後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「深大寺界隈の森の写真」

2023年09月22日 | 写真
緑深い森の風景を毎日眺めて暮らしたいと思います。
以前はよく深大寺界隈の森を眺めに行きました。家から車で30分ほどの距離です。
深大寺は大きな森の中に埋まっています。お寺の裏山の森も広いのです。
その裏山に続いて武蔵野の雑木林が西の方へ伸びています。
その広大な武蔵野の雑木林が東京都の神代植物園になっています。
それを大きく一周するように細い自動車道が出来ています。その道路は緑の樹木のトンネルなのです。
写真を撮っていると自分の体も緑色に染まるような気分がしました。
そんな写真をお送り致します。




「微笑の国タイの絶景写真」

2023年09月22日 | 写真
微笑の国タイの絶景写真をお送り致します。
写真の出典は、https://wondertrip.jp/1569/ です。
1番目の写真はタイの楽園、ピピ島です。巨大な岩が切り立ち、太古の島です。
2番目の写真は夕暮れのワットアルンとチャオプラヤ川です。この辺には寺院も多く、他の観光地とは少し違った雰囲気が楽しめます。
3番目の写真は タイ、ラオス、ミャンマーの3カ国の国境です。チェンライ県北部に、タイ、ラオス、ミャンマーの3カ国の国境があります。ここでパスポートのチェックを受ければ、自動車やバスなどで越境することもできますし、歩いて渡って国境を超えることもできます。
4番目の写真はアユタヤ王朝の首都だった古代都市の遺跡群です。古都アユタヤは首都バンコクから北に約60kmの位置にあります。

「タイの花々の写真」

2023年09月22日 | 写真
タイの花々の写真をお送り致します。
写真の出典は、https://activephotostyle.biz/image6952 です。
1番目の写真はチュアン・チョムです。
2番目の写真はマツバギクです。
3番目の写真はプリムラ・ポリアンサ(サクラソウ)です。
4番目の写真は赤のペラルゴニウム です。

「親日国、タイの懐かしい仏教と宗教事情」

2023年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

タイ王国は親日国です。何故か懐かしい仏教の国です。私は2度ほどタイに行きましたが人々が優しいのです。第二次世界大戦中も日本に味方しました。タイはアジアでは数少ない仏教国です。日本と同じように仏教国です。

今日はまずそんなタイ王国の美しい寺院の写真をお送り致します。写真の出典は、http://gaku404.exblog.jp/ です。

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1番目の写真はワット・チェディ・リアム 寺院です。チェンマイにあるワットの1つです。

2番目の写真はワット・チェディ・リアム 寺院です。
現在の建物は、西暦1908年にビルマの貿易業者によって改装されたものです。このため、ワットの装飾の多くはビルマ風のスタイルです。

現在のタイにはいろいろな宗教があります。以下の通りです。

仏教(小乗仏教)95%、イスラム教4%、キリスト教、他にヒンドゥー教シーク教道教など。

王室を始め、タイ国内のほとんどは仏教徒で占められています。そのほとんどは上座部仏教(小乗仏教)であり、それにヒンドゥー教や精霊信仰を加味した独特の仏教になっています。

年歴に西暦も併用していますが、現在もタイ仏暦(仏滅紀元、タイ暦)が主に使用されているのです。

小乗仏教では男子は一生に1回は出家するものとされています。

南部やバンコク、チェンマイチェンラーイなどの地域ではムスリム教もあります。特に深南部三県のマレー系住民はほぼ全てがイスラム教徒です。

さて仏教のタイへの伝承についてもう少し詳しく述べます。

佛教は紀元前6世紀の中葉にお釈迦様によって作られた世界宗教です。
それがスリランカに渡り、現在のようにミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムなどに伝承しています。これは小乗仏教(上座部仏教)です。
一方大乗佛教は、1世紀以後に中央アジアから中国、朝鮮、台湾、日本へと伝承されました。
それはさて置き仏教国のタイにおける托鉢風景の写真を見ましょう。

