後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本民族を貶める発想法とものの言い方(2)米軍基地をどのように理解するか?

2009年07月09日 | インポート

1945年の敗戦以来、実に64年間に亘って日本全国に米軍の広大な基地が存在し続けています。今後も数十年以上にわたって存続するでしょう。

日本国内の数多くの米軍基地の存在を我々日本人はどのように考えれば民族の自尊心を傷つけないのでしょうか?またどのように考えると日本民族を貶めないのでしょうか?

答えは明快です。アメリカ合衆国が自国の完璧な防衛のために日本の土地を借りて軍事基地を置いているのです。そのお礼としてアメリカは日本の防衛にも努力してくれているのです。日本の防衛の一部を担ってくれているのですから、日本は基地の管理運営の費用の適切な部分を負担しているのです。

日米安保条約の精神は相互協力によって日米両国の安全をより確かなものにするということにあります。

相互協力である以上、日本も軍備、軍隊を持って自律的に自分の防衛に努力しなければいけません。そのために自衛隊が存在するのです。

日本は独立国ですので自衛隊の使い方は自分で決めます。防衛目的以外には使用しません。国際間の紛争には自衛隊の武力を使いません。これが日本の基本方針で、その事はアメリカも十分な理解を示しています。

アメリカ軍が日本の各地に駐留し、その軍事力が自衛隊より格段に大きいのは事実です。

従ってアメリカは日本を占領して植民地にしていると主張する人々もいます。このような発想法とものの言い方こそが日本民族を貶めるのです。

西欧諸国がアフリカ、南米、インド、東南アジアに多くの植民地を所有していた時代がありました。植民地の主権を認めず、搾取し、隷属させていました。そのような植民地と日本は同じだと考えることこそが、自分を貶め、卑屈にしているのです。

アメリカは世界のリーダー的存在になってきたのはその軍事力だけではないのです。同盟している色々な国々の主権を尊重し、人権が守られている限り内政には干渉しないという努力をしています。それだから世界のリーダーとして認める人々が多いのです。

しかしアメリカ人も人間である以上、酷い間違いを度々犯しました。ベトナム戦争、アフガニスタン侵攻、イラク占領などはその例です。しかし一方に於いてはソ連を冷戦で追い込み、圧勝し、東ヨーロッパの国々をロシアの圧政から解放した功績は偉大と言わざるを得ません。ポーランド、チェコ、ソロバキア、リトワニア、ラトビア、エストニア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、そして東ドイツの主権が回復出来たのです。これは20世紀のアメリカの偉大な功績であります。このことに反対する人は居ないと思います。

日本人はアメリカの軍事基地があるからといって卑屈な発想法を持ったり、自分自身を貶めるものの言い方をしない方が良いと思います。いつも顔を上に上げ、誇り高い気持ちで、他国の文化を尊重すれば、もっともっと住み良い国になると信じています。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人


お寺の本堂が神社という不思議なお寺ー高尾山薬王院

2009年07月08日 | うんちく・小ネタ

高尾山薬王院をWikipedea で検索すると以下のように、「お寺の本堂が神社です。神仏分離の前の神社の姿です」 という説明があります。

薬王院の中心となる本社で、飯縄権現を祀る社殿(神社)である。現在の社殿は1729年享保14年)に本殿が建立され、1753年宝暦3年)に幣殿拝殿が建立された。のち1805年文化2年)・1965年昭和40年)・1998年平成10年)に大改修を行なっている。江戸時代後期の代表的な神社建築1952年(昭和27年)に東京都指定有形文化財に指定されている。入母屋造の本殿と拝殿を幣殿で繋いだ権現造である。社殿全体に華麗で極彩色の装飾がなされていることが特徴である。社殿前方には鳥居があり、神社であることが分かる。寺院の中にある神社という形態は神仏分離以前の神社の姿の一つの典型例といえるだろう。

下の4枚の写真の上から順に本堂に相当する本社の写真、その前にある鳥居と石段の写真、その下にある佛教のお堂の写真、そして最後がお堂の前にある普通のお寺の山門です。

この高尾山薬王院の創建は聖武天皇の詔により744年と言われています。建物の大部分は江戸時代のものです。大鐘は寛永の江戸時代初期の銘は刻み込んであります。

現在の日本人から見るとお寺の中心が神社ということは不思議に感じますが、江戸時代以前はそれが普通だったようです。この古い宗教形態が東京の近郊に残っているのが興味あることです。何方か同じようなお寺をご存じでしたなら是非お教え下さい。(終わり)

7月4日午後にMrs.藤山が撮影した写真です。

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田舎暮らしの実例(2)SRさんの果樹園と無害な農薬を知ろう!

