今年88歳になる鶴見俊輔が昨年2回にわたり、インタビューを受けた。
インタビューと、そのインタビューに出てくる話題に関わる彼が書いた文章を、多くの著作から拾い出して掲載している面白い構成の本だ。
内容説明
善人は弱いんだよ。善人として人に認められたいという考えは、私には全然ない。
I AM WRONG.悪人で結構だ! 戦前・戦中・戦後の87年間、一貫して「悪人」として日本と対峙してきた哲学者が、自らの思索の道すじを語る。
目次 第1部 “I AM WRONG” (私にとって、おふくろはスターリンなんです 『共同研究 転向』は、私のおやじに対する答えなんだ もう一つの物差し―後藤新平 江戸と明治、二つの世を生きた「エリート」たち つくる人とつくられる人 張作霖、鬼熊、阿部定)
第2部 まちがい主義の効用 (「まちがい主義」のべ平連 東大から小田実のような人間が出たのは奇跡だ 『世界文化』と『思想の科学』をつなぐ糸 『死霊』をどう読むか 花田清輝に叩かれて開眼する 桑原武夫、あるいは勲章のこと 埴谷雄高の見事な所作と丸山眞男の思想史的つぶやき)
第3部 原爆から始める戦後史 (執拗低音としての敗戦のラジオ放送 映画『二重被爆』が語る原爆の意味 科学者はみなハイド氏になった 丸山眞男の被爆体験 「無教育の日本人」の知性の力 “誤れる客観主義”からいかに逃れるか 私は人を殺した。人を殺すことはよくない)
☆もう15年も前になるが、ある日、ある人に「日本の母親は諸悪の根元です」と言われたことがある。
その人は「日本の母親は」と一般論化してそう言ったが、その人と母親との長い葛藤の積み重ねから出た言葉のようにも思えた。
鶴見俊輔の本を読むと、必ずこの言葉を思い出す。
彼は岩手出身の政治家“後藤新平”の娘を母親として生まれ、母親に愛されつくして、そこから逃げて逃げて大きくなった。
この本でもまず、母親と彼との長い長い確執の日々のことが出ている。
☆鶴見俊輔は自分が演説で人を動かすことが出来る人間ではないことを知っている。その彼は自分と全く違うタイプの“小田実”を知ったおかげで、
彼と共に役割分担をしてジョイントで同じ目的の社会活動が出来たことを強く感謝している。
☆私にとっては小田実は彼のフルブライトアメリカ留学とそのあとの世界旅行記である「何でも見てやろう」という本の出会いからスタートした。
この本から始まり、別の人の「ロンドン東京5万キロドライブ」や「まあちゃん、こんにちは」など当時の日本人の海外体験物の本に興味を持った。
小田実はアメリカにフルブライト留学した体験から、アメリカ人は自国の相手は「Tamed indian」だけが好きだ、と書いてあって当時、高校生の私には衝撃的な表現だった。
つまり、アメリカ人はアメリカ人に歯向かうアメリカインデアンは徹底的にやっつけるが、飼いならされたインデアンにはとてもやさしくしてくれる。
アメリカ人にとっては日本人もtamedかどうかだけしかない。
辞書を引くとTameには「手なずける」という意味もあった。そう言われると高校生の自分には当時の岸信介首相はまさに『Tamed Prime minister』そのものに見えた。
そして最近では、ブッシュ大統領の前でプレスリーの真似をして大統領を苦笑いさせた、エアーギターを弾いた小泉日本国元首相をテレビで見たときに
忘れていた「Tamed indian」という言葉を思い出した。
☆いろんな意味で小田実のこの本は、私の世界を見る目の物差しの一つになっているが、その小田実に鶴見が敬する気持ちを持っているのが、嬉しい。
☆また、鶴見は戦争体験者の水木しげるや野坂昭如の画いたもの、書いたものを評価している。
そんなこんなでどこかで共通するのか、鶴見の本が出るとつい手が出てしまう。
余談ながら、最終の東京行き新幹線に乗るべくJR芦屋駅で京都行き新快速に乗りかえようとした6年ほど前、
ホームで黒いコートの背中の広い大柄な男のすぐ後ろについた。電車が入ってくるとき横顔に電車の前方ライトが当たり、そのがっしりした顎の男の横顔が浮かび上がった。
小田実さんだった。確か当時彼は家族で芦屋に住んでいた。
高校生の時から40数年ずっと本も買ってきた憧れの人が目の前にいることに驚き嬉しかった。
二人だけの列は誰も降りてこないドアから乗ったあと、右と左に分かれて座った。
彼も新大阪で降りて、新幹線の改札口に向かった。恥ずかしながらミーハー辛好の大切な思い出です。
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