後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬至とクリスマスの関係について

2014年12月22日 | うんちく・小ネタ
今日は冬至です。一年中で夜の間が一番長い日です。
これから太陽の射す時間が次第に長く成長していきます。ですから冬至は一陽来復と言ってお目出度いと考える人もいます。日本ではカボチャを食べたりゆず湯に入ったりして運が良くなるように祈ります。
そしてヨーロッパの北方民族は古くから冬至祭をおこなって春が早く来るのを祈ったのです。この北ヨーロッパにもキリスト教が伝わると、この冬至祭をキリストの誕生日にして祝うようになりました。それが12月24日のクリスマスです。
少し詳しく言えばキリストの生まれたのが25日の明け方ですので誕生日は25日ということになります。ですから24日はクリスマスの前夜祭なのでクリスマス・イヴと言います。
北方民族の冬至祭だったのでトナカイの橇が出てきます。いつもはフィンランドの森に住んでいるサンタクロースがクリスマスの時にはトナカイが牽く橇に乗ってやって来るのです。そして家々の煙突から入って来て子供たちが寝ている間に贈り物を配るのです。全世界の良い子達へ同時に配るのです。
サンタ・クロースのモデルになった聖人は元来はギリシャ正教の東ヨーロッパで活躍していた聖ニコラスさんだったと言われています。とても子供が大好きな聖人だったそうです。そのせいでクリスマスには全世界の良い子へ贈り物を配るのです。もともと東ヨーロッパにいた聖人が何故フィンランドの森に引っ越したのかはさだかではありません。
さだかでないと言えば、実はイエス・キリストの生まれた年も月日も確定していません。西暦元年ではなく紀元前4年だという説も聞いたこともあります。
しかし私は西暦元年ころの12月25日の明け生まれたと信じています。
今日は冬至で、3日後の24日の水曜日にはクリスマスが来ます。
何時もお読み頂いている御恩に感謝して美いい花束の写真をお送りいたします。
いつも有難う御座います。後藤和弘
(写真の出典は、http://suntoryflowersgift.net/shopdetail/000000000057/です。)





クルド族とイスラム国との戦争(1)英仏の横暴とクルド民族とは?

2014年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム
アフガニスタン、イラン、アラビア半島の諸国、イスラエルとパレスチニアから地中海にかけて複雑な戦争が続いています。
この戦争を理解するために私は以下の3つの歴史的事情を考えて簡単化して考えています。
(1)もともとこの地域は近代国家の概念が無く、部族同志の武力闘争が絶えなかった地方なのです。その状態が現在で続いています。日本の歴史にたとえれば応仁の乱以後の戦国時代のような世界なのです。
(2)第一次大戦後は英仏が支配した地域でしたが第二次大戦後はアメリカが支配しようと戦争をしている地域です。
(3)アメリカ資本の影響下にあるアラブ首長国連邦やドバイやクエートやサウジアラビアなどの湾岸諸国は同じイスラム国なのにアメリカの味方になって他のイスラム国と戦争をしています。
これで中東で起きている複雑な戦争の概略が整理されます。理解も出来ます。
多くの日本人は中東は日本とは関係のない所と思っています。一部の日本人だけが石油や天然ガスの供給源として非常に危惧していますが、一般には関心の薄い地方です。
ところが最近この地方にイスラム国が勢力を拡大しています。そしてそれに対抗するクルド族の軍隊が力を伸ばし戦っているのです。
中東の戦争はますます複雑になってきたのです。
そこで「クルド族とイスラム国との戦争」と題して少し中東地域の新しい戦争について理解を深めたいと思います。この連載の第一回はクルド族とはどのような民族なのかを調べました。そして第一次世界大戦の後に英国とフランスが勝手に国境線を描き、クルド民族をばらばらにした歴史もご紹介いたします。
以下は、http://ja.wikipedia.org/wiki/クルド人 からの抜粋です。
クルド民族はトルコ・イラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布しています。独自の国家を持たない世界最大の民族集団です。人口は2,500万~3,000万人といわれています。中東ではアラブ人・トルコ人・ペルシャ人(イラン人)の次に多い民族です。宗教はその大半がイスラム教に属します。
下の図面の赤い領域がクルド人が他の民族と混じって住んでいる地方です。