3番目の写真は子供の托鉢の風景写真です。
4番目の写真は少年僧の托鉢の風景写真です。

5番目の写真は青年僧の托鉢の風景写真です。

これらの写真の出典は「タイ仏教修行」で、そのURLは以下の通りです。
https://www.bing.com/images/search?q=%E3%82%BF%E3%82%A4+%E4%BB%8F%E6%95%99+%E4%BF%AE%E8%A1%8C&go=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&qs=ds&form=QBIDMH
タイでは出家と托鉢修行は非常に重要なものだと信じられています。
ここでお釈迦さまの教えはどういうものだったか改めて書いておきます。
(1)釈迦は自分が死んだら墓を作らず、遺骨は野に捨てよと教えました。
(2)釈迦は佛像を拝んではいけない、仏像など作ってはいけないと教えました。
(3)釈迦は全ての殺生を禁じました。
(4)釈迦は妻や家族から離れて出家せよと教えました。
(5)釈迦は教えの中心の「色即是空、空即是色」であると教えました。
これらを本当に深く理解し信じるために家族から離れて出家せよと教えたのです。タイの仏教は上記のお釈迦さまの教えに忠実に従っています。

お釈迦様は人間はあくまでも自分の修行で悟りの境地に入れると教えたのでしす。悟りの境地に入れば人間の全ての欲が消え、全ての執着も苦悩も消えてしまうのです。それこそが人間が一番幸せな境地なのです。

小乗仏教は上座部仏教、南伝仏教やテラワーダ仏教とも言います。大乗仏教は北伝仏教とも言います。

小乗仏教は紀元前4世紀頃に初期仏教からインドで生まれ、それがスリランカに渡り、現在のようにミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナムなどに普及しています。
一方、大乗仏教はインドで紀元前1世紀頃に作られ、1世紀以後に中央アジアから中国、朝鮮、台湾、日本へと伝承されました。
インドでの仏教は13世紀初頭には完全に消滅してしまい、ヒンズー教の国になったのです。

タイ王国という国名が示すように、この国は現在でもチャクリー王朝の王様の権限が大きくて、不敬罪のある社会なのです。
この王朝は1782年(タイ仏暦2325年)に成立したのです。現在の王様は初代から数えて10代目のラーマ10世です。
この王国は 仏教を大切にしている文字通りの仏教国なので、お釈迦様が入滅した翌年の西暦の紀元前543年を仏滅紀元元年としている仏歴を日常生活に使っています。
現在のタイの人々はこの仏歴が身についていて西洋の西暦へ換算するのが難しい人々が多いそうです。

今日は仏教国、タイの社会と宗教事情をお送り致しました。タイの小乗仏教教をご紹介致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)




「アジアで唯一キリスト教が国教のフィリピンの宗教事情」

2023年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム
フィリピはアジアで唯一のキリスト教が国教の国家です。
キリスト教が普及する前、フィリピンの人々は、自然界に精霊が存在していると信じており、自然に向かって、お祈りをするような宗教があったようです。
しかし現在は 外務省のデータによると国民の93%がキリスト教徒で、そのうち83%がカトリックとなっています。イスラム教徒も5%います。
 アジア全体の主要な宗教はイスラム教や仏教などです。インドのヒンドゥー教も主要です。
つまりアジア全体で見ればキリスト教徒はそれほど多いわけではありません。フィリピンがキリスト教国家なのはフィリピンの歴史が関係しています。
16世紀中頃にフィリピンがスペインの植民地になったことでフィリピンはスペインの宗教であるキリスト教カトリックへの改宗が進められました。
フィリピンはその後300年以上もスペインの植民地だったのです。アメリカの植民地時代はたった50年でしたのでプロテスタント教会の影響を受けませんでした。
フィリピンはアジアにおいて最も西洋の影響を受けている国です。しかもイグリシア・ニ・クリストというカトリックとは別の歴史や信仰の形をとっているフィリピン独自の宗教もあるのです。
イグリシア・ニ・クリストの信仰は、https://phil-portal.com/iglesianicristo/ に詳細な説明があります。概略を示します。
イグリシア・ニ・クリストの始まりは20世紀初頭。1886年にマニラ近郊に生まれたフェリックス・マナロというフィリピン人によって1914年に創始されました。 その後1963年に創始者フェリックス・マナロが死去すると息子のエラーニョ・マナロは非信者にも移動型無料クリニックなどの社会的奉公活動を施します。 1968年にハワイに教会を設立したのを皮切りに今日では世界100か国以上に約200万人の信者を持つ宗派にまで発展しています。 
イグリシア・ニ・クリストは十字架のない教会です。特徴は、偶像崇拝の禁止、三位一体の否定、厳格な戒律などとカトリックとは随分違います。

