後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

陸軍省軍務局長、永田鉄山惨殺と日独伊3国軍事同盟への道

2011年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム

1935年、昭和10年に永田軍務局長が皇道派の相澤三郎中佐によって陸軍省内で惨殺されました。陸軍の統制派の主たる永田鉄山局長の死によってその対抗勢力の皇道派の台頭へつながり、やがて昭和11年の2・26軍事クーデター未遂事件へと進みました。

満州を建国し、日支事変を勝手に拡大して行く関東軍の動きを、昭和天皇は大変心配していたのです。そしてやがて陸軍省は満州の北に対峙するソ連を攻撃する為に陸軍は3国軍事同盟への道へと突き進むのです。

それへ真っ向から反対したのが海軍大臣の米内光政、次官の山本五十六、軍務局長の井上成美の和平派の海軍トリオです。戦後に海軍出身の作家、阿川弘之が長編の本でこの3人を大いに褒めあげたので、海軍善玉説が戦後蔓延しました。当然、陸軍が歴史的大失敗をし、日本を破滅させたという定説がゆき渡りました。

この辺の事情は半藤一利著、「昭和史」平凡社2004年初版で客観的に過不足なく描いています。

しかし何故、陸軍省が過激になって行ったのでしょうか?陸軍が好戦的になり、ドイツと軍事同盟を組む方向に走った理由にはいろいろな原因が複雑に関係していたと理解できます。日支事変で中国大陸に展開している日本の軍隊の撤退を望む米国の存在。石油や鉄鋼の日本への輸出を制限しようとしているアメリカの方針。ソ連の満州侵略の可能性。満州国の国際承認の困難さ。時局は険悪な雰囲気でした。

いろいろな原因が重なっていたのですが、一つ見落としていけないものに陸軍省内の派閥争いと官僚主義があります。

官僚主義とは自分の派閥が、なるべく多くの部局の長のポジションを手に入れ、自分の部局の予算と定員の増大をしようとする強烈な競争的な考え方です。自分の部局の権益増大に成功した人は尊敬され出世するのです。このような精神的構造が官僚主義の特徴なので、日本という国の国益よりも自分の部局の権益のみを重視しまます。

陸軍省内にも皇道派と統制派が熾烈な派閥争いをしていました。この2つの派閥の闘争の様子を明快に書いた一書があります。それは、田中健之著、「永田鉄山惨殺事件」、学研パブリッシング、歴史群像、2010年2月号pp164-173 に掲載されています。これを読むと永山軍務局長の惨殺も、続く2・26事件も日独伊3国軍事同盟も皇道派が派閥闘争で優位に立ったのがその原因になった事が理解出来ます。

このような昔の陸軍省の官僚主義と派閥争いの事を今更書いているのは一つの目的があるからです。

それは現在でも強い官僚主義が日本の省庁にはびこっている事を指摘したいからです。

民主党が自民党から政権を取って、官僚を政治家が支配しようとしています。官僚主義の打破です。まだそんなに成果は上がって居ませんが蓮舫大臣の行っている事業仕分けは官僚主義の横暴をあばき出す効果はあります。無駄なダム建設に湯水の如く税金を使っている官僚の横暴さには多くの人々が吃驚してます。

日本では官僚のシビリアン・コントロールが重要だと私は信じています。その導入として昔の陸軍省の官僚主義が日本の破滅へ追いやったという見方をご紹介した次第です。明日、またこの続編を書きます。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人


