精神分析入門 下 新潮文庫 フ 7-4 (文庫)
かの有名な「上位自我」(超自我)はなんと続編(p301)になって初めて登場する。フロイトはこれを「良心」と言い換えているが、ここでニーチェの「良心の疾しさ」という有名な文言が共振する。言ってることは同じじゃないか?超自我は生得的なものではなくて、いわば社会的に形成されるものであり、その点では「良心の疾しさ」を生み出す「道徳」とほぼ同じといえる。
昔からニーチェとフロイトとの類似点はよく指摘されてきたし、「ニーチェとキルケゴールがあれば、フロイトはいらない」と断言した人もいる。こんな主張の類似が偶然起こるというのも不思議な話である(ちなみに、フロイトはニーチェをほとんど読んだことがなかったといわれている。)。
かの有名な「上位自我」(超自我)はなんと続編(p301)になって初めて登場する。フロイトはこれを「良心」と言い換えているが、ここでニーチェの「良心の疾しさ」という有名な文言が共振する。言ってることは同じじゃないか?超自我は生得的なものではなくて、いわば社会的に形成されるものであり、その点では「良心の疾しさ」を生み出す「道徳」とほぼ同じといえる。
昔からニーチェとフロイトとの類似点はよく指摘されてきたし、「ニーチェとキルケゴールがあれば、フロイトはいらない」と断言した人もいる。こんな主張の類似が偶然起こるというのも不思議な話である(ちなみに、フロイトはニーチェをほとんど読んだことがなかったといわれている。)。