今日はアジアで唯一キリスト教が国教のフィリピンの宗教事情を説明しました。特にフィリピン独自の新興宗教のイグリシア・ニ・クリストをご紹介しました。イグリシア・ニ・クリストはカトリックに似て非なるものです。
まあ、それもカトリックとすればフィリピンはカトリック教国です。アジアでは
珍しい国です。

挿絵代わりの写真はマニラと美しい海岸の風景写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)


「日本へキリスト教のロシア正教を持って来たニコライ」

2023年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム
日本へキリスト教のカトリックの教えを持って来たのはスペイン人のザビエルでした、1550年の頃でした。ずうと後になって明治維新の前後にアメリカの宣教師がプロテスタント教会の考えを持って来ました。そして1861年にニコライがロシア正教を日本へ持って来ました。
今日はこのロシア人、ニコライのことを書きたいと思います。キリスト教の正教という宗派は宗教改革の影響を受けない古いキリスト教です。マルチン・ルターの宗教改革を受けなかった古いタイプの宗派です。ニコライは日本へ来て東京の神田にニコライ堂を建てました。
写真でニコライと彼が建てたニコライ堂を示します。私自身はこのニコライ堂での礼拝式に出席したことがあります。

さてニコライは1836年にロシアのある農村で生まれ、明治維新の7年前の1860年、24歳の時日本へ宣教のために行く決心をします。翌年、函館に着いてから終生日本に居ました。もっとも短期間、2度、祖国へ帰ったことはありましたが。
 着いた1861年はまだ江戸時代です。それから51年後の1912年、75歳で永眠し、谷中の墓地に葬られ日本の土になりました。
函館着任後に血の滲むような努力をし日本語を習得します。書道も研鑽し、日本の歴史や佛教も勉強しました。古事記や日本書紀も読破する勉強家でした。
ニコライの日本を愛する心は強く、数々の感動的なエピソードが残っています。その中から一つをご紹介します。
1904年、1905年は日露戦争でした。戦争勃発と共に在日ロシア人は一斉に帰国して行きます。ロシア公使のローゼン男爵もニコライに帰国するように薦めます。ニコライは静かに断ったそうです。そして言うのです、「私はロシアに仕える者ではない。主ハリスト(主キリスト)に仕える者である。」と。
残留した理由は、日露戦争の間、日本人信者が迫害されるのを予想し、彼らを勇気づける為に残ったと考えらています。案の定、ロシア正教の日本人信徒は「露探」(ロシアのスパイ)と罵倒され、聖堂や集会所が暴徒の襲撃を受けたのです。
ニコライは教書を発表し信徒を慰めます、
「我々には地上の祖国の他に、天に国がある。天の国には民族の別無く皆が平等に生きている。なぜなら全ての人々は皆同じ父(神)の子であり、お互いは皆兄弟であるからです。我々の属する国は主である神が作った教会なのです。信者は平等な会員なのです。天の神、すなわち我らの父の一つの家族としてとどまり、その家族としての義務をそれぞれに果たすようにしようではないか!」
ニコライは日本人信徒の一人一人を強く愛していたのです。ロシアへ逃げ帰るなど考える筈がありません。
1912年、持病の心臓病が悪化し、聖路加病院で天に帰りました。駿河台のニコライ堂から谷中の墓地まで、葬列を見送る人垣が沿道の両側を埋め尽くしました。明治天皇からの「恩賜の花輪」を抱きかかえた人が葬列の中に見えます。葬列の写真10枚ほどを見ながら書いています。 
Wikipedeaでニコライ・カサートキンを検索すると以下の紹介があります。末尾に転載しご紹介いたします。

