後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

年年歳歳、はなやかに輝く八王子の銀杏並木の黄葉

2015年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年、晩秋になると必ず写真を撮りに行く銀杏並木があります。八王子市の西にある甲州街道です。そこは江戸幕府の下級武士の千人同心が住んでいた場所です。現在は千人町と呼ばれています。晩秋の11月20日頃になるとその甲州街道の両側にある数百本の銀杏並木が黄葉し、はなやかに輝くのです。
この並木通りの西端に大正天皇と昭和天皇の御陵があるので参道になっています。ですからこの部分の甲州街道は幅も広く立派な銀杏並木になっているのです。甲州街道を直角に曲がると御陵の入り口に続きます。その参道も幅の広い欅の大木の並木道になっています。途中の浅川に御霊屋橋がかかり神聖な雰囲気になっています。
昨日も例年通りこの千人町の銀杏並木の写真を撮って来ましたのでお送り致します。





このように銀杏が黄葉すると八王子市民はイチョウ祭りをします。
今年は11月21日(土)9:00〜17:00 22日(日)9:00〜16:30 です。
長い銀杏並木には出店が並び人が溢れます。車は甲州街道だけ通行出来ますが御陵に入る道は通行禁止になるので御陵の広い無料駐車場は使えません。詳しくは、http://www.ichou-festa.org/category/event/をご覧ください。
この銀杏の黄葉の写真を撮っていると、しみじみと今年も暮れていくのだという感慨が湧いてきます。
そして何十年も前からこの並木を通り抜けて高尾山や相模湖へ遊びに行ったことを思い出します。
そこで昨日は高尾を通りぬけて大垂水峠を越えて曽遊の地、相模湖まで足を延ばしました。
相模湖は1962年の晩秋に行って以来、家族連で何度も遊びに行ったものです。
湖は晩秋の光を水面に反射させ静かに横たわっています。

そして岸辺には老夫婦や若い家族連れが湖を静かに眺めていました。

この相模湖を初めて訪れた1962年当時は華やかな観光地でした。忙しく観光船が発着し、食堂や土産店が軒を連ねていました。食堂では湖のワカサギのフライの定食が名物でした。射的場があり拡声器から大音量で流行歌が流れています。
そして1964の東京オリンピックではカヌーやカヤックのオリンピック競技場になり、立派な艇庫も作られたのです。
それから以後10年くらいは賑やかな観光地でした。しかしその後、人々はテーマパークや海外旅行に行くようになり相模湖には観光客が途絶えたのです。淋しくなりました。静かになりました。
湖畔は神奈川県立公園として次第に綺麗に整備されました。
現在は八王子など近くの市民の遊び場になっています。
私もドライブの時によく行きます。平日は広い駐車場が無料になるので車を停め湖畔を少し歩くのです。
昨日は家内とともに1962年に初めて訪れて以来、53年間の生活のあれこれを話し合いながら湖畔を散歩してきました。ある時は家内の祖父母、またある時は父母と幼い子供たちを連れて遊覧船に乗ったことなど、とりとめないことなど。
八王子の銀杏並木の黄葉も、晩秋の陽に輝く相模湖も年年歳歳同じです。何十年も変わりません。でもそれを見る人は年の流れとともに変わっていきます。唐の時代の詩人を想いながら車をゆっくり動かして大垂水峠を越えて帰って来ました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

パリの同時多発テロと宗教の関係

2015年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日のパリでの同時多発テロで130人近くの人々が犠牲になりました。テロを起こしたのは混戦が果てしなく続く中東で生まれた「イスラム国」という勢力だと分かりました。
フランスの大統領はこのテロの報復をすると言明しました。
今回のテロや中東における戦争はイスラム教とキリスト教国の戦いのように見えます。更にイスラム教のスンニ派とシーア派との戦いでもあり、様相は混迷を深くする一方です。
この状況を見て多くの日本人は宗教があるから戦争になると言います。一神教が悪いのです。イスラム教やキリスト教のような一神教の宗教が戦争の原因なのです。ですから多くの人々は宗教は無い方が良いと言います。宗教が無ければ世界は平和になります。このように考える日本人が多いと言っても間違いないと思います。
しかしこのような考え方は無宗教の人の多い日本特有の考え方で欧米諸国では通用しません。
戦争の原因は人間の欲にあります。宗教はその欲を抑制し、この世の欲望から離れよと教えています。私はカトリックなのでアメリカが中東で武力を用いいるのはキリストの教えと一切関係ないと考えています。中東地域をアメリカの支配下に置きたいというこの世の欲望に従っているに過ぎません。一方それに対抗するイスラム国もアメリカの支配を撃破して自分の領土を拡大したいと考えているに過ぎません。
しかし人間は戦争に勝つためには何でも利用します。イスラム教でもキリスト教でもかまいません。現にイスラム国は原理的なイスラム教の一部を最大、利用しています。
一方、中東に参戦している欧米諸国はさすがに「キリスト教を守るために戦争をしている」とは言いません。
昨日のパリの同時多発テロをオバマ大統領は、「それは人類に対する挑戦だ。この挑戦を打ち砕く」と言明しました。あたかもアメリカは人類の代表としてそれに対抗する悪魔を撃滅するというのです。
この意味は宗教には関係無く、人類の共通の「敵をやっつける」と言うのです。
さて、昨日のテロ事件で一番心を痛めているのは世界中にいる善良なイスラム教徒です。何億といる善良なイスラム教徒です。
さすがに欧米諸国はテロとイスラム教と結びつけてイスラム教を非難する声明は発表しません。自分たちのしていることがキリスト教と関係ないことを十分に自覚しているからです。
フランスのオランド大統領は必ず報復すると言います。イスラム国はフランスがイスラム国を空爆しているから、その報復だと言明しています。
報復は神に任せるのです。人間が行ってはいけないのです。
ですから中東での戦乱やテロ事件は宗教を悪く利用した結果です。
それでは宗教が無ければ世界は平和になるでしょうか?答えは否です。人間は宗教が無くても戦争をします。報復します。仇討ちをします。それは人間が宗教に目覚めるズッと昔からの原始的な衝動なのです。
ですからイスラム教やキリスト教のような一神教の宗教が戦争の原因だという言い方は根本的に間違っているのです。しかし宗教ほど戦争を正当化する便利なものはあります。
天皇陛下は神様です。その神様にささげる命を下さいと言われて、神風特攻隊が6000人も敵艦めがけて突っ込んで行ったのです。南の空に若い命を散らしたのです。彼等だけではありません。海に、異国の地に、そして日本国内で、どれほど多くの命が失われたことでしょう。彼等は天皇の為に死んだのでしょうか?否。彼らの親兄弟が住むこの美しい日本を守るために死んだのです。私はそのように信じています。
話がそれてしまいましたが、戦争の原因は宗教だという考え方は間違った考え方と思います。
宗教が悪いのではなく、それを悪用する人間が悪いのです。
そんなことを考えさせるフランスの同時多発事件です。
今日の挿絵の写真は昨日撮って来た茨城県の袋田の滝の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料====================
「パリ同時テロ、死者は129人に」
http://jp.wsj.com/articles/SB12239780145041894104204581354323619285768
2015 年 11 月 15 日 07:19 JST 更新
【パリ】パリ市内の数カ所13日夜、銃撃や爆発などが連続して発生し、129人が死亡した。フランスの首都は恐怖に包まれた。
 フランス政府は非常事態を宣言し、市内に軍隊を派遣し、道路を封鎖した。国境では検問を実施している。
 事件は繁華街やサッカースタジアムなど6カ所で発生、当局は事件の大きさに衝撃を受けている。警察や救急隊員が現場に急行し、市内にはサイレンが響き渡った。
パリ同時テロ、緊迫の現場
@パリ同時テロ、世界的なテロの脅威浮き彫りに
 警察によると、銃撃犯らはレストランに向けて銃を発砲し、その後、コンサートホールを襲撃し人質を取って立てこもった。
警官隊はその後、コンサートホールに突入した。その際に約100人が死亡したという。 警察当局はコンサートホール周辺の地域を封鎖し、飲食店などで食事をしていた市民らに対し、建物の中にとどまり、通りに出ないよう指示した。
パリが攻撃されたのは今年に入って2度目。1月には、過激派組織「イスラム国(IS)」や国際テロ組織「アルカイダ」の支部に忠誠を誓ったとする複数の人物による攻撃が発生し、17人が死亡した。 当局は14日、容疑者は7人で全員死亡したと発表した。しかし、犯行が組織的だった可能性があることから、フランスの情報・治安当局は、複数の武装組織が気付かれずに準備を進め、一斉に大惨事を引き起こしたという最悪のシナリオも視野に入れている。
オランド大統領はテレビ演説で「前例のないテロ攻撃が起きている」、「恐ろしい事態だ」と述べた。襲撃されたサッカースタジアムにいた大統領は現場から避難し、演説に臨んだ。









