後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「今日はクリスマスイブ、キリスト教を伝えたザビエルの日本での活躍」

2024年12月24日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はクリスマスイブです。考えるとキリスト教を日本へ最初に伝えたのはザビエルです。1649年のことでした。それ以来キリスト教は少しずつ日本の社会に影響を与えてきました。
現在、日本のキリスト教の信者の総数は人口のわずか1,1%で191万人です。数は僅かですが現代の日本社会の精神文化の基盤文化の一つとして重要です。キリスト教は日本人の考え方に深い大きな影響を与えているのです。
その影響は、ショーン・アンダーソン著の「キリスト教の日本に対する影響 」に詳しく書いてあります。(https://core.ac.uk/download/pdf/197303702.pdf)
1549年に日本に来たザビエルは、本国へ手紙を送りました。
「この国の人々は今まで発見された中で最高の国民であり、彼らより優れている人種は、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心が強く、何より名誉を重んじます」

今日はフランシスコ・ザビエルが日本に残した足跡をたどってみます。
https://adelante.jp/noticias/blog/francisco-javier-en-japon/ に掲載されている資料を参考しました。
ザビエルは1506年にナバラ王国のハビエル城で5人兄弟の末っ子として生れました。当時、ナバラ王国はスペインとフランスとの間の紛争地で戦乱が続く激動の時代でした。
19歳でパリ大学に留学します。哲学を専攻します。大学でイグナチオ・デ・ロヨラと出会い、その影響で聖職者を目指すようになります。
そして、ロヨラ、ザビエルを含む7人でイエズス会を創立したのです。イエズス会は以後、世界での宣教活動を進めました。一方この頃、ヨーロッパでマルティン・ルターがカトリック教会に対する抗議文を書いたことを発端に、プロテスタントが急速に勢力を持ち始めていました。宗教改革の時代だったのです。
カトリックの勢力を維持拡大するため、ポルトガル王ジョアン3世の依頼を受け、イエズス会の他の宣教師とともにザビエルはインドのゴアへ向かいます。ゴアやマラッカなどで活動を続ける中、ザビエルは弥次郎という日本人に出会います。弥次郎から日本の話しを聞いて興味を持ったザビエルらは、弥次郎の導きで鹿児島に上陸します。宣教師として1549年に鹿児島に上陸したのです。

鹿児島では領主の島津貴久に許可を得て布教を開始します。
その後、キリスト教を迫害する動きが鹿児島で生まれたため、1550年長崎からポルトガル船に乗って平戸に移住します。そして、さらなる信者の獲得のため、山口を経由して、布教と天皇への謁見のため京都に向かいます。
しかし、戦乱で都は荒れ果て、天皇との謁見も叶わず、失意の中、1551年に山口に戻ります。そこで中国地方を支配していた有力な大名の大内義隆から布教の許可を得て、廃寺であった大道寺を拠点として活動を始めます。山口では毎日町の中心の井戸の近くで説教をしたそうです。
ザビエルが山口に滞在したのはわずか半年ほどでしたが、その半年で500人以上もの信者を獲得しました。山口での活動が軌道に乗り始めたので、ポルトガル船で豊後(大分)に向かい、大分で活動を始めます。
しかし日本での布教には日本に影響の強い中国での布教が不可欠と考えたザビエルらは1552年インドのゴアに戻り、そこから中国に向かいます。しかし中国の鎖国政策で入国できず、上川島で入国の機会を待つうちにザビエルは病気のため同年47歳で亡くなりました。
ザビエルが山口にいたのは半年ほどだけでしたが、山口に与えた影響は大きかったようです。
ザビエルの来日、400周年を記念として、1952年に山口サビエル記念聖堂が建てられています。1991年に火事で消失したものの、イエズス会や信者、一般市民の援助を受けて1998年に再建されています。従って山口には立派なサビエル記念聖堂があるのです。
さらにザビエルらの布教の拠点となった大道寺の跡地には聖サビエル記念公園が作られています。そして毎年11月3日には山口スペインフィエスタが開かれ、ザビエルと大内氏の大きな人形が登場したり、スペインにまつわるイベントや屋台が楽しめるそうです。

また、京都に来た際にザビエルらが立ち寄った大阪の堺にもザビエル公園があります。ザビエルらを手厚くもてなしたとされる豪商日比屋了慶の屋敷跡に作られた公園で、公園開設がザビエル来航400年の年だったためザビエルの名が着けられたそうです。
ザビエルが日本に滞在したのは2年半ほどだけでした。しかしこの短い期間に、鹿児島、平戸、山口、京都、山口、大分と移動して布教活動を精力的に続けたのです。
その後インドに戻り、すぐに中国での布教へ向かったエネルギーとキリスト教への信仰心には驚くべきものです。
ザビエルは傑出した人でした。日本に深い影響を与えた西洋人の一人でした。ザビエルは, 1506年に生まれ 1552年に亡くなりました。享年46歳でした。長生きしたらもう一度日本に来て日本の土になったことでしょう。嗚呼。

今日の挿絵代わりの写真は以前に訪れた五島列島の教会の写真です。教会の写真の出典は、
https://www.welcomekyushu.jp/article/?mode=detail&id=93 です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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