今日はロシア人のニコライのことをご紹介しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
=======ニコライの生い立ち=========
スモレンスク県ベリスク郡ベリョーザ村の輔祭、ドミトリイ・カサートキンの息子として生まれる。母は五歳のときに死亡。ベリスク神学校初等科を卒業後、スモレンスク神学校を経て、サンクトペテルブルク神学大学に1857年入学。在学中、ヴァーシリー・ゴローニンの著した『日本幽囚記』を読んで以来日本への渡航と伝道に駆り立てられたニコライは、在日本ロシア領事館附属礼拝堂司祭募集を知り、志願してその任につくことになった。在学中の1860年7月7日(ロシア暦)修士誓願し修道士ニコライとなる。同年7月12日(ロシア暦)聖使徒ペトル・パウェル祭の日、修道輔祭に叙聖(按手)され、翌日神学校付属礼拝堂聖十二使徒教会記念の日に修道司祭に叙聖された。
翌1861年に函館ロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任。この頃、新島襄らから日本語を教わる。以後精力的に正教の布教に努めた。函館にて日本ハリストス正教会の初穂(最初の信者)で後に初の日本人司祭となる沢辺琢磨らを獲得したのち、懐徳堂の中井木菟麻呂らの協力を得て奉神礼用の祈祷書および聖書(新約全巻・旧約の一部)の翻訳・伝道を行った。1869年、1879年に二度帰国。それ以降は日露戦争中を含め、日本を離れることなく、神田駿河台の正教会本会で没した。谷中墓地に葬られる。
1970年谷中墓地改修の折、棺を開けると不朽体が現れた。同年ロシア正教会はニコライを「日本の亜使徒・大主教・ニコライ」、日本の守護聖人として列聖した。日本教会が聖自治教会となったのはこのときである。ニコライの不朽体は谷中墓地のほか、ニコライ堂(大腿部)、函館ハリストス正教会などにあり、信者の崇敬の対象となっている。
関東大震災で焼失したといわれていたニコライの日記は中村健之介によって発見され、ロシア語原文版が2004年に刊行された(Dnevniki Sviatogo Nikolaia Iaponskogo, 5 vols. St. Petersburg: Giperion, 2004)サ。注解を加えた日本語全訳は2007年に刊行(『宣教師ニコライの全日記』教文館、全9巻)。
列聖以降、日本の亜使徒聖ニコライ、聖ニコライ大主教と呼ばれる。記憶日(祭日)は2月16日(ニコライ祭)。

「瀋陽植物園の花園の写真」

2023年09月19日 | 写真
瀋陽植物園の花園の写真をお送り致します。
瀋陽植物園には、東北、西北、華北や内モンゴルなどの沢山の植物が集められております。草花や樹木などが2000種あまり栽培されているのです。ここは中国の東北地区で植物の種類が最も多く展示されている植物園です。
写真の出典は、https://www.travelchina.org.cn/.../html/meijing/1496.shtml などです。

「北京にある教会と寺院の写真」

2023年09月19日 | 写真
北京にある教会と寺院の写真です。
写真は順に、王府井教堂、西什庫教堂、西直門教堂、宣武門教堂、太和殿、中和殿、保和殿です。
詳細は下記をご覧下さい。
https://japanese.beijing.gov.cn/.../t20201214_2163812.html
https://4travel.jp/.../asia/china-beijing_shi/peking/temples


