
3:姿見七人化粧 おきた対鏡
高島屋おひさをモデルにした同じ趣向の合わせ鏡の図柄がある。
江戸で評判の難波屋のお北が、整いすぎるほどに整った自分の顔を、無心に見入る姿を描いた歌麿は、自分の好みからだけでなく充分に庶民の要請に応えたつもりであろう。
日常生活のなかでのお北の姿は、小町娘のブロマイド的役割を果たして余りあろう。
※喜多川歌麿
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師の代表的な一人。
姓は北川、後に喜多川、幼名は市太郎、のち、勇助(または勇記)と改め、名は信美。
初号は豊章といい、歌麻呂、哥麿とも号す。
通常は「うたまろ」と読むが、秘画本には「うたまる」としているものもある。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、狂歌名は筆の綾丸、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した。
国際的にもよく知られる浮世絵師として、葛飾北斎と並び称される。
繊細で優麗な描線を特徴とし、さまざまな姿態、表情の女性美を追求した美人画の大家である。
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