都立神代植物公園の魅力と菊の大規模な展示

2015年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム
東京都には都立公園や植物園や動物園が沢山あります。
都心部に土地が無いので都立公園はわずかしかありませんが、少し郊外に行くと広大で駐車場の完備した公園が沢山あります。
全て都民税を潤沢に使用して設備も良く、管理整備も行き届いています。
私の自宅の近所にも都立小金井公園、都立武蔵野公園、都立野川公園があります。それらの公園は小金井市を囲むように広がっています。
仕事を止めて暇になるとこれらの素晴らしい公園を心行くまで楽しむことが出来ます。
ここ数年間で数多くの都立公園に行きましたが、感動的なのは葛飾区の水元公園と今日訪れた神代植物公園です。
京王線の調布駅からバスが何度も出ています。JR三鷹駅からもバスが頻繁に出ています。
日曜日などは、都心部にお住いの方々にとってもピクニックに絶好の場所です。公園の北側の東西に2つの広大な駐車場もありますので車でも便利です。
私は毎月1回くらい行きます。冬は温室、早春は梅林、梅雨時はアジサイ、夏と秋は広大なバラ園、晩秋にはダリア苑と菊の花々の品評会と展示会という具合に四季折々いろいろな魅力があるのです。そして巨大な樹木が深い森を作っている一画もあります。自然豊かな公園です。
現在改装中ですがスケールの大きい熱帯植物の温室もあります。
今日は菊の展示会とダリア苑と秋バラの競演を見に行きました。
以下にこの公園の風景の写真を示します。

上の写真は西側にある正門の入ったちころに展示してあった見事な懸崖の菊の作品の展示です。

上は大輪の菊の展示で、今日見た菊の展示です。今日見た展示はこのの20倍、30倍はあった印象でした。

上の写真は中央にある芝生の広場にあるパンパスグラスです。この公園は東西に長いのですが中央に広い芝生の広場があり、アイスクリームや軽食を売っている店もあります。パンパスグラスの中央で手を上げているのが家内です。パンパスグラスの巨大さを示すにはこうするのが良いと言って、駆けて行ったのです。人間の大きさとパンパスグラスの大きさを比較してご覧ください。

上はバラ園の中央にある噴水です。バラの花々が噴水の向こうに小さく見えます。

上の写真は西側の正門の内側の風景です。大木の根元に懸崖の菊の展示が小さく見えます。
ここで示した写真はこの神代植物公園の西側の半分だけです。東半分は樹林地帯になっていてユリノキやプラタナスの大木が林になっておいます。梅林も椿林も東側にあります。そこの東門は有名な深大寺の裏門につながっています。
深大寺の参拝とこの植物公園へのピクニックを組み合わせて一日中楽しんでいる家族連も多いようです。皆様も是非お出かけになってみませんでしょうか。
尚、神代植物公園への交通は以下にあります。
神大植物公園:(http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/access045.html)
~電車・バスでお越しの方~
・京王線から
調布駅から小田急バス吉祥寺駅または三鷹駅行き「神代植物公園前」下車、
または京王バス深大寺行き「神代植物公園」下車
京王つつじヶ丘駅から京王バス深大寺行き「神代植物公園」下車
・JR中央線から
三鷹駅または吉祥寺駅から小田急バス調布駅北口または深大寺行き
「神代植物公園前」下車
※バスの乗車時間は約20分から25分程度です。
~お車でお越しの方~
中央高速の調布インターから、新宿方面へ甲州街道に降ります。「下石原交差点」を左折します。「神代植物公園北」の信号を右折すると左側に『神代植物公園駐車場(有料)』があります。混雑していなければ調布インターから5分程度です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料==============
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%AB%8B%E5%85%AC%E5%9C%92
東京都立公園(とうきょうとりつこうえん)は、東京都が所管する公園。狭義の都立公園は東京都建設局が所管する都市公園を指す。その他の東京都所管公園には、都立海上公園(港湾局)、都立自然公園・都民の森(環境局)などがある。設置場所・地域は国有地か都有地である(国有地は国が管理権を委託)。指定管理者制度の導入により、大部分が指定管理者に管理が委託されている。
都立公園
公園(多摩地域)
秋留台公園 運動公園 11.8ヘクタール。 あきる野市 秋川丘陵自然公園内
井の頭恩賜公園 歴史公園 38.3 武蔵野市・三鷹市 東京都直轄
大戸緑地 緑地 66.1 町田市
小山内裏公園 総合公園 45.9 町田市・八王子市
小山田緑地 緑地 40.0 町田市
小金井公園 広域公園 77.5 小金井市
小宮公園 総合公園 25.1 八王子市
桜ヶ丘公園 広域公園 27.8 多摩市 旧多摩聖蹟記念館
多摩丘陵自然公園内
狭山公園 13.3 東村山市・東大和市
狭山・境緑道 8.4 小平市・東村山市・東大和市
浅間山公園 風致公園 8.3 府中市
滝山公園 総合公園 25.9 八王子市 滝山自然公園内
玉川上水緑道 緑地 12.8 福生市・昭島市・立川市
・小平市・三鷹市・武蔵野市
長沼公園 緑地 32.0 八王子市 多摩丘陵自然公園内
野川公園 広域公園 39.9 調布市・小金井市・三鷹市
野山北・六道山公園 広域公園 140.8 武蔵村山市・瑞穂町
八国山緑地 緑地 29.1 東村山市
東伏見公園 総合公園 13.7 西東京市
東村山中央公園 総合公園 12.1 東村山市
東大和公園 緑地 18.4 東大和市
東大和南公園 9.8 東大和市
平山城址公園 総合公園 6.5 八王子市
府中の森公園 総合公園 16.8 府中市
武蔵国分寺公園 総合公園 10.8 国分寺市
武蔵野公園 風致公園 23.0 小金井市・府中市
武蔵野中央公園 総合公園 10.0 武蔵野市
武蔵野の森公園 広域公園 14.8 府中市・調布市・三鷹市
陵南公園 運動公園 5.9 八王子市
六仙公園 総合公園 0.4 東久留米市 。以下省略