「写真で見る共産党独裁の中国の宗教とのかかわり」

2023年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム
神の存在や宗教を否定するのが本来の共産主義です。ところが中国共産党は宗教の自由を保障し、経済は資本主義の市場経済主義をとっています。ですから中国は厳密な共産主義を捨てているのです。共産党という名前と独裁政治だけが残りました。中国の宗教は共産党独裁に反対しないかぎり全く自由です。もっとも全ての宗教組織は当局に届けなければなりませんが、届けてない組織も多いと言われています。
元来、宗教というものは政治には関心があってはいけないものなのです。カトリックのミサでの説教では政治の話題は禁物です。
したがって中国の全ての宗教組織は共産党と仲良く出来るのです。例外は法輪功だけです。
中国の宗教には仏教、道教、回教(イスラム教)、カトリック、キリスト教プロテスタント教会、その他の原始宗教があります。
中国には宗教を信じている人が数千万人から数億人いると言われていますが、統計の不備で実数は分かっていません。しかし多数の道教の寺院や仏教寺院や回教(イスラム教)の寺院、あるいはカトリック(天主教)の教会の写真を見ると宗教の隆盛に驚かざるを得ません。 
今日は写真で共産党独裁の中国の宗教的風景をご紹介いたします。
まず蘇州の道教寺院の玄妙観での光景の写真をご覧ください。玄妙観は蘇州にある道教の寺院です。

1番目の写真は夕暮れの玄妙観の前です。人々が寛いで歩いています。乳母車を押している母親もわき見をしながらのんびり歩いています。この写真は私の友人がとりました。
道教は多くの神を祀る多神教です。中国の道教寺院は日本の神社のようなものです。家内安全を祈る場所です。商売がうまく行くように祈る場所です。祀ってある神は関帝や昔の偉人などなどいろいろです。道教は中国で生まれた宗教であり、その歴史は1700年以上も前に遡ります。国内には道教寺院1500ヶ所があり、2万5千人以上の道士がいるそうです。
道教は仏教と儒教とともに中国の三大宗教と言れています。ですから大部分の中国人はこの三大宗教を信じています。そのどれかを信じる人もいますが、多くは同時に、それぞれを信じています。2番目の写真は中国のある回教、イスラム教の寺院です。中国の仏教風の寺院のようですが、塔の上の球体と三日月から回教(イスラム)寺院ということが分かります。回教寺院には必ず清真寺という名前が付いています。この写真の出典は、http://4travel.jp/travelogue/11129689 です。
なお回教のお寺は北京にも多数あります。街で白い布を被って歩いている人が回教徒で、多数見かけます。
イスラム教は7世紀に中国に渡りました。イスラム教は主に回族、ウイグル族など少数民族の他に、多数の漢族にも信仰されています。信者はおよそ1800万人で、モスクは3万ヶ所あると言われていますが実数は分かりません。

3番目の写真は仏教寺院の写真です。写真の出典は、http://blog.livedoor.jp/shyougaiitisekkeisi2581/archives/51818531.html です。
中国の仏教は2千年の歴史を誇ります。中国には現在、仏教寺院がおよそ1万3千ヶ所あり、出家した僧侶・尼僧は20万人、そのうち西蔵(チベット)系仏教のラマ僧は12万人、活仏は1700人、寺院は3千ヶ所、巴利語系仏教の比丘(びく)や長老はおよそ1万人、寺院は1600ヶ所に上ると言われています。

4番目と5番目の写真は中国のあるカトリック(天主教)の教会の風景です。
写真の出典は、http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/04e67def473bfbaf22720ac2634718fc です。

5番目の写真はカトリック(天主教)の教会の内部の風景です。
カトリックは7世紀に中国に渡り、1840年のアヘン戦争後、信者の規模が増えます。中国には現在、カトリック信者400万人、教職員4千人がおり、教会などの活動施設4600ヶ所があると言われています。カトリックの他にプロテスタントのいろいろな宗派もあり、キリスト教信者総数は少なくても1000万人以上、数千万人以上とも言われています。宣教師1万8千人がおり、また教会は1万2千ヶ所、そしてその他の動場所や集会所2万5千ヶ所があると言われています。さて私は東北地方の瀋陽市に行ったのでついでにそこのカトリック教会と故宮の写真も示しておきます。
6番目の写真は瀋陽市のカトリック教会の南関教会です。7番目の写真は瀋陽にある清朝の故宮です。清朝の初代皇帝は瀋陽の出身でその根拠の城は瀋陽にあったのです。北京にある壮大な故宮は瀋陽の故宮を大きくしたものです。

