後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「感動的だった旅(2)野趣溢れる秘湯、酸ケ湯への旅」

2023年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム
酸ヶ湯(すかゆ)は、青森県青森市南部にある八甲田山の火山の温泉です。湯はその名の通り強い酸性です。昔の温泉名は鹿湯(しかゆ)で「すかゆ」は読みの「しかゆ」が変化したものです。
八甲田山の中の一軒宿で豊富な湯量と効能から宿泊客が多数訪れます。宿の規模は大きく湯治客も多く、140室のうち90室が自炊の湯治です。自炊の湯治は東北地方の伝統で私も何度も自炊の湯治をしました。
酸ケ湯への旅は10年ほど前に家内と行きました。野趣あふれる野外の露天風呂に入りました。目の前に八甲田山の新緑が美しかったです。酸ヶ湯温泉の屋内には有名な千人部風呂があります。体育館のような巨大な建物の中に大きな浴槽があり「熱の湯」や打たせ湯の「湯滝」があります。そんな酸ヶ湯温泉の写真をお送りいたします。
1番目の写真は夏の酸ヶ湯温泉の一軒宿です。山奥にあるので車を根気よく運転して行きます。この建物の向こう側に私どもが入った野趣あふれる野外の露天風呂があるのです。
2番目の写真は有名な千人部風呂の女湯です。白濁し硫黄の匂いがします。
3番目の写真は千人部風呂の男湯です。女湯も男湯も湯舟が広いのです。
4番目の写真は自炊しない客のための客室す。自炊客用の部屋は狭く質素です。これも東北地方の伝統です。
さて東北地方にはこのような秘湯がいろいろあります。
秋田県の鶴ノ湯温泉や乳頭温泉や宮城県の鬼首温泉や福島県の檜枝岐温泉や岩手県の鉛温泉など沢山あります。
詳しくは、https://www.yukoyuko.net/onsen/ranking/hito/L02 をご覧ください。

今日は「感動的だった旅」の(2)として「野趣溢れる秘湯、酸ケ湯への旅」を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「神秘的なオンネントーの写真」

2023年09月04日 | 写真
神秘的なオンネントーの写真をお送りいたします。
写真の出典は、
https://www.tabirai.net/.../hokkaido/tatsujin/0000119.aspx です。
北海道3大秘湖の一つです。他は東雲湖(しののめこ)とオコタンベ湖です。オコタンベはアイヌ語で「川下に村がある」を意味します。



「紅葉の摩周湖、オンネトー、阿寒湖、屈斜路湖の写真」

2023年09月04日 | 写真
北海道には美しい湖が沢山あります。訪れたところを書くと次のようなります。洞爺湖、摩周湖、知床五湖、オンネトー、阿寒湖、支笏湖、屈斜路湖、サロマ湖、網走湖、大沼、風蓮湖、塘路湖など。
今日は紅葉した摩周湖、オンネトー、阿寒湖、屈斜路湖の風景写真をお送りいたします。自分で撮った写真は下手なのでインターネットでいろいろ検索して美しい写真を探しました。

1番目の写真は摩周湖の紅葉です。摩周湖は絶景なので四季折々何度も行きました。写真の出典は、https://amanaimages.com/info/infoRM.aspx?SearchKey=25488016070 です。

2番目の写真はオンネトーの紅葉です。オネントーとは不思議な名前です。多分アイヌ語なのでしょう。オンネトー写真の出典は、https://hokkaido-koyo.blog.ss-blog.jp/onneto です。オンネトーは小さい湖ですが神秘的な美しさがあります。

3番目の写真は広い阿寒湖の一部の紅葉風景です。写真の出典は、https://www.tabido.jp/ja/article/1159/ です。阿寒湖の岸にはアイヌ部落が再現してあり土産物の店も多いので何度も行きました。懐かしい大きな湖です。
4番目の写真は屈斜路湖の紅葉です。屈斜路湖は日本最大のカルデラ湖です。この近くの川湯に何日が連泊して野付半島にも行きました。写真の出典は、https://tripeditor.com/359970 です。

今日は北海道の湖の周辺の美しい紅葉の風景写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

「感動的だった旅(1)荒涼たるトドワラ、ナラワラ、野付湾への旅」

2023年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム
長い人生でいろいろな所へ旅をしました。印象深い旅もありました。今日から感動的だった旅の思い出を連載記事としてお送り致したいと思います。第一回目は北海道の東の端にある荒涼たるトドワラ、ナラワラ、野付湾への旅です。
それは北海道の東部を巡る旅でした。川湯に3泊し、トドワラ、ナラワラ、野付湾、摩周湖、屈斜路湖、阿寒湖などを訪れました。道東には広大な大地が広がり、牧場がえんえんと続いています。その先にトドワラ、ナラワラ、野付湾、があるのです。2012年9月17日から20日のことでした。野付半島は巨大な砂州で出来た半島です。下の写真のように野付湾を囲んでいるのです。

