明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



撮影場所から正式な許可が下りた。そこは使用はともかく普通に撮影はできるところである。しかし撮影日の申請をして、その時間に書類を持っていかなければならない。つまり事前にテスト撮影し、そのカットでいいやとなっても、当日撮影に行かなければならない。まあ撮ったフリでもして帰ってくればいいのだが。 今回の人物は、参考にするのを、生前本人に係わった人物が描いた肖像画に的を絞った。後世の人が描いたものは、たとえ与謝蕪村だろうと失格。本当のことなどどうでもいい私であるが、創作というウソをつくには、こういうところはシビアにしなければならない。 係わった複数の人物の作品を比較すると、鼻と口が酷似している。鼻と口はこれに近かったと判断していいだろう。ところが目がまったく違う。目は口ほどにものをいう。これはそれぞれの人物の捉え方見え方が反映されている。女性がお多福に見えたり般若に見えたりなど、普通にあることである。なにしろ昔の日本画なので、かなりデフォルメされている。どう読み取るかが課題であろう。  この人物は日本中に石像、銅像が残されており、近年に至っても作られ続けている。この類は、作られることが決まり、発注される過程の適当なことは、体験済みである。某所の銅像は、有名な肖像画に似せているが、デフォルメをそのまま真に受けているので、皮を剥いたら、へんな頭蓋骨が現れるであろう。
本日より古石場文化センターで3日間、江東シネマフェスティバルである。1階のロビーにて、配布中の『中央公論Adagio谷崎潤一郎と人形町を歩く』で使用された最新の谷崎潤一郎と創刊2号で使われた向田邦子、13号の小津安二郎が展示されている。

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