今日の神代植物公園のダリア苑の写真

2015年11月13日 | 写真
今日は薄曇りの寒い日でした。久しぶりに家内を誘って神代植物公園に散歩に行きました。
丁度満開のダリア苑の花々が競うように大輪の花を咲かせていました。色彩も多彩で楽しみながら写真を撮って来ました。
隣に桂の林があり甘い香りの落ち葉が風に舞っていました。ダリアの花々は香りません。ただ静かに美しく咲き誇っているのです。
バラ園では冬バラが沢山咲いていました。
毎年恒例の菊の花の展示は今年は数が多く、普通の大輪の菊の他に懸崖の菊や、盆栽の菊や、達磨形の菊などいろいろ展示してありました。それらの写真はは後日掲載致します。
今日はダリアの写真を5枚お送りいたします。写真をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









花々の季節がめぐり今年も暮れて行く(4)秋、そして初冬の花

2015年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム
秋の花と言えば山上憶良の歌を思い出します。「萩の花、尾花(すすき)、葛花、撫子の花、女郎花(おみなえし)、又、藤袴、朝顔の花(現在の桔梗)」という歌です。これで日本古来の秋の花が分かりますが、海外から来た秋の花、セイタカアワダチソウやカンナや皇帝ダリアなども含めて今年撮った秋から初冬にかけて咲く花々の写真をお送り致します。

上の写真は秋の彼岸に咲くヒガンバナです。墓参りに行った日野市のお寺で撮りました。

上の写真はコスモスです。山梨県北杜市の尾白の湯のそばで撮りました。

上の写真もコスモスです。山梨県北杜市の横手で撮りました。

上の写真はシオンです。北杜市の尾白の湯のそばで撮りました。

上の写真はオミナエシです。三鷹市花と緑の広場で撮りました。

上の写真はススキです。北杜市の尾白の湯のそばで撮りました。

上の写真はカンナです。都立小金井公園で撮りました。

上の写真は萩です。都立薬草植物園で撮りました。

上の写真は普通の菊です。都立薬草植物園で撮りました。

上の写真は食用にする菊です。都立薬草植物園で撮りました。

上の写真は丹精込めて大輪に咲かせた菊です。諏訪大社上社で撮りました。

上の写真は秋に咲くフヨウです。鎌倉の円覚寺で撮りました。

上の写真はセイタカアワダチソウです。北杜市のラフォーレ小淵沢で撮りました。

上の写真はホトトギスです。都立薬用植物園で撮りました。

最後の写真は先日、小金井公園で撮った皇帝ダリアです。
ところで、ネットに掲載する写真を撮る時にあなたはどんな工夫をしているでしょうか?
みなさんそれぞれ工夫して、苦心して撮っていると思います。
そこで終りに、 私の工夫の仕方を書いてみたいと思います。
ご指導やご意見を頂けたら大変参考になると思いますのでよろしくお願い申し上げます。
以下は私の工夫していることです。
(1)花のクローズアップの写真がお好きな方々が多いのでまず花のクロ-ズアップ写真を撮ります。茎や葉を入れた写真も撮ります。
(2)詩情を感じさせるような背景も一緒に写真に入れて撮る。
例えば早春に咲く梅の花には淋しげな詩情があります。背景に枯れた雑木林などを入れると、楚々とした梅の花の姿が詩的になると思っています。
それがお寺の境内でしたなら、鎌倉時代風の五輪の塔などを背景に入れます。この世の無常を暗示します。
(3)花の咲いてるまわりの環境が分かるように遠景写真も撮ります。それを花のクローズアップ写真と組み合わせて掲載します。
花の写真を掲載する時、私は花がどのような場所に咲いているかが分かるような写真も撮ります。
(4)花々の写真にその場所の歴史の説明を加え、記事の内容を奥深くします。花の背景に歴史を感じさせる建物などを入れて撮ります。
例えば江戸時代に名も分からない流れ大工が作った鎌倉時代風の山門があったらその山門を花の背景に入れて撮ります。そして文章でその山門の歴史を紹介します。
例えば次のような文章です
・・・このお寺は1783年、天明3年に作られました。流れ大工の作った鎌倉風の山門が楚々としていて静かなお寺です。山門、本堂、観音堂の配置がバランス良く、庭木も何時も綺麗に剪定されています。お会いしたことはありませんが住職様の品格を感じ、時々境内を散歩してきます。私の大変気に入っているお寺です。
今日は山門の脇で梅が満開になっていましたので写真を静かに撮ってきました。・・・・
私は高級カメラが使えません。小さな軽いデジカメを持って写真を撮ってきます。
写真を撮りに行く前に「組み写真」のテーマとか物語を考えます。私は写真が下手です。それを補うためにいろいろ工夫して少しでも読んで楽しいようにしようと努力しているつもりです。
写真を撮る時にあなたはどんな工夫をしているでしょうか?
ご指導やご意見を頂けたら大変参考になると思いますのでよろしくお願い申し上げます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

冬は駆け足でやって来る!

2015年11月12日 | 写真
先週、立川駅前の高島屋に行きました。家内が衣服をいろいろ見ている間に私は椅子に座って待っていました。ふと前を見ると婦人服は全て冬の装いです。デパートの季節は2ケ月位早いと言われますが本当ですね。冬が駆け足でやって来ます。そんな写真を5枚お送りします。そのうちクリスマスの飾りも華やかになるのでしょうね。









今日の薬草植物園の紅葉と残った花の写真

2015年11月12日 | 写真
薬草植物園もすっかり花々が姿を消してしまって淋しくなりました。
裏の雑木林が黄葉していました。木の下には萩の葉がやはり黄ばんで侘し気な風情を湛えて揺れています。
散り残った菊の写真を撮ってから温室に入りましたら、ブーゲンビリアとランが咲いていました。花々が散ってしまった薬草植物園は人影も無く、静かな気分で散歩を楽しんで来ました。









紅葉のお好きな方へ送る今年の写真と、それにまつわる漢詩2題

2015年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム
紅葉を見て楽しむことを紅葉狩り(もみじがり)と言うそうです。紅葉を愛でる文化は万葉集や源氏物語に出て来ますのでその頃の貴族の文化だったのでしょう。
ですから紅葉狩りと言うと何となく優雅な感じがします。
そして有名な漢詩に「林間に紅葉を焚きて酒を煖める」という表現もあり唐の時代でも紅葉を詩的なものと考えられていたようです。
私は雑木林が好きで何度となく出掛けて行って、見て楽しんでいます。その緑濃い木々が晩秋になると紅色や黄色になり美しい風景になります。そしてそれに誘われてまた何度も見に行きます。そして写真を撮ります。撮っていると紅葉の梢が揺れ、何とも言えない風情があります。写真を撮り、こうして掲載していると数々の紅葉の風景がよみがえって来て、また楽しいのです。
今日は今年撮った紅葉の風景写真とそれにまつわる漢詩を2つお送りいたします。
それでは長野県茅野市の長園寺の楓の紅葉の写真から示します。

上の写真は長園寺の紅葉です。
この長園寺(http://chouenji.info/annnaizu.html)は京都にある紅葉の綺麗なお寺のように有名でありません。地元の人しか知らない隠れた名所なのです。貴重な宝を偶然発見したような嬉しい気分になり深く楽しみました。

上の写真も長園寺の紅葉です。このお寺からは蓼科山や白樺湖の向こうの車山が見渡せる美しい場所にあります。是非、来年紅葉の時期にお出掛け下さい。

この写真は黄葉の時期になると毎年かならず訪れる小金井公園のユリノキの大木です。新緑の時も緑濃い夏にも、もう何十年も訪れています。

上の写真はこの大木のユリノキの黄葉した葉がまつわりついている幹です。この傍にはやはり黄葉したプラタナスの大木が数本あります。ユリノキとプラタナスの林になっているのです。