2009年07月08日 | うんちく・小ネタ
BYOOLというSNSの中の友人にSRさんという方がいます。
とても楽しい内容なので、田舎暮らしの実例として以下にご紹介します。
特に農薬に無知過ぎる我々に貴重な情報を与えています。私も農薬へ対する偏見を改めました。皆様も農薬へ対する理解を深めて頂ければ嬉しく思います。
========SRさんからのメッセージ==============
私は、たまたま遊びの果樹園を持っています。梅、ブルーベリー、栗、キウイー、花梨、柿、柚子、酢橘等育てています。
野菜類は虫が付きやすく殺虫用の農薬散布回数が多いので植えていません。
多くの果実は極めて低毒の農薬散布が1シーズン中に1~2回必要です。
農家の真似事で一番厄介なことは草刈りで、年間少なくとも3回は刈ることになります。うちでは"雑草乱入格闘技"と云って、エンジン付きの草刈機で刈っていますが、普段から農家のように体を使って農作業をしていないので、かなり疲れます。特に夏場は気温が高く体力の消耗が激しいので、朝早い時間か、夕方日が陰るころに草と対決しています。
しかし、自分で育てた新鮮な果実を収穫して、美味しく食べることができる喜びは、何事にも変え難い喜びがあります。
一般の尺度で無農薬が良いとされていますが、必ずしもそうではなく、受粉完了後に結実したものが、落ちにくいようにするもの、虫が嫌う匂いを発生させて寄せ付けなくするもの、人間に対して全く無害で、サプリメントのように、植物の育成を補うものまで多数あります。
農薬は悪だと決めつける方々がいますが、残念なことに、間違った認識です。無農薬でそだてた野菜や果物に虫がつくと、その植物はそれ以上に食害が進まないように自ら不味くなる酵素をだします。その不味さは虫にも、人間にとっても不味いのです。低毒性の農薬を極僅かに使うことで美味しい作物になるのです。しかも、その農薬は自然に分解され薬害もなく、収穫する頃は消えているのです。藤山杜人さんのコメントに変なことを書いてしまいましたが、農家、農村を楽しんで下さい。
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田舎暮らしの楽しみ方の実例(1)YKKNさんの移住計画

2009年07月08日 | うんちく・小ネタ

趣味人倶楽部というSNSの中の友人のYKKNさんは非常に慎重に準備して都会から伊那へ移住しようとしています。その人生の在り方、考え方に興味をおぼえ何回かメッセージを交換しています。今回は許可を得ましたので、ご本人の文章を編集して、「移住計画」の概要をご紹介します。お楽しみ頂き、ご参考にして頂ければ嬉しく思います。

======YKKNさんの自己紹介から==========

生まれはかの東国原知事の宮崎県です。
 父親の仕事の関係で九州のなかを転々として熊本大学を卒業後、ある生命保険会社に就職しました。転職も経験しましたが、子供二人を育て上げ、平成21年中にはヒートアイランド東京を離れ長野県伊那市に移住します。

とにかく山と川があるところに住みたかったのです。
 本来の田舎、九州の熊本に帰る選択肢もあったのですが、私の両親が茨城の介護施設でお世話になっていること、守るべきお墓が多磨霊園にあることなどから信州を選択しました。栃木・群馬・山梨も物件をいろいろ探したのですがこれは、というものがありませんでした。
 今の会社を9月には退職します。
 もうすぐ58歳になりますが、伊那に移住してからは人生最後の仕事として少しでもお役に立てるならと思い介護の仕事をやるべく、ホームヘルパーの資格もとり、現在週1回介護施設で非常勤職員として働きなら訓練をしています。
 伊那に移住したら念願の犬を飼い、渓流釣り・マラソン・自転車などアウトドアライフを満喫するとともに家庭菜園で野菜つくりにも励みたいと思っています。