1番目の写真は野付湾の航空写真です。出典は、 http://kagamiclover.blog110.fc2.com/blog-entry-4097.htmlです。
北海道の東部根室市の北に、多量のサケの遡上で有名な標津川(シベツガワ)があります。その南にあるのが野付半島です。
幅が数十メートルから数百メートルしか無い砂洲で出来た細い半島が、湾曲しながら26kmも伸び野付湾を囲んでいます。
砂洲の上には舗装道路が延々と続き、野付灯台まで車で入れます。
そして野付灯台の手前にはトドワラとナラワラという枯れたトドマツの原とナラの原が広がっている場所があります。地盤沈下で海水に漬かってしまったトドマツの木とナラの木が枯れて、白い骸骨のように立っています。不気味です。

2番目の写真はナラワラの風景です。写真はインターネットからお借りしました。

3番目の写真はトドワラです。ナラワラとトドワラは野付半島の入り口にあります。
ナラワラとトドワラの白骨のような林が野付湾の風景を荒涼とさせています。人間の住む世界ではありません。行った日が暗い曇り日だったので一層荒れ果てた風景に見えました。
しかし野付湾には美味しい縞エビが棲んでいて、夏にはその味を楽しむことが出来ます。
川湯温泉から車で3時間の野付湾で名物の茹でた縞エビを食べました。下に雨もよいの野付湾の風景写真を示します。

4番目の写真は雨が降ったり止んだり時々薄日が射していた野付湾です。
野付湾を右手に見ながら細い砂洲の上の舗装道路をえんえんと辿って行くとやがて右手にナラワラがあります。よく見ると2番目の写真のようにナラ林全てが立ち枯れになっている場所です。ナラワラを通り過ぎ、野付灯台の傍まで行くと立派なビジターセンターがあります。駐車場に車を停めて、ハマナスの紅い花と実を見ながら、ぬかるみの小道を1.2kmほど歩くとトドワラがあります。3番目の写真です。トドワラは立ち枯れた木が倒れた場所です。立ったままの林もあります。木道は高く狭いので、強い海風や雨が吹き付けると落ちそうになり怖かったです。
野付半島の海では縞エビが獲れます。

5番目の写真は北海縞エビ漁の船です。三角の白帆を上げ網をゆっくり引いて行きます。写真はインターネットからお借りしました。
野付半島の向かい側、16km沖には国後島があります。天気が悪く見えませんでいでしたが、野付港は国後島の町や村に行く船の発着場として昔は賑わっていたそうです。
訪れたビシターセンターの2階には昔の択捉島や国後島の町や村落の写真が沢山置いてあります。丁寧に見て行くと択捉や国後には多くの日本人が住み、鮭やニシンを取っていたことが判ります。日本人の先祖代々のお墓も沢山残っているに違いありません。雨のそぼ降る道を帰って来ました。暗い淋しい小さな旅でした。
荒涼としたナラワラやトドワラと野付半島への旅日記でした。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料======
野付半島は知床半島と根室半島の中間にあり、オホーツク海に腕を伸ばすようにして広がっています。全長約26kmの日本最大の砂し(さし)です。
 砂州とは、海流により運ばれた砂が、長年に渡って堆積して作られた地形のことです。
 野付半島沖の海底は起伏が多く、潮流も早いことから、道内でも有数の漁場となっています。

野付半島 ~その歴史、https://hokkaido-travel.com/unknown-hokkaido/kiraku/ より抜粋。
・・・
ちなみに、加賀伝蔵や「野付通行屋・番屋跡遺跡」に関する資料は、別海市街にある「別海町郷土資料館」に展示されています。
別海町郷土資料館を取材すると、
「野付通行屋には通行屋、下宿所、蔵などが建てられました。さらに野付崎の外海は、春の鰊(にしん)漁の時期になると根室地方の各番屋から人々が集まり、居小屋、蔵などが 50~60軒建ち並び出張番屋群が形成されました」
と、ここまでは歴史的な事実。
 野付通行屋跡遺跡には江戸時代の残る墓石も残されていますし、野付番屋跡遺跡は、もはや海の下に没していますが、海が引いたときには食器や鉄鍋などの生活用品が散乱しているのを見学することができます。・・・・

