後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

梅雨へ逆戻り、快晴の北海道の写真をお楽しみ下さい

2009年07月20日 | 写真

「富良野健康生活」というブログの あとみんさん からは時々素晴らしい風景写真をお借りして元気を頂いています。ご主人と性格の良いワンチャンと3人で健康生活です。いかにも北海道らしい写真がいつも掲載されているブログです。URLは、http://furano2008.blog95.fc2.com/ です。

昨夜、メールでお願いして2枚の掲載許可を頂きましたのでご紹介いいたします。富良野の青い山並みと夏の積乱雲です。空気が青く透き通っていて本州の空気と違いますね。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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何故か上海が気にかかる、そして狼皮のスイーツマンさんの作品を再び考える

2009年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム

19世紀から欧米の租界があった上海は混沌とした都市として栄えた。いろいろな国の人々が住みついていた。そんな時代の上海のことを書いた本を昔から沢山読んでいた。そして1982年に上海に行き、錦江飯店に数日泊まる。

1920年代の上海にはジャズが流行っていたという。

1982年に行ったときもホテルのフロアーで観光客相手のジャズバンドがスローテンポで弾いていた。オハイオ州から来たというアメリカ人とダンスをした。植民地風の建物の並ぶバンド地区も散策した。その数年後にまた行ったら、高架の高速道路が走り、浦東地区には大型商業施設も出来、すっかり近代的な街になっていた。上海の近郊には日本の援助で宝山製鉄所もできている。ある時は揚子江の中流から一晩かけて上海近くまで船で下って来たこともある。

何故か上海と聞くと心が騒ぐ。

昨日、狼皮のスイーツマンさんのミステリー小説をご紹介した。その小説には1920年代の上海の様子が描写されている。下にその一部を引用する。

・・・・・上海の街路は急に幅が広くなったり狭くなったりする。このでたらめな規格の道路を縫って路面電車が窮屈そうに走り抜けていく。路面電車を追い越していくリムージンには、シナモンと叔母君、さらには見送りに行くといって乗り込んできた近所の有閑夫人たちの姿があった。リムージンを運転しているのは叔母君だ。シナモンは名残惜しそうに車窓から街並みを眺めていた。
 黄浦江左岸の船着き場をバンドという。バンドは上海の金融街であった。サッスーンハウス(現在の和平飯店)、上海海館などの石造建築物群が建ち並ぶ。石造建築物群にはネオバロック様式、ネオルネッサンス様式、アン女王復古様式などがあり、英領植民地に多く建造されたものだ。
 人や車で麻痺した街路を警官達がてきぱきと誘導する。警官達は中国人のほかに、インド人、ベトナム人、ロシア人といった外国人もいた。インド人はイギリス人が、ベトナム人はフランス人が植民地から呼び寄せ雇った。ロシア人はロシア革命で亡命してきた没落貴族だった。
 上海の空気は淡いセピア色で、市街地の南を流れる黄浦江は、セピア色をもっと濃くした土色をしている。黄浦江を誰も大河だとはいわない。けれども、大型船が何十隻も停泊できるほどの川幅と水深を有している。米英列強は、租界にいつ襲いかかってくるか判らない中国政府軍や反乱軍に備えて、何隻かの巡洋艦を黄浦江の真ん中にたえず停泊させていた。・・・・・・

このミステリー小説は殺人事件の謎解きの面白さだけではない。1920年代前後のイギリスや中国の歴史が活き活きと描かれている。

第一次大戦中にはイギリスの諜報機関がアラビアのロレンスをペルシャに送りこみ敵国ドイツの同盟国トルコを牽制させたことも書いてある。それを下敷きにして、イギリスの諜報機関から中国へ派遣され日本軍の様子を伺っていた考古学者が重要な役で登場する。