ところで最近、中国は宗教ブームです。いろいろな宗教が活性化し、それぞれの信者数が急増しているようです。 その理由は独裁政治を続けている中国共産党が宗教の自由を大幅に認めているからです。

中国の民主化を主張したり、独裁政治を批判しない限り、自由に宣教し、自由に信仰してて良いのです。
この宗教の流行は今後も続き、中国では宗教はますます盛んになると思われます。
しかし最後に一言付け加えると、中国本土のカトリックはローマ法王傘下に入れません、共産党政府がローマ法王組織から台湾のカトリックを切り捨てれば本土のカトリックがローマ法王傘下に入っても良いというのです。非道な話です。

中国の宗教については末尾につけた参考資料の「中国の宗教政策」をご覧下さい。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)
======参考資料:「中国の宗教政策」===========
 1997年10月発表の中華人民共和国・国務院報道弁公室の宗教に対する政策の概略;http://j.people.com.cn/special/religion/baishu.html の抜です。
1.中国の宗教の現状
2.宗教信仰の自由の法的保障
3.司法と行政による宗教信仰の自由の保障および監督
4.独立自主運営の宗教事業に対する支持
5.少数民族が宗教を自由に信仰する権利の保護

1.中国の宗教の現状

中国では様々な宗教が信仰されている。中国には主に、仏教、道教、イスラム教、カトリック、キリスト教の信者がいる。中国公民は、信仰する宗教を自由に選び、自分が信じる信仰を表現することができ、また宗教的身分を明らかにすることができる。統計によると、国内には宗教を信仰している人々は1億人おり、宗教活動施設は8万5千ヶ所、宗教関連の教職員はおよそ30万人、3千以上の宗教団体がある。これらの宗教団体は、宗教関連の教職員を育成するための宗教学院・大学74ヶ所を運営している。

中国の各宗教団体は自主的に教務活動を進めており、必要に応じて、宗教学校の開校、宗教経典の発行、宗教的刊行物の出版、社会公益事業を行なっている。中国は各国同様、宗教と教育の分離を原則としており、国民教育に宗教教育が持ち込まれることはない。一部の大学や研究機関では、宗教学教育や研究が行なわれている。各宗教組織が運営する宗教学校では、その宗教の必要性に基づいて、宗教的な専門教育が行なわれている。宗教教職員による正常な教務活動については、宗教活動の場所で、あるいは宗教的習慣に基づいて信者の自宅で、あらゆる正常な宗教活動が行なうことができ、これらは法的により保護されており、いかなる干渉も受けない。・・・以下省略。


「写真で見るアメリカ人の宗教とのかわり」

2023年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
私どもはアメリカの教会で結婚式をあげ、私自身はいろいろな時期にアメリカには4年間も住んで居ました。一生付き合っている友人もいました。
アメリカはプロテスタンの国です。アメリカ人の宗教とのかわりはキリスト教の新約聖書の福音の重視が特徴です。
ヨーロッパでは規模壮大で立派な教会が数多く建っていますがアメリカでは少ないのです。大きな教会が少なく代わりに小さな手造りのような教会が村々にあるのです。
キリストは規模壮大で立派な教会を建てろと言いませんでした。その代わり「汝の隣人を愛せ」と言ったのです。新約聖書の福音とは「汝の隣人を愛せ」ということです。アメリカの信仰で重要なことは新約聖書の福音です。
その小さな手造りのような教会の写真と私どもの教会での結婚式の写真をお送り致します。
1番目の写真はアメリカの田舎の典型的な小さな教会です。写真は、「アメリカの田舎の教会の写真」を検索して、インターネットにある写真からお借りしました。
2番目の写真もアメリカの田舎の典型的な小さな教会です。出典は、1番目の写真と同じです。
3番目の写真はバプテスト教会 です。バプテスマ(浸礼での洗礼)を行うキリスト教プロテスタントの一教派です。出典は、「https://ja.wikipedia.org/wiki/バプテスト教会 」です。
4番目の写真は礼拝式をしているアメリカの教会の内部の写真
5番目の写真はオハイオ州立大学の学生会館のオハイオ・ユニオンの礼拝室での私どもの結婚式です。1961年 でした。
6番目の写真は結婚式に出席してくれた先生方と同級生の友人たちです。 