「日韓友好は日本の国益です」

2023年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム
国際社会は一見平和のように見えます。しかし現実は厳しく各国は安全保障のため軍備に多大な予算を投入しています。しかし安全保障のためには軍備だけではなく信頼できる友好国を持つことの重要性は明らかです。
日本の安全保障はアメリカとの安保体制も重要ですが、近隣の中国と韓国との友好関係も重要なことは論ずるまでもありません。しかるに日韓関係は過去の歴史の故に友好関係を築くのは困難です。しかし日韓友好は日本の安全保障のためには欠かすことが出来ません。
今日は日韓友好の促進のために日本による朝鮮併合の歴史を考えてみたいと思います。
(1)客観的に考えた朝鮮併合の歴史
日本による1910年から1945年までの朝鮮併合を客観的に考えるためには、日本人と韓国人の歴史観を公平に書くことが最も重要です。
韓国人は現在の韓国は1919年の上海の亡命政府から始まったと考えています。現在の韓国の憲法にそう明記してあるからです。
一方、日本の学校では隣の韓国は1945年の日本の敗戦によって生まれた新しい国だと教えています。上海に出来た亡命政府のことは一切教えていません。ですから日本人は上海の韓国の亡命政府のことは全く知らないのです。
しかし韓国人は上海に1919年出来た大韓民国臨時政府が現在の大韓民国のはじまりだという教育を受けます。
この日韓両国の学校教育の違いが現在の悪い日韓関係の原因なのです。
韓国の学校では次のような憲法の冒頭に書いてある通り教えているのです。
・・・悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統が現在の韓国政府です。と・・・以下省略。
ここに出て来る3・1運動とは韓国人なら誰でも知っている1919年の3月1日の朝鮮独立運動のことです。
これは韓国人の歴史認識です。これは冷厳な事実です。
当時、上海には多くの朝鮮人独立運動家が集結し、彼らは臨時議政院を設立します。そして李承晩を首班とする閣僚を選出、臨時憲章を制定し、1919年4月、大韓民国臨時政府の樹立を宣言したのです。この李承晩は戦後に韓国の初代大統領になります。
日本の学校では韓国の初代大統領は李承晩と教えますが、彼が上海の大韓民国臨時政府の首班だったと一切教えません。日本では上海の亡命政府のことはタブーなのです。詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/大韓民国臨時政府 をご覧下さい。
なお三・一運動は1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった運動です。独立万歳運動や万歳事件とも呼ばれています。現在の韓国では3月1日を三一節として祝日に指定しています。
以上が現在の韓国人が理解している朝鮮併合にまつわる歴史です。
一方日本人は朝鮮併合は彼等の希望で平和的になされたものだという理解です。従って日本の学校では朝鮮の独立運動や亡命政府のことは一切教えていません。
このように朝鮮併合の歴史観は日本と韓国で大きく異なるのです。まったく違うのです。
以上が客観的に考えた朝鮮併合の歴史です。
(2)韓国の慰安婦問題や徴用工問題に対して日本側に道義的な問題がある
韓国の慰安婦問題や徴用工問題を少し深く考察しました。その結論をかいつまんで書きます。
慰安婦問題や徴用工問題の根本原因は1910年から1945年までの日本による朝鮮併合にあると考えられます。
慰安婦問題や徴用工問題のような悲劇は日本の朝鮮併合に関連して起きたことです。ですから日本に道義的な責任があるという韓国の主張を無下に否定することが出来ないのです。
日本政府が直接実行しなくても朝鮮総督府の暗黙の了解で日韓の民間人が行ったことなのです。
道義的責任を取るためには日本民民族の誠意ある反省と寄付による慰謝料を払うことです。金額は問題ではありません。
道義的責任を取るか否かは日本民族自身の問題です。道義的責任を取れば日本民族は韓国から信頼されます。いたって明白なことです。
この冷厳な事実は事実として認めないと適切な日韓関係が築けないと私は思っています。
日韓友好は日本の安全保障のためには欠かすことが出来ません。そしてそれ以上に日本民族の品性がかかっているのです。
全ての外国の文化を尊敬すれば良いのです。それが日本民族の品性を高めるのです。この世界の全ての民族には優劣などはありません。韓民族も大和民族にも優劣などはありません。

今日の挿し絵代わりの写真は韓国の花々の風景写真と朝鮮民族の踊りの写真です。出典は、https://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TMC/TE_JA_7_5.jsp… です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)




