イスラム教を信じる人が世界に14億人いると言います。しかし日本人にとってイスラム教ほど理解が難しいものがありません。仏教やキリスト教とはあまりにも違うので全く理解出来ないと言っても過言ではありません。
そこで日本人にも容易に分かりやすい説明の仕方を長い間いろいろと考えて来ました。
イスラム教を検索すると、その教義の「六信五行」がまず出て来ます。教徒が信じるべき6つの事と行うべき5つのことです。
そしてこの「六信五行」の神学的な背景や意味が実にクダクダと書いてあります。
まったく机上の空論です。これではイスラム教徒の実際の日常生活が皆目見当もつきません。
そこで私は勇気をもって簡単に分かるように説明することにしました。
中東やアフリカ北部のイスラム教の国々では禁酒で豚肉を食べず、女は種々の形があるが必ずヴェールをかぶっています。これがイスラム教なのです。
中東から離れたバングラデッシュ、マレーシア、インドネシアでは禁酒とヴェールが必ずしも厳密には守らない人もいます。
しかし、イスラムの特徴は禁酒、豚肉厳禁、ヴェールの3点セットです。如何でしょうか?分かり易いです。
ところがイスラム教は他の宗教と違うところは生活全般と政治や法律も裁判も全て、イスラム法に厳しく従って行われていることです。
ですから政教分離の欧米の考え方や個人の尊厳を守ろうとする考え方からは到底受け入れることに出来ないものなのです。
日本の仏教からも実に理解しがたい考え方なのです。
しかしこれを理解する鍵があります。
何故、豚肉厳禁なのでしょうか?理由はありません。疑問も感じません。イスラム法で厳禁しているから絶対に食べないのです。
何故、禁酒でしょうか?イスラム法で厳禁しているからです。
何故、女はヴェールをかぶっているのでしょうか?イスラム法で決まっているからです。
イスラム教の本質は、「イスラム法」への絶対服従なのです。それは見方によっては一番純粋な信仰といえます。
究極の宗教とも言えます。
よく欧米人や、そして日本人も「彼等には恋愛の自由もなく人権も無く不幸な人々だ」と見下した考えを言う人が多いものです。
冗談ではありません。彼等こそ現在の世界で一番幸福な人々なのかも知れません。そこには宗教的な法悦がみなぎっています。濃厚な家族の愛があります。喜捨の精神があり隣近所が助け合う平和な社会があります。
一日五回の礼拝や、断食月などを行うと生きている喜びが湧き上がってきます。
このように書くとイスラム教の国々は世界一幸福な国ということになります。
ところがイスラム教の国々には大きな貧富の差があります。奴隷のように疲れ切った労働者が沢山います。イスラム教を棄教すれば処刑されます。信仰の自由など絶対にありません。
しかしそれだからと言ってイスラム教の国々は世界一不幸な国ということにはなりません。彼等も赤い血の流れている人間なのです。我々と同じように喜怒哀楽の人生を送っているのです。
何故、中東地域で欧米とイスラム教の国々がいろいろな形の戦争をしているのでしょうか?
その原因の一つに欧米側が「彼等には恋愛の自由もなく、人権も無く、政治と宗教が合体した酷い国々だ」と見下した考え持っているからです。そしてアメリカは敵対する国々を武力で制圧して、民主主義の国家にしてしまえと考えるから戦乱が続くのではないでしょうか?
こんなことを先週の土曜日に山林の中の小屋の窓から周囲の木々を見ながら考えていました。添付した写真がその窓から撮った写真です。
末尾にイスラム教徒の実生活の様子をもう少し詳しく説明してあります。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料=============================
イスラム教の特徴;http://www.geocities.jp/timeway/kougi-44.html
正式の教義である「六信五行」以外のイスラムの特徴
聖戦
ジハードともいう。
これは、イスラム教徒が異教徒と戦うことです。
イスラム法。
イスラム教徒はコーランにしたがって生活します。コーランには宗教的な話だけではなくて、日常生活のルールもいろいろ定めている。ムスリムとして生活しようとすると、宗教生活以外でもコーランに縛られることが多いのです。また、ムスリムが生活上でいろいろなトラブルがあった場合にも、コーランの記述に基づいて裁く。
こうして、イスラム世界ではコーランに基づく法律が発展しました。これをイスラム法という。
イスラム法を学んだイスラム法学者、ウラマーという人たちが、人々の日常的な生活の相談から政治的な指導までする。そういう世界です。
日本や欧米では、政教分離が原則ですね。政治に宗教が関わらないように制度上さまざまな工夫をしている。ところが、イスラムでは政治・法律と宗教を切り離すことができない。すべてがイスラム教に関わっているのです。
だから、一日五回の礼拝や、断食月なども可能になるのです。