今日の散歩道の風景・・・中央高速多摩川橋から日野橋まで

2011年01月26日 | 写真

中央高速多摩川橋の下に広い無料駐車場があります。今日はそこに車を停め、1.5km位上流の日野橋まで、遊歩道を歩きました。日野橋を過ぎると多摩モノレールの橋まで見えます。そこまで行って引き返しました。往復3・0km位です。途中で、旧、青柳村の貝殻坂を下りますが、そのあたりに江戸時代の万願寺の渡しがあったそうです。江戸時代は多摩川には橋が無く、櫓を漕いて舟で渡ったのです。旧甲州街道の道筋も随分と変わってしまって、現在の甲州街道とは違う所を通っていました。そんな事を偲びながら散歩して来ました。今日は家内は源氏物語の研究会に出掛けましたので一人で写真を撮って来ました。下に示します。つまらない写真ですが、皆様の散歩道の風景と比べながらお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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このような客観的な理路整然とした反論は大歓迎です

2011年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログの1月23日に、軍事同盟国、ドイツは戦後、日本へ何をしてくれたか?という記事を掲載しました。それに対してJ182さんからコメントを頂きました。反対意見ですが、その内容が理路整然としていて感心しましたので以下に掲載いたします。

J182さん有難う御座いました。

=======J182さんからのコメント=============

ドイツのキリスト教徒が、日本の教会の支援をしたことで、なぜキリスト教徒でない日本人が戦後のドイツになにをしたかを問われ、負い目を感じるような表現に飛躍するのでしょうか。戦火にあった寺社仏閣を支援したというならまだしも、白人の先人が布教のため日本にできた教会を支援することは、キリスト教徒以外の日本人には関係ありません。支援を受けた日本のキリスト教徒が、それを返していけばいい話です。
 またなぜ軍事同盟がいけないのでしょうか。憲法9条のもとでも、アメリカと軍事同盟を結ぶしかないのではありませんか。日独伊軍事同盟のことを言っておられるのでしょうか。親米英か親独か国論が分かれる中、リッペンドロップ主導のドイツの宣伝工作にも乗せられて国論は、親独へ傾いていきます。ヒトラーの「わが闘争(マインカンプ)」は日本でも翻訳され広く読まれます。生出寿著「最後の海軍大将井上成美」によると、海軍親英米条約派三羽烏と呼ばれた井上成美軍務局長は、原文を読み日本人を代表とするアジア人蔑視の箇所を敢て削除して邦訳していることを喝破し、ファシズムのいかがわしさを見ぬいています。もし原文どおり「わが闘争」を日本国民に知らせていたら、三国同盟はありえたでしょうか。ドイツ軍の技術指導のもと造られたトーチカとドイツ製の兵器を相手に、海軍特別陸戦隊が、上海事変を戦ったことを日本国民が知らされていたら、決してドイツと同盟など結ぼうとは思わないはずです。私が生まれる20年近く前、伯父は、この事変で敵迫撃砲により戦死しました。

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このコメントの内容は多くの人々の参考になると思います。
私の記事とこのコメントのどちらが正しいか、あるいはどちらが好きか嫌いかは読書の皆様へお任せいたします。

さてほんの少しだけ補足します。カトリック東京司教区は歴史的にはドイツよりもフランスの神父さん達によって強い支援を受けて来た教区でした。それなのに戦後ケルン教会が支援に入ったのにはいろいろな経緯があったのだろうと想像しています。その経緯も調べれば面白い事実が存在していると思っています。

さて軍事同盟の事について明快に書き直します。日独伊三国軍事同盟は結果論的には日本の敗戦の原因になったので歴史的には日本にとって失敗でしたと書きたかったのです。その他の世界中にある軍事同盟についてはその善悪を判断しても無力感を覚えるだけです。悲しい現実として受け入れざるをえないと言うのが多くの人々の理解ではないでしょうか?私もそのように理解しています。

さて以下はこのブログの全ての記事の底流にある考え方です。

「日本を低く見て、全ての外国を高く見る」という姿勢です。低く見るとは卑屈になるという事ではありません。どんな国でも自国の良いことを誇大に自慢する傾向があるものです。従って国際的な問題は日本がまず謙虚になる方が良いと信じています。このブログでは、韓国や中国のことを褒め過ぎる傾向があります。しかし私は日本が一番好きです。日本を誇りに思っています。そんな姿勢でドイツの事も描きました。恩返しをするドイツ人と書きました。しかしそれはドイツ人の極く限られた少数であると思います。しかし国際友好とは少数の善意ある人々が重要な役割を果たすものと信じています。信じたいのです。