図面の出典は、http://matome.naver.jp/odai/2138025309858983201です。
少し歴史的にみるとクルド人の居住地は中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にありました。
ところが第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスとイギリスによって引かれた恣意的な国境線により、トルコ・イラク・イラン・シリア・アルメニアなどに分断されたのです。
1922年から1924年まではクルディスタン王国が存在した歴史もあります。その上、1946年には、クルディスタン共和国(英: Republic of Kurdistan、1月22日 - 12月15日)が、ソヴィエト連邦の後押しによって樹立された期間もあったのです。
最近、イスラム国の武力が拡大し、クルド人の領域が浸食され、クルド人が残酷に処刑されているのです。
当然、アメリカはクルド族を支援し、シリア領内のイスラム国の拠点も空爆で攻撃しています。一方、クルドの軍隊はトルコ領内を通過してシリア内のイスラム国の拠点を地上から攻撃しはじめたのです。戦雲急を告げだしたのです。
アメリカは何故イスラム国を目の仇にしているのでしょうか?
私は2つの大きな理由があると思います。一つは、イスラム国が拡大し産油国のイスラム諸国を占領する勢いがあるからです。中東にあるアメリカの莫大な利権が失われる危険があります。二つ目の理由はイスラム国の支配が野蛮すぎて人道的になさ過ぎるからです。
中東の戦争はますます複雑になってきました。日本の注意深く見守る必要があると信じています。
二番目の写真でクルド人の子供やを示します。三番目の写真はクルド軍に女性戦闘員の写真です。四番目の写真はクルド人の部隊の写真です。出典は全て、http://matome.naver.jp/odai/2141386520875157401です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)





キリスト教の不思議、「受胎告知」、その数々の絵画

2014年12月21日 | 写真
イエス・キリストの誕生のとき母、マリアは処女懐妊してイエスを馬小屋で生むのです。キリスト教の不思議な話です。
受胎告知とは天使ガブリエルがヨゼフの許嫁、マリアの前に現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と言います。マリアはこの言葉に戸惑い、困惑します。そうすると天使が言ったのです、「マリア、恐れることはない。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子イエス名とづけなさい。」
マリアは、「どうしてそのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。」と答えます。するとガブリエルが言います、「聖霊があなたに下り、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」
そこでマリアは言います、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」と天使、ガブリエルの言葉を受け入れ、従うのです。
このようにしてイエス・キリストがこの世に生まれでたのです。
この物語は大変不思議な話です。しかし私はこの科学的でないことを上の文章どうりに起きたと信じています。
そしてこの場面は何故か非常に美しい場面のように感じます。
昔の西洋人たちもそのように思ったのでしょうか。いろいろな画家が、「受胎告知」という題目で絵画を描いています。
そこで以下にその幾つかをご紹介したいと思います。

