毎年、晩秋になると必ず写真を撮りに行く銀杏並木があります。八王子市の西にある甲州街道です。そこは江戸幕府の下級武士の千人同心が住んでいた場所です。現在は千人町と呼ばれています。晩秋の11月20日頃になるとその甲州街道の両側にある数百本の銀杏並木が黄葉し、はなやかに輝くのです。
この並木通りの西端に大正天皇と昭和天皇の御陵があるので参道になっています。ですからこの部分の甲州街道は幅も広く立派な銀杏並木になっているのです。甲州街道を直角に曲がると御陵の入り口に続きます。その参道も幅の広い欅の大木の並木道になっています。途中の浅川に御霊屋橋がかかり神聖な雰囲気になっています。
昨日も例年通りこの千人町の銀杏並木の写真を撮って来ましたのでお送り致します。
このように銀杏が黄葉すると八王子市民はイチョウ祭りをします。
今年は11月21日(土)9:00〜17:00 22日(日)9:00〜16:30 です。
長い銀杏並木には出店が並び人が溢れます。車は甲州街道だけ通行出来ますが御陵に入る道は通行禁止になるので御陵の広い無料駐車場は使えません。詳しくは、http://www.ichou-festa.org/category/event/をご覧ください。
この銀杏の黄葉の写真を撮っていると、しみじみと今年も暮れていくのだという感慨が湧いてきます。
そして何十年も前からこの並木を通り抜けて高尾山や相模湖へ遊びに行ったことを思い出します。
そこで昨日は高尾を通りぬけて大垂水峠を越えて曽遊の地、相模湖まで足を延ばしました。
相模湖は1962年の晩秋に行って以来、家族連で何度も遊びに行ったものです。
湖は晩秋の光を水面に反射させ静かに横たわっています。
そして岸辺には老夫婦や若い家族連れが湖を静かに眺めていました。
この相模湖を初めて訪れた1962年当時は華やかな観光地でした。忙しく観光船が発着し、食堂や土産店が軒を連ねていました。食堂では湖のワカサギのフライの定食が名物でした。射的場があり拡声器から大音量で流行歌が流れています。
そして1964の東京オリンピックではカヌーやカヤックのオリンピック競技場になり、立派な艇庫も作られたのです。
それから以後10年くらいは賑やかな観光地でした。しかしその後、人々はテーマパークや海外旅行に行くようになり相模湖には観光客が途絶えたのです。淋しくなりました。静かになりました。
湖畔は神奈川県立公園として次第に綺麗に整備されました。
現在は八王子など近くの市民の遊び場になっています。
私もドライブの時によく行きます。平日は広い駐車場が無料になるので車を停め湖畔を少し歩くのです。
昨日は家内とともに1962年に初めて訪れて以来、53年間の生活のあれこれを話し合いながら湖畔を散歩してきました。ある時は家内の祖父母、またある時は父母と幼い子供たちを連れて遊覧船に乗ったことなど、とりとめないことなど。
八王子の銀杏並木の黄葉も、晩秋の陽に輝く相模湖も年年歳歳同じです。何十年も変わりません。でもそれを見る人は年の流れとともに変わっていきます。唐の時代の詩人を想いながら車をゆっくり動かして大垂水峠を越えて帰って来ました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
この並木通りの西端に大正天皇と昭和天皇の御陵があるので参道になっています。ですからこの部分の甲州街道は幅も広く立派な銀杏並木になっているのです。甲州街道を直角に曲がると御陵の入り口に続きます。その参道も幅の広い欅の大木の並木道になっています。途中の浅川に御霊屋橋がかかり神聖な雰囲気になっています。
昨日も例年通りこの千人町の銀杏並木の写真を撮って来ましたのでお送り致します。
このように銀杏が黄葉すると八王子市民はイチョウ祭りをします。
今年は11月21日(土)9:00〜17:00 22日(日)9:00〜16:30 です。
長い銀杏並木には出店が並び人が溢れます。車は甲州街道だけ通行出来ますが御陵に入る道は通行禁止になるので御陵の広い無料駐車場は使えません。詳しくは、http://www.ichou-festa.org/category/event/をご覧ください。
この銀杏の黄葉の写真を撮っていると、しみじみと今年も暮れていくのだという感慨が湧いてきます。
そして何十年も前からこの並木を通り抜けて高尾山や相模湖へ遊びに行ったことを思い出します。
そこで昨日は高尾を通りぬけて大垂水峠を越えて曽遊の地、相模湖まで足を延ばしました。
相模湖は1962年の晩秋に行って以来、家族連で何度も遊びに行ったものです。
湖は晩秋の光を水面に反射させ静かに横たわっています。
そして岸辺には老夫婦や若い家族連れが湖を静かに眺めていました。
この相模湖を初めて訪れた1962年当時は華やかな観光地でした。忙しく観光船が発着し、食堂や土産店が軒を連ねていました。食堂では湖のワカサギのフライの定食が名物でした。射的場があり拡声器から大音量で流行歌が流れています。
そして1964の東京オリンピックではカヌーやカヤックのオリンピック競技場になり、立派な艇庫も作られたのです。
それから以後10年くらいは賑やかな観光地でした。しかしその後、人々はテーマパークや海外旅行に行くようになり相模湖には観光客が途絶えたのです。淋しくなりました。静かになりました。
湖畔は神奈川県立公園として次第に綺麗に整備されました。
現在は八王子など近くの市民の遊び場になっています。
私もドライブの時によく行きます。平日は広い駐車場が無料になるので車を停め湖畔を少し歩くのです。
昨日は家内とともに1962年に初めて訪れて以来、53年間の生活のあれこれを話し合いながら湖畔を散歩してきました。ある時は家内の祖父母、またある時は父母と幼い子供たちを連れて遊覧船に乗ったことなど、とりとめないことなど。
八王子の銀杏並木の黄葉も、晩秋の陽に輝く相模湖も年年歳歳同じです。何十年も変わりません。でもそれを見る人は年の流れとともに変わっていきます。唐の時代の詩人を想いながら車をゆっくり動かして大垂水峠を越えて帰って来ました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)