映画の『ゴッドファーザー』は、1972年に公開されたアメリカ映画です。監督はフランシス・フォード・コッポラでした。
家族の愛と絆、義理と人情、忠誠と裏切り、金と権力などが交錯するなかで揺れ動く人生の機微や人間社会の模様をイタリア系移民の裏社会を通して描き出した映画でした。私は映画に描かれた愛と人間の絆に感動しました。
当時多くの日本人もこの映画を絶賛していました。私の忘れえない映画です。
それ以来、ゴッドファーザーという言葉を知りました。
そこで今日はカトリック宗派におけるゴッドファザーと神父の役割について具体的な実例を用いて説明しようと思います。
ゴッドファザーは日本語では代父と言います。男性が洗礼を受ける時の付添人であり洗礼の証人でもあります。女性が洗礼を受ける場合はゴッドマザー、代母が付添います。
1971年に私は洗礼を受けました。カトリック立川教会の塚本金明神父さまから受けました。そのときの代父、ゴッドファーザーは山本大二郎氏でした。
山本氏は東京のある大学の教授をしていた化学者でした。多くの専門書を書かれた学者でした。
この代父の山本氏の趣味は奥多摩の花の写真を撮ることでした。その写真を毎年、年賀状につけて送ってくださっていました。山本氏が1982年に講談社から出版した「奥多摩の花」という本の表紙を示します。
1番目の写真は山本氏の「奥多摩の花」という本の表紙です。
偶然のことですが山本大二郎氏のご子息の山本量太郎氏が2000年に私どもの小金井教会の主任司祭として着任なさったのです。
山本量太郎神父さまは2010年まで10年間、小金井教会の主任司祭をして、その後はカトリック関口教会の主任司祭になりました。現在は成城教会の司祭です。
その彼が2015年の11月23日の小金井教会40周年記念ミサに来てくださったのです。
2番目の写真は聖なるパンを信者に渡してる山本量太郎神父さまです。
3番目の写真は関口教会で山本神父司式によるある結婚式の写真です。
4番目の写真はカトリック成城教会です。
私どもは2019年の10月13日に成城教会の山本量太郎司祭のミサに参加しました。
山本神父はお茶目で親しみやすい神父でした。以下のお言葉をご覧下さい。
・・・ところで私は、司祭になって今年で38年になります。区切りとなるような年数には達していませんが、それでも自分の叙階記念日がやってくると、司祭にしていただいた日のことを思い出します。1977年11月3日、文化の日、その日は確か木曜日でしたが、私はここ東京カテドラルの大聖堂で白柳大司教さま(当時)から、岩崎尚師(故人)、門馬邦男師とともに司祭に叙階されました。そして、三日後の日曜日、出身教会の立川教会で初ミサがあり、お祝いの席には、その前年まで立川教会の主任司祭を長く務められた塚本金明神父さまも来てくださいました。
塚本神父さまからその時いただいたお言葉が今でも忘れられません。神父さまはこうおっしゃったのです。
「山本君、君は学生の頃、パチンコが大好きだったね。もしかしたら、自分でもうまいと思っていたのではないかな。でもね、パチンコが本当に上手だったのは神さまなんだよ。神さまは、君という玉をはじいて司祭という穴に見事入れたんだからね」。
その時は正直なところみんなの前で旧悪をあばくようなことを言わなくてもいいのにと思いましたが、年を経るほどにありがたさを強く感じるようになりました。・・・以下省略。
今日説明したかったことはカトリックの代父、ゴッドファーザーと神父の役割の重要性を指摘したかったのです。そして名作映画の題名の「ゴッドファーザー」の意味を説明したかったのです。
この代父、ゴッドファーザーと神父はプロテスタント系のキリスト教では重要視されていません。
ロシア正教やイギリスの聖公会のような伝統的な宗派では重要な存在なのです。
プロテスタント系の新しい宗派では神やキリストと人間との直接的な関係を重要視するのでゴッドファーザーや神父のような介在人を重要視しなのです。一言でキリスト教徒と言っても違いもあるのです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)