「日本の秋、ススキのある風景」

2023年09月02日 | 写真
日本の秋には伝統行事があります。
中秋の名月に家族で縁側から月見をしたことを思い出す人もいるでしょう。
ススキを沢山花瓶に入れ、団子などを供えたものです。
月見の縁側で使うススキを野原から採ってくるのは子供の仕事でした。
そんな事を思い出しながら毎年秋になるとススキの写真を撮りに行きます。
この界隈でススキが群生している所は都立武蔵野公園です。家内が撮った写真をお送りします。
1番目の写真は武蔵野公園のススキです。この公園の真ん中を野川が流ていてその岸のあちこちにススキが群生しています。
2番目の写真は11月末頃のススキの穂波です。武蔵野公園のあちこちにススキの白い穂が輝くのです。
こんなススキの写真を見ながら、もっと広大なススキの原が無いか考えました。そうしたら何度も家内と一緒に行った箱根の仙石原のススキの群生の光景を思い出したのです。
3番目の写真は仙石原のススキの群生地の全体の風景です。
写真の出典は、http://jere.blog1.fc2.com/blog-entry-628.html です
4番目の写真も仙石原のススキの群生地の光景です。写真の出典は4番目の写真と同じです。
ススキが一面に広がって風に揺れている風景は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にもあります。
・・・ジョバンニは,白鳥と書いてある停車場のしるしの,すぐ北を指しました。
「さうだ。おや,あの河原は月夜だらうか。」
そっちを見ますと,青白く光る銀河の岸に,銀いろの空のすゝきが,もうまるでいちめん,風に さらさらさらさら,ゆられてうごいて,波を立ててゐるのでした。・・・

このように日本人はいろいろなススキにまつわる心象風景を持っているのです。日本の秋のススキのある風景をお送りいたしました。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「36歳で人生観が激変したスエーデンでの体験」

2023年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム
若い頃は趣味や道楽にふけることは悪いことだと信じていました。自分の専門の研究だけに集中し他のことには関心を持つべきではないと思っていました。
今から考えると実に狭量で堅苦しい考えでした。中学校の歴史の先生が道楽にふけることは悪いことだと教えたのです。趣味と道楽は違いますが中学生の私には違いますが分りませんでした。
ところが36歳の時、スエーデンの工科大学に行きました。招待してくれたエケトルプ教授は趣味の木造の古民家に住んでいて私を何日か泊めてくれたのです。そして海辺の質素な別荘へも案内してくれたのです。
その上で趣味は人間の視野を広げ幸せにすると熱心に説いてくれたのです。
あまり情熱的に趣味を薦めてくれたので私は2つの趣味を持つ決心をしました。
そんな訳で帰国後しばらくしてヨットの趣味を始めました。大学生の体育の時間に松島の海でちょっとだけヨットの経験があったのです。
ヨットを始めてみると、ヨットの世界には質素な暮らしをしながらお金を工面してヨットに乗っている人が多いのです。
趣味の世界には金持もそうでない人も完全に平等な世界なのです。みな平等なのです。そのことを知った私は狭量でなくなり視野を広げ幸せになったのです。私は36歳で人生観が激変したのです。
ヨットの趣味を25年間続けたおかげで私のものの見方が変わったのです。
それではヨットの趣味とはどのようなものか写真で示します。

1番目の写真は琵琶湖まで買いに行ったヨットです。YAMAHAの長さ19フィートの中古艇でした。
2番目の写真は2代目のヨットです。長さ26フィートの中古のアメリカ艇でした。場所はJR土浦駅に近い霞ヶ浦です。

3番目の写真は私がヨットを25年間係留していた霞ヶ浦の岸壁です。
4番目の写真は私が帆走している光景です。家内が撮った写真です。
5番目の写真は夕暮れのヨットの係留岸壁です。
さてそれでは何故、ヨットの趣味で私の視野が広がったか理由を書きます。
それまでは金持ちの人を差別していました。
しかし金持ちだけがしていると思っていたヨットの趣味には質素な暮らしをしながらお金を工面してヨットに乗っている人が大部分なのです。
趣味の世界には金持もそうでない人も完全に平等な世界なのです。
その上、海で豪華なヨットに乗っている人は小さなヨットに乗っている人をほとんど無償で豪華なヨットに招待してくれるのです。
海で豪華なヨットに乗っている人々は別世界の人だと思い込んでいた私の間違いを思い知ったのです。
ある人と親しくなりました。以前、法務省で国家公務員として働いていた人です。安定した職業をサラリと止めてヨット一筋です。そしてあるヨットクラブの指導教官として働いていました。
そうして全ての人との出会いに感謝している様子なのです。ああ、こういう人をジェントルマンと言うのだと感じました。
このようにヨットの趣味を続けながら親切な人に沢山出会いました。
そのお陰で私の視野がすっかり広がり人間を見かけによって差別しないようになったのです。

他人を差別しなければ皆と仲良くなれます。それが幸せと感じるようになりました。
スウェーデンの工科大学に招待してくれたエケトルプ教授に感謝しています。趣味の重要さを丁寧に説明してくれたエケトルプ教授に感謝しています。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)