1935年、昭和10年に永田軍務局長が皇道派の相澤三郎中佐によって陸軍省内で惨殺されました。陸軍の統制派の主たる永田鉄山局長の死によってその対抗勢力の皇道派の台頭へつながり、やがて昭和11年の2・26軍事クーデター未遂事件へと進みました。
満州を建国し、日支事変を勝手に拡大して行く関東軍の動きを、昭和天皇は大変心配していたのです。そしてやがて陸軍省は満州の北に対峙するソ連を攻撃する為に陸軍は3国軍事同盟への道へと突き進むのです。
それへ真っ向から反対したのが海軍大臣の米内光政、次官の山本五十六、軍務局長の井上成美の和平派の海軍トリオです。戦後に海軍出身の作家、阿川弘之が長編の本でこの3人を大いに褒めあげたので、海軍善玉説が戦後蔓延しました。当然、陸軍が歴史的大失敗をし、日本を破滅させたという定説がゆき渡りました。
この辺の事情は半藤一利著、「昭和史」平凡社2004年初版で客観的に過不足なく描いています。
しかし何故、陸軍省が過激になって行ったのでしょうか?陸軍が好戦的になり、ドイツと軍事同盟を組む方向に走った理由にはいろいろな原因が複雑に関係していたと理解できます。日支事変で中国大陸に展開している日本の軍隊の撤退を望む米国の存在。石油や鉄鋼の日本への輸出を制限しようとしているアメリカの方針。ソ連の満州侵略の可能性。満州国の国際承認の困難さ。時局は険悪な雰囲気でした。
いろいろな原因が重なっていたのですが、一つ見落としていけないものに陸軍省内の派閥争いと官僚主義があります。
官僚主義とは自分の派閥が、なるべく多くの部局の長のポジションを手に入れ、自分の部局の予算と定員の増大をしようとする強烈な競争的な考え方です。自分の部局の権益増大に成功した人は尊敬され出世するのです。このような精神的構造が官僚主義の特徴なので、日本という国の国益よりも自分の部局の権益のみを重視しまます。
陸軍省内にも皇道派と統制派が熾烈な派閥争いをしていました。この2つの派閥の闘争の様子を明快に書いた一書があります。それは、田中健之著、「永田鉄山惨殺事件」、学研パブリッシング、歴史群像、2010年2月号pp164-173 に掲載されています。これを読むと永山軍務局長の惨殺も、続く2・26事件も日独伊3国軍事同盟も皇道派が派閥闘争で優位に立ったのがその原因になった事が理解出来ます。
このような昔の陸軍省の官僚主義と派閥争いの事を今更書いているのは一つの目的があるからです。
それは現在でも強い官僚主義が日本の省庁にはびこっている事を指摘したいからです。
民主党が自民党から政権を取って、官僚を政治家が支配しようとしています。官僚主義の打破です。まだそんなに成果は上がって居ませんが蓮舫大臣の行っている事業仕分けは官僚主義の横暴をあばき出す効果はあります。無駄なダム建設に湯水の如く税金を使っている官僚の横暴さには多くの人々が吃驚してます。
日本では官僚のシビリアン・コントロールが重要だと私は信じています。その導入として昔の陸軍省の官僚主義が日本の破滅へ追いやったという見方をご紹介した次第です。明日、またこの続編を書きます。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人