後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

働く船とお金を浪費する船が並んでいる写真

2011年01月21日 | 写真

漁船は魚を獲って利潤をあげます。お金を稼ぎます。

ところがヨットはただ海に出てセイリングをして帰って来ます。魚を取るわけではないので収入はゼロです。その上、燃料代やヨットの高額な係留料で大きなお金を浪費しています。この2種類の船が仲良く並んで港に休んでいる風景を見ました。下田漁港の風景です。漁船とヨットやモーターボートが混在している風景を珍しく思い写真を撮りました。

考えてみると日本の伝統的な考えではお金を浪費する事は道徳的に悪い事です。特に欧米の趣味にはある種の抵抗感があります。日本のGDPが世界3位と大きいのに、ヨットやモーターボートが欧米ほど普及しない原因は日本人の道徳観や伝統が原因になっていると感じていました。それが仲良く並んでいるので私の考えが少し間違っていたのかも知りません。つまらない感想を書いて恐縮です。お許し下さい。

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キンメの味噌漬、ヒモノ各種、サザエ・アワビの店舗案内

2011年01月21日 | うんちく・小ネタ

伊豆半島の東海岸の稲取漁港はキンメダイの水揚げが多くて有名です。キンメは刺身や煮付けにすると美味です。干物もあります。味噌漬も美味です。稲取漁港の前まで坂を下りて行くと、「徳造丸」いう店で売っています。同じ徳造丸という干物屋が数軒、稲取近辺の東海岸街道にあり、キンメだけでなくアジ、サヨリ、イカなどなどの干物が豊富に並べてあります。駐車場も広いのでお薦めです。

サザエやアワビは稲取の坂上の交番の向かいに「稲取水産」というサザエ、アワビ、イセエビだけの専門商店があります。街道沿いの店よりとても良心的な価格です。壺焼用のサザエを7ケ買いましたが、1350円でした。壺焼用には若くて小ぶりなほうが柔らかで良いと教えられました。サシミにするなら大きなサザエが良いそうです。

まあ干物は新鮮なら何処の店でも同じように美味です。徳造丸商店の前から見た稲取漁港の写真を示します。(終り)

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男・女のことなど、その一

2011年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

老境に入ってアッと驚くような素晴らしい発見を幾つもしました。

老境に至ると、権力慾や金銭慾から解放されます。俗的な欲望から離れると人間の素晴らしさや俗悪さが明確に見えるようになります。昔の自分自身の事も客観的に見えます。

男女の関係も肉体的観点よりも精神的観点から公平に見えるようになります。

そこで「女性の素晴らしさ」や「男性の偉さ」などについてシリーズ記事を書いて見たいと思います。その一、として、「女性の無限の優しさ」について少しだけ書きます。

男性が深くかかわる女性は母や恋人や妻です。母や恋人は無限にやさしいものです。妻も新婚当時は優しさに溢れています。しかし、と言って、それ以上書くといろいろ問題が起きそうです。それ以上書かないのが賢明というものです。

そうでは無く、老境に至って初めて女の本性は優しさにあると発見出来たのです。70歳を過ぎた頃から電車やバスの中で席を譲ってくれる女性の顔を見て確信したのです。有難うと言います。すると今まで見たことのない種類の慈しみの表情を見せてくれます。店でもレストランでも働いている女性は老人に優しいのです。良く観察すると高齢の婦人へ対しても同じように親切にいたわっています。

私の若い時は街頭や店で見ず知らずの女性に優しく、親切にされたことがありません。多分、ルックスが悪いのでそうなっていると信じていました。それが間違っていました。弱い者、助けが必要な者へ対して女性は本能的に分け隔てなく親切心が湧いてくるのです。

老人の私へ親切にしてくれる若い女性を見ると何故そうするのか、その原因を考えるのが悪い癖です。そうか、この若い女性は彼女の優しいお祖父さんとの楽しい思い出を沢山持っているのだなと考えて納得していました。しかしそれも間違いだったのです。