上の写真はフラ・アンジェルコの「受胎告知」(1430-32)です。

上の写真はハンス・メムリンクの「受胎告知」(1467-70)です。

上の写真はレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」(1472-75)です。

上の写真はエル・グレコの「受胎告知」(1590頃ー1603)です。

上の写真はフランチェスコ・アルバーニの「受胎告知」(1601年)です。

神の不平等と冬を楽しむ北海道の人々の心の豊かさ

2014年12月21日 | 日記・エッセイ・コラム
神の前での人間の平等は絶対的な真理です。しかし神は人間の住む場所の気象条件は平等にはしませんでした。沖縄の真夏の暑さ、日本海に面した山地の冬の豪雪、そして極寒の北海道の冬。厳しい気象条件は人々へ与えた試練なのでしょうか。
気象条件だけではありません。この世では多くのものが平等ではありません。金持ちの家に生まれる人、貧しい家に生まれる人。才能に恵まれた人、才能の無い人。男女の美醜。みんなみんな不平等です。
しかしそれが神様のなさったことなのです。運命なのです。その運命を静かに受け入れて与えられたものだけで幸せに暮らそうとするのが人間の智慧なのです。智慧ある者は幸せなのです。仏教ではそんな生き方を、「足るを知る」と言います。
何故そんなことを考えるのかというと最近の例年にない寒さのせいです。急に寒くなり、散歩も毎日は出来なくなったのです。
戦中、戦後の昔、私が住んでいた仙台の冬の寒さを思い出しています。当時は暖房につかう燃料もなく冬の寒さは身に沁みたのです。夜寝ていると室内でも零下になり、息で蒲団の襟元がカチカチに凍ったものです。雨戸の隙間から雪が舞い込んできたものです。
それにしても極寒の北海道の人々は冬をどのように過ごしているでしょうか。心配になっていろいろ調べてみました。
北海道は何度も旅をしましたが冬だけは行っていません。日本の他の地方とは違う独特の文化を持っています。明治以後の西洋文化を導入した開拓の歴史のせいかなんとなくヨーロッパ的な風景と文化の香りがします。そして地名の大部分はアイヌ語でです。北海道の人はそのアイヌ語の意味まで知っています。ですから開拓される以前の北海道の動植物や自然の景観を時々想像しながら暮らしているのです。観光バスのガイドさんはそのアイヌ語の意味を必ずのように説明してくれます。
明治以後、北海道へ移住した和人は自然にこのような北海道の文化が好きになります。
そして四季折々の大自然の営みを受け入れ、それを存分に楽しんでいるのです。
冬の寒さも例外ではありません。厳寒の冬を受け入れる心の豊かさを持っているのです。
例年、厳冬期に開催される札幌の大通り公園の雪まつりの雪像は有名です。札幌市内の個人やグループが自由に参加できるので。昔、私が親しかった北海道大学のある研究室ではこの雪祭りに毎年参加して雪像を作っていたものです。いろいろな職場のグループや自衛隊のグループも参加しています。
このような氷雪を利用したイベントは各地で開催されています。旭川の氷の彫刻は一度だけ見ましたが感動的でした。夜に見に行ったのです。色とりどりの照明でキラキラと幻想的に輝いているのです。
層雲峡でも氷瀑祭りをしています。白鳥の群れなす屈斜路湖や阿寒湖などなどでも冬のイベントが開催されています。北海道の冬の楽しみ方はスキーやスケートだけではないのです。
寒さの苦しさを楽しさへ転換する。これが智慧なのです。北海道の人々に感服します。
いろいろな写真の中から、「色即是空68」さんのブログ: http://ibi328.exblog.jp/5080658/から北海道の冬の風景写真をお送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

上の写真から三番目の写真までは層雲峡の「氷瀑祭り」です。





上は冬の斜里岳の風景です。

上は屈斜路湖の砂場で白鳥と遊んでいる光景です。

上と下の写真は阿寒湖氷上祭りです。



上は女満別空港附近の雪山の風景です。



思い出の夏山の花々

2014年12月20日 | 写真
もう来週の24日はクリスマスです。師走には日々が飛ぶように過ぎ去ります。
クリスマスが終われば大晦日が来て今年も暮れようとしています。
暗い寒い日々が続いています。
それでつい楽しかった夏山の散歩や道傍の花々のことを思い出しています。
山梨県北杜市の武川町の山林の中の小屋の付近で6年5ケ月前の7月に撮ったものです。
一番目の写真はネムノキの花です。大木ですが回りの電柱や電線が邪魔して、満開の大きなネムノキの全体が撮りにくく、カメラアングルに苦労しました。しかしこの大木の合歓の木も2年後に切り倒されて現在は影も形も無くなりました。儚い自分の運命を知っていたよう淋しい花を咲かせていたものでした。
二番目の写真は小屋の付近の雑木林の中に咲いていたウワズミサクラです。花の咲いていないときは地味な葉だけなので雑木林に溶け込んで目立ちません。雑木林にはそのような木も幾つかあります。美しい白い花房を沢山つけるエゴノキもそうです。
三番目の写真は野生の藤の花です。野生の藤は他の木に絡まり梢まで登って行きます。それでも足りず、隣の木の梢へ渡り、幹にからまり、そして大木も枯らしてしまいます。翌年は少し横に這って新しい木の幹を登ります。下の写真は2、3年した野生の藤のように見えます。
四番目の写真は山林の中に住み着いている木内正夫さんから鉢ごと頂いたクリンソウです。頂いたときはまだ小さな苗でしたが東京へ持ち帰り庭の樹蔭に置き、水をやり、育てましたところ7月に下の写真のように咲きました。控え目の静かに咲いている様子が日本サクラソウに似ていて可憐です。話は飛びますが日光の中禅寺湖の千寿浜にクリンソウの群生があり、それは見事な花畑になります。3度ほど訪れましたが、遠方でもう行けません。
このような夏の花々の写真をもう一度見ていると6年の歳月が流れたとは考えられません。これらの写真を撮ったときの回りの風景を昨日のように思い出します。
このコンピューターの窓の外は冷たい雨が降っています。
しかしデスクトップの夏の花々の写真を見ていると気分が明るくなります。
皆様も明るい気分になりますようにとお送りいたします。









