明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



アダ-ジョ8月配布の22号の特集人物と特集場所がようやく決まる。前回の打ち合わせの時に、某御聖人様の名前も上がっていて、旅行の間は考えないようにしていたが、気が気ではなかった。そこへ昨日、編集長から、御聖人案は白紙になったと知らせがあり、替わって二名の人物が挙がっていた。私は間髪を入れずTに一票!と返信をしていた。  この人物には、大分以前から暖めていた秘策があった。それはこの人物以外には使いようがない、というアイディアである。昔の私なら、作りたかったら作ってしまっていただろうが、私も小学生ではないので、発表の機会がないものを作ることは戒めていた。であるからして、この人物はアダ-ジョで取り上げてもらう以外、私が作る機会はないだろう、と考えていたのである。 実はアダ-ジョは20号の團十郎号から、発行元が替わった。以前の発行元がなくなってしまったからなのだが、当然私などは、発行元がなくなればアダ-ジョもなくなるのだろう、と思っていた。何が残念といって、この名案をもってTを作れなくなることであった。しかしこの幸運なフリ-ペ-パ-は、九代目團十郎ではないが不撓不屈で、何事もないように続いている。
今月29日配布の21号は、風邪をひいているうち完成してしまったので機会がなかったが、気分も良いし、『私が作ったのは誰でしょうクイズ』をもう一度やってみることにした。團十郎で応募いただいた方々には、メ-ルの受信の設定で、余計なことをしてご迷惑をかけてしまったが。それとK本などで顔を合わす方や、今誰を作ってると、私に無理矢理メ-ルなどで聞かされてしまう人でも、そこまでボケるなら仕方がない、と私に思わせるとか、何か応募できるよう救済処置を考えたい。

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