Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

言葉を超える音楽の力

2025年02月11日 06時30分00秒 | Weblog
Blue Bossa Station/紀平凱成 Down Forest/紀平凱成 桜の瞬き/紀平凱成 愛の夢/リスト=紀平凱成 ディズニーの名曲メドレー 8つの演奏会用エチュード、24の前奏曲より/カプースチン 変奏曲 作品41/カプースチン 他
<アンコール曲>
・シューマン「献呈」
・クイーン・メドレー

 普通の人はおそらく絶対に読めない「凱成(かいる)」という名前を持つピアニストのツアー。
 曲目からも分かる通り、クラシック/ジャズ/ポップスの垣根を超えた音楽性が特色のようである。
 実は、紀平氏は、幼い時から障がいを抱えているそうである。

 「幼いとき、自閉症の症状により発語が遅く、言葉を話すよりもピアノを弾き始めたほうが早かった。・・・
 「話すことができないなかでの自分を表現できるものとの出合いでした。人の表情に対してとても敏感だから、みんなの喜んだ顔がうれしかったのだと思います。それから小学1年生で言葉が出るようになって、『将来は何になりたいの?』と聞かれて『ピアノを弾く人になりたい』と答えていました。私たちもそのときに凱成の思いを初めて知りました。」(母・由紀子さん)(p7)

 彼は、言語に関する障がい(自閉スペクトラム症?)を抱えていたということのようだ。
 だが、"言葉を超えるもの"として「音楽」があった。
 これに対し、同じピアニストの辻井伸行さんは、"映像を超えるもの"としての「音楽」を表現していると見ることが出来るだろう(カタバシスからアナバシスへ、あるいは「貴方なら弾けますよ」)。 
 以上に対して、"言葉を超えるもの"としての「身体表現(ダンス)」を追求しているコリオグラファーが、言うまでもないがクリスタル・パイトである(言葉を超える(1))。
 何が言いたいかというと、いずれも人間の「感覚(知覚)」の限界を踏まえて、その超越(克服)を目ざしている点が共通しているのである。
  ちなみに、紀平氏のインタビュー記事を読むと、多くの場合、音が映像(自然の情景)と結びついて立ち現れてくるらしい。
 例えて言えば、言葉を超える画像を追求したフランシス・ベーコンを、明るい雰囲気の音楽家にしたようなものだろうか?(ちょっと違うか?)
 ・・・感想について言えば、「野生の音楽」というか、音楽が紀平氏の身体から自然にあふれ出て来るという印象である。
 私の好みで言うと、「変奏曲」(カスープチン)と「献呈」は圧巻で、これまで聴いた中ではベストのパフォーマンスだと感じた。
 
 
 
コメント
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