若い女性が老人へ、親切にする。優しくする。それはもっと根源的な女性の素晴らしさなのです。下に昨日撮った梅の花の写真を示します。季節がめぐって来ると毎年、毎年、確実に花が咲きます。そうです。女性の優しさは動物的本能というよりも植物からの遺伝子によるようです。優しさと美しさは一緒に歩き回ります。女性が高齢になっても美しいとしたら、彼女は優しいからなのです。続編ではこの優しさに基づいた女性の職業についても書くつもりです。

老境にある方々からのご意見を頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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毎日、毎日を感動しながら生きる幸せ

2011年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

左のサイドバーに「推薦したいブログ」の欄があります。その中に、ちひろさんのブログ があります。
琵琶湖のほとりに住み、感性豊かな花々や自然の風景の写真を毎日掲載している美しいブログです。文章も活き活きとしています。彼女は日本舞踊を若い時からしていらっしゃいます。現在はその会のための練習でブログは暫しお休みとのことです

3年くらい前に私は彼女の許しを受けて、その写真や文章を転載させて貰っています。その理由は作品が活き活きとして居るからです。彼女はまだ仕事をしています。しかし、通勤の時見る、自然の佇まいや、季節の移り変わりなどに毎日、毎日、感動しています。全てのものに感謝して生きています。その様子が写真に表れています。

今日はその一例として、冬の伊吹山の写真、琵琶湖の葦の陰に寒さを避けて居るアオサギと白サギの写真、暗い雲から射し込む光の写真の3枚をご紹介いたします。多分職場からの帰り道で撮ったようです。写真を撮っている人の感動が伝わって来ます。毎日、毎日、このように生きている人は本当に幸せだと思います。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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それにしても海の碧さよ、広さよ!

2011年01月20日 | 写真

伊豆半島、下田白浜の海の淡い青さ・下田の紺青の大洋・そして太陽の光にキラキラ輝く海面。昨日撮って来た写真です。いつもいつも霞ヶ浦へ通ってヨットをしていますので、今更ながら海の美しさに魅了されました。お楽しみ頂ければ嬉しく存じます。

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伊豆半島突端、爪木崎の満開の野水仙の群落の写真をお楽しみ下さい

2011年01月20日 | 写真

1月19日の朝に撮影しました。水仙まつりをして居ました。伊豆半島の突端は暖流が流れる温暖の地です。太陽がキラキラ輝いています。しかし流石に寒風が吹いていました。

丁度、1年1ケ月前に同じ爪木崎の野水仙を見に行きました。その時の記事は、

こんな冬の最中に野生のスイセンが満開になっている地方があります です。  

合わせて、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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私は見てはいけないものを見てしまった・・・その三

2011年01月20日 | インポート

この記事を書く目的は中国人は、「中国へ好意を持つ日本人」へは心の裏を見せるが、見知らぬ日本人や、「中国を嫌う日本人」へは深い敵対心と怨念を持っているという事を明らかにする為に書きます。

(1)中国人の本音を見せられました。

中国の首相、周恩来が死んだ後、中央政府は公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を厳禁していました。彼の死後5周年にあたる年に、たまたま北京にいた私に、北京鉄鋼学院の周栄章教授が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。

 暗夜に紛れて連れて行かれた所は、深い地下に埋め込んだ大学の地下室でした。明るい照明がついた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文、花束などが飾られていました。周氏は「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。政府が追悼会を厳禁しても、やることはちゃんとやるよ。それが中国人の本性なのです」と言い切りました。

外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用出来たのでしょうか?

中国東北部の瀋陽に行った時、東北工科大学の陸学長がニコニコして「私は日本人の作った旅順工大の卒業です」ときれいな日本語で言いました。

そこで、仙台の東北大学で私が習った温厚なM先生が旅順工大から引き揚げて来たことを話しました。陸学長は優しい性格のM先生を覚えていました。

「M先生には親切にして貰いました。悪い先生もいましたが、大変お世話になった素晴らしい日本の先生もいました。ご恩は忘れません」と懐かしそうでした。

(2)中国を蔑視する日本人が中国に工場を作って失敗する原因。

中国の東北部に有る瀋陽市は旧満州の首都で奉天市という名前でした。その郊外に大きな工場を作っていた日本人経営者が遼寧省の幹部役人(共産党員)も出席している宴会の席で演説をしたそうです。「旧満州地区の工業水準が高いのは日本のお陰です。鉄道も製鉄所も炭鉱も全て日本人が作り、中国人へその技術を教えたのです。終戦の時その鉄道や製鉄所や炭鉱をそっくり中国人へ差し上げたのです。、、、」と大きな声で宴会の冒頭の演説をしました。

