知床半島が世界自然遺産に登録されました。メデタシメデタシの一方、今後何かと大変 でしょうな。そこでふと思い出したのですが、森繁久弥作詞の「知床の岬にハマナスの咲く ころ~」なんですが、知床半島にハマナスが咲いてました?ましてや岬の先端は、海岸段 丘で一面の笹原のはず。芸術作品に細かい事でチャチャ入れるな!と怒られそうです が、自然観察人としては何となく気になって。
ハマナスは読んで字のごとく、海岸の砂地に自生する植物。知床半島の様な断崖絶壁 の地には生えないはず。半島手前の小清水原生花園には沢山有りますが。森繁先生は 網走から車で移動中、沿線の風景が頭の中で渾然一体と成ってしまったのでしょうか。
でも地域のイメージ、特に観光地のイメージはこうして作られて行くのでしょう。間違って も、知床岬にハマナスを植えようなんて気は起こさないで下さいよ。
狭い日本とは言え、北の端北海道東北部と南の端沖縄では、自然環境は元より住む人 間の感覚もずいぶん違う様なことを書いてきた。でも人間の感性は、自然環境や地理的 隔離によってのみ異なるものではない。時間的距離の方が、もっと大きな影響を与える。
明日香村に有る訳の分からない石造物である。左は噴水塔、右は水路であろうが問題 はその機能ではない。この様なデザインに至らしめた感性が問題なのだ。特に右の水路 の石組みと造形は、現代アートの芸術家であってもここまでの感性は持ち得ないであろ う。時間間隔の成せる、いや成した技である。7~8世紀と現代とでは、文化文明のレベ ル(内容?)が異なるなだから当然だ、との意見もあるだろうし、日本人の宗教観が仏教 への移行期であり、アミニズムの影響を色濃く反映したものだ、との意見もあるだろう。
いずれにしても要素還元的分析であり、時間はその全てを包括する。古代史に疎い素 人は、「時間の成せる技」と一括りに言ってしまったほうが簡単でいい。素人の戯れ言の 強みである。
上は北海道の野付半島に広がるトドワラ、下は沖縄の慶佐次湾マングローブ林である。 地名はともかくとして、日本人なら上が北の風景で下が南の風景であることは一目瞭然。 なぜそう思うのかと聞けば「バカなことを聞くんじゃない、植生が違うじゃないか、それから 漂う空気感が違う」とでも言うだろう。では惑星表面環境が地球と全く異なる、ほにゃらら 星人に聞いたら、この違い説明出来るだろうか?
人間が物事を判断する基準は、生まれてこの方脳に刷り込まれた経験と知識、温度・ 湿度・光の色(色温度)などに対する生理的反応である。物理定数のような絶対的基準な ど無いのである。(昨今の学説には、微細構造定数が時間と共に変化しているのでは、と の説も有るが)
北の人間が南へ行って、ワーッとハイテンションに成ったり、南の人間が北へ行って、な んとなく自殺したく成ったりするのは、非日常の環境に対する脳と身体の生理的反応の成 せる技なんでしょう。ではなぜ自殺願望の人は、めくるめく陽光の下トロピカルムード一杯 のマングローブの林で首を吊らないのでしょうか。おそらく自殺と言う行為は、荒涼索漠・ 寒山枯木・空空寂寂の世界で行うものだ、と刷り込まれているからでしょう。小説家やドラ マの脚本家の独断と偏見に寄るところが大きい。自殺願望の人は積極的に南へ行こう、 そうすれば死なないで帰ってこれます・・・・・これも独断と偏見かな?
これは中城城の入場券の裏面に印刷されていた平面図です。今私の手元には、首里 城・勝連城・今帰仁城・座喜味城の平面図が有りますが、著作権者の承諾を得ていない ので掲載できません。中城城と首里城の外郭形態は、縦横比の違いこそあれ全く同じで す。勝連城と今帰仁城も同じ外郭形態をしています。座喜味城だけが少し異なります。地 形に合わせて築城したとはいえ、同じ様な外郭形態になるということは、なにかそこに築 城の設計思想が有ったのでしょうか。
曲線の凸凹をならし、大枠で見ると五角形になっています。五角形には、防御に当たっ ての軍事的優位性があるのでしょうか。沖縄本島内には、その他中小の城跡が多くあり ますが、これらの外郭形態はどうなのでしょう。知念城も不規則ながら五角形に見えるの ですが。
この曲線美、ヤマトとは築城のコンセプトが違う。よく観察すれば、基礎となる基盤の琉 球石灰岩の凸凹に会わせて(等高線に沿って)石垣を積み上げている。その結果としてこ の様に美しい曲線と成ったのです。基礎工事に労力を要しないだけ合理的築城工法と言 えるかも知れませんが、決してそれだけでは無いような気がします。やはりそこには、琉 球文化の美意識や自然感と言った様なものが存在するのではないでしょうか。
単に軍事要塞としての城ならば、ヤマトの城の様に鋭角的構築物としたほうが実用的で す。城とは最後に籠城して戦うための構築物ですが、それにしては琉球の城は規模が小 さすぎます。また城内には必ず拝所が併設されています。軍事要塞であると同時に宗教 施設でもあり、政治の中心権威の象徴だったのでしょうか。
明らかなコンセプトの違いを感じたのは、ヤマトの場合石段と石段の間は水平に設計す るのですが、琉球の場合は間隔が広く若干の傾斜がついています。段数を減らすための 合理的設計思想なのか、または何かの意図が有るのか、これはわかりませんでした。