コンピューターの使用は人類の避けて通れない運命です

2014年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム
コンンピューターの故障は突然やってきます。一方、自動車の故障は次第にエンジンの部品などが摩耗してゆっくり不調になってきます。故障が予測出来るのです。
しかしコンピューターの方は、調子良く、信頼していると突然裏切られるのです。全く予測がつかないのです。この富士通のパソコンはまだ2年しか使っていません。それがmissing operating systemsという表示を示して突然止まってしまったのです。
結論を言えばもう一台の東芝のノート型のパソコンを買って、専門家を家に呼んで、データを全てコピーして新しいコンピューターを立ち上げたのです。
そんなことをいろいろしていたら古いほうの富士通のパソコンが全く正常に動くようになってしまったのです。この文章や写真は古い富士通のパソコンで打ち込んでいます。
はからずも私は2台の正常に動くコンピューターの持ち主になったのです。豊かな気持ちです。
しかしこの豊かな気持ちになるまでの数日間は、焦燥感や絶望感で心が激しく揺れ動きました。平穏な老境の日々がすっかり失われてしまったのです。コンピューターなどこの世に無い方が良いとも思いました。コンピューターは文化を破壊する。コンピューターは人間性を悪くする。などとコンピューターに対して毒づきました。いささか溜飲が下がりました。
しかし人生を快適にする文明には人間は逆らえないのです。いずれ近い将来には世界中の人々がパソコンを持ち、毎日使うようになる日が来るのです。
コンピューターの使用は人類の避けて通れない運命なのです。
この体験からいろいろな問題を考えています。例えば、「原子力発電は人類にとって避けて通れない運命なのか?」という大きな問題です。
あるいは、「核兵器は人類にとって避けて通れない運命なのか?」という問題もあります。
そして「戦争は人類にとって避けて通れない運命なのか?」という問題に行き着きます。
あなたの答えはどうでしょうか?
その上、戦争に勝つためには高度なコンピューター技術が絶対的に必要なのです。現代の先進技術によって作られた武器は全てコンピューター制御なのです。現在、中東で実戦に使われている無人戦闘爆撃機はアメリカ本土にあるコントロールセンターからの制御で攻撃活動をしているのです。
その軍事目的に開発されたコンピューター技術のほんの一部が民間利用されているのです。パソコンもそれを動かすソフトも全て軍事技術と深い関係があるのです。
人類が戦争を好む限り、コンピューターの軍事利用は避けて通れないのです。
その軍事技術と深い関係のあるインターネット技術を私どもが使っているのです。
この小文の題目は「コンピューターの使用は人類の避けて通れない運命です」となっています。これが私の結論です。運命を神様の意志と仮定すれば、粛々と従うだけです。
これが、コンピューターの故障から得た私の結論です。挿絵として先日撮って来た花の写真を3枚お送りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)





浅間山へ夕陽射す冬の雑木林の写真を撮りに行ってきました

2014年12月19日 | 写真
山道で汗ばむ頬に冷たい風が心地良く吹いていました。雑木の落ち葉の香りがしています。
夕陽が斜めに射す木々の構図をあれこれ考えて撮ったつもりです。
お楽しみ頂けたら嬉しく思います。