上の写真は昨日、小金井公園で皇帝ダリアの写真を撮りに行ったとき見たイチョウの木の黄葉です。写真の下の方に皇帝ダリアが小さく写っています。

上の写真は甲斐駒岳の麓の山林の中の小屋の窓から見た黄葉です。濃い緑だった木々が秋になるとこんなに明るい色なるのですね。に

上の写真も小屋の窓から見た黄葉の様子です。2週間もするとすっかり落葉してしまい裸の梢だけの冬景色になります。散り敷いた枯葉を熊手で集め焚火をします。白い煙が林間を横に流れていきます。そうして「林間に紅葉を焚きて酒を煖める」という漢詩を想い出しています。別に酒を暖めるわけではありませんんが香しい煙に酔ったような気分になります。
さて紅葉にまつわる漢詩を2つ下にお送りします。
漢詩の下にある日本語訳や意訳を読んでから漢文の詩を読むと何となく詩の世界にまぎれ込んだようで楽しいものです。
寄題送王十八帰山仙遊寺   白居
http://www2.odn.ne.jp/kotowaza/sub16-1-1-rinkan.htm
曽於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊復無到
菊花時節羨君廻
日本語訳:以前、太白峰の前に住んでいて、
よく仙遊寺へ出かけたものだった。
黒水が澄む季節には、潭の底まで見え、
白雲の切れ目に仙遊寺の、洞に設けた山門があった。
仙遊寺では、林間で散り落ちた紅葉を焚いて酒を煖めたり、
石上に緑の苔をはらって詩を誌したりしたものだ。
残念ながら、あの曾遊の地にもう二度とは行けぬだろう。
菊の花の咲く時節に、君が帰っていくのが羨ましい。
(白(はく)居易(きょい):中唐の詩人、字(あざな)は楽天(らくてん)、王(おお)十八:排行(兄弟・従兄弟の順の十八番目)、寄題(きだい):その場所から離れている地で詠ずること、仙遊寺(せんゆうじ):長安郊外にあった寺、曾遊(そゆう)の地(ち):曾(か)って遊んだ土地)

山  行  <杜 牧>:http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_A16_1.html
遠上寒山石径斜
白雲生処有人家
停車坐愛楓林晩
霜葉紅於二月花
日本語訳:
遠く寒山に上れば石径斜めなり
白雲生ずる処人家有り
車を停(とど)めて坐(そぞろ)に愛す楓林の晩
霜葉は二月の花より紅なり
現代語意訳:
遠く晩秋のものさびしい山を登ってゆくと、石の多い小道が斜めにずっと 続いている。はるか白雲の湧きたつあたりに人家が見える。
車を停めて、なんとなく、夕日に照り映えた美しい楓の林にうっとりと見とれてしまう。 霜にうたれて紅葉した楓の葉は、あの二月に咲く桃の花よりも、なお一層鮮やかな真紅の輝きを みせていることだ。
解説:
「霜葉は二月の花より紅なり」この部分が大変有名です。
晩秋の身がひきしまるような寒さも伝わってきます。
(【寒山】 晩秋の山。 【石径】 石の多い小道。【白雲】 俗世間を離れた、仙人的な世界の象徴。)
杜 牧 803-852 : 
晩唐の詩人、字(あざな)は牧之、号は樊川、 陝西省、長安県の人。名家の出身にして828年進士(しんし)に及第後、地方、中央の官を 歴任し中書舎人となって没す。没年50歳。資性剛直、容姿美しく歌舞を好み、 青楼に浮名を流したこともあった。樊川文集第二十巻、樊川詩集七巻あり、阿房宮賦(あぼうきゅうふ) は早年の作にして文名を高めた。

如何でしょうか?紅葉を楽しむ文化はそれぞれの国で自然に生まれた文化でしょうが漢詩の影響も深かったようです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

今年も南米原産の皇帝ダリアが咲きました

2015年11月11日 | 写真
11月10日過ぎになると小金井公園の皇帝ダリアが咲きます。丈が3mから4mの高い茎の上に手の平より大きな花が咲きます。いかにも南米の大草原に咲いているような雰囲気があります。そして気品もあります。
先ほど毎年行く決まった場所で写真を撮って来ました。曇り日だったので昨年の晴天の時の写真のように鮮明には写りませんでした。しかし鮮明でないので何故か神秘的な美しさがあります。
はじめの4枚の写真が今日の写真で最後の5枚目の写真は昨年の11月13日に撮った写真です。皆様のご近所に皇帝ダリアは咲いているでしょうか?
下に参考資料を付けました。
=====参考資料============
http://www.azami.sakura.ne.jp/hana/f1/ka-gyo/kouteidaria.htmより抜粋しました。
成長すると3~4mにもなる事から皇帝と名付けられました。
別名:木立ダリア
丈が3~4メートルにもなります。花はピンク色で直径約20センチメートルの 大輪の花が茎の頂上につけます。晩秋の頃、空にそびえて立つ姿は圧巻です。
霜に弱いですから、気温が3度以下の時は家に入れます。
また、夜、街灯の下ではつぼみが付きません。暗い所に移動しましょう。
育てるのは簡単ですが、風に弱いのでしっかりした 添え木が必要です。 後は夜外灯がない場所、暗い場所で日当たりの いいところがいいですね。 昼間の時間が短くなると花芽を持ちますので 夜外灯などがあって明るいと花芽を持ちません。 植える場所は良く耕して柔らかくして根がのびのび 出来るようにしてあげるといです。 肥料は大きくしたい場合は根から離して円を描くように 暖効性の固形の肥料を一握りくらい入れておくと いいと思います。
あまり長くしたくない方は8月10日ぐらいまでに剪定するといいと思います。 のびた茎の三分の一以上残して切っておいてください。 8月中旬以降に花芽を持ちますのでその後の剪定はしないでください。 花芽を持ってから剪定すると花が咲かないこともあります。









花々の季節がめぐり今年も暮れて行く(3)梅雨の時期と夏の花々

2015年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は夏の花の代表的な蓮の花が出て来る漢詩をご紹介致します。
李白  採蓮曲 (http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/216rihaku8to12.html)       
若耶渓傍採蓮女、笑隔荷花共人語。
日照新粧水底明、風飄香袖空中挙。
岸上誰家遊冶郎、三三五五映垂楊。
紫留嘶入落花去、見此踟厨空断腸。

若耶渓のあたりで蓮の花摘む女たち
笑いさざめきハスの花を隔てて語り合う
陽照は化粧したての顔を明るく水面に映しだし、
吹いている風は香しい袖を軽やかに舞い上げている
岸辺にはどこの浮かれた若者だろうか
三々五々としだれ柳の葉影に見え隠れ。
栗毛の駒は嘶いて柳絮のなかに消え去ろうと
この女たちを見ては行きつ戻りつむなしく心を揺さぶられる。

