明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



アダージョ次号の人物は、古すぎて誰も知らないわけだし、想像で作ればよいだろう、と傍からいわれる。私はもともと資料その他、何かを参考に作るのが嫌いで、架空の人物専門であったので、むしろ、そのほうが得意だと思うのだが、具合が悪いのは、その人物と生前、交流があった弟子達が、肖像画を残している、ということである。私は常日頃、本当の事などどうでもいい、と頭に浮かんだ勝手なイメージで作っているが、上手い嘘をつくには、本当のことを混ぜるのがコツである。実在した人物である限りは、そこにはこだわりたい。  弟子達の描いた肖像画は、作風、画力に違いはあるが、鼻、口、耳は、ほぼ同じ形というのが面白く、本人の遺品や書き残された文字などを見るより、よほど本当に実在していたのだ、という気にさせられた。輪郭はまるで違うが、年齢、体調にもよるだろう。目つきも違うが、弟子達の師匠に対する感じ方が、目の描き方に出るのであろう。そういう場合は、すべて多数決で決めていった。そうしていくと、ある弟子が描いた物が一番実像に近い、と私は判断したが、それがモデルの生前に描かれたものだったので、得心した。  それにしても全国各地にに多数ある、銅像、石像の類は、弟子達が、師匠はこういう人だ、と懸命に描き残しているのに、まったく無視され、まるで昔話の爺様あつかいで、好き勝手に作られている。地元の商店会の会長や、酷いのになると、浮気がばれて怒り心頭のカミさんの親父さんに、「お父さん、○○様のイメージにぴったり!」などと点数稼ぎにモデルに使った物まである。というのは私の想像だが。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )