明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



友人から電話。どう?アダージョの進み具合は。「今日、頭を作り始めた」。アダージョ2月配布号の締め切りは今月末なのに。「写真も残っていない大昔の人なんだから、イメージで作ればいいんだろう?」確かにそうである。数百年前の、肖像画しか残っていない人物なのだから、たとえば与謝蕪村のように、自分のイメージで描けばばいいこと。確かにそうである。かつて私はイメージで架空の人物ばかり作っていたし。しかし、この人物は間違いなく実在した人物である。生前の姿を知って肖像画を描いている人間が数人いて、その肖像画を比較して、耳鼻口はこれ、目は多数決でこちら、と考えているうち開始が今日になってしまった。  何度も書いたことだが、私がアダージョで夏目漱石を作った時、資料写真の鼻筋に疑惑を感じ、大事をとって正面を向かせた。しかし直後に開催された、江戸東京博の『夏目漱石展』に展示されたデスマスクは、一般のイメージと違った見事なカギ鼻であった。(昨年、松涛美術館で開催された『野島康三展』で、犯人は野島の弟子の一人と判明した。ただしクライアントに無断で写真師が修正するとは思えず、漱石自身の指示によるものであろう)同時に会場に展示されていた、映画『ユメ十夜』の宣伝用に500万かけて作られたという等身大の漱石像は、鼻筋がまっすぐであった。私はそれを観て思うわけである。『シビアさが足りねェんだよ!』  アダージョは15万部配布されている。しかし表紙に関して読者が云々することはほとんどない。だが、どこかの誰か、例えば会社帰りにアダージョを手にしたミスターX。彼はかつてその人物のファン、あるいは卒論のテーマにしていて、そのXに、『こいつ、こんなことまでしていやがる』とウケているところを私は夢想し、そのいるかどうかも知れないXに対して、私は手を抜けず、ファイトを燃やすのである。『そんなこと誰も気にしていないよ』とは、再三再四いわれることだが、Xに『シビアさが足りねェんだよ!』とだけはいわれたくないのである。

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