後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「感動的な旅(3)北海道開拓村の雪景色とアイヌ民族の運命」

2023年07月26日 | 日記・エッセイ・コラム
札幌への観光旅行は何度か行きました。ある時、郊外にある北海道開拓村を訪れました。明治の北海道開拓時代の札幌の街並みや北海道各地の古い建物が移築され展示してありました。政府が建てた役所は堂々として立派ですが一般の民家は木造の小さな家です。
行った日は秋晴れでした。しかし冬の北海道は寒く貧しく厳しい生活だったろうと思い暗い気持ちになったことを覚えています。
何年か前の曾遊の地の北海道開拓村の雪景色の写真をお送りいたします。2番目の写真以外の5枚の写真の出典は、https://bunblo09.exblog.jp/30617618/ です。2番目の写真の出典は、https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2345/ です。
1番目の写真は北海道開拓村の中心の大通りです。通りの左右に明治の北海道開拓時代の建物が移築されています。当時の札幌の街の雰囲気です。
2番目の写真は北海道開拓村の馬に引かれた乗り合い橇です。開拓村では冬の体験をさせる企画がいろいろ行われています。
3番目の写真は立派な政府の建物です。日本が本気で北海道を開拓しようという意気込みが感じられます。
4番目の写真は北海道開拓時代の一般の民家です。
5番目の写真はキリスト教の小さな教会です。
6番目の写真は雪深い北海道開拓村の中心の大通りです。北海道らしく寒々とした風景です。
これらの北海道開拓村の雪景色を見ると南から北海道に移住し開拓に努力した明治の人々の苦労が偲ばれます。北海道の開拓は生易しいものではなかったのです。
しかし一方、そこに平和に住んでいたアイヌ民族にとっては日本人による開拓は悲劇の始まりでした。アイヌ民族の人権は蹂躙され生活が困窮し始まったのです。
現在の北海道には人々が豊かな暮らしをしています。幸せな土地になりました。しかしアイヌ民族の悲劇的な運命を私は忘れることが出来ません。
北海道には明治32年から平成9年、1997年まで北海道土民保護法という法律が存在していました。
具体的には 次のことを実行するための法的根拠だったのです。
1、アイヌの土地の没収
2、アイヌの収入源である漁業・狩猟の禁止
3、アイヌ固有の習慣風習の禁止
4、日本語使用の義務
5、日本風氏名への改名による戸籍への編入
1997年5月の〈アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律〉(略称,アイヌ文化振興法)の成立にともない廃止となりました。
しかし北海道土民保護法は長い間、アイヌ民族の人権を蹂躙しアイヌ民族の財産を収奪して来たのです。1997年の廃止は遅すぎました。
明治の開拓以後は次第に伝統的なアイヌ民族の文化が消えて行きました。北海道開拓のために入植した日本人によって土地を奪われ、狩猟を禁止され、川を遡るサケを捕ることさえも禁じられたのです。アイヌの村落は貧しい生活を強いられていました。
しかし、第二次大戦中までは北海道にはアイヌ人達だけの村落があちこちにあったのです。
そして、昔アイヌ村落のあった日高の平取や白老、そして旭川の郊外などには現在は民族博物館があります。
アイヌ村落を復元した展示もあります。特に白老の国立アイヌ民族博物館は2020年7月からウポポイというアイヌ民族の芸能や生活を再現して見せる活動を大規模に実施しています。
以前、北海道・日高の平取町二風谷で、町営のアイヌ歴史博物館を見ました。その向かいには、純血のアイヌ人が個人的に経営しているアイヌ文化の博物館もあります。
アイヌ民族と和人は縄文時代までは一緒で同じでした。弥生時代以後、和人とアイヌ民族は離れ離れになり独自の文化を育てていったのです。この話は長くなるので止します。

今日は北海道開拓村の雪景色の写真を6枚示しました。そしてアイヌ民族の悲劇的な運命を少しご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)