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なにか胸がスッキリするような田舎暮らしへの転換です。劇場で回り舞台がぐるりと回って全く新しい場面が出てくるようです。YKKNさんと奥様の2人の伊那での生活が、より幸多い人生になることをお祈りします。

尚、伊那市は下の写真の甲斐駒岳の山向こうの天竜川に沿った盆地で、風光明媚なところです。(終わり)

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田舎暮らしを体験し、楽しむためのA,B,C (2)山林の中に小屋を建てる

2009年07月08日 | うんちく・小ネタ

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田舎暮らしとは普通、農村に住むことです。しかし都会に生まれ、都会暮らしを続けてきた人々が農村に住むことは困難なものです。

都会の家はそのままにして農村へ毎月、2、3回泊まりに行く。農作業は嫌いだが山や川のある田園風景の中を散策したり、絵を描いたり、写真を撮って過ごしたい。都会での仕事の疲れを取り除きたい。農村の人々に嫌がられないよいうに少しだけお付き合いをしたい。

別荘を作るほどの資金は無い。その様な人も多いかも知れません。そのような場合は農地から里山を数百メートルほど入り込んだ山林を購入し、小屋を建てます。役場に相談して、地元の人々の意見や考え方を少し知って置きましょう。

農地に近い里山は昔から薪や材木を運び出す馬車道がついています。すこし手入れをすると車も入れます。山林は坪1万円以下で購入できる所もあります。法務局の支所に行って山林の所有主も確かめましょう。

上に示した写真は私が1973年に80坪、購入した山林の中の小川です。下の写真は小屋の中の薪ストーブの様子です。小屋は質素で小さいものです。

このようにして同じ山林の小屋へ何年も通っていると村人とも自然に親しくなります。また別荘を建てて都会から通ってくる人々とも親しくなります。

一口に農村と言っても水田地帯、畑作地帯、牧畜地帯と入り組んでいて生活の様子がとても違うことが理解出来て面白いのです。

山林の小屋を建てるときの鉄則は車が上がって行ける所ですが、もう一つの鉄則が有ります。それはその山林への村人の入会権が厳然として存続しているということです。

従って自分の土地の周りに柵などは作らないのです。村人が山菜採りに入って来るのも自由。小川の岩魚を取りに来るのも自由です。山林の小屋に泊まっていると村人が敷地を悠然と横切り、小川のそばの山菜を採って行きます。ある時は小川の下流から上流へ向けて岩魚を取りながら登って来る人に会いました。庭でバッタリ会い、先方もこんなところに家があること驚いていました。魚籠から小さい岩魚を一匹取り出して塩焼きにしなさいと言って去って行きました。

田舎暮らしの楽しみ方は人それぞれで、農作業が嫌いな人でも楽しむ方法もあります。とにかく山や川の見える自然の中に少しでも滞在すると都会の疲れが消えるのです。元気になるのです。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人

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フェラーリとヨットの写真と、高尾山と南フランスの風景写真と努力しています

2009年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログを見て下さる方々へ非常に感謝しています。そこで写真をいろいろ違う分野のものになるように努力しています。

写真だけでも、ご覧になってお楽しみ頂ければ嬉しく思います。でも少し文章を読んで楽しみたいとお思いの方にもご満足頂けるように随筆も掲載しています。本当に脈絡の無いブログの内容ですが今後ともよろしくご愛顧の程をお願い申し上げます。おやすみなさい。藤山


ヨットの船検証の更新のための立会検査を受けて来ました

2009年07月07日 | うんちく・小ネタ

小型船舶は3年に一度、船検証の更新のために立会検査を受けます。正常に動き、法定備品が揃っているか、夜間航行用の航海灯が付くか、などを検査官が来て調べます。

1け月前から準備していましたので今日の検査は全て合格になりました。関連の写真を3枚示します。家内も同行し、写真を撮ってくれました。(終わり)

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田舎暮らしを体験し、楽しむためのA,B,C (1)農村のことを知ろう

