後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「雑木林が大好きな私の一生」

2024年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム
若い頃から何故か雑木林が大好きでした。美しい雑木林の風景を探して武蔵野や富士山の麓を歩きまわりました。そして甲斐駒岳のふもとの雑木林の中に山小屋を建てました。それは1974年でした。それ以来小屋の周囲の雑木林の風景を楽しんできました。四季折々の景色の変化を味わって楽しみました。
雑木林は私の一生を心豊かにしてくれたのです。
今日は思い出の雑木林の写真をお送り致します。

1番目の写真は雪の雑木林の風景です。出典は、
https://www.totoro.or.jp/shiki/winter_2012.html です。

2番目の写真はよく行った山中湖の湖岸とその上の雑木林の風景です。

3番目の写真は山中湖の周囲の雑木林です。湖畔に喫茶店がありコーヒーを飲みながら雑木林を眺めました。富士山もよく見えたところです。

4番目の写真はよく昼ごはんを食べた河口湖のそばのレストランの窓から見える白樺林です。
5番目の写真は小金井公園の武蔵野の雑木林です。

6番目の写真は小金井公園の武蔵野の雑木林の夕方のシルエットです。

今日は私の一生を心豊かにしてくれた雑木林の写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「老境でも衰えぬ妻の好奇心に驚く」

2024年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日、「近所にある不思議な巨大な建物」という記事を掲載しました。そうしたら妻の好奇心を刺激したらしく自分でわざわざ行って写真を撮って来ました。
好奇心があるのは人間の精神が若い証拠です。妻の精神が若く、そして行動力があることに驚きました。
昨日妻が撮って来ました写真をあらためて示します。
この東京学芸大学の巨大な建物、Explaygroundは結局何に使うのかまったく不明です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

中村研一画伯の特別展、「中村研一の往還」のご案内

2024年03月14日 | アート・文化
中村研一画伯の特別展、「中村研一の往還」のご案内です。
東京美術学校以降、中村研一がずっとアトリエとしていた家は明治神宮近くにありました。パリでの修行と戦災を経て小金井市の「はけの森」に移り住み 1967年に亡くなるまで小金井に22年間住んでおました。

特別展、「中村研一の往還」

会期:2024年 3月24日(日)~5月12日(日)
開館時間:10:00 ~ 17:00(入館は 16:30 まで)
休館日:月曜日
観覧料:一般200円、小中学生100円

詳しくは、https://www.hakenomori-art-museum.jp/exhibition をご覧下さい。
写真は会場になる中村研一記念館で、今日私が撮った写真です。
 

「昔の蒸気機関車、特急つばめ、阪急電車、能勢電車の懐かしい写真」

2024年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム
現在より約75年前の写真です。今日は昔の蒸気機関車、特急つばめ、阪急電車、能勢電車の懐かしい写真をお送り致します。80歳以上の方々は懐かしくご覧になると存じます。写真はインターネットの昔の鉄道の写真からお借りしました。
1番目の写真は昔全国を走っていた蒸気機関車です。現在より約75年前の日本では電化された長距離の路線は東海道線だけでした。
蒸気機関車の欠点は煤煙が凄いことです。客車に冷房装置が皆無なので全ての窓を開けています。煤煙が情け容赦無く客車に入り充満します。汽車の旅は煤煙との戦いでした。
2番目の写真は煤煙が後ろの方へ流れて行く様子を示す写真です。
3番目の写真は昔の特急つばめ号です。電化され長距離の東海道線で活躍しました。
4番目の写真もつばめ号です。東京駅でつばめ号に乗ると煤煙が無いのでホットしました。

5番目の写真は大阪の阪急の梅田駅です。タ-ミナル駅で阪急電車がいろいろな方向へ走って行きます。現在の感覚ではとても貧し気なタ-ミナル駅ですが当時は感動的に大きなタ-ミナル駅でした。
6番目の写真は大阪や神戸地域で活躍した昔の阪急電車です。現在の姿とあまり変わらない姿でした。
7番目の写真は能勢の妙見さんへ行く昔の能勢電の電車でした。
写真で示したようなものに乗ったのは次のような事情があったからです。
祖父が兵庫県の猪名川町の内馬場のお寺の住職をしていました。しかし父は仙台の東北帝大の教授でした。
祖父の寺には毎年夏に泊まりに行ったのです。少年の頃のことで茫々70年以上前のことです。
兵庫県への長旅はまず東北本線の蒸気機関車で上野駅まで行きます。東海道線の電気機関車で梅田、大阪駅まで根気良く走ります。梅田から阪急電鉄に乗ります。野勢口で乗り換えて野勢妙方面に行きます。その電車の「山下駅」で降ります。そこから内馬場は20Kmの遠方にあります。はじめはタクシーでしたが太平洋戦争でタクシーも無くなりました。オート三輪の荷台の乗って内馬場まで行きました。そんな旅でした。