一方、蒋介石の中国では各地に軍閥が居て「将軍様」と呼ばれて地方を統治していた。ある軍閥は日本軍と関係を結び、後の上海事変に続く、中国侵攻の足がかりになっていた。そんな背景もこのミステリー小説にはきちんと織り込んである。日本軍に招待された「将軍様」も登場するのだ。

すぐれたミステリー小説とは描いてある歴史や文化も興味深い。

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」(http://r24eaonh.blog35.fc2.com/)もその様なミステリー小説なのです。上海の興味のある方へお勧め致します。(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人


今日の夕焼けの写真、そしておやすみなさい、

2009年07月19日 | 写真

今日は近所の商店街でささやかなな納涼まつりがあり、阿波踊りを見てきました。若い娘たちが上品に踊っていました。富山、八尾の風の盆を思い出しました。

帰りに夕焼けが美しかったので写真を一枚お送りします。   撮影   Mrs.藤山

もう、夜の10時過ぎですね。  おやすみなさい

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現在、日本にある飛行船をご紹介いたします

2009年07月19日 | 写真

以下の記事は2008年11月19日掲載記事ですが、今日の「狼皮のスイーツマン」さんの作品に関係しますので、再掲載いたします。

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帆走子さんは「ロスミナの風」という楽しいブログ( http://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/を書いていらっしゃいます。その中で飛行船の短い紹介記事を見つけました。

小生も昔から飛行船にあこがれていました。夢のような空の乗り物です。

そこで、株式会社日本飛行船のHPを色々調べてみました。埼玉県の桶川にある本田飛行場を営業基地にして、全国を回っている飛行船を運行している会社です。今日は関西の空にいますが、東京の上空でもよく見かけます。そのHPから美しい写真を転載致します。

上の左は第一次大戦以前に開発されたツェッペリン号で、右は1916年に所沢から大阪へ飛んだ軍用飛行船「雄飛号」の写真です。

下の写真は現在、日本の空を飛んでいる、ツェッペリンNT号の写真です。お楽しみ頂ければ幸いです。写真は全て株式会社日本飛行船のHPを出典としています。(http://www.nac-airship.com/ )

(終わり)

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アールヌーボー・華麗な飛行船の世界

2009年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、優れた文学作品をブログで発表している「狼皮のスイーツマン」さんとメールの交換をして、作品の一部の転載許可を頂きました。

1920年頃から1930年頃の上海に住んでいる色々な国籍の人々。当時新しく登場した空に浮かぶ船・飛行船の旅、アールヌーボーの内装、そして飛行船内で起きる殺人事件。

ミステリー小説ですが登場人物の人間性を丁寧に描き上げた小説です。それに第一次世界大戦と第二次大戦の間に咲いた上海文化の見事な記述。色々な視点からも興味深い作品です。是非、お読みになってお楽しみ下さい。以下にその抜粋と挿絵を転載致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人

===========狼皮のスイーツマン著==========

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伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」(http://r24eaonh.blog35.fc2.com/

そのストーリー

可憐でお茶目なレディー・シナモンは18歳の誕生祝いに父君から飛行船シルフィーの搭乗券を贈られます。飛行船シルフィーはアールヌーボー様式を採用した天空の美術館のようでシナモンはご機嫌です。ところが、その飛行船シルフィーで殺人事件が起こってしまいました。船長は頭脳明晰なシナモンに捜査を依頼します。

==========冒頭、書き出し部分===========

伯爵令嬢シナモン「飛行船の殺人」

第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざまには、短くて危ういながらも平和な時代が確かに存在し、往事の世相を反映するかのように、東洋のパリと称されたモダン都市上海には、現地人の自治政府と外国人居留地が設けられ、世にも不思議な空間が形成されていた。上海には大きく三つのエリアが存在する。一つめは、中国の自治政府がおかれた上海南部にある上海県城で、城壁に囲まれた清朝の香りのする旧市街だ。二つめと三つめは外国人居留地である。外国人居留地のことを租界というのだが、租界は上海中央部のフランス租界と、北部の共同租界とに分かれており、上海県城と二つの租界はそれぞれ個別に警察や軍隊まで保有していたのである。なんというアンバランスな町なのだろう。まるで、一つの町のなかに三つの国家があるようなものだ。