2009年07月07日 | うんちく・小ネタ

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田舎暮らしは都会に住んでいる多くの人の憧れです。しかし都会の家を整理して田舎に引っ越すのは大冒険過ぎます。田舎暮らしのテレビ番組などを見て楽しむのが一番安全です。しかし、もう少し踏み込んで、段階的に体験し、楽しむことをお勧めいたします。

急に田舎に家や土地を買う前に、「農村とはどのような所なのか?」を理解する必要があります。

農村を知り、体験し、楽しむためのA,B,C,を書いてみます。

A,まず自宅から2時間以内で行ける農村をあちこち見て廻ります。そして数個の村の民宿に泊まります。旅館やホテルではありません。出来れば農家の人が経営している小さな民宿に泊まります。風呂を沸かしたり、薪を運んだりして民宿の仕事を少し手伝います。民宿の人の話をいろいろ聞きます。近くに借りることの出来る農地があるか?

貸しに出ている農家があるか?農作物を作らないでブラブラ怠けて住んでいてもよいか?などなどを聞きます。季節の良い時期に2、3ケ月だけ農家をかりることが出来れば田舎暮らしが体験できます。しかし話がトントン拍子に進まないこともあります。その時は無理に農村に滞在する試みはやめましょう。

B,田畑のある地帯から数百メートル雑木林の中にはいった山林を100坪くらい借りるか、購入します。ひどい道でも車が敷地まで入れることが鉄則です。

そこへ湿気の入らないような密閉した物置を専門家に作ってもらいます。物置には屋外用のテーブル、椅子、そして卓上コンロ、バーベキュー道具などをしまっておきます。

鍬や鎌やスコップもしまって置きます。

その山林を切り開き、50坪ほどの広場を作ります。そして日帰りでバーベキューをしたりして一日遊んできます。一泊したいときはキャンプファイヤーや花火も楽しんだ後で近所の民宿にとまります。

ここまで来るとその農村に足が着いた状態になります。数ヶ月、毎週のように通って自分の山林の広場で遊んだり、農村の道を散歩していると土地の人々とも仲良くなれます。

田舎暮らしを体験するということは自分が自由に出来る土地を借りるか、購入することから始まります。土地があれば草木を植えることが出来ます。猿やイノシシのいない地域なら農作物も出来ます。田舎暮らしの面白さは自分の土地に多少なりとも農作物を植えることにあります。農作業が嫌いな人でも少しは出来るものです。

すると農作物をつくることがどんなに難しいかということが体験的に深く理解出来ます。都会に育った人にとっては田舎暮らしの実際は難しいものです。いくらお金を持っていても農村に住む不便さは耐えられないのが普通です。

従って、数日滞在して都会へ帰るという具合に、行ったり、来たりするのが一番良いと思います。今回は長くなりましたので、C,の段階は次回の続編でご紹介いたします。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人

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梅雨の無い南フランスの写真で気分を良くして下さい

2009年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

現役の間は仕事が忙しく天気の悪さはあまり気になりません。しかし毎日遊んでいる老後はこうして毎日、雨が続くと気分が悪くなります。気のせいか体調まで悪くなったようです。

そこで何時もご紹介している、parismidoriさんのブログから梅雨のない南フランスの写真を3枚お送りします。写真をあれこれ選びながら文章も読んでいると気分が良くなりました。

ひまわり畑の明るさが素晴らしいですね。下にあるサラダの写真はparismidoriさんのお手製のサラダです。パテシエだけあって流石に美しく盛りつけます。もう一枚の写真はブドウの開花を祝う祭りで、葡萄酒の利き酒大会の様子です。日本から行った2人のお客さまをparismidoriさんとご主人が案内したようです。そう言えば「コクリコの風」という彼女のもう一つのブログには日本からのお客さんの便利なように航空機の便やフランス国内鉄道に関する情報も出ています。お元気な方は是非、南フランスを訪れ、彼女の作るケーキをお楽しみ下さい。詳しくは、http://blog.livedoor.jp/parismidori/に御座います。