老境になってわかるもの・・・蕎麦の味と宗教の奥行

2014年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
蕎麦の美味しさがわかる人は粋な人という考え方もあります。宗教の奥深さがわかる人は知恵のある人です。
私は老境に至って蕎麦の美味しさが分かってきました。
若い頃は蕎麦やうどんはお米のご飯の代用食という固定観念を持っていたのでなるべく敬遠していました。戦中、戦後の食料難の時代を経験しているので、白いご飯にあこがれていたのです。お米の代用食はそば、うどん、じゃがいも、さつまいも、コーリャン、などなどでした。
ところが東京に住みはじてみると蕎麦の味がわかる人を尊敬する文化があるのです。これには少なからず驚きました。江戸時代のなごりでしょうか。
通ぶってつゆを少しだけつけて蕎麦を粋に食べる人もいます。そして美味しい蕎麦の打ち方について薀蓄を披露するのです。
蕎麦の栽培地と天候による味の相違、石臼で挽くときの速度、粉の練り方、打ち方、切り方、ゆで方、などについていろいろ聞きました。ですから美味しい蕎麦のつくりかたの理屈はすっかり暗記しています。
しかしソバは所詮ソバに過ぎません。鰻の蒲焼、黒毛和牛のステーキにはかないません。はっきり言えばまずい食品です。それが証拠には美食趣味の京都、大阪の人々はあまり食べません。箱根の関から西の方ではソバはほとんど食べられません。
ところが70歳を過ぎた頃から蕎麦が美味しいと感じるようになってきたのです。現在は一週間に二度、三度は信州の生蕎麦をスーパーから買ってきて、ザルソバで食べています。
昨日は相模湖のそばにある「喜庵」という美味しい蕎麦屋に行きました。ご主人が駒沢大学時代に箱根駅伝へ4年間連続出場した往年の名選手だったのです。
箱根駅伝のファンの家内がご主人と話し、私もおかげで仲良くなりました。
ソバは天麩羅などのたねものは一切とらずにザルかモリにします。
ソバ談義は止めて、下に昨日撮ってきた「喜庵」の写真を5枚示します。
老境にいたると好みの料理も変化しますが、ものの見方や考え方も変わります。
特に宗教の奥深さが少しずつわかってきます。宗教を信じればご利益があり、幸せになれるという段階の奥に、自己中心の世界ではなく神中心の宇宙が広がっていることが分かるようになってきます。
人間の小さい存在が感じられます。そして自分の人生は一朝邯鄲の夢に過ぎないと実感できるのです。そうすると神の偉大さがわかり、その神が人間界へつかわしたイエス・キリストの聖なる働きが分かります。その上、お釈迦様の教えた偉大な哲学も少しずつ分かって来るのです。
このように老境は私にとって非常に重要な人生の時期です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。
後藤和弘(藤山杜人)










お陰さまでコンピューターが新しくなりました

2014年12月17日 | 写真
お陰さまで新しいコンピューターが使えるようになりました。

新しいコンピュ-ターから皆様へ感謝いたします。有難う御座いました。
お礼の気持ちをこめて花の写真を5枚お送り申し上げます。
ありがとうございました!   後藤和弘









毎年、師走になると東日本大震災の被害者のためにお祈りします

2014年12月17日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年、師走になると過去のことがいろいろと思います。
そのなかで東日本大震災は非常に大きな悲劇でした。2011年3月11日に起きた大津波と、それに続く原発の爆発でした。
この大震災で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りいたします。冥界での幸せを深くお祈りいたします。
そして家族が犠牲になったり家を流されたりした方々のためにお祈りいたします。心の傷は大きいでしょうが気持ちを前向きにして復興に励むようにとお祈りいたします。
その上、現地へボランティア活動のために行った多くの方々へ深く感謝します。
今日は大震災直後にもかかわらず、その荒廃した土地に桜が咲いたという私のブログの記事をご紹介いたします。
桜は大和民族の心です。皆が大津波の被災地に桜が咲くことを祈っていました。桜が咲けば被災地の人々の心の中にポッと小さな灯が燃え始めるに違いありません。
そう思いながら、「被災地の桜」という言葉で検索して見ました。沢山写真が有りました。日本中の人々が被災地にも桜が咲くようにと祈っていたのです。
沢山ありましたが「時事ドットコム」(http://www.jiji.com/jc/d4?p=chr100&d=d4_quake )から三陸地方の3枚の写真と、被災地ではなかったが観光客の激減した福島市の花見山の桜の写真を一枚大お送りいたします。