=======取材のために佐藤と中井という男2人も乗る飛行船=======

佐藤は、手帖を胸ポケットから取り出すと、中居を追い越して客室へ向かった。意表をつかれた中居の耳に、船内アナウンスがきこえてきた。

 ──皆様がご乗船になられている当飛行船〝シルフィー〟は、上海─東京間二千キロメートルを、時速七十キロで航行し、目的地東京には三十時間後に到着する予定です。ご用むきの件はお近くのスチュワートにおたずねください。なお、本船の全長は二百四十メートル、幅は四十一メートル、水素ガス容量は二十万立方メートルとなっております。それでは皆様、快適な空の旅を。

 飛行船〝シルフィー〟をつなぎ止めていたロープが斧で断ち切られた瞬間、観衆がどよめいた。銀色の巨体は静かに天空に舞い上がっていく。

========飛行船のアールヌーボーの内装============

プロムナードデッキは、乗客キャビンの両脇にあった。乗客キャビンから食堂のある左舷プロムナードデッキに向かう通路には赤い絨毯が敷かれ、壁や天井にはアールヌーボー様式の絵画や装飾が施されていた。アールヌーボーとは一九世紀末から二〇世紀初頭に流行した様式で、その展開は、美術界のみならず、建築や工芸といった分野にまで広がっている大芸術運動だった。アールヌーボー様式で統一された壁の随所には、東欧チェコの画家アルフォンソ・ミュシャのパネルが綺麗にはめ込まれており、ギリシャの女神がモチーフとなっていた。
 ミュシャは、ポスターや装飾パネルの分野で活躍した画家で、近代グラフィックアートに革命をもたらした。東洋水彩画風のおさえ気味にした色調と様式のなかに、赤みを帯びたみずみずしい女性達を描いている。
 アールヌーボーの代表的な画家には、他にクリムトがいるのだが、その人の画風は、金や赤・緑・紫といた極彩色を多用しているのだが、どことなく死の影が漂い、ミュシャの画風とは対照的である。
 黄金の髪を後ろに結った若い貴婦人は、通路にはめ込まれたミュシャのパネルにすっかり魅了され、「素敵だわ!」と何度もつぶやいていた。
 ミュシャの通路を右に折れて、プロムナードデッキに入ると食堂となり、食堂をさらに抜けると展望室となる。そこの窓の一部にはステンドグラスがはめ込まれているため、さしこむ光は複雑なものに変化するのだ。また展望室はベージュ色の壁や天井を基調としているのだが、随所に黒と金の意匠を加えてめりはりをつけていた。

=========そして殺人事件が起きる======以下省略======


集団結婚式をする宗教団体のこと

2009年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

1990年ころアメリカに2年ほど住んでいたことがあります。ある寿司店へよく通っていました。親しくなった若い板前さんが、ある宗教団体の熱心な信者でした。その板前さんは日本男子らしく、サッパリした性格で親切でした。単身赴任の私に同情したのかよく世話を焼いてくれました。帰国する時はその板前さんが幹事になって送別会までしてくれました。

その板前さんは自分の属する宗派の教義をよく話してくれました。また、その宗派では集団結婚式をする話もしてくれました。彼も教祖様の世話でアメリカ人と結婚していました。

よく話を聞くと宗派の世話人が釣り合いのとれた信者の男女を引き合わせ、お互いに気が合ったら交際を経て結婚へと進めるそうです。ただ結婚式だけは集団で挙げるそうです。結婚が神の与えた奇蹟という意味を重用視しているようです。