その工場は3年後に破綻して日本へ撤退したそうです。遼寧省政府が環境保全の為の税金だとか中国人社員の待遇改善などなど全ての事に厭がらせを根気よく続けたそうです。

1994年のことですが河北省の保定市の工業特区で東京から保定市へ移転した水道工事会社の日本人社長と2、3度お酒を飲みました。彼は心底から中国人が好きだと言います。東京にある会社の本社をたたんで本社も中国のへ移転しましたと言います。何か人生に対するスッキリとした割り切り方に感銘を受けました。中国人はそういう日本人を徹底的に支援します。彼の工場は順調に利潤を増加しているのだそうです。

その日本人社長へ瀋陽で破綻した日本人経営者の工場の話をしました。「中国が心底好きでなければ来てはいけません。中国はそういう国なのです」。それだけしか論評しません。

中国人と個人的に付き合った事のない日本人は数千万人居ると思います。もしこの数千万人が中国人を嫌っていたら、十億人以上の中国人が日本人を嫌っているのです。これが日中関係の現実です。どうしたら良いのでしょうか?その正解はだれにも分かりません。

しかし、嫌うより好きになる。憎むより愛する。そうすると自分自身の人生が明るく、幸せになる。日中関係を良くしようとなどど考えないで自分の幸福を考えるのが正解ではないでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


私の憧れは白樺林と薪ストーブでした

2011年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

仙台で生まれ育ったので白樺林を見たことがありませんでした。大学生の頃、思い切って北アルプスを単独で縦走しました。その折、山の中腹で見事な白樺林を見て魂が吸い取られるような体験をします。

結婚して家を作った時、その事を若い妻に話しました。すると何処で手に入れたのか植木屋さんが白樺の若木を10本持ってきて塀の傍に一列に植えてくれました。純白の幹が夜目にも光って見えます。妻からいろいろなものをプレゼントされましたが、こんなに感動したものは有りません。しかし白樺は弱い木でした。風通しが悪いせいか、5年もすると次から次へと根元が虫にやられ倒れてしまったのです。

1974年に山小屋を作りましたが、小屋の前の丘の上に白樺林が見えます。当時は里人がよく手入れをしていたので他の木が混じっていなく、整然とした美林でした。よくその丘に登って白樺林を眺めていたものです。現在も見に行きます。しかし里人が引っ越してしまい、誰も手入れをしません。たちまち下の写真のような混生林になってしまいました。残念です。

もう一つの憧れの的は「薪ストーブ」でした。現在でも小屋へ行く度に下の写真のように薪を焚き、遊んで来ます。

しかし年齢を重ねて次第に山小屋へ行けなくなるでしょう。白樺林と薪ストーブともお別れする年齢が近づいて来ました。白樺さん、薪ストーブさん、長い間本当に有難う御座いました。

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この麗しい日本を愛そう!・・・今こそ健全な愛国心を育てよう!

2011年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

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上の写真は山梨県、釜無川と甲斐駒岳の風景です。このような山紫水明の風景は全国にあります。日本は緑に覆われた麗しい国なのです。この邦を大切にし、愛して、守って、子孫へつたえる強い意思が愛国心です。多少の自己犠牲も覚悟の上で大切にするのです。

守る為には賢い外交戦略、外国から尊敬される文化の力、経済力、工業技術、そして先端的な技術に裏打ちされた軍事力など全てをバランス良く持って居なければなりません。軍備だけを重視するのはいけません。軍国主義になってしまいます。

外交戦略、文化力、経済力、工業技術力、軍事力など全てが複雑に関係しあって日本の強さが決定します。愛国心で非常に重要なのはもう一つあります。それは自分の邦は自分で守るという強い独立心です。アメリカの軍事力に頼っていれば日本は安全だと考えるのは大きな間違いです。天は自らを助ける者しか助けません。自己犠牲の精神で日本を守る決心が無ければアメリカは助けてくれません。この事がどうも分かっていないようです。