7番目の写真は結婚式に続いてダウンタウンにあるディッシュラー・ヒルトン・ホテルで開いたレセプション風景です。 

さてアメリカはプロテスタンの国です。そのアメリカ社会で一番多くの人が信仰している教派がバプテスト教会です。ですから、この宗派の教義が分かるとアメリカ社会がより深く理解出来るのです。 一番近代的で、民主的な教派です。アメリカの民主主義を支えている信仰なのです。逆にアメリカの平等主義、自由主義が作りだした教派とも言えます。
 その教派の教義は日本の佛教制度やカトリックの組織と比較しながら考えるとよく理解できます。 
 まず第一に、教会の牧師と信徒の間には身分的上下関係が全くありません。平等です。教会名簿にも牧師は信徒と同じ欄に書いてあります。
したがってキリスト教の布教活動は牧師も信徒も同じように致します。 これに比べると日本の佛教制度ではお寺の住職さんが偉くて、檀家の人々より身分が高い事になっています。仏教の布教はお坊さんや修業を終えた伝道師という専門家が行い、信徒はあまりしないのが普通です。この様子はカトリック教会と非常によく似て居ます。
  第二にアメリカの各教会はそれぞれ独立した存在で、上下関係や強固な連合組織を作りません。 
カトリック教会はローマ法王が世界の全ての教会の頂点に立っています。
 第三にバプテスト教会では政教分離が徹底しています。その考えは17世紀に出来たのですが、政教分離が徹底している国はアメリカだけと言っても過言ではありません。ヨーロッパではキリスト教関連の政党があったり、税金から教会へ財政援助があったりで、アメリカ程厳密になっていません。 
 第四にバプテスト教会ではカトリックのような幼児洗礼を認めません。成人して自発的に洗礼を決心した人にだけが全身浸礼式洗礼をうけます。 従ってバプテスト教会は自発意思による信仰契約集団の性格を持っています。契約社会の一つなのです。 アメリカのキリスト教はこのように平等主義と自由主義が強い特徴です。
その一方南部バプテスト教会のようにアフリカ出身の黒人の宗教観の影響を受けているものもあります。

今日は「写真で見るアメリカ人の宗教とのかわり」をお送り致しました。アメリカはプロテスタンの国です。代表的なバプテスト教会の教義を説明ました。バプテスト教会は自発意思による信仰契約集団です。 アメリカのキリスト教は平等主義と自由主義が特徴です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「写真で見る韓国人と宗教とのかかわり」

2023年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム
韓国人と宗教とのかかわりを写真で示します。
1番目の写真はフランシスコ法王を歓迎する韓国の大群集の写真です。写真は2014年8月14日からローマ法王が韓国を訪問した時のものです。写真の白い車にローマ法王が乗っています。韓国はキリスト教国だということが頷けます。

2番目の写真は韓国の数少ない孔子廟の一つです。聖廟の門と正殿「大成殿」(写真左奥)です。(https://webronza.asahi.com/photo/photo.html?photo=/S2010/upload/2021030600004_1.jpg )
  
3番目の写真は韓国済州島で秋に行われる儒教の儀式です。

4番目の写真は毎年ソウルで開催される 儒教の 孔子式です。

5目の写真は儒教の釈奠大祭です。韓国の儒教の影響の深さを感じられる大祭です。孔子(紀元前551年~479年)の教えを学び、祭祀を行うのが釈奠大祭(ソッチョンテジェ) です。春と秋に全国で祭祀が行われます。ソウルの釈奠大祭は重要無形文化財に指定されています。香を焚いて祝文を読み、舞踊が披露され、飲福(ウムボッ)料理を食べたりします。
以上のように現在の韓国では儒教に関連した儀式や祭りが盛んに行われているのです。
それでは仏教の方はどうでしょうか?