この様な写真を見て、私はある漢詩を想います。
 「春 望」
  国破山河在  国破れて山河在り
  城春草木深  城春にして草木深し
  感時花濺涙  時に感じては花にも涙を濺ぎ
  恨別鳥驚心  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
被災地は津波で荒廃しましたが、草木は茂ります。鳥達もやって来て美しい声聞かせます。
多くの人々が桜の花で必ずや勇気づけられたと信じています。
あれからもう少しで4年になります。しかし依然として寒い仮設住宅でこの冬を過ごす人々がたくさんいるのです。原発爆発の附近に住んでいた人々には故郷を離れ移住した人も多いのです。
津波で荒地になった広大な土地の復興はまだまだです。この窮状を全ての日本人が忘れないようにとお祈りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料=====================
(1)大津波の動画集:http://matome.naver.jp/odai/2131270649343408901

(2)大津波と福島原発大事故の総括(1)3月11日から30日迄の掲載記事一覧
以下の記事は、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama のバックナンバーの2011年3月のページを開くと見ることが出来ます。

私は3月11日の大地震・大津波そして福島原発大事故の後、かなり動揺しました。その心の動きを正直に書いたつもりです。そして被害者の心を少しでも癒すように努力いたしました。
以下は3月11日大地震・大津波発生以後の3月中の53編の掲載記事です。

現在、テレビでは大津波が船や車や家を陸上の街や農地へ押し寄せている映像を流しています(3月11日午後3時ころ)
今日の散歩は地震で大揺れしました・・・怖い思いをしました。
何故、今日の大地震と大津波が起きたのでしょうか?
今回の巨大地震・大津波が何故予測出来なかった!!!
大津波・巨大地震の被災地の方々へ・・・そして2人の弟とその家族へ
少年の頃の思い出の浜辺が皆大津波で被害を受けた・・・野蒜海岸、宮戸島、松島、荒浜、石巻
今回の原子力発電の炉心熔融と爆発には人間的ミスは無かったか?
電気・ガス・水道の無い生活を静かに受け入れる日本人の偉さ!
原子力発電所の情報隠蔽体質を批判する
インターネットに出て来る荒唐無稽な情報に惑わされるな!
原発の核連鎖反応は止める事に成功したか、否か・・・それが最重要です!
今夜の停電のために簡単なランプを作る・・・ローソクも電池も買えなかった方々へ
4号炉で火災・・・やっぱり東京電力の情報開示に問題あり!
私は仙台平野には津波が来ないと教わっていた!
今回の地震・大津波は第二次大戦敗戦につぐ第二の国難
原子力分野の技術者へ聞きたい3つの質問
地震・大津波の後で見た3つの美談
福島1号炉から6号炉までの今後の状況変化を冷静に科学的に見守りたい
海外メディアでも絶賛されている枝野官房長官!・・・そして東電の広報の貧弱さ!
大津波にまつわる美談、ー続きー
世界中の人々から届いた心強いメッセージ
原子力空母ロナルド・レーガンや普天間の海兵隊が救援活動開始
心に太陽を持て、唇に歌を・・・
危機に、落ち着いて対応している日本人の品格を褒めている外国の人々
福島第一原子力発電所は最悪の危機を回避したと信じています
福島第一原子力発電所で次々とどんな現象が起きたか?
福島第一原発への放水成功!・・・これで収束へ向かう
佛教、神道、キリスト教合同で、地震・大津波犠牲者への追悼式がニューヨークで開催されました
福島原発が散らす放射能の危険性を,冷静に考える
福島原発の放射能は危険ではない!・・・20km以上離れれば
私は福島産・茨城産のホーレンソウを食べます・・・しかし赤ちゃんは、、
シーベルトの定義と居住地の安全度の計算例の正誤を問う!
福島原発放射能に関する非常に重要な安心情報を2つ見つけました!
明るいニュース・・・ばあちゃんと孫 2人で9日間頑張った!
放射能に過剰反応せず大津波災害救援と復興を急ぐべし!
あるレベル以上に放射能汚染された農産物、乳製品、その加工食品は法律に従って自動的に出荷停止になる
1kg当たり10000ベクレルのホウレン草を食べると被爆量は何シーベルトになるか?
農作物の放射能汚染の暫定基準値を上げないと東北、関東の農業が壊滅する!
さあ、復興に立ち上がろう!・・・胸打つラーメン屋さんのボランティア活動
放射能汚染があっても、過剰に恐れる必要は絶対に無い・・・福島県の為に皆で考えよう!
危なくない放射能と危い放射能・・・福島県、頑張れ!!!
文部科学省の福島原発周辺の46ケ所の放射能強さの分布図を、何故更新しないのですか?
海抜16mにある女川原子力発電所は津波対策をいろいろしていました
福島原発炉心は収束・・・やっぱり安心出来る
福島第一原発の制御棒はどのようになっているのでしょうか?
ある原子力研究者の真摯な反省
地震・大津波・原発災害は第二次大戦の敗戦とは違う・・・東京以西は無傷
福島原発の何処が壊れたか?・・・もう安心だが、、、、
岩国、広島で見た義捐金を入れる人々・・・美しい心の絆
大津波の動画集・・・ああ、神様はあまりにもむごすぎる!!!
福島原発事故関連記事の訂正2ケ所
全国の54基の原発の脆弱な津波対策と付近の住民の心の準備
文部科学省の29日の東北、関東、甲信越の放射能測定値は安心材料!
戦後日本の技術至上主義の挫折と原発絶対安全神話の崩壊
福島原発の深刻な事態の意味と解決方法(3月30日掲載)
大津波の被災地にも桜が満開になる!