今日は昔の蒸気機関車、特急つばめ、阪急電車、能勢電車の懐かしい写真をお送り致しました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

「近所にある不思議な巨大な建物」

2024年03月13日 | 写真
東京学芸大学は出入り自由なので時々散歩に行きます。今日も行きました。 するとキャンパスに不思議な巨大な建物があります。
気になっ調べてみたらEXPG棟という名前の東8号館でした。Explaygroundの建物でした。結局何に使うのかまったく不明です。近所の子供たちが時々遊びまわっています。

幅約23m、奥行き約13m、天井平均高さ約3.3m(最高軒高約6.5m)。
エクスプレイグラウンドと東京学芸大学が協働で進める、新しい教育プログラムを実践するためのデジタルファブリケーション工房として、かつてない建築が誕生したのです。

まあ、建築家の遊びです。詳しくは下記をご覧下さい。
https://www.japan-architects.com/ja/architecture-news/jiao-yu-shi-she/vuild-manabu-manabiya

「このような絵画も面白い」

2024年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム
絵画はあまりオーソドックスだと飽きます。
そこで大谷太郎さんの作品をお送り致します。
大谷太郎さんは1979年、 神奈川生まれです。そして2004年に ドイツ国立カールスルーエ造形芸術アカデミーを卒業しました。2006よりベルリンで制作活動を始めました。2013より神奈川在住です。

1番目の写真は「ゴールドタウン」です。
キャンバスに油彩, W:450 x H:380 xD:10 mm

2番目の写真は「THE OPEN WINDOW」です。
油彩x木製パネル, W:720 x H:500 mm

3番目の写真は「雪のまち」です。
木製パネルに油彩, W:450 x H:380 mm

4番目の写真は「お月見」です。
キャンバスボードに油彩, W:410 x H:310 mm

「ジプシー民族の芸のロマンと犯罪」

2024年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム
この欄では最近、「アジアの少数民族、私の少数民族への温かい気持」や「写真で見る絶滅寸前のヨーロッパの少数民族」という記事を書きました。
今日はインド発祥のジプシー民族のことを書いてみたいと思います。
さてジプシーの文化、特に音楽などは非常に高く評価されています。スペインでは彼らのダンスからフラメンコが生まれました。大サーカスのうち幾つかのサーカス団はジプシーが経営者です。また、戦前戦後流行ったジャズ・マヌーシュで今でも人気があるギタリスト、ジャンゴ・レナルト(Reinhart)や、ピアニストのジョルジュ・シフラがそのジプシーです。
ジプシーの芸は広くヨーロッパの人々に愛されているのです。
彼等の音楽をお送り致します。
ジャズ・マヌーシュ、https://www.youtube.com/watch?v=KJqN0n5ontg
シフラ、https://www.youtube.com/watch?v=uOxe73q3f5w  

上記のジプシー民族はロマとも呼ばれます。日本ではジプシーと呼ばれています。
移動型民族としてのジプシーは、北インドのロマニ系民族が発祥であり、14世紀にヨーロッパに現れたと言いまさす。とても複雑で分かり難い民族です。
ジプシー民族はインド北方から中近東を通り、ヨーロッパ、そして19世紀から20世紀にかけてはアメリカ大陸まで広がったのです。
初めのうちは珍しがられましたが、そのうちに、特に東欧諸国のルーマニアやブルガリアなどでは奴隷のように使われたとも言われます。
第二次世界大戦中にはナチスや、ナチスに協力したフランスのヴィシー政府などによって強制収容所に入れられ、殺された人たちも多いのです。
ロマという全体の名称が1971年の世界ロマ会議で決まる以前のヨーロッパ各国での呼び方はいろいろでした。
ジプシーは移動型民族ですが、現在は定住して定職を持ち、企業主になっている人たちの数の方が多く移動する人たちは少なくなったのです。
フランスでは今でもキャンピングカーなどで移動し、移動遊園地などのアトラクションを経営する人もいます。
ジプシーはスリもします。手口に可愛げがあったのです。
私の知人がパリでジプシーの可愛らしいティーンエイジャーに囲まれて、そのうち一人の子がパッと自分のスカートをめくりあげたのだそうだそれに気を取られているうちに財布を掏られてしまったのです。
盗難事件が多発するようになったのはEU内を自由に行き来できるようになってからです。
特に日本からの旅行者にはジプシーとフランス人の区別はつきません。

そこでフランス政府はロマのキャンプを閉鎖し、何回もロマをルーマニアやブルガリアに送り返す政策をとってきました。それでもフランス人はジプシーをあまり差別していません。