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立派な趣味ー「サーキットの狼」ミュージアム

2009年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

1970年代のスーパーカーブームのキッカケを作ったのが池沢早人師さんが描いた「サーキットの狼」という漫画と言われています。私の息子の世代の少年や若者がスーパーカーのモデルを集めていました。フェラーリとかランボリギーニという名前なら聞いたことがある人も多いとおもいます。その趣味が高じて「サーキットの狼」に出てくるスーパーカーを全て買い集め、一般に展示、公開している親子が茨城県にいます。八幡正毅さんとその息子の八幡 毅さんです。趣味もここまで徹底すると立派なものです。その上、一般の人々へ展示公開するという姿勢が好ましいです。昨日、すでに中年になった息子がこのミュージアムを訪問して写真を撮ってきましたので3枚だけご紹介します。

上から順に、パンサーJ72、4235cc、205馬力、その次の写真はフェラーリ512BBiで、4942cc、340馬力、そして最後の写真は、そのエンジンの写真です。水冷V型12気筒ミッドシップエンジンの壮観です。車のお好きな方がお楽しみ頂ければ嬉しく存じます。(終わり)

詳しくは、http://www.ookami-museum.com にあります。

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日本民族を貶める発想法とものの言い方(1)中国が嫌いですか?

2009年07月06日 | 日記・エッセイ・コラム

多くの日本人は自分の民族に愛着を持っています。誇りにも思っています。私もそうです。

しかしこの私の心を酷く傷付ける「ものの言い方」を本の題目や雑誌の内容広告によく見かけます。「ああ、そんな発想法が、書いている本人を、そして日本民族を貶めているのだ!」 と嘆くことが時々あります。

先日、「文芸春秋」という雑誌を買いに本屋さんへ行きました。その雑誌の特集広告に、「中国を信じられない100の理由」という大きな字が見えます。本を取ろうと伸ばした手が思わず止まってしまいました。買わないで帰ってきました。

中国の国際政治や経済の分野での成長ぶりに日本人が嫉妬しているから中国が嫌いになるのです。

しかしそのように真正面からきちんと書かないで、日本の工業製品の模造品を作る。貿易上の代金支払いをドル決済しないで中国円でする。中国にある日本の会社の工場へ地方の自治体が法的嫌がらせをする。拝金趣味で精神文化が皆無だ。日本人の技術開発結果を無断借用する。その他色々、中国の軍備拡張と時代遅れの兵器のことなども取り上げているだろう。言論弾圧も非難しているに違いない。

結論として中国人は人間として軽蔑すべき存在だ!とでも言いたいニュアンスを感じる。

この書き方は内容を見ないで、そのうえドギツク書いたので間違っていると思う。いや間違っていることを祈っています。

しかし「中国信じられない100の理由」と大々的に特集を組み、それを雑誌の広告に使おうという発想法が、私の心を酷く傷付けるのです。この発想法と書き方が日本民族をひどく貶めるているのです。

日本人が北朝鮮や韓国や中国を嫌いになる理由は数え上げれば100どころか200も300も思いつく人も居ると思います。1000年以上にわたってこれらの国は日本の近隣国として競争相手でした。相手に優越感を持ったり、嫉妬するのは人間の避けがたい悪い性格です。先方の人々もまったく同じです。

この様な人間の悪魔的性格を強調して外国を考える発想法が日本民族を貶めるのです。嫉妬心という人間の悪い性格を煽りたてて雑誌を売ろうとする出版社の発想法が日本人の品性を落としているのです。

同じことを書くなら、まず発想法を変えて書けば良いのです。「日本人も昔は同じようなことをして来たが、あなた方も同じですね。でもそれはこういう理由で人間のするべき事ではありませんね」。と、いう発想法で書けば文章の書き方、言葉の使い方が根本的に変わってきます。

同じ特集の見出しも変わります。「日本人が中国を好きになるための100の問題点」。

「好き」と「嫌い」のどちらが興味深いですか?と自分自身に問うてみて下さい。

私は本当は「嫌い」のほうに興味があります。しかしその発想法は自分を貶めるので可能な限り避けます。それだけの話です。貴方自身は如何なご意見をおもちでしょうか?(終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人

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教養としてのキリスト教(18)あまりにも人間的なイエスのこと