全国的に吹雪と氷雨が続いているので新宿御苑の温室の写真で暖まって下さい

2014年12月16日 | 写真
全国的に吹雪と氷雨が続いています。特に雪の深い地方では連日の除雪が大変です。買い物も病院通いも大変ですね。ここ数日の大雪と寒さは身に沁みます。
そこで新宿御苑の温室の写真で暖まって頂きたいと思い写真をお送り致します。昨年の冬に撮って来た写真です。
新宿御苑には明治8年に西洋式の温室が出来ました。日本の温室のさきがけとして文明開化のシンボル的存在でした。
戦災で壊滅し、昭和33年(1958年)に大温室が復活しました。それから54年後の2012年に大改修がなされ全く新しい構造が出来上がりました。
昨年の冬に新宿御苑の散策のついでに温室に寄って、花々の写真を撮って来ました。
この温室は明治時代からランの花の新品種を作ることに努力し、数多くのシンジュクという名前が語尾についたランの品種を栽培して来ました。
その伝統で温室の中には小さな花々が幾種類も咲いていました。花は小さく、可憐なのですが、精神を集中して眺めてると絢爛と見えるから不思議です。
なお2012年の大改修の機会に絶滅危惧種の熱帯植物の保護、栽培もしています。
新宿御苑の温室の写真で暖まって下されば嬉しく思います。











究極の田舎暮らしを求めてアーミッシュの村に泊まる

2014年12月16日 | 日記・エッセイ・コラム
田舎暮らしに憧れる人は多いようです。私も以前から憧れていました。農作業が辛そうなので憧れるだけで実行はしません。
しかし車を馳せて見に行ったり、その農村に泊まることはよくします。田園地帯に行くと心が悠然とし豊かになるのです。
最近、コンピューターが故障して気が動転しました。そしていろいろな事を考えましたを。
結論は、「文明は生活を便利にするが、人間の幸福とは関係無い!」ということに要約出来ました。
そして急に1989年ころオハイオ州でしばしば訪れたアーミッシュの村の光景を鮮明に思い出したのです。
アーミッシュの人々は自動車や電気を使わず馬車とランプの生活をしています。家電製品は一切使いません。農耕は馬です。乳牛を飼い、養蜂もしています。
独自のスーパーマーケットで買い物をしますが商売は禁止なのでスーパーの経営者は普通のアメリカ人です。ア-ミッシュはアメリカの市民権を持っています。ですから徴兵には応じます。しかし前線ではなく期間を長くした後方勤務につきます。アメリカの義務教育制度とは違う独自の学校を持っています。泊まった民宿の主人からそんな事を聞きました。
その民宿の台所と食堂だけは電気を使っていましたが、寝る部屋はローソクでした。民宿の経営者はアーミッシュではなく普通の人でした。
アーミッシュの人々は近代文明が信仰の邪魔になると信じているのです。その宗派は16世紀の宗教改革のときスイスやドイツで生まれたプロテスタントの一つで、アメリカに移民した人々です。
大変、良い写真集を見つけましたのでお送りいたします。是非、写真をゆっくりご覧下さい。
写真の出典は、The Huffington Post:http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/12/amish-life_n_6313752.htmlです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)