今日はインド発祥のジプシー民族のことを書いてご紹介致しました。それしてもジプシー民族にはロマンがあり不思議な民族です。

今日の挿し絵の写真はロマ(ジプシー)の人々の写真です。写真は「ロマ・ジプシーの画像」を検索して出て来た多くの写真から最も実態に近いものを選びました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)






===参考資料=========================
ドイツによる絶滅政策;
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E
ドイツにおいては、ナチス党が自由選挙で国民の支持を受けて政権を獲得した後の1935年に、ロマを「劣等民族」と見なす法律が施行された。ロマの選挙権は剥奪され、非ロマとの結婚禁止、商売の禁止、学校入学の禁止、ドイツ国内での移動禁止などが主な内容である。その後ロマは強制移住や強制労働政策の対象となり、収容されたロマには優生学的な観点から、強制的断種手術が行われた。当時のドイツ政府は、ロマがアーリア系であることは知っていた。「アーリア主義」を掲げるナチス党政権がロマ撲滅を図ったのは、ロマがドイツ人と相いれない生活習慣を持つため、「アーリア系の面汚しであり、劣った異民族の血が混じっているに違いなく、放置すればドイツ人の血が汚される」と考えたためである。
第二次世界大戦によりドイツの占領地域が広がると、ドイツは再び多数のロマを抱えこむことになった。当時のドイツ政府が「最終解決策」と呼んだ政策で、ロマはユダヤ人のホロコーストと同様に虐殺の対象とされた。これはポライモスと呼ばれている。正確な数は不明であるが、戦争中に約50万人のロマが殺害されたとされる。強制収容所への移送を待たずに現地で殺害されたものも多かった。ナチス親衛隊特別行動部隊「アインザッツグルッペン」が東欧の占領地域に派遣され、ユダヤ人、共産党員、ソ連軍捕虜とともに、多数のロマが殺害された。ドイツ政府による被害にともなう戦後補償について、現在もロマはユダヤ人より不利な扱いを受けている。

「北京から来た周栄章さんと訪れた熱海梅林の写真」

2024年03月11日 | 写真
10年以上前に周栄章さんと家内の3人で訪れた懐かしい熱海梅林の写真です。彼は数年前に旅立ました。人は年年歳歳変わりますが熱海梅林は変わりません。
寫眞の出典は、


「アフリカ の民族とマサイ族の写真」

2024年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム
アフリカの民族とマサイ族の写真をお送り致します。

アフリカの民族の一覧の一例です。
ヌバ族 アンコレ族 トゥンブカ族 グロ族 ...
アングロアフリカン イラク族 ヌエル族 アルシャ族 ...
レンディーレ族 イッサ族 ムーア人 ...
ゴンベ族 アムハラ人 ドゥル族 ...
アンガス族 コファ族 バントゥー系

民族 ...
イガラ族 トングェ族 クナマ族 ...
ガモ人 ショナ人 ドゴン族 ...
ネグリロ ンゴニ族 キッシ族、その他の多数の民族。
一例のマサイ族の生活、
垂直ジャンプを繰り返す独特の踊り文化で有名であり、民族のアイデンティティとして知られる。村で一番高く跳べる男性が、村で一番綺麗な女性をめとることができると言われる。
マサイ族はケニア南部からタンザニアの北部一帯の先住民で、元々は牛・羊・ヤギなどの家畜の遊牧をしながら暮らす遊牧民でした。 しかし、現在は都市に移動し普通の生活を送っている人や自然保護区・国立公園の中に定住し、観光業やガイドなどによって生計を立てる人が多くなっています。
伝統的な主食は牛乳と牛の生血。近年ではウガリ・チャパティ・米飯などの炭水化物も日常食となっている。
牛乳をギブユという瓢箪に入れて作った原始的なヨーグルトや、牛の血を抜いてそれを牛乳と混ぜ合わせた飲み物もある。
「伝統信仰」はキリマンジャロ山の頂上に座するエンカイ、Enkaiという神を信奉する一神教。
(https://ja.wikipedia.org/.../%E3%83%9E%E3%82%B5%E3%82%A4... )



「アジアの少数民族、私の少数民族への温かい気持」

2024年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム
昔、私が少年の頃アイヌ人の友人がいました。近所には朝鮮の一家が住んでいて、その家に何度も遊びに行きました。そんな影響で私は少数民族に温かい気持を持っています。
そんなことを思い出しながら今日は少数民族のことを書いてみたいと思います。
かつて北米大陸と南米大陸などにいろいろな原住民が住んでいました。彼等は少数民族として、独特な民族文化を持っていました。日本でも北海道にアイヌ民族もいます。
共産党独裁の中国には53もの小数民族が住んでいます。中国政府は彼等を保護するためにそれぞれの自治県を設定しています。しかし世界の少数民族の運命は危ういのです。絶滅しそうなのです。
ここではアジアの幾つかの少数民族をご紹介いたします。
まず中国やベトナムの山地に住むミャオ族の写真です。ミャオ族は総数、1100万人位です。