今回ここにご紹介しましたJ182さんのコメントのような反論や批判はこのブログの内容をより深く、より豊かにするので大歓迎です。どうぞこのようなコメントをお送り下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


今日の散歩の風景・・・水郷をテーマにした広大な東京都立水元公園

2011年01月25日 | 写真

自宅から練馬の大泉まで行って、東京外環道路に入ります。終点の三郷南出口を出て八潮方面への幹線道路へ右折し、間もなく金町駅方面への道へ左折します。水元公園の正門脇に広い駐車場があります。自宅から車で75分かかりました。

とにかく広く、そして水郷のように沼が広がっています。沼沿いの散歩道は3Km位もあります。今日は往復2kmだけ歩いてきました。沼の対岸は埼玉県の三郷公園になっています。帰りにそちらへ車を回して駐車場を探しましたが分かりませんでした。

風が寒い日でしたが太陽が明るく射し、空気が新鮮で心地良かったです。家内は広い所が好きで走ったり、歩いたりしていました。公園の素晴らしさが充分に表現出来ていない写真ですが、下に風景写真を示します。

尚、関連記事、今日の散歩の風景・・・谷保の天神様から多摩川まで や今日の散歩道の風景と写真の嘘 も比較してご覧になると面白いとおもいます。

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下田港で遊覧船に乗ると江戸幕府が何故ペリー艦隊に屈服したかが解る

2011年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

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上の写真はペリー艦隊の旗艦と同じ名前のサスケハナ号という遊覧船です。黒く塗ってあり、3本マストと外輪の模型も左舷と右舷についています。同じような形の大きな模型が下田駅前に置かれています。

さて、遊覧船に乗っていろいろ考えました。外見は1850年頃のアメリカの極東艦隊の軍艦の形ですが2階席は白いカバーのかかった赤いソファーが並んでいて大きなガラス窓が四方についた贅沢な遊覧船です。軍艦を模した遊覧船は下田にしかありません。そこで帰宅後調べて見ました。解ったことをかいつまんで記します。

(1)ニューヨーク近辺にはサスケハナ族というインディアンが居て、その地方を流れる川の名もサスケハナ河と言ったそうです。その名前を取ったのです。

(2)1853年、4艦編成のペリー艦隊の旗艦でした。1854年に再来したペリー艦隊は9艦編成でした。蒸気外輪船はその一部の艦のみで、あとは全て動力無しの帆船でした。

(3)全て大型木造船でしたが外板に黒いコールタールを防腐剤として塗って有ったので黒船と呼ばれました。

(4)軍艦なので10門以上の大砲を積み、日本の近海で威嚇の為に大砲を撃ちました。

(5)これらの軍艦は総トン数2千トン以上で日本の千石船の十倍以上も大きかったのです。当時、大砲で武装した千石船は日本にありませんでした。

(6)幕府は驚愕し、1954年にアメリカへ対して開国し、すぐに下田の玉泉寺を最初のアメリカ領事館としてハリス大使が着任したのです。

(7)アメリカ極東艦隊の基地はフィラデルフィアに有りましたが、アフリカの喜望峰を回ってインド洋と西太平洋の守備範囲にしていました。

以上から結論出来ることは「江戸幕府はアメリカの艦隊の武力に屈服し開国した」という冷厳な事実です。国内の尊王攘夷論などまったく無力だったのです。

下に当時のサスケハナ号の横面図を示します。船体の割には高いマストが3本もついています。蒸気動力の外輪は港へ出入りする時だけ使用し、外洋では帆船として航海していたことが解ります。蒸気機関を動かす石炭を節約しながら大洋を渡ったのです。

