翼をください/赤い鳥
フォークグループの赤い鳥が1971年2月5日に『竹田の子守唄/翼をください』のB面曲として発表した。もともとは1970年に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)の「合歓の郷」で開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られ、赤い鳥メンバーがこの曲を提供されたのはレコーディングの2時間前であった。1973年9月25日にはやまがたすみこが『あの日のことは やまがたすみこフォークアルバム第二集』の1曲としてカバーし、澄んだのびやかな歌声でこの曲のファンを増やした。のち、教科書出版社の教育芸術社の橋本祥路が教科書に収録して以来、合唱曲として有名となり、1970年代後半から学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていた。そのため、老若男女誰もが歌える愛唱歌である。
出典:Wikipedia
【作詞】山上路夫【作曲】村井邦彦
今 私の願いごとが叶うならば 翼がほしい
この背中に鳥のように 白い翼つけて下さい
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ
赤い鳥 翼をください
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
行きたい
子供の時夢見たこと 今も同じ夢に見ている
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ
フォークグループの赤い鳥が1971年2月5日に『竹田の子守唄/翼をください』のB面曲として発表した。もともとは1970年に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)の「合歓の郷」で開かれたプロ作曲家コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」のための曲として作られ、赤い鳥メンバーがこの曲を提供されたのはレコーディングの2時間前であった。1973年9月25日にはやまがたすみこが『あの日のことは やまがたすみこフォークアルバム第二集』の1曲としてカバーし、澄んだのびやかな歌声でこの曲のファンを増やした。のち、教科書出版社の教育芸術社の橋本祥路が教科書に収録して以来、合唱曲として有名となり、1970年代後半から学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていた。そのため、老若男女誰もが歌える愛唱歌である。
出典:Wikipedia
【作詞】山上路夫【作曲】村井邦彦
今 私の願いごとが叶うならば 翼がほしい
この背中に鳥のように 白い翼つけて下さい
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ
赤い鳥 翼をください
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
行きたい
子供の時夢見たこと 今も同じ夢に見ている
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ
この大空に翼を広げ 飛んで行きたいよ