「新潮45」で、佐伯啓思先生が、「まともに日本語を使えないのに、はやい時期から英語教育を実施するなどばかげている」という趣旨のことを書いていたが、同感である。
佐伯先生は、「日本人はまともな日本語をしゃべっていない」というが、私は、問題の本質は別にあると思う。メッセージがないのだ。
このことは、外国に留学・生活してみると分かる。例えば、講義の最中、アジアの他の国の留学生は積極的に自分の意見を述べるが、日本からの留学生は何も発言しないか、したとしても空疎な内容の発言でしか出ないことを見れば分かる。伝えたいことがないからである。
この原因は、福沢諭吉であれば、「一片の独立心」がないからだというだろうし、夏目漱石にかかれば、「自律的な思弁の欠如」という言葉で要約されるだろう。他人事ではないのだが。
佐伯先生は、「日本人はまともな日本語をしゃべっていない」というが、私は、問題の本質は別にあると思う。メッセージがないのだ。
このことは、外国に留学・生活してみると分かる。例えば、講義の最中、アジアの他の国の留学生は積極的に自分の意見を述べるが、日本からの留学生は何も発言しないか、したとしても空疎な内容の発言でしか出ないことを見れば分かる。伝えたいことがないからである。
この原因は、福沢諭吉であれば、「一片の独立心」がないからだというだろうし、夏目漱石にかかれば、「自律的な思弁の欠如」という言葉で要約されるだろう。他人事ではないのだが。