観光旅行をしたらその地方の歴史を調べると面白いものですね。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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今日の散歩道の風景と写真の嘘

2011年01月24日 | 写真

今日の散歩は小金井神社から歩き出して、野川のほとりに出て、武蔵野公園まで往復約2kmのコースでした。写真を撮りながらゆっくりしましたので1時間かかりました。写真を3枚示します。

先日も、「今日の散歩の風景・・・谷保の天神様から多摩川まで」として田園風景の写真を掲載しました。風景写真に回りの住宅が入らないような構図で撮影します。すると本物の田園を散歩しているように見えます。「写真の嘘」とはこういう事を意味する事がよく解りました。

写真は真実を部分的に写してはいますが、構図の取り方で全く違った情報を伝えることが出来るのですね。それと複数の写真をうまく組み合わせるとその地方の景観が全く異なる感じに表現出来るのです。写真は恐ろしいものですね。そんな事を考えながらご覧頂きたいと思います。

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男・女のことなど、その二・・・女性へ捧げる賛歌

2011年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

仕事を完全に辞めてしまい、5年も経過すると社会との繋がりがすっかり無くなります。その頃になると権力慾や金銭慾もすっかり弱くなり、明鏡止水の境地になります。すると今まで社会で見て来た全ての事が公平に、そして客観的に見えるようになります。過去の人生を全く別な角度から眺める事が出来るようになります。老境が人生で一番幸せだと感じるのは、全ての慾から解放されて毎日を遊び暮らせる事のよると思います。遊びが純粋に楽しくなるのです。

そんな境地に至ると女性の天性的な素晴らしさが深く理解されるようになります。女性の優しさは神様が下さった奇蹟のようなものです。男性がいくら逆立ちしてもかないません。

この女性の素晴らしさへ対して私は限りない賛歌を捧げたいと思います。

以下の項目で賛歌を少し具体的に書いて見たいと思います。ご笑覧頂ければ嬉しく思います。

(1)女性の優しさが発揮出来る職業

弱い人々を相手にする職業は女性の優しさが決定的になります。保育院、幼稚園、病院の看護士、老人の介護福祉士、養護学校の先生などなどでは女性の優しさが圧倒的な力を発揮します。

レストランのウェイトレスや航空機のスチュワーデスなどは男女平等とはいってもやはり女性の方が有利です。勿論、例外はどんな世界にもあり、航空機のパイロットや会社の社長になる女性も居ます。

女性にその才能が有る限り男女差別はするべきではありません。しかし女性の天性を無視した男女平等主義は全ての人々を不幸にします。女性はやっぱり軍隊に入っても歩兵にならない方が良いのです。無理はいけません。

(2)手術を受けて身に沁みた看護婦さんの崇高な優しさ

2年前に前立腺ガンの完全切除の手術を武蔵野赤十字病院で受けました。執刀した田中先生の天才的な腕と根気のお陰で4時間の大手術も無事終わりました。

全身麻酔なのでその後が大変でした。幻覚や幻聴が起きます。身動き出来ないので排泄物は看護婦さんが処理してくれます。徹夜でしてくれます。若い娘さんなのに顔色一つ変えないで処理してくれます。その表情は神々しいほどです。麻酔が切れても排泄物の処理は5日間程して貰いました。

傷の痛みも少しとれた頃回りを良く観察してみました。手術後の患者の世話は全く平等に献身的にしています。そこには個人的な好き嫌いや差別が皆無です。

簡単ですが、以上で「男・女のことなど、その二・・・女性へ捧げる賛歌」を終りと致します。お読み頂いた方々へ感謝の意を表します。(続く)


旅立ちへ対する5つの準備

2011年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

何も準備など考えないのも良いものです。しかし何事についても準備というものが好きな私は5つの準備をしています。いささかでもご参考になれば嬉しく思います。

(1)不要な品々は処分し、家の中を整理整頓しておく。

保存する価値もない本を随分買っていたことに気がつきます。押入れに不要になった衣類や道具が大切にしまい込んであります。戦前、戦後の物の無かった時代の悲しい習性です。もう卒業します。

