映画「二宮金次郎」予告編
金次郎バンク調査推進室 沼田 清さんのご紹介映画です。
⇒昨年から添付チラシの映画「二宮金次郎」が各地で自主上映会が開かれていました。
ところがこれもコロナの影響で今年に入ってから各地で中止になってますのて、
社会に平穏が訪れたときには観る機会があると思います。
もし、ご関心がありましたらNinomiyakinjirou.comにお問い合わせください。
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◎ 映画の出演者を見ると、この作品に共感して喜んで出演したのではないかと推測できる脇役陣で固めている。
また映画を完成するのに多くの個人や団体、地方行政が多彩多様な協力をしている。
沼田さんをご紹介頂いた船橋社中の社主さんへ入れたメール。
⇒ ♪ 柴刈り縄ない 草鞋をつくり
親の手を助け 弟を世話し
兄弟仲よく 孝行つくす
手本は二宮金次郎 ♪
阿智胡地亭は何故かこの歌を今も口ずむことが出来ます。
検索したら小学校唱歌だったんですね。
特に♪手本は二宮金次郎♪の処は 学校でふざけてよく友人の名前に変えて歌いました。
今も二宮金次郎研究会が各地に多数あるんですね。
確か以前、彼の伝記を読みましたが、農業技術の啓蒙家かつ行動リーダーの人でした。
日本にはこういう草の根の農業活動家が各地にいたようですね。
◎ 余談ながら阿智胡地亭は昭和30年代の後半の学生時代に二宮尊徳翁の直系のご子孫、
二宮尊道先生の英語の授業を受けたことがあります。
関係サイトから引用:
埋め草その4(松村)
2013.05.25
塔ブログ 1988年3月号から、澤辺元一「砂糖の話」。
昭和十八年春、私の入学した頃の学校の予科の教授陣は、ちょっとした珍姓オンパレードの感があった。
中でも朱牟田(夏雄)、堀米(庸三)、荻野目(博道)といった姓にはいまだ嘗ておめにかかったことはなかったし、
生島(遼一)、赤塚(忠)、竹之下(林蔵)などというのも一癖ありげな苗字であった。
二宮尊道という先生もおられた。私もラグビー部でお世話になったが、ある日転宅されることになり、皆で手伝いに行った。
立派な仏壇を運び出している中に、うっかり位牌を一つ溝へ落としてしまった。
これが何と御先祖の二宮尊徳先生の位牌であった。まるで嘘のような話である。(以下略)
この二宮尊道さんは、後に大学の教授となった英文学者で、D.H.ロレンスやT.S.エリオットの研究者として知られているようだ。引用終わり。
船橋社中の社主さんから追加で画像が届きました。尊徳翁は日本国紙幣の一円札の顔でもあったのですね。
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0519 エクササイズ フルセット完
今は歩きスマホにダブルそうで、学校の先生方は金次郎に好感はないそうです。違う次元だと思います。この話を聞いた時、日本の将来の自信は無いと感じました。歴史は、大切な学問です。
二宮尊道の孫です。
1972年に祖父は帰天しましたので、1968年まれの私にとってはほとんど記憶がなく、写真文献などでしか知りうることができず、親戚も多くが高齢になって話を聞く機会もめっきり減りました。
50を過ぎ、改めて祖父の足跡をたどる中で、偶然サイトを拝見した次第です。
時期から見て神戸大で教鞭をとっていた頃でしょうか。祖父が英語を教えていた頃、縁のある方が、このように発信してくださることは、とてもありがたく感謝いたします。
これからも健康が守られますことを祈りつつ。