集団で、お見合いをし、即刻、強制的に結婚式を挙げるのではないのです。釣り合いのとれるカップルを慎重に探し、交際へ進ませ、意見が合ったら結婚式というごく普通のステップを取るようです。離婚率を聞きましたら、言葉を濁して正確な数字は教えてくれませんでした。しかし離婚率はかなり低いようです。恋愛結婚より見合い結婚の方が離婚率が低いのが一般なので低いのでしょう。

日本の新聞では、集団結婚式のことが時々ニュースになり批判的な記事としてマスコミを賑わしています。しかし私はそんな結婚もあっても良いと思っています。

宗教団体が信者の弱みに付け込んで寄付を強要したり、商品を売り付ける行為は宗教の種類に限らず時々あります。それは幹部の経済活動の行き過ぎで、宗教とは何のかかわりもありません。悲しいことですが、そのような事件がマスコミを賑わすことがあります。

宗教が色々と悪い目的に利用されることは、古今東西、数多くありました。宗教に関係したいろいろな事業があるとき、人々は慎重に見分ける習慣がとても重要と思います。

善悪の見分け方は簡単です。「それをすることを釈迦様が教えていましたか?」、あるいは「そんなことをキリスト様が教えていましたか?」と自問すれば明快に分かります。お釈迦様やキリストと自分の間に人間を挟まないで考えることがとても重要になる場合があるのです。

何かご参考になれば嬉しく思います。(終わり)


結婚や夫婦生活は奇跡です、しかし、

2009年07月18日 | 写真

それまで全く知らないどうしの他人がちょっとしたキッカケで結婚し、仲良い夫婦生活を何十年も続ける。そのような事は考えると不思議な現象です。生まれも、育ちも、教育も違う男女が同じ家に住んでいるのです。こいう事を奇跡と思いませんか?

夫婦仲の良い人々はきっと奇跡のように感じていると思います。

しかしその一方で旨く行かなくて離婚する人も多いのも事実です。どちらが悪いという問題でなく、不運としか言いようがないのです。アメリカでは40%の人が離婚するそうです。そのアメリカでさんざん聞いたことですが、離婚の原因は追究してはいけないという知恵です。関係者が感情的にならないで、子供の不幸を最小限にするための鉄則だそうです。

その上、結婚しないで独りで暮らしている人々もいます。

結婚するのも、離婚するのも、結婚しないのも個人の自由です。他人がとやかく言うことではありません。しかし離婚は子供を巻き込むことが多いのです。そのことだけに十分な配慮をしなければいけません。子供の養育の責任や義務もあります。

日本もこれから離婚が増加する趨勢です。一般的に母親が子供を引き取るケースが多いと思います。日本の社会もそれに応じた配慮が必要です。

仲の良い夫婦は結婚は奇跡と思うでしょうが、離婚しなければいけない夫婦へも寛大な気持ちで接する必要があると思います。皆様は結婚を奇跡と思っていらっしゃいますか?離婚をどのように感じていらっしゃいますでしょうか?


ブログを書いていると面白い質問が来ます

2009年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログを書いていると、時々面白い質問がきます。

下の質問には、答えに困りました。「みんなの足跡・あし@」とうSNSに入会(無料)するといろいろな商品をブログで宣伝している人々が沢山います。売上が上がると報奨金が貰えるようです。

その様な人の真似をすると良いと思います。また収入を増大する指導書もあるようです。

「みんなの足跡・あし@」の検索をして入会して見ては如何でしょうか?

その他にも色々な方法があるのかも知れません。何方かご存知の方がお教え下さいますようにお願いいたします。

下記はある方からの質問です。

=======質問==============

初めてコメントをさせて頂きます。
どうしても今自宅にあるパソコンを使って収入を欲しいのですが、どうやったらパソコンで収入を得れるかご存知ではないでしょうか?
将来の為にパソコンで収入を得れるようになると、とても生活が楽になるのですが・・・
ご存知でしたら教えて頂ければと思います。
なにせパソコンはまだ始めたばかりでして、まったく知識がありません。
最近はパソコンを使って収入にしている人が増えてきていると耳にしますので、興味津々です。

==========終わり===========


何故オバマ大統領はローマ法王に会いに行ったか?

