオハイオ・コロンバスで結婚しました。1964年に帰国して新婚旅行のように箱根への旅をして「山のホテル」に泊まりました。新婚の妻は美しく初々しい女性でした。性格が素直で優しい人でした。おれから茫々60年余です。妻は随分老いましたが、素直で優しい心はかなり残っています。
それはさておき、今日は新婚の頃に泊った箱根の「山のホテル」をご紹介いたします。
「山のホテル」は芦ノ湖の岸にあり見下ろすと碧い湖が見え、目を転ずると美しいツツジの庭の向こうに雪を頂いた富士山が見えるのです。まさに絶景の場所に建っているのです。
この「山のホテル」へは其の後何度も行きました。箱根に行くたびに昼食を食べました。名物の庭園からツツジの苗も買って来て毎年楽しんでいます。
1番目の写真は箱根の山のホテルから買って来たツツジの花です。庭に植えてから10年以上になります。高さ20センチ位の小さな苗でしたが大きく育ち毎年美しく咲きます。見る度にホテルの洒落た雰囲気や美味しかった料理・パン、スタッフの親切だったことなどが心に浮かびます。
そんな訳で箱根の山のホテルにはいろいろな思い出があります。そこで山のホテルの歴史をご紹介致したいと思います。
『山のホテル』がオープンしたのは、1948年(昭和23年)5月15日。新緑が輝き、初夏の風に芦ノ湖の湖面が揺れる、美しい日がホテルの誕生日となりました。
国際観光株式会社が、岩崎小彌太男爵の箱根の別邸を買い取り、ホテルとしてオープンしました。芦ノ湖畔では箱根恩賜公園に次ぐ景観を誇り、見事なツツジ、シャクナゲ庭園を擁する別邸は、ホテルとしての魅力にあふれていたのです。
2番目の写真は1948年(昭和23年)の箱根の山のホテルです。1964年に私どもが泊った「山のホテル」はこの建物でした。この写真から7番目の写真まではインターネットからお借り致しました。
さて『山のホテル』の地は、そもそも三菱の創業者岩崎彌太郎の甥である岩崎小彌太男爵(1879〜この1945年)の別邸が建てられていたところでした。1911年(明治44年)に建てられました。
土地は10万坪。これほど広い土地を確保したのは、自身がケンブリッジ大学に留学していたときに覚えた狩猟を存分に楽しむためだったといわれています。
別邸は、完成して1年ほどで火災のため焼失。その後、ジョサイア・コンドル設計の建物が建てられました。残念ながら、石造りの2階建洋館のこの建物は関東大震災(1923年)によって崩壊しましたが、翌年、コンドル設計の建物をほぼ再現する形で木造で建て替えられました。
別邸庭園には、約3000株のツツジと約300株のシャクナゲが植えられ、5月ともなるとツツジが、そのあとを追うようにシャクナゲが咲き誇りました。これらの花も、別邸を建築する際に植えたもの。
また男爵は、庭園をつくる際、大自然を巧みに取り入れ、西側を眺めると、富士山に向かってツツジが駆け上るように配され、南側に目を転じると芦ノ湖に流れ込むようにツツジが植えられています。
それでは現在の山のホテルの写真を示します。
3番目の写真は現在の箱根の山のホテルです。庭いっぱいに色とりどりのツツジの花が咲いています。
4番目の写真は西の方を見ると雪を頂いた富士山が見えます。
5番目の写真は山のホテルの蘆ノ湖が見える屋外レストランです。
6番目の写真は山のホテルのロビーです。
7番目の写真は客室です。
今日は新婚の頃に泊った箱根の「山のホテル」をご紹介いたしました。
「印象深いホテル」という連載記事はここで一休みしたいと思います。続編では横浜グランドホテル、知床ホテル、伊豆急ホテル、高松のホテルなどをご紹介したいと思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)