私のお付き合いをしている方々に宗教嫌いの人が多くいます。親しくお酒など酌み交わしながら、時々話題が死後の世界のことになります。まあ、私の方からそんな話題にするのですが。すると私は宗教は嫌いだ!宗教のお陰で戦争が絶えないではないか!私が死んでも葬式も戒名も要らないと言い放つ方が多いのです。
そう断言されても私は不快に感じません。一般にそこまで考えている人に限って他人へ優しいものです。もっと言えば人格的に良く出来た人が多く、友人として信頼できる人が多いのものです。
宗教のお陰で戦争が絶えない。アメリカはイスラム諸国を目の敵にして侵攻します。喧嘩を売るような理不尽な外交を展開しています。
中世には十字軍はイスラム教徒ばかりか同じキリスト教の正教会派の信徒も虐殺したのです。マルチン・ルターの宗教改革では30年戦争という新旧両派の凄惨な戦を引き起こし、ヨーロッパを血染めにしたのです。現象の表面を観察すると、「宗教が戦争の原因」とは本当です。しかしイエス様はキリスト教の為に人を殺せとは絶対に言ってません。キリスト教の本物の信者は福音書に書いてあることだけを行います。書いていないことを行うのは人間の権力慾や物欲が原因なのです。その行為は悪魔の行為です。そんな事を力説すると多くの友人は静かに聞いてくれます。
しかし、「でも私は葬式も戒名も要らないよ」と微笑んでいます。
ああ、そうか。そう言えばお釈迦様はお葬式もいらない、墓も不要だ、と言って涅槃に入られたのです。玄奘三蔵法師の死んだ時、墓を作らないで長安の郊外の荒れ野に骨をすてたのです。それを拾って来て西安のお寺の境内にお墓を作ったのは後の世の人々でした。その遺骨の一部が日本へも運ばれ、現在、埼玉県の岩槻市のあるお寺に祀ってあります。(このことはこのブログで詳しく紹介しました)
葬式や戒名は要らないよ、という人は半分は照れ臭いからです。しかしあとの半分の理由はお釈迦様の言い残したことを無意識のうちに尊敬し、信じているからなのです。
俺は宗教は嫌いだ!と言う人は多くの場合人格が高潔です。「俺は宗教のことで他人と議論するのが嫌いだ!」と言っているのです。
貴方のご意見はいかがでしょうか?
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人