 本来、「採蓮曲」というのは蓮の根を採る秋の労働歌だが、李白はそれを越の美女西施(せいし)が紗を洗い、蓮の花を採った事に柳絮(りゅうじょ)の舞う晩春の艶情の歌に変化させている、李白の真骨頂というべきもののひとつです。。
 馬とともにおふざけをして垂楊(しだれやなぎ)の葉陰に消えていった若者たちのうしろ姿と、一方、急におしゃべりを止めて「踟厨」(ためらい)がちに顔を赤らめている乙女たちの姿を、李白は描いている。ハスを採る娘らとその乙女の気を引こうとしている若者=遊冶郎、現在だったらチャラ男のこと?。もう若い者の中に入りきれない客観してみている李白。経験したものでないとわからない中年李白の繊細な作品、名作とされている。
七言古詩、韻は 女、語、擧。/ 郎、楊、腸。
ところで蓮の花には晩秋にレンコンを掘り出すための蓮と観賞用に紅色にした蓮とがあります。
そこで下にはこの2種類のハスノハナの写真を示します。

上はレンコン畑に咲いているハスノハナです。このように広い蓮根畑のある茨城県は連根の生産量が日本一と言います。

上は花を拡大して示した写真です。

上は広大なレンコン畑です。霞ヶ浦の北岸は広い湿地帯になっていて、見渡すかぎりこのようなレンコン畑が広がっています。晩秋になって葉も枯れる頃、水底に圧搾空気を高速で送り出して蓮根を掘り出します。

上の写真は観賞用のハスノハナです。小金井市の真蔵院で撮りました。花の中心にハチ巣のような実の塊が見えます。花びらが散り、種が大きく熟すると捥いで取り出します。この蓮の実は貴重な中華料理用の食材になります。上の李白の漢詩の中の女性たちは散りかけた花ビラを取り去りこの蓮の実を採っていたと私は想像しています。

上は鎌倉の建長寺で撮ったアジサイの花です。アジサイはいろいろな品種がありますが、これは昔ながらのアジサイです。

上は伊豆の城ケ崎公園のアジサイ苑で撮ったものです。花びらが面白い形です。

上は自宅の庭のムクゲの花です。他には薄い紅色のかかったムクゲもあります。無窮花と言う通り、夏中、毎日、毎日、新しい花を咲かせています。
上は三鷹市花と緑の広場で撮った黄色いユリの花です。数年前に宮城県の栗駒山の麓にある一迫ユリ園の広大な色とりどりのユリ園を思い出しながら写真を撮りました。

上は京王フローラルガーデンで撮った真紅のバラです。バラは春から秋まで一年中咲いていますが夏には真紅のバラが似合います。

上は京王フローラルガーデンで撮ったハマナスの花です。夏の砂浜と松林の間に咲いているのを想像しながら写真を撮りました。

上は河原に咲いているカワラナデシコです。三鷹市花と緑の広場で撮りました。昔は多摩川の川原に沢山咲いていたそうです。

上は昔風のキキョウの花です。都立薬用植物園で撮りました。

上がアガパンサスです。都立薬用植物園で撮りました。

上はブーゲンビリアです。温室で育ちますが夏になると外でも良く咲きます。これは都立薬用植物園の温室内で撮りました。

上はヒマワリです。夏と言えばヒマワリです。小金井市にも2ケ所ほどヒマワリ畑があり暑い
夏の太陽のもとで一面に咲いているのは壮観です。

上はノーゼンカツラです。山梨県の甲斐駒岳の麓の農家の門の脇に咲いていました。この花は自宅にも沢山咲いていて家内が大切にしています。

上はネムノキの花です。2008年の夏に撮ったものです。北杜市の横手に三本あった大木です。悲しいことに、その後切り倒されてしまい二度と見ることは出来ません。忘れられない花です。

野山に控えめに咲いているホタルブクロです。都立薬用植物園で撮りました。

ルリダマです。三鷹市花と緑の広場で撮りました。
以上の他にも梅雨時は夏の花々は沢山ありましが、このくらいにしておきます。
皆様は夏の花々にどのような思い出がありますでしょうか?
皆様の昔の旅の思い出に登場する夏の花のお話しをお聞かせ下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

花々の季節がめぐり今年も暮れて行く(2)晩春から梅雨の前の花々

2015年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム
今日もまず劉廷芝の漢詩を一つお送り致します。

代悲白頭翁          白頭を悲しむ翁(おきな)に代わる

洛陽城東桃李花        洛陽城東桃李(とうり)の花       
飛来飛去落誰家        飛び来たり飛び去って誰(た)が家にか落つ
洛陽女児惜顔色        洛陽の女児顔色を惜しむ
行逢落花長嘆息        ゆくゆく落花に逢うて長く嘆息す

洛陽城(現河南省洛陽市)の東にある桃園の花びらがひらひらと近くの家の屋根に落ちかかる。いつまでも若さを保ちたいと願う洛陽の若い女性が、花びらの落ちる情景を見てため息をついた。
さて晩春から梅雨前にかけて私が撮った写真をお送りいたします。
はじめは上の劉廷芝の漢詩にある桃の花です。

上の写真は山梨県の長府の桃の共撰場の前にある桃畑です。この桃畑は毎年5月の初旬に桃の花の写真を撮りに来る場所です。畑の南側は七里ケ岩という断崖になっていて谷の底を釜無川が流ています。その向こうには残雪を戴いた南アルプスの鳳凰三山が連なっていて桃の花を一層引き立てています。そのような美しい背景があるので毎年写真を撮りに行きます。

この写真は箱根の芦ノ湖を見下ろす「山の上のホテル」の庭のツツジです。ここも箱根に行くとよく寄るところです。

上は山梨県北杜市の山林の中の小屋のそばに咲いていたヤマツツジです。自然に咲いているツツジも楚々として良いものです。

上はフジの花です。藤は有名な調布の古い藤やあちこちの公園に藤棚があります。この写真は小平市の玉川上水の傍らにあった公園で撮りました。

晩春になるとアチコチで無毒のヒナゲシが一斉に咲き出します。この写真は三鷹市の花と緑の広場で撮りました。

この写真は猛毒のケシです。都立薬用植物園で撮りました。麻薬の原料になるので頑丈な金網で囲われています。写真機のレンズの部分だけを網目に入れて苦労して撮った写真です。

上の写真はヤマブキです。武蔵野公園で撮りました。

上の写真はドッグウッドの花です。小金井公園で撮りました。喬木なので花が高い位置にあって写真の撮りにくい花です。山に咲いている水木も風情があって美しいものです。

上の写真は東村山市の北公園の菖蒲園で撮った写真です。
数年前に潮来のあやめ祭りに行ってあやめにすっかり魅了されてしまいました。しかし潮来は遠方すぎるのでここ数年は毎年、東村山市の北公園の菖蒲園に行って写真を撮っています。それでも潮来のあやめ祭りの印象が深く、どうしても潮来のあやめを思い出しながら写真を撮っています。そして自宅の庭には潮来から移植してきたあやめが大きな花を咲かせます。もう7年も毎年咲いているのです。

上の写真は山梨県の山林の中の小屋の近所の人が植えているアイリスです。ここへも毎年行きます。

上の写真は野生のアカシアの花です。山梨県北杜市の小屋のそばを流れている石空川(いしうとろがわ)の河川敷に香り高く無数に咲いている光景は圧倒的な華やかさです。

上の写真は自宅の裏の通りの街路樹でナンジャモンジャの花です。
不思議な花ですが毎年、溢れるように咲きます。
以上で写真は終わりですが、人の手で改良したり、温室で栽培している洋風の花はなるべく避けて、ごく普通に関東地方で見られる花に限定しました。
花屋さんの店先には花々が沢山に並ぶのはこの季節です。
花々だけでなく新緑の木々も美しいものです。
気温も上がり、しかし梅雨の前なので風もさわやかで一年中で一番気持ちの良い季節です。(続く)

