明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



小学生からの幼馴染Tより電話。「昨日のブログのタイトル“幸せはパリで”みたいだな」。私は今忙しいのである。 佳境に入った人物像のメール画像を見て、「よく似てる」。Tは単に、この人物の定番のコスチュームについていっているに過ぎないと思ったが、どうやら某所の銅像が頭にあるらしい。「あんなのと一緒にするな」。  この人物、没後から現在にいたるまで像が作られ続け、各地になんと1500から2000体ある、といっているサイトを見て仰天したばかりだが、Tには、門弟たちが描いた肖像画が、いかに無視され、勝手なものが作られているかを話し、最近作られた笑止千万な像の、除幕式の画像を送った。「幕を外した時、どよめいたと思うんだよな」。しかし私には判っている。悪い男ではないのだが、子供の頃からの付き合いであるから、Tの物を見る目については節穴以下であることを知っている。黒人の人形を制作していた頃、私の作品のマネをしている、といっては、度々雑誌の切り抜きを持ってきたものだが、『この男には、これと私の作品には、何か共通点が見えるらしい』と、毎回ガッカリさせられた。あそこにお前の作品と、ソックリな物を売っている、と訳の判らない、ジャンクショップに引っ張っていかれたこともあった。  昔、私の家に遊びに来る友人達には、「お前等だけは、私の作品を無理してでも褒めろ」。と申し渡していたものだが、唯一Tには、「作品については何も触れないでくれ」。個展会場には、なるべく来て欲しくないのだが、初日に来ても、私の友人のような顔をするな、といってある。私の知り合いと知って、誰かが作品について話しかける怖れがあるからである。 長い付き合いなのに、私のやろうとしていることが、爪の先ほども伝わらない頓珍漢な男であるが、私の父もそうであったし、興味がない人にとれば、私など、無駄な物ばかり作る変わり者である。  彼がブログをやっていようものなら、幼馴染の私の重度の方向、数字音痴ぶり、電車の乗換えができなかった私に、切符を買ってくれた話など、口を極めて書きそうだから、この辺でやめておく。

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