2009年07月05日 | うんちく・小ネタ

今日の福音書の朗読は「マルコによる福音書」の6・1-6でした。

分かりやすく省略して書きます。イエスがある時、故郷のナザレに帰りました。安息日が来たので会堂で説教をします。すると故郷の人々は驚いて「彼はこのようなことをどこから得たのだろう!大体、彼は大工ではないか?それにマリアの息子でヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンという兄弟がいるのだ。」というような意味のことを言いあって誰もイエスの説教を理解しようとしなかったのです。そこではイエスは少しの奇跡しか起こさず故郷を後にしました。

以下は私の想像です。イエスは子供の頃、結構悪戯っ子で仲間の少年たちと遊びまわっていたのかも知れません。そんな当時の頃をよく知っている故郷の人々が彼の説教なんてバカバカしくて、真面目に聞こうとしないのは当然でしょう。

少年の頃は普通で20歳過ぎてから急に才能が伸びて偉い人になることは良くあります。もちろん幼少の頃から才能が周りの人々に称賛されている人もいます。イエスは前者だったので、故郷では尊敬されず、苦労したのです。故郷ではわずかの奇蹟しか起こさず、そうそうに去って行きました。

さてもう一つの部分はイエスの多くの兄弟がいたということです。これは神の力でマリアが身籠り、イエスを生んだというイエスの神聖なイメージを壊しています。イエスに兄弟が居たとは4つの福音書の全てに書いてあるので事実だったのでしょう。

この兄弟という記述の解釈が宗派によって違います。プロテスタント宗派では、文字通り本当に居たと信じています。カトリックでは当時のその地方では従兄妹(いとこ)という言葉が存在していなかったのでイトコやハトコのことを意味すると信じています。すなわち、本当はイエスは独り息子だったと信じているのです。

もっと面白い解釈はギリシャ正教の解釈です。イエスの父のヨゼフは以前に結婚していて連れ子を何人か持っていた。その後やもめ暮らしをしていたが、年の離れた若いマリアと結婚してイエスがうまれた。したがって異母兄弟が一緒に住んでいたと信じています。

今日の山本量太郎神父様のお話では、この「兄弟」は神を天の父と信じている全ての信者と解釈するのも良いということでした。

どの解釈も神学者が苦心に苦心を重ねて研究してきた結果なので簡単に否定は出来ません。

しかし毎年、この時期になると上に書いたような福音書の箇所を朗読します。その度に神の右の座にいるイエス様のこの世での人間らしい苦労が偲ばれて、とても身近に、親しく感じられます。福音書にはこの他にも人間的なドラマが沢山書いてあるので興味深いものです。(続く)

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趣味の車、実用車の違い

2009年07月05日 | うんちく・小ネタ

イタリア製のアルファ・ロメオの写真3枚と日産のワンボックスカーのセレナの写真2枚を示します。趣味の車と実用車の違いを考えてみましょう。私の車は実用車の方です。

設計の思想が違います。エンジンが違います。アルファ・ロメオは3200cc、250馬力、セレナは2000ccです。趣味の車は車室を小さくし、走行性能を追求します。エンジンオイルを2個の小型ラジエーターへ循環しエンジン温度をいつも最適にしています。ブレーキ性能が格段に良いのです。

セレナは車室を大きくとり、乗った人々が快適に過ごせるような設計にします。ガソリン消費量を1リットルあたり10km以上です。アルファ・ロメオは6km以下です。国産車は故障が少なく、とにかく経済的です。イタリア車は時々小さな故障をします。

しかし決定的な違いは車に乗り、走らせると、「ああ、これがイタリヤ文化というものだ!」 と実感出来るのです。フランスの車ともドイツの車とも違う文化です。日本車へ外国人が乗ったとき、日本の文化を感じてくれるでしょうか?

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ガンになって12年の親友の体験記、老人の為の参考情報!

