明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



アダージョ用の人物は良く見ないと判らない程度だが、眉毛が左右、非対称である。左眉が特に下がっている。それを生かすために、顔を少し右に振ることにした。そうなると老婆は人物の向かって左側を通ることになる。現場を一度観た感じでは、現場の構図からして、主人公を向かって左に配し、老婆を右と考えていたのだが、人物の左眉が、ほんの若干下がっていたがために、当初と逆になってしまったわけである。背景に合わせてポーズ考えることはあっても、さすがに背景に合わせて表情は変えない。怪人二十面相を制作した時は、もうちょっとで背景の銀座を左右反転させるところだった私である。眉毛ひとつで地球を反転させたってかまわないのだが、街歩きのフリーペーパーとなれば路地も反転させるわけにはいかないのである。  先日K本で、常連の大手建設会社の部長Mさんから、「最近、合成じゃなくて、人形を手に持って撮影ってしないの?あれも捨てがたいと思うんだけどなあ」といわれた。こういうことを、ホッピー飲みながらサラリといってくれるから堅気の衆は怖いのである。人形を左手、カメラを右手に街をいく撮影は、アダージョでは創刊2号の『向田邦子と六本木を歩く』のただ一回である。私の原点でもあるこの方法は、背景と同じ空気の中で撮影するのだから雰囲気は最高だが、撮影時に、もちろん人物像が完成していないとならない。これがまずスケジュール的に大変。事前にただ佇んでいる状態の人物をつくっても、背景が都営地下鉄沿線にかぎられ、時代のズレという問題などもあり、表紙に相応しい画にするのは難しい。よって前述のように、人形制作の段階で背景に溶け込ませるのに工夫が必用になってくるのである。背景に合わせて作るために、おかげで展示に耐える作品は少ないのも残念である。 最近人形を外で撮る人が増えているらしい。
来月の『大乱歩展』に出品する、座布団を二つ折りにし、腕枕で寝転がる乱歩。探偵小説の将来やトリックについて思いを馳せている様子である。2006年の制作当時と、現在では着彩方法が違う部分があるので、急遽一部塗りなおすことにした。この乱歩は、次どんな乱歩を作ろうかなァの“ァ”のあたりで思いついた記憶がある。なにしろ丁度その時の私のポーズそのままなのである。私がやると、いかにも役立たずなポーズである。

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