パソコンの不調で落ち込む私の矮小さ

2014年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム
ここ数日、パソコンの不調で落ち込んでしまいました。私の人間としての小ささを露呈したことに一層落ち込んでいます。しかし私はキリスト教の信者です。落ち込んで、すぐに反射的にイエスさまの時代はコンピューターが無かったことを考えていました。
そしてコンピューターが故障してもが正常に作動していても、どちらでも人間と神やイエス様との精神的な繋がりには一切関係が無いことに思いが至りました。
そして以前にアメリカのオハイオ州で訪問して、一泊したアーミッシュの村の風景を思い出したのです。
アーミッシュの人々は自動車やテレビや電燈などの近代文明を一切拒否して、中世のヨーロッパの農村のランプ生活と薪ストーブの生活様式を守っている民族なのです。
アメリカのペンシルバニア州やオハイオ州にアーミッシュの彼等の村落がひっそりと散在しています。
コンピューターの故障のお蔭で彼等の気持が少し分かったような境地になりました。
そう言えばカトリックの神学校ではコンピューターは禁止です。きっと修道院でも禁止だと思います。
こんな話を家人にしたら、「たかがコンピューターの故障をイエス様に関係して話すのは大げさです」と笑っています。そうですね。大げさ過ぎますね。
昨日の夕方に、武蔵国分寺跡に行って聖武天皇の詔で750年頃に創建されたお寺の礎石が点在する原っぱを眺めて自分の心を慰めました。
その東山道武蔵野路に面した壮大な伽藍は1333年のに新田義貞と鎌倉幕府との戦いで灰燼に帰したのです。
現在の武蔵国分寺は江戸時代に再建された比較的新しいお寺なのです。
そんな風景写真を独りで撮っていたら、コンピューターが故障したことなど忘れて悠々るたる気分になりました。
温故知新とは言いませんが、歴史を振り返ると人間は知恵深くなるということが本当のように感じました。下に夕陽が射す武蔵国分寺跡の写真と江戸時代に再建された武蔵国分寺の写真をお送りいたします。
それはさて置き、おやすみなさい。安眠をお祈り申し上げます。後藤和弘





=====武蔵国分寺とは===================
本史跡は、かつて武蔵国に置かれた国分寺および国分尼寺の跡地である。尼寺区域は調査が終わっており歴史公園として整備されている。一方僧寺区域は整備事業の一環で発掘調査中である。史跡指定範囲は時代が下るごとに広がり、現在は11haにおよんでいる(東山道武蔵路を含まず)。なお、推定される寺域は僧寺金堂を中心に東西1,500m、南北1,000mに範囲におよぶとみられる。国分寺崖線の南側すぐの位置にあり、かつては東山道武蔵路を挟む形で東側には武蔵国分寺、西側には武蔵国分尼寺が立地していた[1]。現在は、両寺院の間を府中街道(埼玉県道・東京都道17号所沢府中線)とJR武蔵野線が通過している。
史跡指定地内には、鎌倉時代末期の分倍河原の合戦の兵火で旧武蔵国分寺が焼失した後に、新田義貞の寄進によって再建された武蔵国分寺(真言宗豊山派)も所在している。
詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%E8%B7%A1をご覧下さい。

17日の水曜日にパソコンが復旧しそうです

2014年12月15日 | 日記・エッセイ・コラム
新しいノート型パソコンを買って持ち帰りました、
17日の水曜日に専門家が自宅に来てくれて起動してくれる手筈になりました。
皆様のお励ましのお蔭で大変早く復旧しそうです。
本当に有難う御座いました。