6番目の写真は世界遺産の「仏国寺 」です。仏教芸術の最高傑作かつ国宝の寺院とされている仏国寺は理想的な彼岸の世界観が表現されております。
この仏国寺 は1982年に家内と訪問したことがあります。 

7番目の写真は韓国の世界遺産は「海印寺 」です。
写真の出典は、http://www.seoulnavi.com/special/5003998 です。1200年以上の歴史があり、韓国最大の宗派である曹渓宗の寺院です。
海印寺も1982年に家内と訪問したことがあります。瓦屋根の稜線が優美に反っているのが印象的でした。

8番目の写真は海印寺 の中庭です。海印寺は韓国の11の世界文化遺産の一つです。写真の出典は、http://www.seoulnavi.com/special/5003998 です。

韓国の佛教の90%は曹渓宗です。日本の曹洞宗のような禅宗ですが日本より戒律が厳しい宗派です。その曹渓宗に朝鮮古来の原始宗教が混淆したのが韓国の佛教です。
韓国人の24.2%は仏教徒です。韓国の仏教は中国の道教の北斗七星の妙見信仰や風水と習合しています。日本の神仏混淆と同じようですが内容が異なります。 韓国では佛教に複雑に原始宗教が混淆しています。
韓国の人口の29.2%がキリスト教徒で22.8%が仏教徒です。統計ではこのようになっていますが韓国はやはり儒教と仏教の国だと思います。儒教と仏教は千年以上の長い間韓国の社会に根づいて来たのです。

今日は韓国人と宗教とのかかわりを写真で示しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)


「写真で見る日本人と宗教とのかかわり」

2023年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム
私の趣味はいろいろな民族の文化を調べることです。それを知って独りでほほえんでいます。人畜無害な趣味です。自宅でパソコンを操っていろいろな民族の文化を調べます。コツは検索に使う言葉を工夫することです。
そんな訳で特にいろいろな宗教にも強い興味があります。
面倒な議論を省略して日本人の宗教にかかわる写真を示します。
1番目の写真は伝統的な日本の家によくある仏壇です。先祖の位牌を祀り線香やご飯を供えます。私の育った家にもありました。以下も含めて全ての写真の出典は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99 です。

2番目の写真も日本の古い家によくあった神棚です。

3番目の写真は和歌山県勝浦町にある熊野那智大社です。このような神社は全国に数限りなくあります。数え方で5万社だったり10万社以上あります。
4番目の写真は法隆寺です。 このようなお寺は全国に5万ほどあります。
  
5番目の写真は東京にある日本正教会のニコライ堂です。キリスト教の教会も全国に数多くあります。 
6番目の写真は埼玉県にある道教の聖天宮です。 

7番目の写真は日本のあちこちにある宗教的偶像です。この像は上椎葉ダムの建設工事にともなう殉職者を慰霊するために建立された仏教・キリスト教・水神の3女神像なのです。 
日本人は仏教と神道に加えてキリスト教も混淆して信仰しています。同時に無宗教の人も多いのです。
2020年現在、日本には総計18万もの宗教法人があります。うち文部科学省の所轄の宗教法人は神道系212、仏教系483、キリスト教系328、諸教124となっているのです。この他に都道府県知事所轄の宗教法人は神道系84,361、仏教系76,572、キリスト教系4,492、諸教13,972もあるのです。 
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99 )

結論を言えば日本人は伝統的習慣に従って仏教と神道を大切にしています。
しかし「本当に信じていますか?」と問われると答えられなくなります。ですから宗教に関する統計調査は曖昧な結果になるのです。

今日は面倒な議論を省略して日本人の宗教にかかわる写真を示しました。

それはそれとして、今日も皆様の平和とご健康をお祈りきたします。後藤和弘(藤山杜人)


「江戸情緒をいまに残す6つの宿場町の写真」

2023年09月16日 | 写真
1番目の写真は妻籠宿です。その後は順に、馬籠宿、奈良井宿、長野県東御市の海野宿、三重県亀山市の関宿、福井県若狭町の熊川宿です。
このうち妻籠宿、馬籠宿、奈良井宿の3つは比較的近いので何度も行きました。
写真の出典は、https://travel.rakuten.co.jp/mytrip/traditional/shukuba-machi です。