バイデン大統領は中国の世界の覇権指向の政策へ対して厳しく対抗しています。そして今朝の新聞によると彼自身が来日し、日米豪印の4ケ国会談をする予定であると岸田首相が発表しました。日米豪印の4ケ国の中国包囲網を強化し中国に一層厳しく対抗しようとしています。
一方、中国には1万3千社以上の日本企業があります。この数多くの日本企業はバイデン大統領と中国の厳しい対立の影響を受けるのでしょうか。政治と経済は別と言いますが日本企業にとっては難しい局面になります。
今日は中国の経済活動を観ながら数多くの日本企業への影響を考えてみたいと思います。
中国の覇権指向の脅威をバイデン新大統領は以下のように対抗しています。
(1)バイデン大統領の外交政策。
バイデン氏の発言および見解を考えると具体的な外交・安全保障政策には、以下のように想定されます。
1. トランプ政権が大きなダメージを与えた同盟諸国との関係修復・強化にただちに着手する。できるだけ早期に日欧主要国首脳との会談を行う。
2.NATOおよびアジア太平洋における日本、韓国、オーストラリア同盟諸国については、引き続き防衛分担の増強を求めるが、これらの諸国に対するアメリカのコミットメントを(前政権のような)金銭的取引の対象としない。
3.中国の存在を最重要視し、中国の世界経済に対する挑戦に対処していくため、価値観を共有する「世界の民主主義国間の連帯構築」に早急に着手する。
4.世界各国との通商においては、アメリカ国民の利益を守るため、相手国に対し「公平・公正なルール」の順守を求めていく。
5.米軍事力の投入は目先の短期的目的のためではなく、長期的で戦略目的に合致したものでなければならない。「世界の警察官」となるのではなく、資源配分を厳格化する。
6.北朝鮮核問題については、切迫した脅威であり、中国含め近隣関係諸国と緊密な連携の下に「非核化」実現に向けて協議していく。トランプ前大統領の時のような米朝首脳会談に安易に応じるつもりはなく、経済制裁強化を含め北朝鮮に対し厳しい姿勢で臨む。
以上のようにバイデン大統領は中国の脅威を最重要視していることは明らかです。
それでは中国の脅威とは何でしょう?
それはアメリカ攻撃を目的にした強大な軍事力と高度な工業技術に支えられた巨大な経済力です。幸い現在の時点でこの2分野では中国はアメリカよりも劣っています。しかし中国は成長しているのです。大きな脅威です。
そこで高度な工業技術の一例をご紹介したいと思います。
(2)中国の高度な工業技術の例
中国の工業技術の発展はめざましくコンピューター技術をはじめ全分野で世界の先端に立っています。しかし鉄鋼製錬技術や自動車製造技術は地味でマスコミであまり取り上げられていません。そこで今日はこの2分野についてご紹介いたします。
例えば鉄鋼製錬技術について見れば、2019年の中国の粗鋼生産量は長年連続で世界一なのです。
以下は、https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54931090Y0A120C2X93000 からの抜粋です。
世界鉄鋼協会が発表した2019年の世界粗鋼生産量は、前年比3.4%増の18億6990万トンと3年連続で過去最高だった。米中貿易戦争の長期化で世界の鋼材需要が鈍化する一方、中国は景気刺激策を背景に生産を拡大した。
中国の粗鋼生産量は8.3%増の9億9634万トン。4年連続で前年を上回り、過去最高を更新した。
1番目の写真は中国の鉄鋼製錬工場の写真です。
2番目の写真は1番目の写真と同じで中国の鉄鋼製錬工場の写真です。
さて中国の地方都市の保定市の様子をご紹介します。北京から南へある河北省の州都で以前私自身が何度か行ったところです。
3番目の写真は保定市にある自動車製造会社の「長城汽車」の本社です。
4番目の写真は「長城汽車」で作った車の一例です。
「長城汽車」の本社は北京~開封高速を南西へ3時間程走って、保定南という高速道路の出口を出たら、5分足らずの所にあります。長城汽車は中国ナンバーワンのSUVメーカーです。
この会社は27年前、従業員が60人にも満たず、巨額負債を抱きぼろぼろの小さかった自動車修理工場でした。それが試行錯誤を繰り返し紆余曲折の道を歩み、現在では7万人の従業員を擁する、年間100万台の車を製造する大会社まで成長したのです。
このようなを「長城汽車」を支えたのが保定市にある河北大学の卒業生でした
5番目の写真は河北大学の一部です。
河北大学は現在河北省唯一の全国総合重点大学です。学部在校生は18951人 大学院生は3350人で、外国からの留学生も162人います。
そして河北大学は中国で最も古書を沢山保存している大学として中国古書保護大学に指定されているのです。
バイデン大統領は外交政策の中で中国の脅威を強調しています。
そこで私は中国の脅威を具体的に考え、その一例として地方都市の保定市の発展ぶりをご紹介しました。このような保定市の発展は中国全土で進行しているのです。中国の経済活動は間違いなく世界一になる勢いなのです。
アメリカの外交で中国を最重視しているのは当然です。この点ではトランプ前大統領もバイデン大統領も同じです。
この中国に1万3千社以上の日本企業があり活動しているのです。
このことはマスコミにあまり出ていませんがこれが実態なのです。米中が激しく争っているのに日本は中国の経済成長に貢献しているのです。この事実どう考えたら良いのでしょうか?