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

花々の季節がめぐり今年も暮れて行く(1)春の花々

2015年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム
毎年、季節が巡るといろいろな花々が次々と咲きます。咲く花は毎年同じ様です。しかし人は年々亡くなり、見る人は同じではありません。
「年年歳歳花あい似たり、歳歳年年人同じからず」です。この句は下の劉廷芝の漢詩の下二行にあります。
古人無復洛城東        古人また洛城の東に無し
今人還対落花風        今人還(かえ)って対す落花の風
年年歳歳花相似        年年歳歳花あい似たり
歳歳年年人不同        歳歳年年人同じからず
昔、洛陽城の桃の花を楽しんだ人達は既に亡くなり、今我々が花の散るのを見て嘆いている。毎年美しい花は同じように咲くが、この花を見る人々は毎年変わっているのだ。
(http://homepage3.nifty.com/TAD/poems_3/poem_35.htm)
私も毎年、年老いていきます。そして上の漢詩のように花々とも間もなくお別れします。
そんな想いで毎年、毎年、同じような花々の写真を撮っています。
今年も花の季節も終わりに近づきました。来月は師走です。
そこで今年撮った花々の写真を季節ごとに4回ほどに分けて振り返ってみます。
今日は早春から春にかけて自分で撮った つたない写真で春の花々をご紹介いたします。こうしてみると白い花、黄色の花が多いと思います。
春は多くの花々が一斉に咲き出しますが以下には10種類だけを選びました。みな近所の公園や花園で撮ったものです。

野原で一番先に咲くのがこのフクジュソウです。神代植物公園で毎年ここに来て同じような写真を撮ります。

上のようなロウバイも梅よりも先に咲き出します。府中の郷土の森公園で撮りました。

上は早咲きの水仙です。清瀬の金山緑地で撮りました。

上は梅の花です。神大植物園で撮りましたが、他にも府中郷土の森公園や小金井公園にも見事な梅畑があるので何度も見に行きます。

上はマンサクです。神大植物園で撮りました。

上は白いモクレンです。コブシも同じ頃に咲き出します。調布の京王フローラルガーデンで撮りました。ここはいろいろなモクレンとコブシを多種類集めた有名な場所です。

上はナノハナです。近所に3ケ所、小さな菜の花畑があり毎年同じ所で撮ります。今年は写真を撮っていたら畑の持ち主のおじさんが花を惜し気もなく数本折ってくれました。おひたしにすると春の香りがして美味しいよと言って家内へ手渡してくれました。

上はサクラです。小金井公園で撮りました。桜が咲きだすと国立市の大通りや武蔵野公園や野川沿いの桜や国際キリスト教大学の桜並木などなど見て回るので大変忙しくなります。

上はユキヤナギです。桜が終わる頃になるとあちこちで一斉に咲きます。これは武蔵野公園で撮りました。

上はチューリップです。上野公園で撮りました。
春はいろいろな花々が咲きます。写真の他にフキノトウやレンギョーやジンチョウゲやモモ
の花も咲きます。日本の春はこのように豊かな花々で美しくなります。
そして季節は晩春から梅雨の季節へと静かに変わります。登場する花も変わっていきます。
続きはまた明日です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

アジアの運命を変える中台首脳会談・・・第三の国共合作か?

2015年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日シンガポールで行われた中国共産党主席、習近平と台湾の国民党の総統、馬英九の会談は東アジア地域の将来の運命を決める歴史的な会談と言えます。このことはこれまでの国民党と共産党の歴史を知ればごく自然な考え方と思います。
私はすぐに1937年の国共合作による抗日戦争の激化を思い出しました。
中国の毛沢東の共産党と蒋介石の国民党とが協力しあって日本軍を打ち負かす目的で第二次国共合作協定を西安で作ったのです。私はそれを思い出したのです。
今回の中台会談は1949年に共産党が国民党を台湾へ追い落としてから実に66年ぶりの直接的な交渉なのです。
あれ以来いろいろなことが起きました。
金門島、馬そ島への共産党軍の連日の砲撃と国民党の激しい反撃も長期間続きました。
台湾に来た国民党がその独裁政治に反対した台湾の人々を大虐殺した事件もありました。
そして蒋介石とその息子の国民党独裁による台湾の安定と経済発展があったのです。その間におけるアメリカの援助の歴史もありました。
それは厳しい冷戦構造の歴史でした。
しかしソ連の崩壊後も台湾海峡の緊張は続いたのです。海峡で共産党軍の大規模な演習があり、アメリカはその牽制のため航空母艦を主にする艦隊を台湾海峡に派遣しました。
そのような歴史を知っている高齢者にとって今回の平和的な会談は感慨無量だったと思います。
特に世界中に住んでいる中国人にとっては心の慰めを感じたことと思います。
会談では中国大陸も台湾も一つの中国だと再確認されたのです。そして「一つの中国」の解釈は双方の自由だと確約されたのです。
大陸も台湾も文化的には一つだという意味もあります。そして経済的にも協力し合って経済圏としては一つになろうと言う意味でもあります。しかし一方、台湾と大陸の双方の好戦的な人々が武力による統一を夢見る自由も認めたのです。大人の智慧だけが武力衝突を回避出来るのです。
共産党独裁が続く限り平和的な話し合いで大陸と台湾が一つになることは絶対に不可能です。
昔の第一次、第二次国共合作によって、国民党と共産党の2つの軍隊が協力しあって日本を打ち負かせたのとは全く事情が違うのです。
今回の会談は武力で協力し、同じ戦線を戦うものではありません。
しかし太平洋の覇権を握ろうとする中国に対するアメリカの勢いをそぐことになるのは明らかです。
経済的には韓国も台湾も中国にかなり取り込まれてしまっています。そして今回台湾も心理的には中国側に引き寄せられたのです。
これで南沙諸島の問題で中国側はかなり有利になったのです。南沙諸島が完全に中国の手中に落ちれば日本への原油輸送も危険になるのです。
台湾の来年の選挙では大陸から移住してきた人を主流とする国民党の苦戦が予想されています。台湾人を主にする民進党が政権をとる勢いです。そうなれば中国との関係は習近平主席の思うようには進みません。なにせ民進党は一つの中国には反対で、台湾の独立を叫んでいるのですから。
中国大陸と台湾の関係は日本の将来、東アジアの将来に大きな影響があるのです。
習近平の外交力に日本の外交は押され気味なのが心配です。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考文献============
国共合作の歴史

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%85%B1%E5%90%88%E4%BD%9C
第一次国共合作
第一次国共合作は、軍閥および北京政府に対抗する共同戦線であった。国民党は1924年1月20日、広東で開催した第一次全国代表大会で、綱領に「連ソ」「容共」「扶助工農」の方針を明示し、第一次国共合作が成立した。中国共産党員が個人として国民党に加入する党内合作の形式を取った。
1925年孫文が死去し、1926年に中山艦事件で蒋介石が共産党員を拘束するなどの軋轢があったが、その後国民革命軍総司令官になって実権を握った蒋介石が同年北伐を開始し、1927年に南京に国民政府が成立。1927年4月の上海クーデターによって国共合作は事実上崩壊。7月13日、中国共産党は対時局宣言を発し第一次国共合作の終了を宣言、国共内戦に突入した。
第二次国共合作
西安事件後を契機に壊滅寸前の共産党は、コミンテルンの方針もあり国民党との合作に活路を見つけようとした。しかしながら、国民党内の共産党不信は根強く合作の交渉を捗らなかった。それに対し、北京盧溝橋事件と上海で起きた日本軍との軍事的衝突の矢面に立たされた蒋介石国民政府は、ソ連との中ソ不可侵条約締結と共産党の合法化による共産主義勢力との連携で難局の打開を試みた。