たとえば結婚ですが、ムスリムは結婚前に両者が契約書を作る。何が書いてあるかというと、離婚する場合の条件が書いてある。離婚の場合、夫はどれだけの金額を妻に渡すとかなんとか。契約書をイスラム法学者に見せて問題がないのを確認してもらってから、正式な結婚となります。こういう結婚の仕方がイスラム世界でどこまで一般的かはわかりませんが、そういう地域もあるということ、生活のすべての面がイスラム法、コーランに基づいているということを覚えておいてください。
聖職者の存在を認めない。
イスラム教ではお坊さん、聖職者はいません。信者はすべて対等です。キリスト教の牧師や神父のように、神と人間をつなぐ一般信者以上の存在は認めていません。
テレビを見ていると「○○師」という名前で聖職者のような人が出てくるときがありますが、あれはイスラム法学者で聖職者ではないのです。イスラム法を解釈するだけで、神との関係で特別な地位にあるわけではない。
ただ、一般民衆の心情として「聖者」を求める気持ちはあって、地域地域でいろいろな聖者がまつられています。ただ、これは公式的なイスラム教から見ると変則的ということになる。
商人の倫理を重視。
ムハンマド自身が商人だったこともあって、イスラムは商業倫理を尊重しています。仏教でも、キリスト教でも商売を軽視、もしくは蔑視するところがある。これは、農民のように額に汗して手に豆を作って働きもせず、右のものを左に動かすだけで儲けることを卑しいこととしたためです。イスラムにはこういう面はない。
むしろ、商人が正しい契約によって利益を得ることを積極的に肯定している。・・・・
手形や為替のような商業システムも整備されました。
商業が発展すると、当然都市も発展する。
都市はその中心にモスクがあります。モスクは礼拝所です。寺院に近いですが、正確には寺院ではない。信者が礼拝のために集まる集会所と言った方がよい。イスラムは偶像崇拝禁止ですから、モスクの中にも何もない。ただ、部屋の壁にメッカの方向を示すくぼみが作ってあるだけです。ご本尊やご神体をまつってある寺院ではない。
もう一つ都市の中心にあるのが市場です。バザールです。すっかり日本語になっているほどです。ここで、さまざまな取引がおこなわれる。
それ以外に都市には、隊商宿、公衆浴場、公衆便所、賃貸アパート、貸店舗などが整備されていました。
・・・ ムハンマド時代、そしてムハンマド死後のしばらくの間は、イスラム世界には国家はなくて「イスラム」だけで人々は生活していたわけですから、本来ムスリムの共同体=ウンマがしっかりしていれば国家などなくてもよいということになる。
全身を服で覆って頭からすっぽりヴェールをかぶっています。肌はどこも露出していない。
ただ、これは極端な格好で、インドネシアやマレーシアでは女性もここまで肌を隠してはいません。せいぜい頭髪をスカーフで覆っているくらいです。・・・・
それはともかく、なぜイスラムでは女性はヴェールをつけるのでしょう。
イスラムでは人間は弱いものだ、という発想がある。人間は意志が弱いという前提でイスラムの倫理は組み立てられている。先ほど、結婚の前に離婚の条件を決めておく話をしましたが、夫婦の愛も永遠に続かないかもしれないという、非常に冷静な判断をはじめにしているのです。人は弱いから。決して、永遠の愛は誓わない。
同様に、男の理性は性欲に打ち勝てないかもしれない、という前提に立つのです。
弱い男の理性を崩壊させないように、女は肌を隠す、ということらしい。面白い理屈です。
だから、単純に女は引っ込んでおけ、という発想のファッションではないようですね。しかし、現代では、肌を出すことができないことは女性に対する抑圧だという意見がイスラム世界の女性からも出ているようです。
イスラムでは一夫多妻で男は妻を四人持てるというのは有名な話です。あれも、男尊女卑の典型のように思われがちですが、ムハンマドとしては女性を保護するためだったらしい。
イスラム以前のアラブ社会も一夫多妻で、男は何人でも妻を持つことができた。ムハンマドのイスラムはそれを四人に制限したのです。
しかも、ムハンマドは「すべての妻を平等に愛せるならば」四人まで持ってよいと、条件を付けている。これ、厳密に考えたら複数の女性を平等に愛するなんて不可能でしょ。だから、現実には一夫一婦制に限りなく近い。ムハンマド自身もハディージャが亡くなるまでは、他に妻を迎えませんでしたね。・・・
また、公共の場では男女を一緒にしないのがイスラム世界では一般的です。先日イランの映画を見ていたら、小学校では男子と女子の登校時間が違うんだね。女子が帰宅してから男子が登校するの。
イランではスキー場でもゲレンデが男女別になっていて、家族でスキーに行ってもお父さんとお母さんは別のゲレンデ、兄と妹も一緒には滑れないようになっています。銭湯みたいですね。
最後に、サウジアラビアとかイランとか、女性が顔を隠すのが一般的な国では恋愛はどうなっているのでしょうか。
イスラム教であろうと年頃になれば女の子が好きになる。ところが、若い男が女の子と知り合う機会は全くない。町を歩けば女性とすれ違うけれど、容姿どころか年齢すらもわからないんだから好きになりようがないです。まことに可哀想です。
だから、結婚は親が決めたお見合い結婚が一般的らしい。・・・・