日本と中国の経済交流の実態や中国に進出している日本企業の数についは、https://www.tdb.co.jp/report/watching/press/p200208.html に掲載されています。抜粋いたします。
1 中華人民共和国(以下「中国」、香港・アモイを除く)に進出している日本企業は、2020年1月時点で1万3646社判明。2019年の調査時点から39社減少したほか、過去の調査で最も進出社数が多かった。2012年(1万4394社)からは748社減少するなど、中国に進出する日本企業数は引き続き減少した。
2 業種別では、最も多かったのは「製造業」(5559社)で、全体の約4割を占める。次いで多いのが「卸売業」(4505社)で、全体の約3割を占め、2019年(4495社)からは0.2%増加した。他方、「小売業」(443社)などでは前年比減少となった。
3 中国への進出地域では、最も多かった地域は中国東部の「華東地区」で9054社に上る。なかでも「上海市」は6300社と最も多く、中国全土でも最多。中国全土で3番目に多い「江蘇省」(1900社)などと合わせ、進出する日本企業の多くが上海経済圏に集積する。次いで多いのは「中南地区」で2252社。大規模港湾を有する広州市や、ハイテク産業が集積する深セン市などを擁し、中国全土で2番目に多い「広東省」(2036社)のほか、多数の自動車産業が集積する武漢市を含む「湖北省」(242社)で進出企業が多くみられた。
続いて日本の輸出相手の移り変わりを見てみましょう。そのためには、「3. 日本の主な貿易相手国 - 日本貿易会」を検索すると出て来ます。それを以下のように抜粋します。
・・・2008年までの50年余りはアメリカがだんぜん1位でしたが、この年にアメリカで金融危機が起こり、アメリカをはじめ世界中の景気が急激に悪くなり需要が落ち込みました。しかし、中国は政府のいろいろな経済対策により景気の落ち込みが少なく、引き続き高い経済成長を遂げたことから、2009年から日本の最大輸出相手になっていました。2013年以降はアメリカが再び1位となった後、2018年に中国が6年ぶりにトップへ返り咲きましたが、2019年はアメリカが中国を上回り、トップになりました。
3位以下の輸出先は、韓国、台湾、香港、タイなどのアジア諸国や地域が多くを占めています。
アメリカ向けでは自動車が多いのに比べて、アジア向けの輸出品は半導体などの先端技術を活かした機械類や部品、電気製品などと、鉄鋼や非鉄金属などが多くを占めています。これはアジア各国・地域に半導体などを使用した製品を組み立てる産業が多いことと、経済成長にともないビルや工場、道路などのインフラ(産業基盤と生活関連の社会資本)設備のための原料を必要としているからです。・・・以下省略します。
以上を要約すると、
1、日本企業の数が2020年1月時点で1万3646社。
2、日本の輸出相手は米中が1位を争っている。
中国は日本の脅威だと言いながら日本は中国に頼っているのです。いろいろな国の中で中国が日本にとって一番重要な国なのです。この変な状態は次のように言えば矛盾がありません。
「中国は軍事的に大きな脅威だが経済的には友好国だ!」
すなわち軍事と経済は別だという考え方です。しかしはたしてこの考えは正しいのでしょうか?疑問や不安が残ります。現世とはこういうものなのでしょうか?
挿絵代わりの写真として地方都市の瀋陽の写真を示します。私が1982年に瀋陽へ行った時はこんなに立派な街ではありませんでした。中国の地方都市の発展ぶりに驚いています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平穏をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
6番目の写真は瀋陽市の遠景です。写真の出典は、http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2012-09/25/content_486080.htm です。
7番目の写真は瀋陽市の中心街です。写真の出典は、https://ieny.jp/post/536 です。
8番目の写真は瀋陽市の故宮です。ここが清朝を始めた皇帝ヌルハチとホンタイジの皇居でした。
北京の故宮と並んで、保存状態の良い後金時代の皇居です。建築様式は漢民族・満州民族・蒙古民族の様式が融合しています。規模は、北京の故宮の12分の1です。1625年に建てられ、清朝が北京へ引っ越した後は引き続き離宮として用いられてきました。
写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%8B%E9%99%BD%E6%95%85%E5%AE%AE です。