2009年07月05日 | うんちく・小ネタ

ガンになったという記事を掲載しましたら、色々な方から励ましや関連の情報が集まりました。今日は、大学時代からの親友のKTさんから寄せられた情報をご参考のために掲載いたします。このブログへ掲載することを許してくれたKTさんへ感謝します。有難う御座います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。  藤山杜人

========KTさんからのメール=============

  前立腺がんのこと拝見。ガンといえば誰でもショックを受けるでしょうから、貴兄が今どんなお気持ちか想像できます。以下の体験談が少しでも貴兄の不安を和らげるなら、ということで少し余計なことを長々書きます。我慢して読んでください。

周知の通り、ガンは馬鹿にすれば命取り、しかしいまや現代医学でちゃんと対応すれば恐ろしいばかりの病気ではありません。前立腺ガンの場合、結論から言えば、手遅れでない限りあまり深刻なことにはならないはず。たいがいの患者は罹患前の“Quality of Life”(生活の仕方、質)をそのままもち続けることが出来ます。お医者は俗に「長寿がん」と呼ぶのだそうです。

医者でもない私がちょっと知ったかぶりをするにはわけがあります。

自慢にもなりませんが、私はかつて勤めていた大学の現役教授最後の年(平成911月)に前立腺がんが発見され、退官を待って翌年7月、茨城県立中央病院のがんセンターで全摘手術を受けました。私の場合、当初、初期ガンであり、寸法も小さかったので軽症と考えられていたのですが、この手術の結果わずかながらリンパ節への転移が発見されました。ガンの発生部位によるのでしょが。以来約12年、常に定期的な医療の管理下におかれて今に至っています。その過程で上記QOL(生活の在り方、質)はほとんど変わらず、むしろガンを意識したために「より一層充実した生活」を送れたとすら感じています。別の言い方をすれば、私は生来平凡、精神も肉体もそれほど資質に恵まれている人間ではありませんが、どなたもこのぐらいはいけるということを、臆せずに体験的な話として皆様へ紹介してきました。(転移患者としては少し例外的かもしれないが・・・)

実は、私の病状推移を主治医の先生と患者の関係でスクープした公刊の資料(雑誌:がん最前線 、昨年10月および11月刊)があります。これは罹患した人々を勇気付ける目的で編集・出版されました。

そういうわけで、この約12年間「がん転移患者」であり続け、とにかくやりたい放題の人生を送ってきました。年齢相応ながら体力的にもまあ元気な部類でしょう。そして、ご丁寧にも、その間に胃がん(約6年前)の手術を受けたり、前立腺がんの方の再発問題に対処したりの経験を重ねてきているのですから、ついつい「門前の小僧」を一席ぶつってしまうわけです。

ちなみに、胃がんのときは早期発見で転移はなかったので生命にかかわるリスクはないのですが、それが消化器であるがゆえにずいぶん辛い経験をしています。両方を経験して、今その2つを較べると同じがんでも前立腺がんの方は相対的に心身へのダメージは軽いという印象です。どうぞ気持ちを楽に持って治療に専念して下さい。

私は、それほど楽観的でない性格ですが、その人間がそういうのですから・・・。それに、ガンはその大きさや発見のステージが問題にされますが。なによりも、どの程度Aggressiveな(たちの悪い)ガンであるかが問題です。つまり悪性度のランクに注目すべきです。ご承知でしょうが、グリソンスコアという目安があります。これは生検のときに判定されたはずです。また悪性度は「罹患した年齢」にもよるのだそうで、貴兄が73才の時の罹患であるということは、私のように62歳で罹患した者に較べると進行のリスクが少なく、ずっと気楽で居られるはず。

ところで、私の知人のなかになんと、外国人も含めてこれまで11人も罹患者がいます。( 貴兄は私の頭の中だけの「前立腺ガン組合??」のNo.12  です

その11人の友人との間でいろいろと情報交換しています。治療法は、薬剤、外科手術、放射線照射などさまざまですが、どなたもその後ひどい状態に移行した者はなく、生活内容が大きく変わったとも聞いていません。息災が最上であることは無論ですが、一般に高齢になれば何らかの持病が出るのは避けられないことでしょうから、少々乱暴なことを言えば前立腺がんぐらいならまあまあだということでしょう。

思いつくままに、前後の脈絡ナシに書きまくってしまいましたが、とにかく気を楽にすることによって心身の状態を最上に保つことが最良の結果につながることだけを信じて対処ください。どうぞお大事に。

早々、  KTより

追伸:  病気の症状や経過には常に個人差がつきものですから、一個人の体験がどの程度一般性があるか分かりません。上の情報が自分のガンに参考にならない場合もありますのでお医者さんと注意深く付き合うことが重要になります。

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