(2)夫婦で入るお墓を作っておく。

イエス様も御釈迦様もお墓を作りなさいとは言いませんでした。しかし世の中の習慣を無視すると遺族が困ります。遺族が簡単に行ける場所の公園墓地に墓を造りました。もう7年位前に作り、長期管理料も払いました。花々が綺麗に植えてあるので時々遊びに行きます。

(3)少しばかりの財産の分配方針を明確に子供や孫に伝えておく。

いくらも無い貯金は法律通り妻と子供が分配します。質素な山小屋は3人の孫が楽しい思い出を持っているようなので、その親へ渡します。中古のヨットは保守管理が面倒なので処分するようになります。処分してくれる方へよく頼んであります。

(4)お世話になった恩人・友人・親類へ感謝し、別れの手紙をそれとなく送っておく。

不仲であった人々を許し、感謝し、惜別の手紙をそれとなく送っておくのです。手紙をいきなり送ることはあまり適切ではありません。そこで私はこのブログの上で間接的に感謝して別れの文章を書きます。幾つも幾つも書きましたが、惜別の気持ちはあからさまに書かないので別れの手紙と気がつく人は居ないと思います。最近の記事の例は、私のヨットの師匠、STさんの事・・・回想と感謝 です。

(5)両親、祖父母、親類、恩人や神父様のお墓参りを済ませておく。

昨年から心がけて墓参りをしています。あの世に行ったとき両親、祖父母、親類、恩人と再開したとき困らないようにして置きます。気持ちの良いものです。

特にお世話になった塚本金明神父さまとムニ神父様のお墓は府中のカトリック墓地にあります。折にふれて墓参りをしています。

以上の5つが私がしている具体的な準備です。その行動を支えている精神は、全ての人や自然界へ対する感謝の気持ちです。その感謝はこのブログ記事として何度も掲載しています。最近の例は、男・女のことなど、その一  です。全ての女性への賛歌と感謝を書いた短い文章です。

自然界へ対する感謝とは不思議に思われるかも知れません。私は美しい風景へ感謝を感じます。例えば下の海に陽が射している風景を見るとこの風景を見る幸いへ感謝します。そしてそれを創った大いなるものに感謝を感じるのです。

このような記事をお読み頂いた全ての人へ深い感謝の気持ちをお送り致します。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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熱海城が見えますか?

2011年01月23日 | 写真

戦後、熱海温泉が繁盛していた頃、観光客のためにお城を作った人が居ました。熱海の街からよく見える半島の尾根の上に見えます。1月18日に下田へ行く途中、その熱海城の写真を撮りました。尾根の上に有ります。

つまらない写真ですが城というものがお好きな方の為にお送りいたします。

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軍事同盟国、ドイツは戦後、日本へ何をしてくれたか?

2011年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ドイツのユダヤ人虐殺は決して許されない罪悪です。しかしその一方でドイツ人は人間らしい善行もしてくれますた。

連合軍の徹底的な爆撃で破壊され、生活が窮乏しているケルンのカトリック信者が戦後すぐにカトリック東京教区を経済的に援助してくれたのです。

そのお陰で新しい小教区教会、例えば清瀬教会や東京司教区のカテドラルが出来たのです。上智大学の設備の一部も寄付してくれました。神学生の奨学金も送ってくれたのです。その恩を永久に忘れないように今日は東京司教区の「ケルン・デー」として感謝の祈りをケルンの為に致します。自分が困窮しているとき他人を助けることは非常に難しいものです。

その精神を忘れない為に、東京司教区は数年来、ミャンマーのカトリック教会を支援しています。

他にもドイツは戦後の日本の為にいろいろな事をしてくれました。その一つはフンボルト奨学金で多数の日本人留学生を受け入れ、大歓迎してくれたのです。私自身この奨学金を1969年と1974年の2回頂き、ドイツで歓迎されました。