2009年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

宗教の指導者は政治権力に近づいてはいけない。政治はこの世の問題を解決し、宗教はこの世とあの世の両方の問題に取り組む。宗教家がこの世の政治権力を持つと、神や死後の世界のことが分からなくなる。従ってローマ法王が世界の国々を訪問する目的は各地の信者へ神の祝福を授けるためである。政治権力者と会うためではない。世界を飛び回ったヨハネ・パウロII世もこの原則を守った。しかし政治権力者が一人の信者、あるいは崇拝者として会いに来た場合は拒絶しないのが習慣になっている。イタリアで最近、サミットの会議があったときオバマ大統領がローマ法王、ベネデクト16世に会いに行った。日本の麻生首相も一人のカトリック信者として会いに行った。ローマ法王はオバマさんや麻生さんへ会ったのは宣教効果を少しでも増大するためであり、政治家の方は自分の政治的宣伝のためであろう。どちらの目的もなにがしかの胡散臭さがある。やっぱりお互いに会わないほうがスッキリしている。

私はカトリック信者なのでオバマさんが法王へ尊敬の態度をしめしたので、オバマさんを今まで以上に好きになった。これは少し本当の気持ちである。それならオバマさんはイスラムの指導者や仏教の指導者へ会いに行くべきではなかろうか?どうも不公平すぎると思う。

世界には宗教間の誤解や対立が絶えない。不幸な戦争の原因にもなってきた。この問題を解決出来るのは政治家であろう。オバマさんの父親はイスラム教徒で、オバマさんのミドルネームにイスラム教の名前が入っている。この事実はイスラム教対キリスト教の不毛な対立を和らげる効果がある。

一般的に宗教団体が政党を作らない方が良いと言われている。しかし我が国には公明党がある。仏教の教えと政党の関係はよく理解出来ないが、あまり弊害が無い。しかしせっかく仏教系の政党なのだから、もっとイスラム教、キリスト教、仏教の間の和解と交流へ努力すべきでないだろうか。特に中国政府によるダライ・ラマの弾圧へ無言でいるのは理解できない。

政治権力者は伊勢神宮参拝へ行くのは何故だろうか?反対する気持ちは毛頭無いがその目的が説明されていない。不思議に思っている。

最近のオバマ大統領のローマ法王、ベネデクト16世の訪問で感じたことを書いてみました。

オバマさんや、麻生さんがローマ法王へ会いに行ったことを皆様はどのようにお考えでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。   藤山杜人


余命も指おり数えるようになると、それなりの考えが出てきます

2009年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

私のブログへ何時もコメントを下さいます方に、BYOOLというSNSの会員の漆原 治さんという方がいらっしゃいます。

そこで、漆山さんへお礼状を差し上げました。それに対して下さった御手紙の一文です。

同感です。全く同感です。老人の方々もご賛成の内容と信じています。

このことを敢えて独立した記事としてこのブログでご紹介する理由は、残った若い家族へ「安心して下さい。あなたの父母はあなたがたへ感謝して安らかに旅立つのですよ」と、はっきりと言いたかったからです。年老いた父母は子供や孫や親戚、友人、知人から素晴らしい幸いを貰って生きてきたのです。

家族に感謝し、親戚、友人に感謝しながら人間は旅立って行くのです。長い間、有難う御座いました。

こんなことも率直に書けるのもブログの良いことですね。(終わり)


ブログ上の友人がブログを止めるーショックを受けるー

2009年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

ブログの上で親しく交流してきた友人が突然ブログを止めます。何故かショックを受けます。こんな経験をしたことがおありでしょうか?