尖閣諸島の問題で日本は自分の力で何とか領土を守ろうとしました。前原外務大臣の決心が立派でした。その結果、ヒラリー国務長官が尖閣諸島は日米安保の防衛ラインの内側と明言したのです。これで中国が引っ込みました。尖閣諸島問題は日本人に健全な愛国心が出来るキッカケになったのです。アメリカは少し日本人を尊敬して、普天間基地問題と日米共同防衛の問題とを切り離すと言いだしたのです。この交渉も前原さんのお手柄です。

さてアメリカの本音も考えて見ましょう。アメリカ政府はアメリカへ徹底的に敵対する北朝鮮が憎いのです。今すぐにでも一挙に軍事占領してこの国を消滅させたいのです。アフガニスタンやイラクのように潰してしまいたいのです。それが出来ない理由はたった一つあります。中国が北朝鮮に深く関係しているからです。北朝鮮の日本海側に近代的な港を作り、中国軍が駐留して守っています。北朝鮮がアメリカによって占領されれば、中国は日本海への出口を失います。

しかしアメリカは中国と事を構えられません。アメリカの国債を中国政府が多量に購入しているのです。その上、何万というアメリカの会社が中国に工場や合弁会社を持っています。中国は経済力でアメリカを牽制しているのです。

中国の外交戦略は明快です。北朝鮮を取引の材料にしてアメリカと対峙しているのです。この構図の中で韓国と日本は自分の国を守って行かなければいけません。韓国と日本とが軍事的な協力をすることを重要になってきます。

しかしどんな場合でも日本人の健全な愛国心が試されます。それ無くして韓国も日本と本気で共同戦線を組みません。アメリカも日本の利益になるような防衛戦争はしません。そうすれば北海道くらいは北朝鮮に占領されるかも知れないのです。

もう一つ複雑になるのはロシアの極東戦略が攻撃的になってきている事です。

ロシア、中国、そして北朝鮮を仮想敵国と見ながら、その一方では友好的に付き合う必要があるのです。その為には、これらの国の実態を深く、総合的に研究し、理解して置く必要があると信じています。敵が急に味方になったり、味方と思っていた国が急に敵になることは人類の歴史の中で珍しい事では無いからです。皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人


ヨハネ・パウロ2世が福者になる!

2011年01月18日 | インポート

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上の2枚の写真の左は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時の写真で右はローマ法王当時の写真です。(2005年4月2日、84歳で旅立ちました)

このパウロ2世が福者に列せられる事がローマ法王、ベネディクト16世から正式に発表されました。福者とはカトリックの聖者の次の名誉称号であり、いずれ聖者になる可能性が大きいのです。

列福式は5月1日にバチカンのサンピエトロ広場で行う予定で、世界中から200万人の人が集まると予想されています。今日の読売新聞、7ページ目にこのニュースが報道されています。

パウロ2世が死後6年足らずで福者に列せられるのは異例のことで、如何に傑出した法王だったかの証です。

彼の偉大な功績は、何と言っても世界中を隅々まで、法王なのに巡礼のような旅をして各地の言葉でミサをたて、洗礼式や叙階式をした事です。これほどローマ法王が身近に感じ、親しく感じた事はありません。ポーランドの連帯代表のワルサさんに会いに行きポーランドの自由化を支援した事も忘れられません。

もう一つの偉大な功績は、いろいろな宗教間の和解運動を進めたことです。カトリック教会の過去の間違いにも謝罪しました。ガレリオの裁判も間違いだったと謝罪したのです。本当に温かい血の通ったローマ法王でした。

パウロ2世のお葬式へは世界中の国家元主が出席しましたが、日本政府からは首相クラスの人は出席しなかったのです。その事は宗教の問題を離れて国際政治の上で日本の立場を弱くしました。まあ、そんな俗っぽい事は忘れることにします。

やっぱりヨハネ・パウロ2世は偉大でした。傑出していました。熱い血の通った人でした。(終り)


私の愛国心の源泉は日本の高度な技術や経済力だけではありません

2011年01月18日 | 日記・エッセイ・コラム
ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が、日本人を
神父にする叙階式を司る!