軍事同盟はいけません。しかし人間の絆を忘れないで恩返しをしようとするドイツ人は人間として立派だと思います。それに比べて日本は戦後のドイツに何をして上げたでしょうか?誰方かご存知の方が教えて下さい。写真はケルンの大聖堂の写真です。

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隠れキリシタンの里に立つ黒崎教会の写真をお送りいたします

2011年01月23日 | 写真

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今日は日曜日なので、これからミサへ行きます。ミサの準備として隠れキリシタンの関連のHPを見て居ました。美しい教会の写真が有りましたので、皆様へお送りいたします。3枚目の写真にありますように山が迫った険しい地形の海辺の里です。取り締まりの役人が入り難い里なのでキリシタンが明治維新まで生き延びていたものと想像出来ます。

=====黒崎教会のHPからの抜粋です===========

長崎県外海町【そとめちょう】は、五島列島や生月島とともに隠れキリシタンの里として知られている。(外海町は平成17年1月4日に合併し長崎市とな った)
また、この地を第二の故郷とこよなく愛し、生涯日本人とキリスト教をテーマとした小説家・遠藤周作の代表作である沈黙の舞台の1つ(作品のなかでは「トモギ村」という)である。
その「沈黙」に登場するのがこのカトリック黒崎教会で外海のキリシタン文化を象徴する聖堂である。
ロマネスク様式の堅強な赤レンガ造りの黒崎教会は「・・・あまりに碧い」角力灘【すもうなだ】の海を望む高台に今も凛として立っている。 (写真と文章の出典:http://www1.odn.ne.jp/tomas/kurosaki.htm )

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


今日の散歩の風景・・・谷保の天神様から多摩川まで

2011年01月22日 | 写真

ここ数日快晴で陽射しが明るく射しています。家内と毎日5kmほど歩こうとあちこち散策しています。昨日は小平運動公園から玉川上水沿いに上流の小川橋まで往復5km歩いて来ました。

今日は午前中から谷保の天神様の梅林から歩き出しました。

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この天神様から真西へ1km歩くと雑木林に覆われた小高い城山公園に着きます。

公園の中の道を下の写真で示します。

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この道を抜けて畑の中を歩き、遠方から城山公園の雑木林を振り返ると下の様な写真になります。

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ここから更に中央高速の下をくぐり、日野バイパスを横切って1.5km程歩くと多摩川の堤防につきます。堤防から見た多摩川の写真を下に示します。

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帰りは日野バイパスに面した幸楽苑というラーメン専門店で昼食をとって帰って来ました。往復5kmの散歩でした。ささやかな老境の幸せです。つまらない話でご免なさい。(終り)


私が大好きな風景、気持ちが静かに落ち着く風景、心身ともにくつろぐ風景

2011年01月22日 | 写真

花々の写真だけが好きという人もいます。鉄道マニアは電車や汽車の写真が好きです。釣りが趣味の人は釣り人のいる風景が好きです。人それぞれです。私はヨットを少ししています。キャビンの中で寝転がりながら読書を楽しんでいます。心地良い波音だけで、他の音はありません。実に静かです。そんな趣味があるのでヨットが係留している風景を見ると心が落ち着き、心身ともに寛ぎます。その上、ヨットの姿が美しいと感じます。何故か知りませんが自然に溶け込んだ美しさを感じます。そんな感じをされる方々の為に3枚の写真をお送りします。一番上の1枚は下田港の風景で、家内が遊覧船サスケハナ号の階上デッキから撮りました。二番目は爪木崎へ行く道から撮りました。最後の写真は熱海マリーナーの風景です。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。161 061 034