最近、山林の中の家に独り住んでいる鬼家(オニイエ)雅雄さんが「北杜市・自然の中で」という素晴らしいブログを中止しました。鬼家さんとは山林の中での10年以上にわたる交流がありました。2007年10月に私にブログを始めるように勧めて、PCやデジカメの使い方を懇切丁寧に教えてくれた方です。そのお陰で、私は2007年の11月5日からこのブログを始めました。

それが最近、鬼家さんがあまり書くことも無くなったのでブログを止めると公表して止めてしまいました。ショックを受けました。「栄枯盛衰、よのならい」。どんなに栄えていたブログでも消えるときが来る。私のこのブログも何時か消えて無くなる。そんな感慨が胸に広がっています。

と、そんな時、以下のようなコメントの交換の後、ちひろさんのブログも忽然と消えて無くなりました。このブログの推薦したいブログのちひろさんのブログをクリックしても何も出て来ません。昨夜、メールで新しいURLを連絡してくれました。しかしまだ内容が有りません。しばらく待つことにしました。いずれ内容のあるURLを連絡頂いたならご紹介いたします。

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藤山杜人さま、お早うございます。
コメント拝見させていただきました。心より感謝申し上げます。下手な画像ですが取り上げていただければ光栄です。
唯、06年から続けてまいりましたブログは今月にて終了して新たなURLとタイトルで再出発しようと思っております。中身は一向に向上しないと思いますが、気分を一新して琵琶湖の畔を吹き渡る風と語る時間を探ってゆきたいと思います。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
メールアドレスも相当悪用されておりますので、変更いたしました。新規ブログのURLとメールアドレスは後日お知らせさせていただきます。
御厚情有難うございます・・・ちひろ 拝

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ちひろさん

ちひろさんは、どんなに小さな生き物も愛し、そして小さな草花なども大切にしています。毎日を慈しむような生き方をしている姿こそ美しい人生と尊敬しています。
自然のあるがままを愛しているので、どんなに猛暑でも冷房を使わず自然と向き合って生活を楽しんでいらっしゃるのだと理解しています。感心もしています。
その生き方から生まれる写真を又借用させて下さい。今回は裏庭で羽化したアゲハチョウの写真を借用させて下さい。

私もなるべく冷房装置に頼らないようにします。
コメント有難うございました。 藤山杜人投稿 藤山杜人 | 2009/07/16 13:02

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2f1682cf87f01361d7738df1da6c0d711_2 ちひろさんのブログが消える直前に転載させて貰おうと思って取り出していたアゲハチョウの写真を一枚、「日々生きること」という素晴らしかったブログの記念に掲載させて頂きます。ご自分の家の裏庭で毎年、蛹から羽化しているアゲハチョウだそうです。(終わり)

 


毎日を新鮮な気持ちで生きるためにー孤独との闘いー

2009年07月17日 | うんちく・小ネタ

何時も奥さんのそばに張り付いている人がいます。何時も仲間と一緒にパーティなどをして遊んでいる人がいます。楽しいです。しかし四六時中それでは毎日が活き活きと感じられない人もいます。私は孤独な状況を無理して作って、一日ほど孤独と闘い、家に帰ってきます。そうすると家族の有難味が強く感じられます。友人と一緒に遊ぶ楽しさが鮮明に理解できます。人々へ対する感謝の気持ちが溢れるように湧き出てきます。山林の中の小屋に独りで行ったり、ヨットへ行くのは孤独な状況を作り出し、毎日を新鮮な気持ちで生きるためです。

