この記事を書く目的は中国人は、「中国へ好意を持つ日本人」へは心の裏を見せるが、見知らぬ日本人や、「中国を嫌う日本人」へは深い敵対心と怨念を持っているという事を明らかにする為に書きます。
(1)中国人の本音を見せられました。
中国の首相、周恩来が死んだ後、中央政府は公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を厳禁していました。彼の死後5周年にあたる年に、たまたま北京にいた私に、北京鉄鋼学院の周栄章教授が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。
暗夜に紛れて連れて行かれた所は、深い地下に埋め込んだ大学の地下室でした。明るい照明がついた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文、花束などが飾られていました。周氏は「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。政府が追悼会を厳禁しても、やることはちゃんとやるよ。それが中国人の本性なのです」と言い切りました。
外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用出来たのでしょうか?
中国東北部の瀋陽に行った時、東北工科大学の陸学長がニコニコして「私は日本人の作った旅順工大の卒業です」ときれいな日本語で言いました。
そこで、仙台の東北大学で私が習った温厚なM先生が旅順工大から引き揚げて来たことを話しました。陸学長は優しい性格のM先生を覚えていました。
「M先生には親切にして貰いました。悪い先生もいましたが、大変お世話になった素晴らしい日本の先生もいました。ご恩は忘れません」と懐かしそうでした。
(2)中国を蔑視する日本人が中国に工場を作って失敗する原因。
中国の東北部に有る瀋陽市は旧満州の首都で奉天市という名前でした。その郊外に大きな工場を作っていた日本人経営者が遼寧省の幹部役人(共産党員)も出席している宴会の席で演説をしたそうです。「旧満州地区の工業水準が高いのは日本のお陰です。鉄道も製鉄所も炭鉱も全て日本人が作り、中国人へその技術を教えたのです。終戦の時その鉄道や製鉄所や炭鉱をそっくり中国人へ差し上げたのです。、、、」と大きな声で宴会の冒頭の演説をしました。
その工場は3年後に破綻して日本へ撤退したそうです。遼寧省政府が環境保全の為の税金だとか中国人社員の待遇改善などなど全ての事に厭がらせを根気よく続けたそうです。
1994年のことですが河北省の保定市の工業特区で東京から保定市へ移転した水道工事会社の日本人社長と2、3度お酒を飲みました。彼は心底から中国人が好きだと言います。東京にある会社の本社をたたんで本社も中国のへ移転しましたと言います。何か人生に対するスッキリとした割り切り方に感銘を受けました。中国人はそういう日本人を徹底的に支援します。彼の工場は順調に利潤を増加しているのだそうです。
その日本人社長へ瀋陽で破綻した日本人経営者の工場の話をしました。「中国が心底好きでなければ来てはいけません。中国はそういう国なのです」。それだけしか論評しません。
中国人と個人的に付き合った事のない日本人は数千万人居ると思います。もしこの数千万人が中国人を嫌っていたら、十億人以上の中国人が日本人を嫌っているのです。これが日中関係の現実です。どうしたら良いのでしょうか?その正解はだれにも分かりません。
しかし、嫌うより好きになる。憎むより愛する。そうすると自分自身の人生が明るく、幸せになる。日中関係を良くしようとなどど考えないで自分の幸福を考えるのが正解ではないでしょうか?
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人