あなたはオバマ大統領の胡錦濤主席の大歓迎ぶりを不愉快に思いませんか?・・・あなたの愛国心を分析してみ

2011年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の国家主席、胡錦濤さんがアメリカの国賓として招待され、オバマ大統領やヒラリー国務長官に大歓迎されました。胡錦濤さんが持参した「おみやげ」は航空機200機などの購入代金3兆7千億円でした。首脳会談も長時間、親密に行われたと報道されました。

この報道へ対してあなたはどのように感じましたでしょうか?何を考えたでしょうか?それによってあなたの愛国心の中身が明らかになります。少し段階的に質問をし、私個人の考えを書きます。ご自分の感じ方や、考え方と比較してあなたの持っている愛国心を分析して見て下さい。

(1)アメリカ側の大歓迎ぶりを不愉快に思いませんでしたか?

私は不愉快に感じました。私の個人的な考えでは不愉快に思わなかった人は人格者であるか、愛国心の弱い人と思います。

そして、不愉快と感じて、その先を考えない人は単純すぎる国粋主義者のようなもので、困った存在です。

(2)見かけは大歓迎し、本音は敵対心と憎悪に燃えている?

私は、本心から歓迎していないのかも知れないと考えてみました。少なくとも自由貿易政策をとり、数万のアメリカ企業の合弁工場を有する中国と経済面では友好関係を演出する事がオバマ大統領の至上命令なのでしょう。アメリカ人の利益を守るのが政府の義務です。建前や、イデオロギーで大統領の外交政策を決めない事が重要だという教訓になりました。少なくとも私自身にとっては衝撃的な教訓になりました。

あなたはこの私の考え方が間違っていると思いますか?

(3)中国政府の人権蹂躙問題は忘れたのでしょうか?

オバマ大統領は形式的に非難し、胡錦濤主席がやんわりとかわして終りです。私は不満でした。あなたは不満でなかったですか?

ところがオバマ大統領と胡錦濤主席の共同記者会見を見て少し満足しました。何時もは、いい加減な服装をしているアメリカ人記者が全員、ネクタイを締めダーク・スーツです。質問の時間になったら一人が手を挙げ、オバマ大統領へ人権問題に鋭い質問をしました。「あなたは人権蹂躙をしている国とこんなに親密に交流しても良いと信じているのですか?」と。オバマさんはノラリクラリと分かりにくい返事です。そしてその記者が胡錦濤主席へ、この質問へ対してあなたはどのように思っていますかと聞き直します。胡錦濤主席の顔がこわばります。沈黙で逃れようとします。するともう一人の記者が質問をします。「あなたは先程の質問が聞こえなかったのですか?」。すると胡錦濤主席は険悪な表情で言いました。「通訳の技術的な問題で質問の意味が分かりませんでした。中国は人権無視はしていません・・・」答える顔は苦しさで歪んで見えました。私は胡錦濤さんにとって良い教訓になったなあ!と思いました。あなたは中国の人権無視をどの様に考えていますか?

(4)中国人が大歓迎されて私の胸は温まりました。

アジア人と個人的に付き合った事の無い欧米人はアジ人を蔑視する傾向があります。何と言おうとそれは欧米人の悲しいサガなのです。そのアジアの一員の中国人を大歓迎してくれた事を私は嬉しく思います。特に戦前の「大東亜共栄圏」の夢を知っている私にとっては胸が温まります。

この考え方は中国との外交交渉の上で一番重要な感じ方と私個人は信じています。中国を警戒し、軍事的には対峙しながら一方では「大東亜共栄圏的感情」を持って外交交渉をするのが得策と信じています。あからさまにそれを言ってはいけません。ほのめかす事が重要と信じています。米中外交と日中外交の違いを考えながら中国と付き合った方が良いと信じています。

あなた自身はどのように考えていらっしゃるでしょうか?

今回のオバマ大統領の胡錦濤主席の大歓迎ぶりでいろいろな事を考えました。私の考え方の間違いを指摘下さいます様にお願い致します。クダクダした文章で目が疲れたと思いますので下の山並みの写真を見て一休みなさって下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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