下の写真は独りでセイリングしている様子です。岸壁に居る家内に写真を撮って貰うために港の中で行ったり来たりしています。しかし何時もは遥か沖のほうで完全に独りぼっちになってセイリングをしています。船体に砕ける波音。頬を撫でて過ぎ行く風。空には暗い雲が覆っていたり、霧が立ち込めていることもあります。急に強風が吹き出してセイルが水面に漬くほど船が傾くこともあります。下の3枚の写真のようにのんびり、気楽に時を過ごす訳ではありません。沖に出れば誰も助けてくれない孤独な世界です。そのような時には色々なことを考えます。若かった頃の輝くような日々の追憶を楽しみながら孤独を忘れようとします。あるいは死ぬ瞬間はこの様に孤独なのだ、と想像して何故か安心します。私はそのような状態が好きなのでしょう。その後では音楽でも絵画でも一層味わい深く楽しめるのです。なにか生活に充実感が生まれるようです。

これは私の個人的な性向であって、他の方々とは違うと思います。皆様は孤独という状態をどのようになさっていますでしょうか?(終わり)

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毎日情熱的に生きるー馬齢を重ねないためにー

2009年07月17日 | 写真

いきなり、お馬さんには失礼ですが、「馬齢を重ねる」という言葉があります。毎日、馬のようにボンヤリ、ただ月日を送る愚かな歳の取り方を言うのでしょう。引退して毎日が休日になるとそのような日々の過ごし方が多くなります。それを格好良く言えば、「悠々自適の生活」とも言います。

私は毎日を感動的に過ごし、充実した感じを持続するように心がけています。

その秘訣は昔のことを思い出して、現在と比較して日々新しい発見をすることです。10年前と現在を比較する。30年前と現在を比較する。するとその変化に驚いて、現在を実に新鮮に感じます。何故か心の中に喜びが湧き出てきます。

最近、JR小金井駅の南口に高層マンションと巨大なイトーヨーカ堂という複合商業施設が出来上がりました。ポイントカードを作ると5階から8階にある広い駐車場が2時間まで無料になります。昨晩、車で見物に行きました。駐車場は売り場の上にあります。そこへ登ってゆく車の通路の幅が広いのです。豊かな気持ちになります。4階から下の売り場は商品の種類も多いのですが、何よりも人間の歩く通路が広くとってあります。並べて陳列している商品より、来てくれる人々を大切にしているようです。

西国分寺や武蔵境のイトーヨーカ堂でも同じ構造で、駐車場が売り場の上にあります。しかし新しく出来たものほど駐車場へ上がる車道が広く、勾配がゆるやかです。イトーヨーカ堂を経営している人々の心が進歩しているのです。お客を大切にするとはどういうことか深く考えているのです。

このように10年前と比較すると感動を覚えます。さらに50年前と比較すると感動よりも驚きです。隔世の感です。すぐ下に、同じJR武蔵小金井駅の南口の写真を示します。写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。

その下に続けて同じ場所に建設されたイトーヨーカ堂とレストラン階の写真を数枚提示します。ごく見慣れた売り場風景です。なにも感動しなのが普通ですが、一番上の50年前の写真と比較してみると感動することがいろいろあります。いろいろ発見できます。このように昔と比較すると、毎日を感動的に、そして充実した気分で生きることが出来ます。以上は秘訣の一つですが、その他にも毎日を新鮮な気分で生きる秘訣が幾つかあります。

さて貴方は毎日をどの様な生き方をしていらっしゃいますでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。  藤山杜人

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夏が来ると思い出す終戦の日と稲の匂い

2009年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム

今年も夏が来た。田舎へ行くと稲の匂いが風に乗って漂っている。その匂いを嗅ぐと小学校3年生の時の暑い終戦の日を思い出す。疎開した田舎の国民学校へ急に登校させられ、校庭で天皇陛下の声を聞いた。意味は分からなかったが先生が戦争に負けたと言う。すぐに解散になり稲穂の強い匂いのする水田の畦道を辿って疎開先の農家へ帰ってきた。