張学良による西安事件
張作霖の子で満州を追われていた軍閥・張学良は、1936年12月に共産党の取締りに対する協力を求めて西安を訪問した蒋を軍隊の動員によって西安に抑留した(西安事件)。張学良の目的は種々諸説あるが、蒋介石に代わって権力を握ろうとし、共産党はその張学良を利用したとの説が有力である。最終的にはコミンテルンの介入で、国共合作の方針が通された。蒋は合作の方針を受諾し、西安を訪問した中国共産党代表の周恩来との会談を通じてこれを公式に宣伝した後に共産党軍を「国民党所属第八路軍」として中華民国軍に組み入れ、ここに第二次国共合作が成立した。





菊の花々と花言葉、そして日本の伝統文化

2015年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム
今週の火曜日に諏訪大社上社に行きました。その折りに境内に飾られていた菊の写真をゆっくり撮りました。丹精してこのように見事に咲かせたひとびとの事を考えていました。そして菊の花言葉は何だろう?
文明開化で入って来た西洋の花言葉とその後日本で生まれた花言葉などをぼんやり考えていました。
それでは諏訪大社で撮った菊の花々の写真をお送りいたします。











花言葉は家内が時々教えてくれますが私はあまり興味が無いので記憶していません。
帰宅後、菊の花言葉を調べたらその色によって違い、下のようだと分かりました。
赤いキク:「あなたを愛してます」
白いキク:「真実」
黄色いキク:「破れた恋」
そして、キク全般の花言葉は「高貴」「高潔」「高尚」だそうです。
その一方で菊は天皇家の御紋として昔から使われてきました。
皇室で菊の紋章を用いたのは後鳥羽上皇(1183~1198)が最初といわれます。後鳥羽上皇はことのほか菊を好まれ、衣服や調度品に菊の文様を使用し、自らのお印として愛用されたそうです。その後、後深草天皇、亀山天皇、後宇多天皇も自らのお印として継承されたことにより、菊花紋章(十六八重表菊)が皇室の紋とされるようになったそうです。
そうして菊は源氏物語に、白い花が霜にあたり薄紅に変わったのを愛でたという事を聞き面白いと思います。
菊の花は日本文化の象徴のようなものです。
文化人類学者のルース・ベネディクトが「菊と刀」という題目の本を書いて戦後の日本の紙価を高めたのも思い出されます。
そのような菊と日本文化には古来から深い関係があります。
毎年、晩秋になると全国の神社に菊の花が奉納され展示されるのは日本の美しい伝統なのでしょう。
皆様の近所の神社には菊の花が展示してありますでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考資料===============
花言葉とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E8%A8%80%E8%91%89
その起源については不明な点が多いが、フランスの貴族社会では、19世紀初頭には草花を擬人化した詞華集が人気を博し、草花と特定の意味の組み合わせ例を示した手書きの詩作ノートが貴族サークル内で回覧されていた。そうしたノートは、草花の性質にことよせて恋人の美しさを賞賛したり、あるいは不実や裏切りを非難するといった恋愛の駆け引きのために参照されたとも言われる。
1819年頃に出版されたシャルロット・ド・ラトゥール『花言葉』 (Le Langage des Fleurs)は、こうした流行を背景に登場した最初期の花言葉辞典である。
ラトゥールは独自の花言葉を270超のリストにまとめているが、その命名手法の特徴は、大きく2つに分けられる。以下中略します。
以下では、ラトゥールとグリーナウェイの花言葉辞典で、共通して紹介されている組み合わせの一部を示します。 

花言葉:
オリーブ Olive          平和 Peace
ゲッケイジュ  Laurel       栄光 Glory
ユリ Imperial Lily         威厳 Majesty
スイセン Narcissus         自己愛 Egoism
スミレ Sweet Violet         節度 Modesty
バラ Rose              愛情 Love
ヒナギク  Daisy           純真 Innocence
スズラン Lily of the Valley      戻ってきた幸福  Return of Happiness 
フクジュソウ Flos Adonis        悲しい思い出 Painful recollection
ヒナゲシ Red Poppy           慰め Consolation

日本の花言葉の例:
サクラ        精神美
ヤマザクラ       純潔・淡泊など 
ヤマブキ        待ちかねる

教養として、何故キリスト教を愛の宗教と言うのでしょうか?

2015年11月06日 | 日記・エッセイ・コラム
キリスト教は愛の宗教と言います。何故そういうふうに呼ぶのでしょうか?
「汝の敵を愛せ!」とか「隣人を愛せ!」という言葉は広く知られています。
そして聖書には「神は人を愛している」とも書いてあります。
ここで用いられている「愛」という言葉の意味は他人へ親切にする心という意味です。
異性間の愛情や物に対する愛着という言葉の愛とは全然違う意味です。
末尾につけた参考資料の(1)仏教の「慈悲」キリスト教の「愛」をご覧下さい。
さてそれでは貴方は敵に親切に出来ますか?隣人に際限もなく親切に出来ますか?
少し出来るようですが確信を持って「はい」と言える人はいないと思います。
神が人間の一人一人を、そして貴方を大切にし、親切にすると信じられますか?神は貴方を愛していますか?
確信を持って「はい」と言える人はいないと思います。
しかしそのようにしなさいと言うのがキリスト教なので「愛の宗教」と呼ばれるのでしょう。
上に書いたことは理屈です。紙に書いた理屈です。所詮机上の理屈は無力です。
神の愛を何度も、何度も実感出来れば少しはキリスト教を信じるようになります。
神の愛を実感するためにはキリスト教の伝統に従った宗教的訓練をしなければ実感することは難しいと思います。宗教的訓練とは仏教で言えば座禅やいろいろな作務を含んだ修行のことです。
そして神の愛を容易に実感する場合の多くは、他人の際限の無い好意や感動的な親切を経験した時に神の愛を感じるのです。
他人があなただけの為に自己のことを忘れてあなたに仕え、親切にしたらそれは人間のわざでないと感じるのが普通です。それは神があなたにしていることなのです。
私はカトリックなのでいろいろな神父様や信者さんに無限に親切にして貰った経験があります。そのたびに神が私を愛してくれていると実感したのです。
ところが違う宗派の人にとても親切にしてもらったのです。感動的な体験でした。忘れられない体験でした。
それは丁度6年前に神田のニコライ堂の起きたことでした。下の写真が二コライ堂です。

その経験はあまりにも鮮烈だったので2つの記事にして2009年11月04日と2009年11月29日にhttp://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyamaの上に掲載したほどです。
簡単に言えば6年前のある日、ニコライ堂で金田豊一さんという聖職者に偶然お会いしたのです。ニコライ堂の事務所に寄り、教義書を買おうとしたらお会いしたのです。
そして一度ニコライ堂の礼拝式(聖体礼儀という)に出席してみませんかと誘われたのです。
次の日曜日、ニコライ堂へ再度行きました。当時、伝教師だった金田一豊は実に親切に礼拝式の内容を説明してくれました。
儀式は10時に始まり約3時間で、午後1時近くに終りました。
荘厳な合唱で進める儀式で、その合唱の芸術性には感動しましたが、堅苦しい儀式なので他宗派の私には疎外感と違和感があり、出席したことを多少後悔もしていました。
見上げると聖堂のあちこちにマリア様のイコンが沢山飾ってあります。
そこで気楽に母の居る実家に帰った心算で居ることに決めました。
金田さんは華やか法衣を着て、主教の行列や祭壇での祈祷に聖職者として参列しています。
しかし驚いたこと金田さんが、ニコニコしながら祭壇から降りてきて私のそばに立ち親切に説明してくれました。驚いたことに祈祷の合間に、3回も私のそばに来てくれたのです。
下の写真はその礼拝式の後で法衣を脱いで気楽になった金田さんです。