 浦上天主堂は250年のキリシタン弾圧の中で、「何時の日か、ローマのパパ様より、お使いが来る」ことを信じて、その迫害に耐えた天主堂であり、そして世界唯一の被爆天主堂でもある。信者は二重、三重の苦しみの中から、天主堂を守り続けて来た。
 350年経過した今日、ローマからは、その使者ではなく、パパ様ご自身が「巡礼、司牧、平和の使者」として、私たちの天主堂を直接訪れてくださったのである。
 私たち浦上信者にとって、これ以上の感激、喜びはない。

1981年2月25日、浦上天主堂で日本人神父の叙階ミサを司る

 Papa031 昭和56年2月25日午後6時、粉雪まじりの寒風が吹きつける浦上の丘に、信者の嬉しさに弾む心を表わすかのように、力強く嬉しそうに鳴り響く鐘の音に続いて、シスターや信者等の歓声と拍手の中、白いスータン姿の教皇様は何度も手を上げ、これにこたえられた。
 天主堂中央の扉が開かれ、ビバ! パパ! の合唱と共に入堂された教皇様は、歓呼で迎える参列者一人一人の手を握り、満面に親愛の笑みをたたえながら祭壇へとゆっくり進まれた。
 聖堂内は被叙階者家族、司教、司祭、シスター、浦上小教区の小・中学生、各小数区の信者等、約2,000人余の参列者で立錐の余地もない。
「皆さん、神聖な祭りを祝う前に、私たちの犯した罪を認めましょう。」……流暢な、声量あふれる力強い日本語に参列者一同感激した。
 教皇様は日本語での説教の中で、「この叙階式は、私の日本での使徒的旅行の頂点をなすものです」と、訪日唯一の叙階式の意義を詳しく、ご説明になり、更に、「長崎の信者たちが200年以上も一人の神父もなしに、天主堂もなく、公の礼拝もないとう不利な条件にもかかわらず、あらゆる迫害に堪えて信仰を守り続けたこと。私は深い感動をもって、その普、大浦天主堂で、長崎に着いた宣教師と浦上信者等との出合いを思い出します」と、長崎の信者の信仰を称えられた。
 なんとありがたい、身にあまる光栄でしょう。
 私たちは、このお言葉を胸に刻みつけ、神の証し人として、もっともっと毎日の生活に、この教皇様のみこころを生かしていかねばならないと痛感した。(以下省略)

===上の文章と写真の出典:http://www1.odn.ne.jp/uracathe/kyoukou.htm ====

その他:2月26日、「長崎・殉教者記念ミサ」、5万7000人を前に教皇ミサ、76人の洗礼式を司式。

上の様な記述を転載する訳は、1月16日の掲載記事、「日本のカトリックの本山は長崎、浦上天主堂・・私が勝手にそう言うだけですが」 の理由を説明するためです。

ローマ法王は歴史上初めて日本を訪問したのです。東京にも来ました。天皇を公式訪問し、鈴木善幸首相とも会談しました。バチカン国の元首としての儀礼的な訪問は東京で全て済ませました。そのあとはパウロ2世は一介の巡礼者になって広島と長崎を巡礼したのです。全てのミサは努力して覚えた日本語でなさったのです。

ローマ法王が日本を訪問した事はキリスト教信者にとって感動的な出来事だったのです。

そして、その上パウロ2世は、日本人が宗教の為に殉教も辞さない気高い民族であった事を世界へ公に知らせる事になったのです。欧米諸国が日本人の勇気と宗教的誠実さを尊敬するようになったのは想像に難くありません。

私の愛国心の一部はこのような事実の積み重ねによって出来あがって来ました。決して工業技術レベルの高さや経済的発展だけが愛国心の源泉になっているのではないのです。この麗しい国、日本と呼ぶとき、私は長崎でのザビエルの訪日以来のさまざまな出来事を思い浮かべています。

皆様の愛国心の源泉は何でしょうか?お教え頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人