1番目の写真はミャオ族の伝統衣装を着た少女たちです。詳しくは、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%82%AA%E6%97%8F をご覧下さい。

2番目の写真はミャオ族の建物と正装したミャオ族の人々です。写真の出典は、1番目の写真はと同じです。

ミャオ族の言語はミャオ諸語で宗教はシャーマニズム、仏教、キリスト教他です。
ミャオ族(中国語: 苗族) は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどの山岳地帯に住んでいます。自称はモン族と言います。中国に住む55の少数民族の一つです。

次は漢族ですが宗教だけが違う回族をご紹介します。

3番目の写真は中国に住んでいる回族です。出典は、「回族」を検索して、出て来た写真をお借りしました。
回族は漢族ですがイスラム教を信仰している人です。服装はイスラム教の伝統的なものを祭日に着ています。ですから中近東風の格好をした漢民族なのです。宗教だけが違うので回族と呼んでいます。北京に行くと街で白い帽子を被った男が多数歩いています。日本では考えられない異様な風景です。
人口は約900万人で、主に寧夏回族自治区に集中的に居住し、甘粛省、青海省、河南省、河北省、山東省、雲南省などの地域に集中的に居住している区域があるそうです。
回族は広く分布し国各地に散在し、中国で分布地域の最も広い少数民族です。
回族のコミュニティには普通、モスクがあります。
言語は当然漢語を用いていますが、イスラムに関わる用語が混じっています。
姓名は漢族と同じですが、預言者ムハンマドの名から取った 「馬」 の姓が多く見られます。
回族は漢族などと雑居しながらもイスラムにのっとった生活を行い、漢族とは食習慣や冠婚葬祭などの習俗を大きく異にしています。この違いが回族の民族としてのアイデンティティの拠り所となっているのです。
次はに中国の少数民族の広西チワン族を示します。
4番目の写真は伝統衣装を着た広西チワン族です。写真の出典は、「広西チワン族」を検索して、出て来た写真をお借りしました。長い美しい黒髪の手入れをしています。

5番目の写真は広西チワン族の立派な屋根のついた橋です。写真の出典は、4番目の写真はと同じです。
広西チワン族は稲作をしています。中国では広西チワン族自治区中西部や雲南省南西部、広東省東部、貴州省南部、湖南省南部などの山間部に約1,854万が住み、中国最大の少数民族です。言語はタイ・カダイ語族に属するチワン語をします。 宗教は道教を信じ、冠婚葬祭の儀礼もこれに則って道士が行うことが多い そうです。

さて中国に生きている少数民族を以下に示します。
漢族: 2,702万人 (62%)、少数民族: 1,721万人 (38%)
少数民族の内訳は、チワン族: 1,520万人、ヤオ族: 147万人、ミャオ族: 46万人、トン族: 30万人、コーラオ族: 17万人、マオナン族: 7.4万人、回族: 3.3万人、プイ族: 2.1万人、満族: 9576人などです。
中国には漢民族が62%しかいないのです。少数民族が38%もいるのです。

最後にインドネシアの少数民族をご紹介します。

6番目の写真はプランバナン寺院を背景とした少数民族、ラーマヤナの踊りの公演です。写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%B3%E5%AF%BA%E9%99%A2%E7%BE%A4 です。
さてインドネシアは5,110kmと東西に非常に長く連なる、世界最多の島嶼を抱える島国です。公用語はインドネシア語で、人口は2億6,400万人を超え世界第4位です。また世界最大のムスリム人口を有する国家でもあります。

インドネシアの民族の構成は、ジャワ人45パーセント、スンダ人14パーセントなどが中心ですが、350あまりもの少数民族で構成されています。350あまりの民族がそれぞれの伝統的文化を保持しています。インドネシアの特徴は多くの島や農村地帯に多様な文化が並列しています。
都会には高層ビルが並んで車が溢れていますが、ちょっと地方に行くとそこには原始的な生活をしている少数民族が活き活きと暮しています。幸せに暮しているのです。
ジャカルタから4時間で行ける山村にバドゥイ族という少数民族が幸せそうに暮らしているのです。バドゥイ族の村に泊ったlifenesia.さんの体験記、https://lifenesia.com/?p=2430 をご覧下さい。
男は農作業、女はハタ織り、子どもはお手伝い。傍目には退屈な生活に思われるが、そこにはお金では決して買うことのできない幸せの本質があるのです。

今日は人類の文化を豊かにするアジアの少数民おもに取り上げ取り上げ、その写真を示し説明を加えました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)