礼拝式の後、彼は私に美しい奥さんやそのお義母さんにも紹介してくださって私を本当の友人のように受け入れてくれたのです。
帰りの電車の中で私は神の愛を噛みしみていました。彼のしたことは人間のわざでないと直感したのです。
それ以来、不実な私はご無沙汰のしどうしでした。6年の月日が流れたのです。
その金田さんから昨日下のようなメールが来たのです。
================
ご無沙汰しています。
お元気ですか。
数年前、ニコライ堂において伝教師(宣教師)をしていた金田です。
覚えていらっしゃいますか?
当時は、私の記事をブログのほうに載せていただいてことがあります。
思い出していただければ幸いです。
今回、久しぶりに連絡させていただきまたのは、私のことがクリスチャントゥデイという新聞に取り上げられたのでお知らせをさせて頂きたくてのことです。
現在は輔祭となり奉職しています。
下のリンクは按手の模様が記事になっています。
よかったら、見てみてください。
http://www.christiantoday.co.jp/articles/17454/20151029/deacon-yvan-kazutoyo-kaneda.htm
主の平和にありて。
そして上に示してある記事を見ますと金田さんがウクライナ正教会(キエフ総主教庁)の在日教会である「聖ユダミッション」で、初の日本人聖職者として輔祭に叙聖されたことが分かりました。下がその時の写真です。

このメールで私はまた神が私を愛して下さっていると実感しました。
私も神を愛しています。イエスさまを愛しています。
以上がキリストが愛の宗教だという一つの実例です。私の小さな、小さな体験です。その小さな体験でキリスト教の全てを説明しようという気持ちは毛頭ありません。
しかしこのつたない記事を書いている間中、私は楽しかったです。幸せです。感謝です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
=====参考資料=============
(1)仏教の「慈悲」キリスト教の「愛」
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/bukkyokirisuto09.htm
 最近、日本で行われたある意識調査によると、
「あなたが人生で一番大切にしているものは、何ですか」
 との問いに対し、一番多かったのは「愛」で、二位は「誠実」という結果が出ていました。
 以前は「誠実」のほうが若干多かったのに、最近では逆転して、「愛」が一位になったのだそうです。
「愛」の意味は変わった!
 では、「愛とは何ですか」と問うならば、日本人の多くはどのように答えるでしょうか。
「恋愛」「人を好きになること」「慕うこと」「かわいがること」なども答えもあるでしょうが、それだけでなく、 「人を思いやること」という答えも返ってくるでしょう。あるいは、 「人に親切にすること」という答えも返ってくるでしょう。「愛とは人を思いやることだ」とは、今日多くの日本人が持つに至った理解です。ところが、昔の日本には、「愛」という言葉にそのような意味はありませんでした。
 じつは仏教には、慈しみを意味する「慈悲」と、愛欲・愛着を意味する「愛」という言葉があります。仏教の「愛」は、異性、お金、名声などへの「執着心」の意味なのです。
 仏教の「愛」は、欲望の一種であり、煩悩の一つにすぎません。そのため、仏教では「愛」を否定しています。『法句経』にこう書かれています。
「愛より憂いが生じ、愛より恐れが生ず。愛を離れたる人に憂いなし、なんぞ恐れあらんや」
 この「愛」は、執着心の意味です。仏教では、「愛を離れること」が理想なのです。
 ですからかつての日本人は、この仏教の「愛」概念にしたがって、「愛」に否定的な意味しか見ていませんでした。それが明治時代の頃から、しだいに「愛」という言葉の意味が、少しずつ変わってきました。
 今日では、愛とは「人を思いやることだ」「人生において最も大切なものだ」などの捉え方を、多くの日本人がしています。「愛」に、積極的な新しい意味を見ているのです。
 これはじつは、キリスト教の影響によるものなのです。
 キリスト教においては、人に対して良いことをなすことを、「愛」と呼んでいます。今日の日本人が、「愛」に肯定的・積極的な意味を見るようになった背景には、このキリスト教の愛の思想が影響しているからです。
 かつて江戸時代において、「愛」は「愛着・執着・愛執」の意味しかありませんでしたから、キリシタンはキリスト教の「愛」(原語アガペー)を、「大切」「思い」「懇切」等と訳していました。
 明治になると、クリスチャンたちは「愛」の語を、「和訳聖書」の中でも、説教の中でも、堂々と使うようになりました。その結果、日本語の意味そのものに変化が起こったのです。
 しかし、「愛」の新しい意味がすぐ広まったわけではありません。はじめの頃は、大変だったようです。
 実際、こんなエピソードもありました。明治時代に宣教師が、聴衆に対して大声で、
「神は愛なり!」
 と叫ぶと、思わず噴き出してしまった人々がいたそうです。その人々はまだ、仏教的な「愛」の理解しか持っていなかったのでしょう。
 このように仏教の「愛」と、キリスト教の「愛」では、意味が大きく違っています。
 キリスト教の「愛」と比べられるものは、仏教においては、「慈悲」でしょう。そこで仏教の「慈悲」と、キリスト教の「愛」とを対比して考えてみましょう。
(仏教の「愛」は、新約聖書でいう「エロスの愛」、仏教の「慈悲」は新約聖書でいう「アガペーの愛」に相当すると考え、両者を比較してもよい)

(2)キエフ総主教庁の在日ウクライナ正教会で初の日本人聖職者誕生
2015年10月29日15時45分 :http://www.christiantoday.co.jp/articles/17454/20151029/deacon-yvan-kazutoyo-kaneda.htm

ウクライナ正教会(キエフ総主教庁)の在日教会である「聖ユダミッション」で、初の日本人聖職者が誕生した。
同教会初の日本人聖職者となったのは、輔祭に叙聖されたイヴァン金田一豊氏(45)。輔祭は、正教会で主教、司祭に次ぐ神品(聖職者)。同教会によると、ウクライナ正教会(キエフ総主教庁)においても初の日本人聖職者となるという。金田氏は、2012年から聖ユダミッションに加わり、それ以前は米空軍横田基地の正教会コミュニティーで3年間、米軍チャプレンであった正教会司祭の下で仕えてきた。

キエフ総主教庁の在日ウクライナ正教会で初の日本人聖職者誕生
キエフ総主教フィラレート(右)により輔祭に叙聖されるイヴァン金田一豊氏(下)=9月20日、聖アンドリュー・ウクライナ正教会(米イリノイ州)で日本ハリストス正教会の東京正教神学院で学び、聖ユダミッションでは輔祭に叙聖される前から、奉神礼で誦経したり、毎週の週報を日本語・英語・ウクライナ語の3カ国語で作ったり、日本語でカテキズムを教えるなど、中心的な役割を担ってきたという。リディア夫人との間に娘が1人おり、平日は小学校の教員として勤務している。
叙聖式は、9月20日に米イリノイ州ブルーミングデールにある聖アンドリュー教会で行われた。この日は、正教会の十二大祭の一つである生神女誕生祭の直前の主日で、金田氏はキエフ総主教フィラレートによって叙聖された。またこの日、聖ユダミッションのポール・コロルーク司祭も長司祭に昇叙された。
金田氏は、10月4日に聖ユダミッションで行われた奉神礼で初めて輔祭として奉仕した。
=================