しばらくすると戦闘機乗りの兵隊さんが飛行機で復員してきて、河原に不時着したという。近所の子供達と一緒にその河原へ、戦闘機を見に行く。その時も稲穂の匂いの中を2里も歩いていった。上手に着陸したらしく戦闘機は壊れていない。だだ操縦席の上を覆っていた合成樹脂製の風防だけが壊れている。見物に来た子供達が壊したのだ。合成樹脂のかけらを擦ると、甘い果物の香りがするのだ。その甘い香りを出す貴重品が子供たちのお土産になる。

暑い夏が来て、稲穂の匂いを嗅ぐと疎開先の終戦の日を思い出す。河原に不時着した戦闘機の風防の合成樹脂を思い出す。それを擦った果物の匂いを思い出す。そして二度と故郷へ帰らなかった人々のことへ想いを馳せる。

故郷に残った家族を守るため勇敢に戦い散華した人々。満州の広野で難民になり満州の土になってしまった人々。国内の都市の焼夷弾攻撃で亡くなった人々。毎年、夏になると何度も思い出し、冥福を祈ります。昨日下の写真の水田のそばで稲穂の匂いをかぎながら、青い山並へ向かって、先の大戦で亡くなられた方々の冥福をお祈りして参りました。

夏が来ると古い日本人は何を考えているか? 若い人々へ伝えたいのです。

あの悲劇が二度と来ないようにお祈りいたします。 (終わり)

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とても嬉しいコメントをブログの友人から頂きました!

2009年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

私の個人的な経験ですが、カトリックの洗礼を受けてから、初めて仏教の素晴らしさが少しずつ理解出来るようになりました。7月14日に「素晴らしい仏教国・日本」と題する記事を掲載しました。その中の一節に、==、、、キリスト教信者には感動的な佛足石の説明文です。キリスト教信者にとっては、キリスト本人を身近に感じて日常の生活をする。それが理想的な信仰生活の在り方です。仏教も同じです。お釈迦様を直接感じさせるお寺が良いお寺と思います。そのために本堂には色々な仏像が飾ってあります。しかし仏像は種類も多く、抽象的な意味のものが多く、お釈迦様の本人のお姿ではありません。このタイ式の屋根を持った前橋市にあるお寺の住職さんが、インドのブッタガヤまで行ってそこの佛足石の拓本をとってきて再現したものです。その姿勢に感動しました。翌朝、もう一度訪ね、玄関の呼び鈴を押し、突然で大変失礼ですが、住職様のお話を少しお聞きしたいのですが、と頼みました。、、、、==

という私の記事に対してネット友人のオカブさんから以下のような嬉しいコメントを頂きました。オカブさんはプロテスタントのキリスト教信者です。独立管理運営のキリスト教会を管理している委員の一人です。オカブさんとは2度お会いし感動的なお話を伺いました。オカブさんのブログのURLはこのブログ表紙の左サイドバーの推薦したいブログの「昼のガスパール」です。是非ご覧下さい。

ブログの上でもこのように素晴らしい友人が出来るのです。ブログやネットの上での交際をあだやおろそかにしないようにしたいと思っています。皆様も、ネットの上で親友を持つことが出来るようにお祈りしています。          藤山杜人

====オカブさんからのコメント================

カトリックのキリスト者である藤山さんが仏教の良さをご理解していることは素晴らしいですね。私もお寺巡りが大好きで、また野のこぼたれた石仏などにも強く惹かれます。また、仏教は親鸞、道元、良寛など優れた人物を輩出してきました。しかし、私は仏教の本質は「仏」という超越的な概念のない、人間主義の小乗仏教だと考えています。小乗は釈尊の教えたとおり「あらゆるものは無に帰る」を受け継ぎました。小乗の最高の存在は阿羅漢で、それは大悟はしていても飽くまで人間であり、滅び去り無に帰るべきものです。もし日本に小乗仏教が広まっていれば、大乗の腐敗した姿である「葬式仏教」もこうまで酷くはならなかったと思うのですが・・・

藤山さんが葬式仏教でないお寺を発見したことを嬉しく思います。、、、

======終わり=====================